『ムーンライト』 たまたま同性だった?

 前評判の高かった『ラ・ラ・ランド』を抑えての第89回アカデミー賞作品賞を獲得した作品。
 監督は本作が長編2作目だというバリー・ジェンキンス

バリー・ジェンキンス 『ムーンライト』 3人の役者が3つの時代のシャロンを演じる。

 たとえば『それでも夜は明ける』のように人種差別に喘いでいたりとか、『ストレイト・アウタ・コンプトン』に描かれたヒップホップスターのような黒人のイメージしかない見聞の狭い人間としては、『ムーンライト』に描かれるシャロンの姿は新鮮なものにも感じられた。うつむき加減で内気な黒人がいてもおかしくはないはずで、観る側の勝手なイメージを黒人に押し付けてしまっているわけだが、本作の主人公はよくある型にはまった黒人像とは違っているように思えた。
 本作ではシャロンの成長が3つの時代に分けて描かれる。まず気がつくのは白人がほとんど登場しないことだろう。舞台となるマイアミが実際黒人だらけなのかはわからないけれど、シャロンの周囲には白人の姿は見えず人種差別の問題は表立っては出てこない。ただシャロンは少年時代にも高校時代でも“オカマ”と言われていじめの対象になっていて、次第にセクシャリティの問題が前面に出てくることになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!


『ムーンライト』 黒人の肌は月明かりでブルーに輝くという。シャロンがリトルと呼ばれていた時代。

 ラストから振り返るとすると、シャロンとその友人ケビンの純愛の話のようにも思えるのだが、果たして本作が同性愛の話だったのかは疑問にも感じられた。もしかするとヘテロセクシャルの鈍感さが本作の繊細な部分を感じとれないことによるのかもしれないけれど……。

 シャロンの母親(ナオミ・ハリス)は麻薬中毒者であり、シャロンはいつもネグレクト状態にあった。学校でも自宅でも居場所がなく、たまたま逃げ込んだ廃墟で出会ったのがフアン(マハーシャラ・アリ)であり、シャロンは以後フアンのことを父親のように慕うことになる。その後、成人したシャロンの姿はフアンそっくりであり、明らかにフアンになりきろうとしている。
 ただ一方ではフアンは麻薬の売人でもあり、シャロンのネグレクトの原因でもある麻薬を母親に売りつけている張本人である。子供時代のシャロンはそんなフアンに疑問を投げかけるのだが、フアンはそれに答えることができない。シャロンにとってフアンは屈折した感情を抱かざるを得ない人物だったはずだ。それでもシャロンはそんなフアンになりきり、同じように売人を生業とすることでしか、その後の人生を生き抜くことができなかったということだ。
 シャロンの世界はごく限られたものであり、彼の前に開かれた可能性も大きいものとは言えない。彼の周りにはフアンとその妻を除けば、ケビンくらいしか親身になってくれる人がいないのだ。シャロンの同世代の登場人物がケビン以外には男も女も出てこないのは、シャロンの世界の狭さを示しているようにも思える。そんな意味では、シャロンのケビンに対する想いは、たまたま優しく手を差し伸べてくれた人が同性だっただけとも言えるのではないか。セクシャリティを自分が選択できるのか否かという問題は別としても、シャロンにはケビンしかそうした対象がいなかったのかもしれないのだ。いつまでもそのことを胸に秘めていたというラストの告白は、だからこそ何とも切ないものに響いた。
 大人になって筋肉の鎧を身につけたシャロンだが、それは黒人に備わる先天的なものではなく、日々の鍛錬によって獲得したものだったようだ。シャロンは生きるためにそうした肉体によって虚勢を張らなければならなかったということであり、その中身はいつまでもリトルと呼ばれていた時代のままなのだろうと思う。

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Date: 2017.04.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『キングコング:髑髏島の巨神』 王者らしい闘いっぷりを堪能する

 監督は新鋭のジョーダン・ヴォート=ロバーツ
 原題は「kong:Skull Island」
 1933年の特撮映画の古典とされる『キング・コング』以来、何度も映画化されてきたキングコングものの最新作。

ジョーダン・ヴォート=ロバーツ 『キングコング:髑髏島の巨神』 いかにも怪獣映画といった感じのポスター。

 一応の主人公がコンラッド(トム・ヒドルストン)という名前であったり、ヘリコプターの編隊飛行の豪華さにも、『闇の奥』とそれを元にした『地獄の黙示録』を感じさせる始まり。そして、闇の奥で何に出会うかといえば、今まで人類が目にしたこともなかった怪獣たちだ。
 ゴングの見上げるような大きさは迫力満点だし、トカゲやタコなどのバケモノは日本のアニメにも影響されているとかで、オタクテイストも満載のキャラがわんさかと登場して楽しませる。怪獣同士の闘いは一種の異種格闘技みたいで、どんな闘いになるのか予想もつかないだけにワクワクさせるものがあったと思う。

 そんな場所に迷い込んだ人類はかなり分が悪いわけで、あっという間に人間たちは怪獣の餌食になっていく。それでも人類が勝手に髑髏島に乗り込んで行ったのだから仕方ない。政府特殊機関「モナーク」のランダ(ジョン・グッドマン)は、かつて仲間を殺されたことの敵討ちとして髑髏島の怪獣たちに闘いを挑んだのだ。
 さらにパッカード大佐(サミュエル・L・ジャクソン)が事態を悪化させる。彼はベトナム戦争が終わってしまったことを寂しく感じているようでもあり、コングに仲間を殺されたことの怒り以上に、狂気のように闘うことを求めているようにも見える。やはり男たちは闘うことが好きなのかもしれないとも思うし、観客としても血湧き肉躍るといった感じで単純に楽しかった。

『キングコング:髑髏島の巨神』 美女役ウィーバー(ブリー・ラーソン)は胸を強調した衣装で男性客を楽しませる。

 オリジナルの『キング・コング』(1933年)でもそうだったけれど、このシリーズでは野獣が美女に骨抜きにされてしまうという構図があるようだ。しかし、『キングコング:髑髏島の巨神』のコングはそんなことはなかった。いかにも島の守り神らしく闘いに明け暮れ、美女役ウィーバー(ブリー・ラーソン)を救うことはあっても執着することもなく、すぐに背中を見せて去っていくあたりが男の美学みたいなものを感じさせなくもない。
 コングの武器は身ひとつしかないわけだけれど、手強い怪獣たちと闘っているうちに道具を使うことまで覚える。巨大だけれど類人猿の仲間だと思われるコングは、自分の島に害をなす人間とそれ以外を見分けてもいるわけで、それなりの知能があるのだろう。
 コングが丸太を抱えたときには、『北斗の拳』のケンシロウが雑魚たちの前で構えたような決めポーズでもやるのかと思ってちょっとドキドキした。もちろんそんなことはしなかったけれど、道具まで使うようになったコングはまさに無敵の強さで頼もしかった。さらにコングはこの作品ではまだ成長過程であるとも言われていて、“キング”とまでは呼ばれていないのだけれど、夕日を背負った堂々たる姿は王者にふさわしい風格だった。
 ちなみに本作は「モンスターバース」というシリーズの第2弾となる作品とのこと。第1弾がギャレス・エドワーズ版の『GODZILLA ゴジラ』ということで、ゴジラなどほかの王者の存在がほのめかされることになるエンドロール後のおまけもあるのでお見逃しなく。

キングコング諸作品
Date: 2017.04.02 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『パッセンジャー』 すべてのことには理由がある?

 監督は『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』などのモルテン・ティルドゥム
 主演はジェニファー・ローレンスクリス・プラット

モルテン・ティルドゥム 『パッセンジャー』 オーロラ(ジェニファー・ローレンス)とジム(クリス・プラット)のほとんどふたりだけで物語は展開していく。


 植民惑星へと移住するために宇宙船アヴァロン号に乗っていたジム・プレストン(クリス・プラット)は、機械の故障なのか間違って90年も早く起きてしまう。クルーたちも眠ったままで、冬眠装置に戻ろうとしても無駄とわかり、このままでは船が目的地に着く前に死んでしまうという驚きの事態にジムは愕然とする。


 ※以下、ネタバレあり! ラストにも触れているので要注意! 


 出だしは悪くないし、舞台設定の宇宙船の造形には金がかかってそうに見える。ただ予告編ですでにもうひとりの登場人物がいることは示されているわけで、いつその女性が登場するのかと気になりつつ物語は進む。
 「宇宙でひとりぼっち」という『オデッセイ』あたりを思わせる設定なのだが、『パッセンジャー』は地球に帰ることはできそうにないわけで、あとはそれなりに船内で楽しむくらいしかやることがない。バーテンをしているアンドロイドのアーサー(マイケル・シーン)との会話はそれなりの気晴らしにはなるけれど、それも1年も続けば気が滅入るわけで、ジムはよからぬことを考え出す。

 SFの設定が何らかのメタファーとして機能しているというのであれば、無理のある設定も納得がいくのかもしれないのだけれど、5000人の乗客のなかでただ一人先に目覚め、どうしもなく孤独になって気に入った女性を目覚めさせてしまうという展開は特殊すぎて何のメタファーにもなっていない。
 というかジムは船内では目的地に着くまでの90年間は神のように振舞えるわけだから、暴君として君臨してもよかったはずなのだけれど、それではジャンルが違う映画になってしまうわけで、ジムは人がいいからかそんな展開にもならず、ラブ・ロマンスといつもの自己犠牲によるトラブル回避といったハリウッドお約束の映画となっていく。

 結末から考えればふたりがいたことで宇宙船は危機を乗り越え、5000人もの命を救ったことにはなったわけだけれど、ジムが最初に選ばれたのは結局偶然にすぎないようだ。個人的にはここに一番驚いた。チラシなんかにも「2人だけが目覚めた理由は1つ」などと煽っているのに……。オーロラ(ジェニファー・ローレンス)が目覚めたのはジムからの一方的な愛とか言うのかもしれないけれど、そもそもの初めが偶然というのでは、「理由などない」と言っているに等しいわけだから。

 一方でジムに選ばれてしまったオーロラだが、何も知らない間は幸せな時間を過ごすことになるのだが、真実を知ると怒り狂う。たとえばオーロラを選んだのが神だとしても文句ぐらいは垂れるだろうし、それが一介の技術者では上流階級らしいオーロラには不満足ということだろう。アダムとイヴが互いのことを自らに釣り合うような異性ではないなどと考えることもなかったのは、ほかに比べる相手もいなかったからで、オーロラには可能性がいくらでもあっただけに余計に悔しいということだろう。
 一応は最後でオーロラがジムを選び直すことで、ふたりはめでたくゴールインということになるのだろうが、単なる偶然に支配された物語を必然のものとして受け取るほど説得力があったとは思えなかった。
Date: 2017.03.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (10)

『哭声/コクソン』 信じた者にはそう見えてしまう

 『チェイサー』『哀しき獣』ナ・ホンジン監督の最新作。
 よそ者の日本人役を演じる國村隼は、韓国の映画賞・青龍映画賞で外国人俳優として初受賞となる男優助演賞と人気スター賞のダブル受賞を果たしたとのこと。

ナ・ホンジン 『哭声/コクソン』 韓国人俳優に交じって國村隼がインパクトを残す。クレジットでは一番最初に名前が。


 警察官ジョング(クァク・ドウォン)の住む韓国の平和な村で一家惨殺事件が起きる。ある男が狂ったように自らの家族に手をかけたのだ。犯人には湿疹ができ、目はうつろ、正気を失っているように見える。ジョングは捜査のなかで山に住む日本人のよそ者(國村隼)の噂を耳にするのだが……。

 凄惨な事件からスタートしたこの作品だが、主人公のジョングの風貌からかのんびりした雰囲気が漂う。事件の原因としては一応毒キノコが挙げられ、それによって幻覚を見た犯人が凶行に及んだのではないかとも説明される。しかし毒キノコだけでそんな事件を起こすだろうかという疑念もあり、村に住み着いたよそ者の日本人が事件に関わっているのではないという憶測が飛び交うようになる。
 殺人事件の捜査から始まる物語は、祈祷師イルグァン(ファン・ジョンミン)と悪霊とされたよそ者との対決の様相を呈するのだが、そこに事件の目撃者ムミョン(チョン・ウヒ)という女も加わって、誰が善で誰が悪なのか二転三転する展開で観客を煙に巻いていく。自分が見ているものが何なのかといった幻惑感は滅多にない感覚だったように思う。


 ※ 以下、ネタバレもあり!

『哭声/コクソン』 祈祷師イルグァン(ファン・ジョンミン)とよそ者との祈祷対決が中盤の見どころ。

◆様々な解釈あるいは矛盾
 最終的にたどり着いたところから見ていけば、ムミョンは村の守護神のような存在で、祈祷師イルグァンはジョングの娘を苦しめている悪となり、よそ者は祈祷師とグルとなっているといる可能性もある。そうしたなかで警察官のジョングはムミョンとイルグァンの間で揺れ動くものの、自ら悲劇を招いてしまうことになる。
 しかし結末を見てもなお、その結末を信じていいのかわからないような気分で、様々な解釈が考えられそうでもある。さらにどんな解釈に立ってもどこかに矛盾が生じるようにも思える。

 『哭声/コクソン』の冒頭ではルカによる福音書の第24章の一部が引用されている。これはイエスが復活したのに、そのことに誰も気がつかないというエピソードになっている。イエスの噂話をしている人々は、通りかかったイエスと話をしているにも関わらずイエスとは気がつかないし、もしくは気づいたとしても亡霊だと勘違いする。そこでイエスはこんなふうに語る。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」と。
 このイエスの言葉は見たままを信じなさいということだ。イエスは一度死んで復活した。そのイエスが目の前に実体としてあるのだから、復活をそのまま信じなさい。イエスがわざわざこんなことを言うのは、信じていないものは見えないからでもある。つまり、一度死んだ人が復活するということを信じられない人は、イエスが目の前に居てもそれに気づくことはないのだ。信じているものが違う人にとっては、世界は別様に現れるということであり、この作品に矛盾があると感じられるとすれは、それは視点となる登場人物の信じるものが異なるからなのかもしれない。

◆それぞれの世界
 この作品で最初にジョングがいる世界は、世俗化された社会で殺人事件の原因は科学的に実証できるものとして示される(つまりは毒キノコによる錯乱)。しかし、ジョングは娘の身体にも発疹ができていることを知ることで、それ以外の原因を探り始める。
 映画の中盤で祈祷師イルグァンが山を越えてやってくるあたりで、映画のジャンルが変わったような気がするのはそれまでの世俗化された世界から祈祷師たちが活躍する呪術的世界へと移行していくからだろう(雰囲気も陰鬱さを増していく)。イルグァンの登場によって世界は一変し、呪いによって人が支配される世界となる。そして映画のジャンルはオカルトとなり『エクソシスト』的な対決が描かれる。

『哭声/コクソン』 ある村人が見たよそ者の姿はこんな巨大化したバケモノとして見える。
 
◆よそ者とは何者か?
 この作品のなかで一番謎を秘めているのはよそ者の日本人だろう。というのは、よそ者はそれを見る人によって様々な姿となって現れるからだ(見られる存在であるよそ者は見る人の主観で様々な姿に見えるわけだが、よそ者自身がカメラで村人を撮影するのは、自分が客観的な視点を持っていると示そうとしているのかもしれない)。
 日本人を怖いものだと信じ込んでいる村人には、よそ者はシカ肉を生のまま喰らう赤鬼のように見える。そしてキリスト教の見習い神父にとってはサタンのようにも見える。とはいえ、よそ者が実際のところ何をやっているのかははっきりしない。中盤の見どころでもある祈祷対決は、イルグァンが「殺」を送っていたのはジョングの娘であり、よそ者が狙っていたのは別の村人である。それでもその村人を助けようとしていた可能性も残り、よそ者は善か悪か判然としないのだ。
 それは最後にキリスト教の見習い神父がよそ者と対峙する場面にもよく表れている。この場面のよそ者の手の平には聖痕がある。この時点では、見習い神父にとってよそ者は多くの人には誤解されているかもしれないけれど、どこかに聖なるものを感じさせていたものと思われる。それでも対話のなかで見習い神父のなかの疑念が増幅されていき、よそ者はサタンの姿へと変貌を遂げてしまう。

 先ほどルカによる福音書についての部分では「信じていないものは見えない」と書いたが、これを逆に言えば「信じた者にはそう見えてしまう」ということでもある。見習い神父はよそ者のことを悪だと信じてしまったからこそ、よそ者はサタンへと変わることになる。
 同じことは祈祷などの呪術そのものにも言えて、世俗的な社会に生きる人ならば、祈祷の類などは迷信にすぎないと思うだろうが、それを信じている者にとってはその力は実在するものとなる(実際に祈祷によって治癒する病もあるのだろう)。祈祷師が言っていた「餌に喰らいつく」というのは、ジョングの娘が呪術の力を信じてしまったということであり、だからこそジョングの娘は何かに憑依されてしまう(「信じる者は救われる」ではなく「信じる者は呪われる」)。呪術の力を信じてなければその力は発揮されないわけで、村の守護神ムミョンの力が祈祷師には効果てき面なのにジョングには効かないのは、ジョングが呪術の力を疑っているからだろう。

◆矛盾をそのまま提示する
 この作品では登場人物の信じるものによって、それぞれの世界は主観的に違ったものとして捉えられる。互いに矛盾した世界の現れが、そのまま作品を構築していくことになるために、すべてにおいて整合性のとれた解釈というものは無理ということになるのだろう。
 監督・脚本のナ・ホンジンはキリスト教徒とのことで、新約聖書の4つの福音書においても互いに矛盾した記載があるという事実にも影響を受けているのかもしれない。『福音書=四つの物語』という本によれば、福音書間の矛盾は福音書記者の立場の違いによるものとのこと。つまりは信じるものが違うためにイエスの物語においても矛盾が生じているということらしい。
 それはさておき、ジョングのような信念に欠けたのん気な人は、強烈な見方を提示する周囲の人に影響を受けやすい。ジョングは結局どっちつかずのままで悲劇を招いてしまったわけだが、そもそものきっかけはよそ者である日本人に対する偏った見方にあった。それも周囲の風評に流されてのことだったわけだけれど、ごく一般の人はそんなものかもしれないとも思う。私もこの映画を観ながらあっちへこっちへと揺さぶられながら、どれが正しい道なのかなどまったく見当もつかなかったわけだし……。

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Date: 2017.03.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (7)

『わたしは、ダニエル・ブレイク』 為政者の方々にはお薦めかと

 『ケス』『ジミー、野を駆ける伝説』などのケン・ローチ監督の最新作。
 カンヌ国際映画祭において、『麦の穂をゆらす風』以来の二度目のパルム・ドールを獲得した作品。
 
ケン・ローチ 『わたしは、ダニエル・ブレイク』 ダニエル(デイブ・ジョーンズ)とケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)の家族は貧しくても助け合うのだが……。


 還暦間近の大工ダニエル(デイブ・ジョーンズ)は心臓の病気で医者に仕事を止められてしまう。仕事ができないために国の援助を受けようとするのだが、煩雑な制度に阻まれていつになっても給付を受けることができない。同じように給付申請に来ていた子連れのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)も、約束した時間に間に合わなかったことを理由に門前払いされてしまう……。

 役所の四角四面の対応はあまりに凝り固まっていてかえって笑えてしまうほどだが、助けを求めにやってきた人々からすればジョークにはなりそうもない。ダニエルは医者に仕事を止められているにも関わらず、対応する職員はいくつかの質問だけで仕事をすることが可能だと判断し、仕事ができるのならば求職活動をしなければ給付は受けられないと言ってのける。
 職員たちは規程に則って仕事をしているのだろうが、本来の福祉の理念とはまったく相容れないことをやっていることに気がついていない。さらには偉くなったつもりにでもなってしまうのか、給付申請者の態度の良し悪しに文句をつけたりするばかりで、結局は個々の事情など聞くこともない。点数化された可否判定は本当に助けが必要な人を救うどころか、役所は何もしてくれないということを思い知らせ、申請を諦めさせるためにやっているようにすら見えてくる。
 最初は「勘弁してくれよ」と苦笑いだったダニエルも、言われたことをやらないと罰則が科せられるといった脅しめいた対応に無表情のまま去っていくことになる。ダニエルは呆れるのを通り越して静かに怒り狂っているのだ。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』 ダニエルは自らの主張を壁に書き付ける。

 弱い者いじめのような役所の対応から比べ、ダニエルの周囲の人々は貧しくても助け合っている。ダニエルは2人の子どもを抱えたケイティの新生活を大工の腕を活かして支えてやることになるのだが、そもそも互いが役所に支援を申請するほど貧しいわけで、どうしてもやはり無理が生じる。ダニエルは家具を売り払って遣り繰りするし、ケイティは空腹にも子供たちの窮状にも耐えかねて身体を売るような仕事にまで手を出すことになる。
 貧しい人同士が助け合うのは悪くないけれど限界があるのだ。追いつめられたダニエルはほとんどやけっぱちのように壁に落書きをするのだけれど、自分が間違っていないということも感じているはずで、そこにはしっかりと自分の名前が署名されている。それはこの作品のタイトル『わたしは、ダニエル・ブレイク(I, Daniel Blake)』にもなっている。(*1)包み隠すことなど何もなく堂々と名乗りを上げているのはそうした信念の表れだろう。
 そしてまたダニエルが訴えたかったのは、彼はたとえば社会保障番号とかに還元されたりする“何か”ではないし、いくつかの質問に答えて点数化されるような“何か”でもないということだからだ。ダニエルにはダニエルの尊厳があるし、ケイティにはケイティの尊厳がある。それはほかの誰とも違う固有名でしか示せないような“何か”にほかならない。だからこそ彼は「ダニエル・ブレイク」という署名でもってそれを訴えたのだ。

 ケン・ローチは前作『ジミー、野を駆ける伝説』で一度は引退を表明していたらしいのだが、それを撤回してまでこの作品に取り組んだのは、ダニエルのような人たちの怒りを放っておくわけにもいかないという義務感のようなものなのだろう。そうしたケン・ローチ自身の怒りにも関わらず、この作品は幾分の気負いも感じさせずユーモアを交えつつ静かな調子で進んでいく。そのあたりが妙にリアリティがある部分だったと思う。結末はシビアだけれど、それは現実がそうであるからにほかならない。

(*1) ケン・ローチには『マイ・ネーム・イズ・ジョー』という作品があるが、これはアルコール依存症の主人公の台詞から採られている。AA(アルコホーリクス・アノニマス)のグループセラピーでは身分とか社会的属性とかから離れた話し合いをするために、ファーストネームしか名乗らないのだとか……。

ケン・ローチの作品
Date: 2017.03.20 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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