『ミュージアム』 誰が罪人?

 『るろうに剣心』や『秘密 THE TOP SECRET』などの大友啓史監督の最新作。
 原作は巴亮介の同名マンガ。

大友啓史 『ミュージアム』 カエル男とそれを追う刑事沢村(小栗旬)。


 雨の日だけに現れる連続殺人犯。犯人は雨ガッパの下にカエルのマスクを被っている。事件の現場にはカエル男のメモが残されている。刑事の沢村(小栗旬)はカエル男を探っていくと、次のターゲットとなるのは沢村の妻・遥(尾野真千子)であることが判明する。

 犯人のカエル男は「ドッグフードの刑」ではある女性を犬に喰わせ、「母の痛みを知りましょうの刑」では母親にパラサイトしているオタクの肉をそぎ落とすという狂気じみたことをしている。この被害者の共通点は「少女樹脂詰め殺人事件」の裁判員となっていたことで、カエル男はその事件を裁いた人間たちを私刑(リンチ)していることが判明する。
 沢村の妻もその裁判員の一人で、すぐにも保護しなければいけない対象なのだが、沢村が刑事の仕事にのめり込むあまりにまったく家庭を顧みずにいたことで子供を連れて出て行ってしまったあとだった。

 カエルの扮装をした男が連続殺人を犯していくというあり得ない設定だし、ツッコミどころも多い。それでも次はどんな殺され方をするのかという悪趣味な興味で観客を引っ張っていくし、雨は降り続けるどんよりした世界とカエル男の造形はよくできていたと思う。
 出演陣は誰もがオーバーアクト気味な印象だが、もとから設定が設定だけにそんなものかもしれない。そんななかカエル男を演じた妻夫木聡がかえって自然に見えたのは、カエル男の存在自体が化け物みたいなものだろうか。カエル男の最期は『悪魔の毒々モンスター』みたいだった。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ミュージアム』 ダークなイメージはやはり『セブン』を意識しているのだろう。

 連続殺人の被害者たちが何かしらの罪を負わされてカエル男に殺されるというのは、いかにも『セブン』とよく似ている。『セブン』の被害者たちはカトリックの「7つの大罪」という考えに基づいて、憤怒・嫉妬・高慢・肉欲・怠惰・強欲・大食という罪のために殺されたことになっている。
 『ミュージアム』の場合は罪が先にあるわけではなく、ターゲットが決まっていてカエル男が勝手に罪を設定しているだけだからデタラメである。それでも「母の痛みを知りましょうの刑」「均等の愛の刑」とか家族関係の問題が多く(ペットも家族とすれば「ドッグフードの刑」も)、最後のターゲットとされる遥の罪も刑事である沢村の仕事を理解していないということで「お仕事見学の刑」となる。

 沢村はカエル男の罠にはまりえげつない悪夢を見させられることになるのだが、最後の最後の部分では生き残った息子の将太(五十嵐陽向)がカエル男と同じ光線過敏症という病気になっているかもしれないことがほのめかされる。これは悪意にさらされることによって生じる心因性のものだと説明される。
 カエル男は両親を惨殺されたという過去が明らかにされている。それでは将太がどこで悪意にさらされたのか? もちろんカエル男と接触して悪意にさらされたとも言えるのかもしれない。しかしいつも一緒にいたのは母親であるはずで、遥が悪意を発していたのではないかとも思わせなくもない。
 カエル男と遥と沢村が対峙したとき、遥は「私を殺して」と言い張っていたのは、カエル男との約束があったからなのだろうが、それ以上に自分に対してやましいことがあったのではないかと邪推してしまう。もしかすると遥は仕事にかまけて沢村が家に寄り付かない間に、その沢村のことを悪し様に語るようなことがあったのかもしれない。そのことが息子の将太のストレスになっていたと考えるのは深読みしすぎだろうか。

 最初は家庭を顧みない夫が罪人だったわけだけれど、次第に理解のない妻という方向へと罪が移動していくようで、そのあたりがとても日本的とも思えた。『セブン』においては神との関係での罪がはかられるのだとすれば尺度はある程度決まっているのだろう。一方で『ミュージアム』の沢村と遥は立場としては同等なはずで、夫には夫の言い分があるし、妻には妻の言い分がある。尺度はそれぞれの立場によって変わってくる。だからこそどちらも罪人になる可能性があるのかもしれず、常に互いのパートナーの顔色を窺っていなければならないのかもしれない。神の顔色を窺うのも大変だろうけれど、こちらも楽ではないという気もする。

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Date: 2016.11.13 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (7)

『湯を沸かすほどの熱い愛』 ぬくもり程度では納得できない

 監督・脚本は『チチを撮りに』の中野量太。『チチを撮りに』は、最初は自主制作としてスタートしたものの、映画祭などで評判がよかったために劇場公開された作品とのこと。
 今回の『湯を沸かすほどの熱い愛』が商業映画デビュー作ということになる。

中野量太 『湯を沸かすほどの熱い愛』 双葉という肝っ玉母ちゃん(?)を演じるのは宮沢りえ。


 幸野双葉(宮沢りえ)は娘の安澄(杉咲花)とふたりだけの生活。実は1年ほど前に夫が姿を消し、経営する銭湯も休業状態なのだ。そんなある日、双葉はバイト先で突然倒れる。病院で診察を受けると末期がんとの宣告を受け、一度は茫然とする。しかし双葉は絶望することもなく、残された日々でやらなければならないこと考える。

 よくある「余命宣告もの」である。日本映画にはなぜこうした題材が多いのだろうか。(*1)そんなふうにいぶかしむほどにこの種の作品は多い。これだけ多いとかえって食傷気味で敬遠されそうでもある。実際にこのブログで取り上げたことのある「余命宣告もの」は、『トイレのピエタ』くらいだろうか。奇しくも『湯を沸かすほどの熱い愛』でも重要な役柄を演じる杉咲花が準主役で、脇役として宮沢りえも顔を出す。
 そんなわけで『湯を沸かすほどの熱い愛』という作品もお涙頂戴といった湿っぽい感じになるのを懸念していたのだが、そこはうまく回避していた。主人公の双葉は子供たちには病気のことは一言も告げずに、やるべきミッションを達成していくのだ。
 そうしたことを家族は見てきているから、病気がわかってからも最後まで前向きに双葉の死にも立ち向かうことになる。もちろん色々と泣かせるところはあるのだけれど、やるべきことはやりきったという達成感のほうが強く残る。

(*1) 余命宣告ものの映画が多いのは、実際にがんで亡くなる人が多いという現実から生じているのだろう。この作品にもちょっとだけ顔を出しているりりィは昨日がんで亡くなったそうだ。ちょっと前の『リップヴァンウィンクルの花嫁』でも重要な役柄を演じていたのに……。

◆死ぬまでにこなすべきミッション
 宮沢りえが演じる双葉という主人公は、世間並みの母親からはズレている。娘の安澄に自分を「お母ちゃん」と呼ばせているあたりは野暮ったいし、対人関係ではおせっかいで押し付けがましい。人から嫌われないように相手の気持ちを慮るような態度とも縁がなさそうだ。
 双葉は『死ぬまでにしたい10のこと』のように、自分の欲望に正直になるのではない。多分、そちらのほうが普通なのではないかと思うのだが、双葉は誰かのためにやらなければならないことを数え上げてそれをこなしていくのだ。
 まず旦那の一浩(オダギリジョー)を連れ戻し家業である銭湯「幸の湯」を建て直す。学校でいじめに遭っている安澄にはその対処法を授け、一浩の連れ子である鮎子(伊東蒼)をしゃぶしゃぶの儀式で家族として迎い入れる。たまたま出会ったヒッチハイカー(松坂桃李)にはご丁寧にも目標を設定して奮起を促す。そんなふうにして新しく生まれ変わった「幸の湯」と、そこに集う人たちに今後の道筋をつけていくことになる。


 ※ 以下、ネタバレあり!

『湯を沸かすほどの熱い愛』 新しい幸野家の面々。オダギリジョーはダメ男役がはまっていた。

『湯を沸かすほどの熱い愛』 安澄(杉咲花)は復活した「幸の湯」で番台に座る。

◆双葉の極端な対処法
 いじめから目を逸らそうとする安澄に対し、双葉は「逃げちゃダメ」と諭す。安澄は「何にもわかってない」と反発するのだが、双葉は半ば強引に安澄を学校へと追いやる。
 ここでのいじめに立ち向かうことが大事だという方法論はかなり危険を伴う。逃げ場を失ったことでさらに追い込まれて自殺などというケースなども起こりうるからで、通常ならば逃げ場を与えることが対処法とされているのではないだろうか。
 たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ(14歳)はいつも「逃げちゃダメだ」を繰り返していた。同じ言葉でもこちらは「逃げること」の効用を理解している。「逃げること」で一時は楽になるし、それで解決することもあるかもしれない。だからシンジは何度も逃げ出してもいる。それでもほかにエヴァに乗れる人は限られているわけで、自ら納得した上で「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせていたわけだ。ほかの誰かが「逃げるな」と説教しているわけではない。
 そこから考えると双葉のやり方がいかにも極端で無茶があることだとわかるだろう。それでも余命宣告を受けた双葉には時間がないわけで、のんびり時が解決してくれることを待つわけにはいかない。だから双葉の劇薬の役目を果たす必要があったということだろう。

◆「逃げること」の遺伝子
 双葉は「立ち向かうこと」を教えるわけだけれど、それには生い立ちに理由があるのかもしれない。というのも新しい幸野家のメンバーには「逃げること」の遺伝子がまとわりついているからだ。
 旦那の一浩は家業を放って逃げ出していたし、鮎子の母も鮎子を一浩に押し付けて出て行ってしまった。そして安澄の本当の母親は双葉ではなく、自らの障害を理由にして子育てから逃げてしまった女性だったのだ。さらにはダメ押しで双葉自身も母親から捨てられていたことも明らかになる。
 幸野家は頼りないけれど憎めない一浩が生み出してしまった、そんな女性たちの集合体なのだ。幸野家の人々は「逃げること」の遺伝子を受け継いでいるかもしれず、だからこそ双葉は「逃げること」を拒否して「立ち向かうこと」を選んだのかもしれない。
 双葉は一浩にはお玉で一撃を喰らわすし、安澄の母・君江(篠原ゆき子)にも無言でビンタをお見舞いし、さらには自分の母親(りりィ)の家にも石を投げつけるほど、「逃げること」に対しては感情的になるのだ。そういう双葉の姿勢があったからこそ、「逃げちゃダメ」という言葉も単なる処世訓以上の強さで家族のみんなに影響を与えていくことになったのだろう。

 ラストに関しては10人が10人納得するというものではない。人と人のつながりを確認するのにはハグするというのが一番わかりやすい。たとえば『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』はそういった場面で泣かせるのだが、この『湯を沸かすほどの熱い愛』はそんなぬくもり程度では納得できないとでも言うように極端なほうへと突っ走る。これは逃げないで双葉の死に立ち向かったということだし、双葉の熱い愛は家族に十分に受け継がれたことを示していたと思う。

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Date: 2016.11.12 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『淵に立つ』 過去の出来事の残響が……

 監督・脚本・編集は『ほとりの朔子』『さようなら』深田晃司
 公式ホームページによれば題名の「淵に立つ」とは平田オリザの言葉で、「人間を描くということは、崖の淵に立って暗闇を覗き込む」危険な行為で、「人間の心の奥底の暗闇をじっと凝視するような作品になって欲しい」という監督の想いが込められているとのこと。

深田晃司 『淵に立つ』 八坂草太郎(浅野忠信)はある日突然やってくる。直立不動の姿も何かあやしいような……。


 金属加工工場を営む鈴岡利雄(古舘寛治)は、妻・章江(筒井真理子)と娘・蛍と暮らしている。ある日、何の予告もなしに八坂草太郎(浅野忠信)という男が現れる。八坂は利雄の古い友達で、最近まで刑務所に服役していたのだという。利雄は八坂に借りがあるのか、仕事を与え部屋まで提供して一緒に生活することになる。

 白いシャツに身をまとい姿勢を正した八坂は、刑務所での暮らしの癖が抜けない。それでも物腰は丁寧で蛍に対してオルガンを教えてやる親切さもあってか次第に鈴岡家に馴染んでいき、次第に章江とも接近していくことになる。
 八坂が何を目的として鈴岡家にやってきたのかは謎だ。本当に静かな生活をしたかっただけなのかもしれないし、利雄に対する復讐だったのかもしれない。結局のところよくわからない。いつも白を身にまとっていた八坂だが、その下に忍ばせていた真っ赤なシャツが露わになるとき良からぬ出来事が生じることになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり! 結末にも触れているので要注意!

『淵に立つ』 前半部の幸せの1ページ。川の字に寝ることはその象徴なのかもしれないが、これは余計な一人がいるわけで、後半には別の形でこの場面は繰り返される。

◆決定的な出来事のあとで……
 この作品では決定的な出来事は描かれない。八坂の去ったあとに真っ赤な血を流した蛍が横たわる姿があるという帰結だけが示される。しかし、その出来事によってこの映画は明確に前半と後半に分けられる。後半はその出来事の8年後である。章江は病的なほど潔癖症となりくたびれた様子で姿を見せる(筒井真理子は前半部では妖しい浅野忠信によろめく色気を感じさせたのに、後半には体型まで変える熱演だった)。その後に登場する蛍の変わり果てた姿にも驚かされることになる。ここで奇妙なのは利雄の様子で、利雄は前半よりもなぜか生き生きとしている。
 利雄は八坂が8年前に起こした出来事は、夫婦の罪に対する罰だと感じている。利雄は八坂が服役することになった過去の殺人事件の共犯者でもあり、章江は八坂と(精神的な?)不倫関係にあったから、その罰として夫婦に下されたのが蛍の障害なのだと利雄は考えている。すでに罰は下ったわけで、利雄は八坂の影からは逃れている。
 一方の章江はそうではない。もともとプロテスタントとして八坂に手を差し延べることに意義を見出していたようだが、その出来事のあと章江は信仰心を捨て去ったように見える。信仰心などなかった利雄のほうが「罪と罰」という考えに安堵し、逆に章江はそれを受け入れられない。というよりも章江は八坂に心を奪われる瞬間はあったにしても最後は八坂を拒んでいたわけだから、犯した罪に対して与えられた罰があまりに理不尽なものに思えたのかもしれない。これは言い換えれば自らの罪を認めていないということにもなり、だからこそ章江はその後も八坂の影に怯えることになる。
 ちなみに母親を食べてしまう蜘蛛の子供たちのエピソードにも、ふたりの理解には相違がある。章江の場合は自己を犠牲にした母蜘蛛は救われることになるが、利雄の場合はその母蜘蛛も元はと言えば子供のときに母親を食ってくるわけでどちらも救われないことになる。このあたりの違いもその後の出来事に対する対処の違いとして生じてくるのだろう。

◆過去の出来事の残響
 冒頭のメトロノームの音や食事の際の音が印象的に聞こえてくるほどに静かに進んでいく作品だ。それにも関わらず衝撃的なことが描かれていく。というのも決定的な出来事を描くことが避けられているから静かな展開をしているようにも見えるのだが、それでいて心のなかに蠢くものははかり知れない。これは突発的な出来事そのものよりも、それがもたらす影響のほうに主眼があるということでもある。
 思えば前半部で夫婦のよそよそしい関係には、すでに利雄が共犯となった過去の殺人事件の残響のようなものが感じられないだろうか。利雄は八坂に後ろめたさを感じ、家庭での幸福を素直に享受することをためらっていたのかもしれないし、利雄が八坂に「おれを甘やかすなよ」と語るのは罰を求めているようにも聞こえてくるからだ。

 過去の殺人事件にしても、蛍が犠牲となる決定的な出来事も直接には描かれない。それでも登場人物は過去の出来事がもたらす残響のなかにいる。しかし、ラストの出来事だけは直接的に描かれている(一部に幻想を交えているけれど)。
 寝たきりの母親が「死なせてくれ」と懇願したという八坂の息子・孝司(太賀)の言葉に導かれるように、章江は蛍と心中を図ることになる。ここだけは出来事の真っ最中を描いているのだ。しかし出来事の渦中に映画はそのまま終わってしまい、その帰結が明らかにされることはない。観客は利雄の荒い息遣いを聞きながら、その出来事の只中に置き去りにされることになる。利雄と章江が過去の出来事の残響に囚われていたように、最後の出来事の残響は観客を囚われの身にするだろう。

 情に訴えかけることのない冷徹な描き方が素晴らしかったと思う。最後に突き放されるように終わったことで、カタルシスを感じることもなければこの作品を理解した気にもなれないのだけれど、いつまでも何かが引っかかったように頭を離れない。

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Date: 2016.10.23 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ダゲレオタイプの女』 溝口的怪談と小津的階段

 『岸辺の旅』『クリーピー 偽りの隣人』などの黒沢清監督の最新作。
 今回は監督以外のキャスト・スタッフはすべて外国人で、全編フランス語の作品となっている。

黒沢清 『ダゲレオタイプの女』 マリー(コンスタンス・ルソー)はジャン(タハール・ラヒム)によって拘束器具に固定される。


 ジャン(タハール・ラヒム)はパリ郊外の屋敷で写真家ステファン(オリヴィエ・グルメ)の助手として働き始める。ステファンはダゲレオタイプという古い形式の写真に魅せられている。露光時間が長いダゲレオタイプは、モデルに長時間の拘束という苦痛を強いることになり、モデルである娘のマリー(コンスタンス・ルソー)は次第に恐怖を感じるようになる。

 『アンジェリカの微笑み』にもあったように、死者の最期の姿を写真に留めるということが19世紀にはよくあったようで、この『ダゲレオタイプの女』でも幼くして亡くなった子供をダゲレオタイプで撮影するエピソードがある。この方式は露光時間がかなり長いようで、その間、モデルはまばたきすらできないわけで遺体を撮影するのは理に適っているとも言える。
 逆に生きているモデルがそれをするとなるとかえって無理がかかる。この作品では、マリーは身体を固定する拘束器具で動きを封じられたまま長時間の撮影に耐えることになる。死体と同じように動かぬままで過ごすことはモデルにとって魂を抜き取られるような感覚だったのかもしれない。マリーが亡くなった子供の撮影を見ると少々取り乱すことになるのは、自分が死に近づいているような感覚に襲われたからかもしれない。実際に出来上がったダゲレオタイプの写真はモデルの姿を永遠に閉じ込めたような質感を持っていて、撮影する父親ステファンはさらなる完璧さを要求するようになっていく。
 助手として働くうちにマリーに惹かれていったジャンは、次第に狂気じみてくるステファンからマリーを助けようと画策することになる。


 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ダゲレオタイプの女』 ダゲレオタイプの写真はこんな感じ。とても生々しい。

 主人公のジャンがステファンの屋敷に足を踏み入れ、カメラがゆっくりと動き出すと妖しい空気が漂い始める。扉が音もなくひとりでに開き、目に見えない何かがそこを通り抜けていくかのように感じられたかと思うと、いつの間にかに薄暗い階段の上に青いドレスをまとった女性の姿が現れる。いかにも黒沢作品らしい雰囲気を感じさせる始まりになっている。
 蓮實重彦「小津と溝口の宿命的な融合」と指摘しているように、この作品は溝口健二『雨月物語』のような怪談話であり、小津安二郎『風の中の牝鶏』の有名な階段場面を再現した映画となっていて、ファンではなくともまさに「必見」の作品となっている。

 怪談話であるからには幽霊が登場しなくてはならないわけで、マリーはある事故によって瀕死の重傷を負い、一度消えたあとに姿を現す。マリーが一度消える場所は川のそばとなっている。民俗学者によれば川岸など水辺の境界地は“この世”と“あの世”の境界を意味するという。マリーがいささか不自然にも車でその場所まで運ばれてから姿を消すのは、そうした境界というものが意識されているからで、マリーはその場所で幽霊となって姿を現すことになる。
 ちなみにジャンはその後にわざわざその場所を確認に出向いている(一度目は夜だったため)。するとその場所には川が流れ、すぐ上には高架線が走っていて電車の音が響いている。『クリーピー 偽りの隣人』のときに記したことだが、モンスターのような登場人物たちは境界に棲みつくものであり、実際に『クリーピー』のなかでも舞台のすぐそばには川を類推させる線路が走っていた。『ダゲレオタイプの女』という作品にも明確に境界が示されているわけで、“この世”と“あの世”が交じり合うような世界が描かれていくことになる。
 そうした世界を描いた作品としては『岸辺の旅』があり、『岸辺の旅』では“この世”に残された妻が幽霊となった夫と過ごすことで、最後にはその死を了解することになる。一方、『ダゲレオタイプの女』のジャンはマリーの死を認めたくないようだし、マリーも自らの死に気づいていないのかもしれない。生と死も曖昧となったような旅がしばらく続くことになるわけだが、それも長くは続かない。『岸辺の旅』がハッピーエンディングだとすれば『ダゲレオタイプの女』はその逆で、ジャンのラストの泣き笑いの表情はちょっと切ない。

 前半の妖しい雰囲気に比べ、後半に屋敷の売買のためにジャンが策を弄したりするという展開はちょっと首を捻るところがあったし、ステファンが恐れる妻ドゥニーズの幽霊はなぜかまったく怖いところがなくて、けれん味には欠けたような気もする。また、黒沢映画の名物みたいなスクリーン・プロセスで撮影されたドライブシーンもあったようなのだけれど、夜の場面(瀕死のマリーを運んで病院へ向かう場面)だったからかスクリーン・プロセスで撮影されたものとは気づかなかった。私がぼんやりしていただけなのか、いつものスタッフではなかったからいつものスタイルとなっていなかったのか……。
 とはいえ、黒沢清の映画で『ロゼッタ』『息子のまなざし』オリヴィエ・グルメ『預言者』『ある過去の行方』タハール・ラヒムの共演を見ることができたのは、それだけで価値があろうというもの。コンスタンス・ルソーの儚い感じもよかった。

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Date: 2016.10.18 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『永い言い訳』 “他者”とは誰のこと?

 『ゆれる』『夢売るふたり』などの西川美和監督の最新作。
 原作は西川美和自身の書いた同名小説で、これは直木賞候補にも選ばれた作品。

西川美和 『永い言い訳』 主演は本木雅弘だが、脇役も結構豪華。竹原ピストルの存在感がいい。


 テレビのバラエティ番組にも出演したりもする人気小説家の幸夫(本木雅弘)は、ある日突然、妻・夏子(深津絵里)を事故で亡くすことになる。その知らせを受けたとき、幸夫は妻の居ぬ間に自宅に愛人(黒木華)を連れ込んでいたところであり、世間の同情をよそに幸夫は涙を流すこともなかったのだが……。

 冒頭、リビングで美容師である夏子が幸夫の髪をカットしている。話題は幸夫の名前について。衣笠幸夫(きぬがささちお)という、国民栄誉賞まで獲得した人物(鉄人・衣笠祥雄)と同じ読み方の名前を持つことの辛さが、旧姓田中だった夏子にわかるわけがない、そんな愚痴だ。これからバス旅行へ向かうという夏子の都合を気にすることもなく、愛人に会うための身支度を整えさせる。幸夫は自分のことにしか興味がないダメ人間なのだ。
 しかし、それと同時に憎めない奴でもある。罪滅ぼしのつもりなのかはわからないけれど、同じように事故で伴侶を亡くした陽一(竹原ピストル)の子供たちのことを知ると、自ら助けを申し出るような部分もある。幸夫は仕事で自宅を留守にしがちな陽一の代わりに子供たちの面倒を見るようになる。

 前作『夢売るふたり』のときにも記したのだけれど、この作品も物事の様々な側面を捉えるような曖昧さやややこしさがある。メディアに登場する作家・津村啓としての幸夫は冷静で文化人面をしているけれど、酒を飲んで暴れる姿を見ている周囲の人間にとっては子供じみた嫌な奴に映るだろうし、それでいてなぜか一貫性を欠くように突然人助けをしてみたりもする。
 そんなふうに人物造形は単純ではないし、幸夫の行動の意味合いにも別の見方が示される。幸夫の人助けは自分では善行のつもりかもしれないのだが、マネージャーの岸本(池松壮亮)に言わせれば逃避でしかなく自分のダメさを帳消しにする免罪符ということにもなるのだ。
 同様に人間関係も揺れ動いていく。妻を亡くした悲しさを率直に表現できる陽一のことを好ましく思い、その愚直さに幸夫はある意味羨望を感じているわけだけれど、それも変化していく。亡くなってしまった妻への想いに執着するばかりに、その後も成長し続ける子供たちに対する関心が疎かになっている陽一を幸夫が諭してみたりもする。
 そんなわけで展開はまっすぐというわけではないし、行きつ戻りつしたり蛇行してみたりする。幸夫が最後にたどり着いたのが「人生は他者だ」という気づきだ。

『永い言い訳』 灯役の白鳥玉季。この子は厄介な女の子で、わがままで兄貴の真平をも困らせる。

 幸夫は自分にしか興味がなかった。そういう人間には広がりがないわけで、小説家としては致命的なのかもしれないし、生活を共にしていた夏子にとってもありがたくはないだろう。この作品では夏子の死をきっかけにして、幸夫は様々な“他者”と接していくことになる。屈折した小説家とは正反対の愚直な陽一もそうしたひとりだし、その娘の灯(白鳥玉季)もそうだろう。灯はわがままだしアレルギー持ちでとにかく手がかかる。そうした“他者”と触れ合うことで、幸夫は人間としては少しずつ真っ当になっていく。

 そして一番の“他者”は誰かと言えば、亡くなった妻ということだろうと思う。夏子はメールの幸夫宛の下書きに「もう愛していない、ひとかけらも」と記していた。この言葉の意味するところを確認したくても、その相手である夏子はもう居ない。こうした文面をやむにやまれぬ気持ちで下書きにこっそりしたためていたのは、幸夫に対しての三行半(みくだりはん)だったのかもしれない。多分、幸夫はそんなふうに受け取っていたのだと思う。しかし一方でこれは下書きに過ぎないわけで、もしかすると「もう(私を)愛していない、ひとかけらも?」と夏子が愛を確認する言葉だったのかもしれない。
 その答えは永遠にわからないという意味で、夏子は“他者”として立ち現れてくるということなのだろう。もちろん死んだあとになって言い訳をしてみてもどうしようもないのかもしれない。それでも死んでしまってからのほうがその存在がより一層重要なものとなるということはあるのだ。幸夫は一応その言い訳を本の形でまとめることになり、夏子の遺品を整理したりもして区切りをつけるわけだけれど、『永い言い訳』というタイトル自体にも今後もその言い訳は続いていくということが込められているのだろう。

 自分の遺伝子なんて残したくないと言い切ってしまうダメ男の幸夫には共感してしまうし泣かせるところもあるのだけれど、その幸夫を演じるのは本木雅弘という誰もが知る二枚目で、必要以上に幸夫のアップが多かったように感じられるのはちょっと気になった。そんな本木雅弘がわざわざアイドル時代の仲間とは連絡すら取っていないなどと語っていたようだが、これは本木のほうが幸夫のキャラに寄せていっているのか、もとからそうだったのか、どちらなのだろうか。とりあえずは本木雅弘の世間的なイメージをうまく利用している点で、『そして父になる』(是枝裕和監督)の福山雅治の使い方とよく似ている。

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Date: 2016.10.16 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (11)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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