『孤狼の血』 ヤクザより警察のほうが怖い?

 原作は“警察小説×「仁義なき戦い」”と評判となった柚木裕子の同名小説。
 監督は『凶悪』『彼女がその名を知らない鳥たち』などの白石和彌

白石和彌 『孤狼の血』 マル暴のベテラン刑事・大上を演じるのは役所広司。


 暴対法成立前の昭和63年。広島の架空の街・呉原。そこではある失踪事件をきっかけにして、広島の巨大組織・五十子会系の「加古村組」と、地場の暴力団「尾谷組」とが抗争になりかけていた。マル暴のベテラン刑事・大上(役所広司)は、新人刑事の日岡(松坂桃李)と組まされて捜査を開始する。

 東映のヤクザ映画は久しぶり。それだけに気合いが入っている。製作陣が「テレビでの放映は考えていない」というように、お茶の間で放映するには問題がありすぎる内容だ。冒頭は養豚場の豚がひり出す糞のシーンだし、放送にはふさわしくない品のない言葉の連発だ。血みどろの暴力行為(最後の殺しの撮り方にこだわりを感じた)はもちろんのこと、腐乱死体に土左衛門、エロもあり、様々な規制の対象となるものばかりなのだ。そんな規制なんぞクソ喰らえとばかりの熱量で生み出された作品は見逃せない1本となっていることは間違いない。

 主人公である大上はマル暴の刑事。暴力団を相手にするマル暴は、自分もそれだけの気構えがなければやっていけない。一昨年の白石作品『日本で一番悪い奴ら』でも、真面目な警察官だった主人公はマル暴となったことで変貌していく。『孤狼の血』の大上も本物の暴力団以上に暴力団らしい風貌と度胸を持っている。
 大上は「警察じゃけ、何をしてもええんじゃ」と言うように、捜査のためには手段を選ばない。そんな大上に翻弄されることになるのが新人の日岡。広島大学出のエリートとしては、違法行為も厭わない大上のやり方には反発を覚えながらも、マル暴としての生き方を学んでいく。

『孤狼の血』 役所広司演じる大上の風貌には凄みがあった。

 久しく見なかった暑苦しい男たちの切った張ったのやりとりは、それだけで十分に見応えがある。いつもはちょっと食傷気味な感もある役所広司だが、今回のヤクザのような刑事という役柄は魅力的だった(役所広司には『シャブ極道』という作品もあるらしいのだが未見)。ただ、いくつか気になる点もあった。
 マル暴の大上は暴力団と癒着しているように見えるのだが、それは暴力団を飼い殺すためだ。対立する暴力団の両方と交渉し、決定的な戦争へと発展することを避けようとする。それが何のためなのかは大上の死のあとになって次第に明らかになる。
 ここが感動的なところでもあるのだが、あまりに大上がカッコ良すぎて、真相が明らかになるにつれて妙に醒めてしまった。大上が暴力団の内部にまで入り込んで彼らを操ろうとするのは、カタギの人間を守るためだというのだ。そのためには暴力団と同じように違法行為も辞さないし、同時に警察上層部に背後から刺されないように彼らの弱味を握り、自分の立場を堅固なものとする。誰に頼まれたわけでもないのに独りで勝手に命を張っているのだ。
 原作者も多大な影響を認める『県警対組織暴力』の主人公の刑事(菅原文太)が広谷(松方弘樹)に肩入れするのは、彼の男気に惚れたからだった。カタギの人間のためなどという正義感よりも、こちらのほうが腑に落ちる気がするのだ。

『孤狼の血』 新人刑事の日岡を演じる松坂桃李と、薬局の店員を演じる阿部純子。阿部純子は以前「吉永淳」という名前で『2つ目の窓』に出ていた人。

 それからもうひとつの違和感は、大上(=狼)の血を受け継ぐこととなる日岡の、その受け継ぎ方だ。日岡はただの新人ではなく、県警から送られたスパイとして大上を監視するのが真の任務だった。そんな日岡が大上の死によって変貌する瞬間がこの作品の見どころでもあり血がたぎる部分でもある(今回も松坂桃李はおいしい部分を持っていっている)。ただ、後になってよく考えてみると、大上と日岡には立場に違いがある。
 大上は暴力団を飼い殺して操ることを選んでいたわけだが、日岡のやり方では決定的に暴力団と対立してしまっている。「暴力団は駒に過ぎない」と言ったのは大上だが、そう言いつつも暴力団を潰そうとはしていなかったわけで、日岡のやり方は警察という権力の手先になっているだけのようにも見えてしまう。大上の正義は暴力団と警察の間でバランスを取ることだったわけだが、日岡の足場は警察のほうにある。しかも警察内部の不正を暴くことこそが仕事であり、最後に吐く捨て台詞は「まだまだ悪徳警官は残っている」という言葉だった。“ヤクザもの”のパッケージで売りに出されている作品だが、実は“警察もの”なのだ。
 暴力団の無軌道なエネルギーの発散こそが“ヤクザもの”の魅力だとすれば、この作品ではそうしたエネルギーは警察という権力によって騙され丸め込まれてしまう。警察が取り締まりに本腰を入れ暴力団員がどんどん減少している時代の趨勢からすれば、そうした結論になるのは致し方ないのかもしれないけれど、映画としてはちょっと寂しいような気もした。

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Date: 2018.05.16 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『娼年』 松坂桃李、売ってるってよ

 原作は石田衣良の同名小説。
 監督は『愛の渦』『何者』などの三浦大輔

三浦大輔 『娼年』 リョウ(松坂桃李)は男娼となって女たちの欲望の対象となる。


 大学生のリョウ(松坂桃李)はアルバイト先のバーである女性と出会う。御堂静香(真飛聖)と名乗るその女性に誘われるがまま自宅に赴くと、彼女の娘・咲良(冨手麻妙)を抱くように言われ……。

 口のきけない娘のために男を買うセレブ母なのかと思っていると、実は御堂は秘密の会員制ボーイズクラブ「パッション」のオーナー。娘とのセックスは情熱を測るためのテストだという。テストに合格したリョウは男娼として働くこととなる。
 “着衣時間はわずか18分半”などと謳った『愛の渦』以上に、『娼年』のセックスシーンは生々しい。男娼の仕事を描く作品ということで、やっていることはアダルトビデオのそれと変わりないのだ。そして、見どころとなるのは女優陣のあられもない姿よりも、主役松坂桃李のおしりと激しい腰使いである。
 とはいえ、あからさまなセックスが描かれるのは、それを通してしか描けない関係性を描くという意図があるのだろう(好意的に解釈すればだけれど)。「セックスなんて手順の決まった面倒な運動」だと澄ましていたリョウが、男娼として様々な女性と会ううちに成長していく。

『娼年』 セックスシーンが大部分を占める作品。人によっては辟易するかもしれない。

 リョウは一流大学に籍は置きつつも学業など意味がないと無気力で、そうした態度は女に対しても同様で、朝まで一緒にいた女性に対しても素っ気ない。そんなリョウが心変わりしたかのように男娼の仕事にのめり込む理由は、後半になって明らかにされる。
 リョウには幼くして亡くなった母親がいて、リョウはその母親と御堂のことを重ねている。つまりはマザコンなのだ。リョウのなかには未だに帰ってこない母親を待ち続ける“少年”の気持ちが残っていて、それゆえにタイトルは“娼年”ということになる。
 この作品では違法な売春も後暗い印象では描かれてはいないし、女性たちの様々な欲望も肯定的に捉えられている。たとえば、好きな男の子の前でおもらししたのが一番のエクスタシーだったイツキ(馬渕英里何)はリョウの前の放尿することで再びエクスタシーを感じることになり、泉川夫妻(西岡徳馬佐々木心音)は自分たちで創作した物語にリョウに加わってもらうことで、よりエキサイティングなセックスを楽しむ。客たちがリョウと過ごす時間は欲求不満の解消というだけではなく、精神的にはカウンセリングのような効果をもたらすのだ。

 原作は小説であり、その後に舞台作品(これも松坂桃李主演)となり、今回映画化されたもの。小説ではもっと内面が探求されることになるのだろうが、舞台や映画ではおのずと違うものとなるだろう。役者陣が目の前で裸になって演じる舞台というのは、観客としても気恥ずかしいんじゃなかろうかと思うのだが、この映画版はどうだったのかと言えば、男と女(あるいは男と男)が必至になってセックスに励む姿はどこか滑稽なものに感じられた。交わる当人たちの感覚はどうであれ、それを客観的に眺めることになる観客としては、彼(彼女)らの欲望に対する情熱が凄すぎて笑ってしまうのだ。上品な老女(江波杏子)がリョウとのセックスのために、バッグにローションまで忍ばせてくるというあたりにいじらしさを感じる。

 松坂桃李はセックス依存症の外科医という役柄でおしりも丸出しにしていた『エイプリルフールズ』あたりで方向転換したのか、『彼女がその名を知らない鳥たち』でもえげつない役柄を楽しそうに演じていた。この作品の体当たりのセックスシーンに劇場に足を運んだ多くの女性ファンがどう思ったのかはわからないけれど、最近の松坂桃李は作品の選び方がおもしろい。

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松坂桃李の作品

三浦大輔の作品
Date: 2018.04.12 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『素敵なダイナマイトスキャンダル』 思いも寄らぬ人生

 『南瓜とマヨネーズ』『ローリング』などの冨永昌敬の最新作。
 「ウイークエンド・スーパー」「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」といった雑誌の編集長として知られる末井昭。彼の自伝的エッセイ『素敵なダイナマイトスキャンダル』がこの映画の原作となっている。

冨永昌敬 『素敵なダイナマイトスキャンダル』 ダイナマイトで爆発する母親を演じた尾野真千子。撮影は月永雄太。

 この作品は末井昭の半生を追うクロニクル(年代記)である。と同時に、70年代初めから80年代の終わりという昭和の風俗史を描いたものでもある。このころの写真雑誌業界には荒木経惟がいて、そのほかにも南伸坊、赤瀬川源平、嵐山光三郎などのサブカル業界では名前を知られた人がうろちょろしていたらしい。映画のなかでも荒木経惟をモデルにした荒木さんというカメラマン(演じるのは菊池成孔)が登場したり、実在の誰かをモデルとしたらしき風変わりな人々が顔を揃える(嶋田久作が演じたダッチワイフ職人のキャラがいい)。
 もちろん末井自身も色々逸話を持つ人物だ。タイトルのダイナマイトというのは“ものすごい”を意味する形容詞ではない。末井昭という人の母親は、実際にダイナマイトで自殺したのだという。しかも隣人の不倫相手と一緒に。山奥の小さな村にとってはとんでもないスキャンダルで、末井の家族は村のなかで白い目で見られることになる。そんなこともあってか、末井は東京に出て働くことになり、紆余曲折を経てエロ雑誌業界で生計を立てることになる。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』 末井昭(柄本佑)は浮気相手・笛子(三浦透子)との逃避行に。

◆思いも寄らぬ人生
 おもしろいのはこの作品が「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」といった雑誌を世に送り出した男のサクセスストーリーとは違うということだろうか。最初はデザインに興味を持った末井(演じるは柄本佑)は、デザイン系の学校に通い、自らの情念を表現したいといきり立つ。そのころ知り合った近松(峯田和伸)とは朝まで芸術論を語り明かしたりもする。
 そんな末井がエロ雑誌業界へと紛れ込むのは成り行き上で、ピンサロの看板描きの仕事からの人とのつながりによる。与えられた仕事をそれなりにおもしろがってやっていたら、いつの間にかに編集長にまでなり、30万部もの部数を記録するまでになってしまう。
 ただこの成功が末井の望んでいたもので、その仕事が彼にとっての自己表現だったのかというと、そうではないのだろうと思う。末井は成功を手にすると現実逃避的に浮気に走ったりもし、それと同時にわけのわからない行動も増えてくる。投資に大金をつぎ込んで散在してみたりするのはわからなくもないけれど、猥褻物を取り締まる警察官(松重豊)とのやりとりは官憲をおちょくってるようにすら見えるし、小銭をばら撒きながら街を徘徊する様子はちょっと狂気めいているのだ。表現者を目指していた人がいつの間にかそれを諦めたということなのかもしれないのだが、末井の姿には空虚ささえ感じられるのだ。
 考えてみれば末井の周囲の人々も、それぞれに思いも寄らぬ場所にたどり着いている。末井の妻・牧子(前田敦子)はペット相手に寂しさを紛らわす主婦となり、浮気相手・笛子(三浦透子)は精神を病み自殺未遂をする。夢を語り合った近松ですら、自分で描いたポスターのことを忘れてしまっている。そして何より末井の母親(尾野真千子)は、ダイナマイトで心中するという思いも寄らぬ最期を迎えたのだ。

 この作品では、昭和40年代後半から、末井が「パチンコ必勝ガイド」を出版する昭和63年までの約30年間が描かれる。上映時間は138分と結構長いし、時代を順に追っていくという構成はのんべんだらりとした印象を与えるかもしれない。前半はそんなところもあるのだけれど、後半になり浮気相手との逃避行でどこかの湖畔に「夢のカリフォルニア」が流れるあたりからちょっと趣きが変わる。夢は破れ――というよりどこかに雲散霧消し、もの悲しさみたいなものが感じられるようになってくる後半がとてもいい。末井が扱いに困っていた母親のダイナマイト心中も、最後には笑い話のように語ることができるようになり、同時に結核を病み医者からも見放され、ふたりの子供を残して死ぬことになった母親の心残りをも感じさせるのだ。
 もっとも実在の末井昭本人がそんなことを考えたかどうかはわからない。ただこの作品で脚本・監督を務めた冨永昌敬の構成した末井という人の半生の物語はそんなことを感じさせるのだ。末井は空っぽなのかもしれないのだけれど、空っぽだからこそ時代の空気を読むことに長け、エロ雑誌が廃刊になってもめげることもなく新しい鉱脈(パチンコ)を見つけ出してくる。そこにほかの人にはない才能とかエネルギーがあることは確かなんだろうと思う。それでもやはりとらえどころのない人という印象は変わらないけれど……。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』 末井の妻・牧子(前田敦子)の後年の姿。最初はもっとかわいらしい姿で登場する。

◆昭和の女たち
 南伸坊曰く「ボーヨーとした人物」であるという末井昭。そんなつかみどころがない人物を、やはりつかみどころがないままに演じてみせた柄本佑もいい味を出しているけれど、彼を取り巻く女性陣も印象に残る。
 妻役となる前田敦子はかわいらしいツインテールで登場するものの、寂しい主婦と成り果てるまでを演じている。仕事などで家に寄り付かない末井に、「あなたがいない間、私が何してるか考えたことある」と問いかける場面が結構怖い。
 愛人役の三浦透子『私たちのハァハァ』では女子高校生役だった人。あのときもちょっと狂気っぽい役だったけれど、この作品では精神病院に入院するほどになってしまう。退院した後に末井の職場に姿を現したのは、一体何を求めてのことだったのだろうか。自殺未遂で身体に残った傷痕を見せにきたわけではないと思うのだけれども、末井の見せるやさしさもホテルに行くことだけというあたりもどこかもの悲しいエピソードだった。
 荒木さんの「芸術だから」という口車で裸になる女性たちを尻目に、浴衣をちょっとはだけただけの末井の母を演じた尾野真千子が一番艶っぽい。母親の登場シーンは回想だからか、尾野真千子にセリフはまったくない。その代わりにエンドロールで主題歌「山の音」(音楽の担当は菊地成孔小田朋美)で歌声を聴かせてくれている。しかもデュエットの相手は末井昭本人。この曲がとても素晴らしく、ふたりの歌声が作品を見事に締めくくっている。



素敵なダイナマイトスキャンダル (ちくま文庫)



「素敵なダイナマイトスキャンダル」オリジナル・サウンドトラック


Date: 2018.03.25 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『リバーズ・エッジ』 ラストの解放感?

 原作は『ヘルタースケルター』などの岡崎京子の同名漫画。
 監督は『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』『円卓』などの行定勲
 原作は岡崎京子の代表作とされる作品とのこと。一応、私自身もどこかで読んだ記憶はあるのだけれど、リアルタイムではなかったし、内容に関してはほぼ忘れていた。映画の最後にウィリアム・ギブソンの名前が出てきたときになって、ようやく“平坦な戦場”という言葉を急に思い出したけれど……。

行定勲 『リバーズ・エッジ』 若草ハルナ(二階堂ふみ)と山田一郎(吉沢亮)。二階堂ふみの熱望もあって実現した作品とあって、ヌードまで披露して難しい役どころを演じている。


 女子高生の若草ハルナ(二階堂ふみ)は恋人・観音崎にいじめられている山田一郎(吉沢亮)を助けたことから、山田が大切にしている宝物を見せてもらうことになる。それは河原の藪のなかで見つけた死体だった。

◆“平坦な戦場”のキツさ
 この作品が舞台としている90年代がどんな時代だったのか。そんなことはわからないけれど、“平坦な戦場”という感覚は、多くの若者が持ち合わせていたものだったのかもしれないとも思う。
 原作が連載されたのが1993年~94年。その後の95年には、地下鉄サリン事件が起きている。それを論じた本のなかで、社会学者の宮台真司は“終わりなき日常”というキーワードを使ったのだけれど、これは“平坦な戦場”とも通じ合う言葉だろう。大雑把にまとめれば、オウム信者たちが“終わりなき日常”に耐え切れなくなったことが事件へとつながるひとつの要因となっているということになるだろう。なぜ耐え切れないかと言えば、“終わりなき日常”はキツいからだ。
 『リバーズ・エッジ』では、普通の高校生ではあり得ないような出来事が次々と起きる。到底“平坦”とは言えない“過酷”な戦場とも思える。山田一郎はいじめられているし、いじめる側の観音崎(上杉柊平)も家庭環境に問題を抱えている。山田と一緒に死体を宝物としているこずえ(SUMIRE)は摂食障害であり、小山ルミ(土居志央梨)は妊娠してしまう。
 そんななかで周囲のトラブルに巻き込まれることになるハルナだけは取り立てて問題がないようにも見える。ただ、ハルナはほとんど感情的になるところがない。子猫が殺されたときには号泣するけれど、あとはタバコを吸いながら醒めた目で周りを見ている。観音崎と浮気相手のルミのセックスが濃厚なものだったのに比べ、観音崎とハルナのセックスの味苦なさにもよく表れているように、ハルナがその大きな目で見つめているのは日々の“ダルさ”なのだ。“平坦な戦場”のキツさは、この“ダルさ”にこそあるんじゃないだろうか。
 山田やこずえが死体を宝物としているのは、どのみちすべてがご破算になるという事実から勇気をもらったり、キレイぶった世の中に対してザマアミロと感じさせてくれるからでもある。そしてまた“平坦”な日常に一瞬でも風穴を開ける何かを求めていたからでもあるのだろう。山田がもうひとつの死体に出会ったときの歓喜の表情にはそんな気持ちが表れていた。しかし現実には死体はその辺に転がっているわけではないし、戦場とも言える“平坦”な日々が続いていくことになる。

『リバーズ・エッジ』 出演陣の顔ぶれはこんな感じ。昨年の『花戦さ』もよかった森川葵が印象に残った。

◆ラストの解放感?
 この映画で原作漫画にはなく、映画独自に付け加えられているのがインタビュー・シーンだ。インタビュアーの質問に答えているのは登場人物でもあり、それを演じる役者そのものでもある。役者は登場人物になりきって答えているはずなのだけれど、インタビュアーは自由な質問を投げかけ、それに対する答えが用意されているわけでもない。だから田島カンナを演じた森川葵のように言葉に詰まってしまうような場合もある。行定監督には原作が描いた90年代と現在とを、それを演じる若者の言葉によってつなげる意図があったようだ。
 個人的にはこのインタビュー・シーンには、インタビュアーである大人と答える側にいる若者との隔たりのようなものを感じた。インタビュアーはスクリーンの外にいるために見えることはないけれど、その声は行定監督のものなのだという(そのツッコミが『A』などの森達也のように思えたのだけれど)。
 インタビュアーの質問はやや抽象的でもあり、的外れとは言わないまでも、若者たちの気持ちを掬い取るには至っていない。というよりも若者にとってインタビュアーのような大人は、自分たちと同じ戦場を生き抜いた先達とは見えていないのかもしれない。
 この映画のなかでは学校が舞台となっているにも関わらず、先生の姿は授業中にちょっとだけ見られるくらいで、みんなが授業をサボり、屋上でタバコをふかしていても一切注意されることもない。大人の気配がほとんどないのだ。自分たちとは違う世界に住む大人に、若者が感じている何かをうまく説明できるはずもないのかもしれない。
 そして不思議だったのがラストで、ここではすべての事件が終わった後、ハルナと山田とが川に架かる橋の上で語り合う。山田とハルナの間には死体を通じた奇妙なつながりが芽生えているけれど、だからと言ってハルナが安堵のような涙を見せる理由が私にはいまひとつ掴めなかった。私自身が若者の心を理解しないような大人になってしまったということなのかもしれないのだけれど、それだけではなくハルナ自身にもうまく説明できないような感情だったのかもしれないとも思う。
 ラストシーンではそれまで狭苦しいスタンダードサイズだったスクリーンが、ビスタサイズになっていたのだという(雑誌『映画芸術』の監督インタビューによる)。カットが切り替わる瞬間にサイズが変わるために、多くの観客は気がつかないようだ(私もまったく気がつかなかった)。けれどもスクリーンサイズの変更によって、ラストに妙な開放感があったことは確か。それによってハルナはちょっとだけ“ダルさ”からも解放されたようにも感じられ、その後に続く小沢健二が希望を込めて書き上げた曲もそれを後押ししていた。
 大人側にいる行定監督としては、若者の気持ちの機微はうまくわからなくとも、映画のテクニックでそれを伝えようとしたということなのかもしれない。もっとも、簡単に伝わるようなことならば岡崎京子は漫画を描かなかっただろうし、行定勲もそれを映画にしようともしないだろうとも思う。

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版



アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)(完全生産限定盤)


映画芸術 2018年 02 月号 [雑誌]


行定勲の作品
Date: 2018.02.20 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『犬猿』 キラキラとドロドロ

 『ヒメアノ~ル』などの吉田恵輔の最新作。
 脚本も吉田恵輔の『麦子さんと』以来のオリジナル。

吉田恵輔 『犬猿』 主演の4人。窪田正孝、新井浩文、江上敬子、筧美和子。

 二組の兄弟・姉妹を主人公としたコメディというのが大雑把な要約になるのだけれど、笑わせながらもシリアスな側面も感じさせる作品となっている。一組目は、印刷会社の営業担当の金山和成(窪田正孝)と、その兄で刑務所から出たばかりの卓司(新井浩文)。もう一組は、和成の仕事相手の下請け会社の女社長・幾野由利亜(江上敬子)と、その妹で芸能活動をしている美人の真子(筧美和子)。
 タイトルは“犬猿”となっていて、「犬猿の仲」という言葉通り、この作品の兄弟・姉妹はとても仲が悪い。それは同性だけに色々と比べられたりすることが多いからなのだろう。持たざる者は持つ者に憧れつつも、嫉妬し劣等感を抱く。「兄と妹」とか、「姉と弟」といった関係だったらそれほど問題にはならないような気がする。
 もちろん持って生まれたものに差があるということもある。由利亜と真子の容姿の差は歴然としているし、頭の良さでは優劣は逆転する。粗暴な卓司がデカい一発を狙ってばかりいるのに、和成が大人しくてコツコツやるタイプなのは性格もあるのかもしれないけれど、兄の失敗から何らかを学んだ結果ということもあるのかもしれない。そんな正反対の兄弟・姉妹だからことあるごとに衝突することにもなる。
 ただ兄弟・姉妹だけに縁は切っても切れないわけで、悪口を言いつつも憎みきれない部分もある。どちらかと言えば普通に見える和成が元犯罪者の兄・卓司を罵ったり、女の武器で世の中をうまく渡って行きそうな真子が堅物の由利亜を悪く言ったりもしても、それぞれの兄・姉を他人から非難されるとなぜか擁護してやりたくもなる。そのあたりの微妙な関係を自然な会話に乗せていく脚本がとてもうまい。

『犬猿』 和成はふたりに会わせたくなかった兄・卓司と食事を共にすることになってしまう。

 冒頭に“キラキラ映画”の予告編パロディがある。“キラキラ映画”の定義は明確ではないけれど、近頃よくある女子高生など10代の若者の恋を恥ずかしげもなく描く映画のことを指すらしい。この作品の冒頭ではそんな“キラキラ映画”を皮肉っているのだ。
 吉田恵輔の作品だって見た目ではそんなふうに見えなくもない。『さんかく』とか『机のなかみ』などはそうした類いとも見えるかもしれないのだが、“キラキラ”だけでは済まさないところが異なる部分だろうか。“キラキラ”の裏側には“ドロドロ”としたものが隠されているのだ。
 『ヒメアノ~ル』でも前半のコメディから、一気に転調してダークな部分を見せたように、この『犬猿』も登場人物の光の部分と影の部分をうまい具合に配合している。「人間“キラキラ”だけじゃないよね」という部分は結構ヒリヒリさせもするけれど、あまり深刻になりすぎないのは全体的には大いに笑わせてくれる作品となっているからだろう。
 藤山直美を思わせる女芸人の江上敬子は顔芸でも笑わせるし、身体に似合わぬ切ない恋心も微笑ましく映る(新井浩文との絡みでの「ノーチェンジの卓司」には爆笑)。バカな妹役の筧美和子は、脚本が彼女にあて書きされているのか、違和感なく作品に溶け込んでいたし、エロ担当としてのサービスカットもあり。あまり演技経験のない女優陣をうまく盛り立てた窪田正孝新井浩文もやはりうまかったと思う。吉田恵輔の作品にはハズレというものがないと改めて感じさせる1本だった。

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吉田恵輔の作品
Date: 2018.02.14 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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