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『凪待ち』 時化るときも凪のときも

 『凶悪』『彼女がその名を知らない鳥たち』など白石和彌監督の最新作。
 本作はオリジナル脚本で担当は加藤正人。ノベライズ本も出ている。

白石和彌 『凪待ち』 ギャンブル依存症の木野本郁男を演じるのは香取慎吾。


 ギャンブル依存症の木野本郁男(香取慎吾)は、恋人・亜弓(西田尚美)と一緒に彼女の地元の石巻でやり直すことを決意する。石巻では末期ガンの亜弓の父・勝美(吉澤健)と、まだ高校生の亜弓の娘・美波(恒松祐里)との生活が始まるのだが、ある日、亜弓が殺されるという事件が起きる。

 やり直しを図って田舎へと向かった郁男。未だ籍は入れていない郁男と亜弓だが、娘の美波は口うるさい亜弓よりも郁男のほうに馴染んでいるくらい。しかし、事件は悪い偶然が重なって起きてしまう。
 その日、美波は母親の亜弓とけんかし、友達と遊びに行ったまま母親からの電話を無視し続ける。心配になった亜弓が郁男と一緒に美波を探しているうちに、些細なことでふたりは言い争いになり、郁男は亜弓を車から放り出してしまう。そして、その後に亜弓は殺される。
 郁男は亜弓の死を自分のせいだと考え、自分を責めることになる。さらには石巻ではよそ者である郁男を、周囲の目が追い詰める。警察は郁男を犯人と疑い、職場の同僚も都合の悪いことを郁男のせいにするようになる。自暴自棄となった郁男が向かうのはギャンブルであり、際限なくそれにのめりこんでいくことになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『凪待ち』 郁男を見守る亜弓の娘・美波(恒松祐里)と亜弓の父・勝美(吉澤健)

◆凪と時化しけ
 『凪待ち』では海という自然現象とわれわれ人間の状態が重ねて描かれていくことになる。舞台となるのは石巻であり、東日本大震災の被害が甚大だった場所だ。劇中の石巻の海の様子は特に荒れた様子もなく凪いでいる。しかし、海は常に凪いでいるわけではない。時に大時化になるときもあるし、地震が来れば津波を引き起こすこともある。
 タイトルの「凪待ち」は亜弓の死後、荒れに荒れて自暴自棄な行動を繰り返す郁男に対する周囲の気持ちを表しているのだろう。郁男は決して悪い人間ではないのだが、ギャンブルとなると自制が効かないこともあり、亜弓のへそくりにも手を出したりもする。それでも亜弓は郁男のことを信じていたし、亜弓亡き後は周囲の人々が郁男を助けることになる。
 亜弓の家に出入りする小野寺(リリー・フランキー)もそのひとりで、小野寺は身を挺して暴漢から郁男を救い、金も用立て、仕事まで世話したりもする。それから最初は素っ気なかった亜弓の父・勝美も、郁男を助けるために自らの船を売ってまで金を作ることになる。そこまでして郁男を助けるのは、郁男は今は荒れているけれど、時が来れば必ず収まるはずだという気持ちがあるからだろう。

 登場人物がそんなふうに考えるのは、海も荒れるときもあれば凪のときもあることを知っているからだ。亜弓は津波によって全部ダメになったと語っていたが、漁師である勝美が見るにはそんなことはない。石巻の海は津波で一度は壊滅的な被害を受けたかもしれないが、それによって新たな海に生まれ変わったというのだ。
 だから郁男も堕ちるところまで堕ちたあとには、生まれ変わることも可能だということなのだろう。ただ、ラストでカメラが捉えた石巻の海の底には、未だに津波で流された家財道具などが沈んでいる。穏やかな海上とはまったく違った世界が垣間見られるわけで、郁男の今後の人生も凪と時化を繰り返していくことになるのだろう。

◆犯人は? ネタバレ注意!
 凪と時化を繰り返すのはほかの人も同様で、勝美はかつて暴力団にも恩義を売っていたほどの人物。それが亜弓の母と出会ったことで落ち着いたとされている。亜弓の元夫(音尾琢真)もかつては亜弓に暴力を振るう男だったが、今では別の女性と新たな家庭に収まっている。
 そして、実は亜弓を殺した張本人であった小野寺も同様だったのだろう。普段の小野寺は凪の状態にあるように見えるが、時化るときもあったのだ。だから小野寺が郁男に示した親切も決して嘘というわけでもないのだろう。何か魔が差した瞬間があって亜弓を殺してしまったわけだが、小野寺は亜弓のことが昔から気になっていたのだ(元夫が語るように亜弓は地元の人気者だったらしい)。だから亜弓が行きたがっていた島のことも覚えていた。亜弓を殺した後の親切は、もしかすると罪悪感も手伝っていたのかもしれない。自暴自棄の郁男に「あんたは生まれ変わった」と諭していた小野寺だが、その言葉は自らも大時化の時を迎えたからこそ出た言葉だったのかもしれない。

 本作の郁男は憑かれたようにギャンブルに金をつぎ込み、自殺を望んでいるかのような行動に走っていく。引き返すチャンスは何度もある。ただ次の勝負で逆転できるかもしれないというギャンブル熱(世の中が傾くようなシーンが印象的)は、郁男をさらなるどん底に叩き落とすことになる。郁男も自らがどうしようもないろくでなしだとわかっているからこそ痛々しい作品だった。
 主役を演じた香取慎吾は白石組の個性的な面々のなかにあっても違和感なかったし、その佇まいはよかったと思う。郁男の同僚を演じた黒田大輔の小悪党ぶりもよかった。郁男に追われてゲロを吐きつつ逃げるところがウケた。

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Date: 2019.07.01 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『アマンダと僕』 エルヴィスはもうこの建物を出ました

 監督のミカエル・アースにとっては第3作目の作品とのこと。ちなみに第2作目の『サマーフィーリング』も公開予定。
 第31回東京国際映画祭の東京グランプリと最優秀脚本賞を受賞した作品。

ミカエル・アース 『アマンダと僕』 ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は姪のアマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の面倒を見ることに。


 ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は姉ととても仲がよく、別々に暮らしてはいるものの頻繁に会っている。その姉が突然亡くなってしまい、遺されたのは7歳の姪アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)。ダヴィッド自身も姉の死を受け入れることができないまま、アマンダの面倒を見ることにもなり……。

 予告編を見ていたので姉が死ぬことは知ってはいたのだが、その死がテロによるものとだとわかってちょっとビックリした。『アマンダと僕』は何気ない日常の風景ばかりを描いていて、テロが起きる予兆もほとんど感じられないからだ。
 そして、テロ事件そのものの描写もなく、事件後に傷ついた人を映す程度に留まっている。劇中のニュースではイスラム過激派のことにも触れられたりもするが、それ以上テロの原因や犯人像などを描くこともない。
 本作はテロに対する恐怖や怒りよりも、親しい人を唐突に喪ったことに対する普遍的とも言える感情のほうにフォーカスしていく。ことさらにテロの被害者ということを前面に押し出すことになれば、『女は二度決断する』のように復讐の連鎖を生むことになってしまうわけで、それを超えたもっと前向きな話になっている。

『アマンダと僕』 レナを演じたステイシー・マーティンがとても魅力的。

 この映画で初めて知ったのだが、「Elvis has left the building.」というのは英語では慣用句になっているのだとか。この言葉は英語の先生をしていたダヴィッドの姉サンドリーヌ(オフェリア・コルプ)がアマンダに教えたもの。人気者だったエルヴィスは熱狂的なファンも多く、ファンはライヴが終わってもエルヴィス見たさに会場から帰ろうとしない。そんなときのマイクで呼びかけられたのがこの言葉。「エルヴィスはもうこの建物を出ました」、つまりは「(エルヴィスに会いたくても)もう希望はありません」といった意味で使われるのだとか。
 本作では最後にそれは否定され、希望はあるんだということが謳われることになる。テロ事件の被害者であるアマンダとダヴィッドだが、それに負けることはなくパリの暮らしに戻っていくところにメッセージが込められているのだろう。
 仲のいい姉サンドリーヌとダヴィッドのふたりでの自転車の並走が、ふたりの幸せな時をよく示していて『少年と自転車』を思い出した。後半では悲しみを乗り越えたダヴィッドとアマンダのふたりが自転車で並走することになる。ふたりが並んで自転車を走らすという構図は、それだけでどことなく幸福な一場面と思えるから不思議だ。

 アマンダを演じたイゾール・ミュルトリエがとてもかわいらしい。ちょっとぽっちゃりでシュークリームが大好き。遅刻しそうになっても走りながらもパンをかじっているという食いしん坊ぶりがいい。
 それ以上の見どころは思えたのは、レナを演じたステイシー・マーティン『グッバイ・ゴダール!』もよかった)。役柄としてはあまり重要ではないかもしれないのだがとても魅力的だった。そう言えば、ダヴィッドが突然の悲しみに襲われるのはレナが田舎に帰ってしまってからのことで、支えてくれる人が居なくなると人間は弱いのかもしれない。だからこそダヴィッドはアマンダを支える気になったのかも……。

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Date: 2019.06.28 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『ハウス・ジャック・ビルト』 それ以上でもなければそれ以下でもない?

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ニンフォマニアック』などのラース・フォン・トリアー監督の最新作。
 原題は「The House That Jack Built」
 カンヌ国際映画祭では退場者が続出し、アメリカ公開時には修正バージョンだったという作品だが、日本では完全版での公開となった。

ラース・フォン・トリアー 『ハウス・ジャック・ビルト』 シリアルキラーのジャック(マット・ディロン)と彼を導くヴァージ(ブルーノ・ガンツ)。

 シリアルキラー・ジャック(マット・ディロン)の殺人の数々を遠慮会釈もなく描くことで、今回も顰蹙を買ったラース・フォン・トリアー。特に観客をひかせたのは、3つ目のエピソードの人間狩りの部分だろうか。ここではジャックは自分の恋人とその息子たちを狩りに連れて行き、鹿の代わりに人間を標的にすることになる。
 しかも殺すだけならともかく(それだけでも十分に不快なわけだが)、トリアーは子供の片足が千切れるところを嬉々として描写するのだ。ほかにも挙げていけばキリがないわけだが、この作品は常識的な倫理観など吹き飛ぶほどのおぞましい犯罪が描かれていくことになる。さらにはそうした犯罪が描かれつつも、それを笑いにしてしまうという悪趣味もあり、妙に居心地の悪い作品になっている。

『ハウス・ジャック・ビルト』 最初の犠牲者を演じるのはユマ・サーマン。犠牲者というよりは、ジャックの本性を開拓した張本人?

 ジャックは次々と殺人を重ね、その行為に洗練さを求めるようになっていき、「殺人はアートである」とのたまうようになる。映画は何を描くのも自由だし、芸術が倫理によって制限されることがあってはならない。その主張は理解できるのだが、殺人がアートであるという部分に関しては都合のいい屁理屈とも思える。
 確かにジャックの理屈だけを聞けば芸術擁護論のような部分も感じなくもないわけだが、ジャックによる芸術作品である「ジャックの建てた家」を見ると、その芸術擁護論も説得力を失うような気がしなくもない。「ジャックの建てた家」はどこにも美的感覚を刺激するものなどないからだ。もちろんジャック自身にとってはそうではないのかもしれないのだが……。
 ちなみにジャックはトリアー作品のなかでは久しぶりの男性の主人公。そして、ジャックの抱える強迫性障害はトリアー自身の病でもあるわけで、どこかで監督自身の姿も投影されているということは推測される。
 ジャックは家を建築するための材料にこだわり、その家を何度も作り直すことになる。彼が最後に選んだのが死体という材料だった。しかし、その結果は悪夢のようなものだったということになる。そこからすればトリアーは今回の作品で殺人という題材を選んだわけだが、そのこと自体が間違いで本作もひどく不出来なものとなっていると自ら宣言しているのかもしれない。ジャックがヴァージ(ブルーノ・ガンツ)に導かれて地獄の底に堕ちていくことも、トリアーの自虐を感じなくもないのだ。

 本作ではキム・ギドク『嘆きのピエタ』のラストのような殺人も描かれていた。ギドクもトリアーも良識から外れていき、「全く何てことを考えるんだ」と面食らわせるところでは似ている部分があるのかもしれない。ただ、ギドクが『嘆きのピエタ』のラストでやったことは贖罪のためだったわけで、本作の殺人とは趣きが異なる。
 振り返ってみればかつてのトリアー作品『奇跡の海』では、ケガをした夫の願いを叶えるために妻が売春をするという話だった。ここでもそれなりの反感はあったと思うのだが、理由があっての行動だけに感動的でもあった(『奇跡の海』は「黄金の心三部作」のひとつとされている)。それに対して、前作の『ニンフォマニアック』のセックスとか、『ハウス・ジャック・ビルト』における殺人などは、それ以上でもなければそれ以下でもないわけで、芸術を騙った悪ふざけにも思えた。もちろんそうするのも自由だし、それなりに楽しめる作品ではあるのだが、どうも釈然としない部分もある。

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Date: 2019.06.24 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『ウィーアーリトルゾンビーズ』 ダサくてもエモいほうがいい

 第33回サンダンス映画祭短編部門グランプリの『そうして私たちはプールに金魚を、』長久允の長編デビュー作。

長久允 『ウィーアーリトルゾンビーズ』 主役は4人の少年少女だが、脇役には豪華な面子が顔を揃えている。
 
 火葬場で出会った4人の少年少女の物語。それぞれの理由で両親を亡くし、その日火葬場で出会った4人は、あまりの突然のことだったからか、単に悲しくないからか、涙を流すこともない。LITTLE ZOMBIESというのは死んでるみたいに生きている4人の少年少女のこと。

 監督の長久允はCM業界出身とのこと。4人の少年少女(二宮慶多水野哲志奥村門土中島セナ)のどちらかと言えば醒めた印象とは違い、映像のテンションは高い。会話は細かいカットをテンポよくつないで見せるし、ドラクエのような真上から捉えたショットとか、ビビッドな色合いの映像(時にモノクロシーンも)も冴えている。火葬場の粉(骨)がなぜかミートソースの粉チーズにつながるとか、葬式の鯨幕が虎のいる檻へと移行するあたりのイメージの広がりもよかったと思う。
 こんなふうに書くと大絶賛みたいにも聞こえるかもしれないのだが、MVのような高いテンションのまま2時間を引っ張ろうとしたからか、途中からはかえって平坦なものにも感じられた。
 軸となる物語がないのは、親を喪って進むべき方向を見失った子供たちだからこその展開なのかもしれないのだが、劇中の言葉を使えばダサくてもエモい部分は必要だったんじゃないだろうか。というよりも、監督の様々なテクニックを詰め込んだものを見せられているようでちょっと鼻につくところがあるのだ。LITTLE ZOMBIESというバンドの結成も、その唐突な終わりも、特段必要性があるというよりはおもしろいからやってみたという感じで、ラストも取ってつけたものに感じられた。
 LITTLE ZOMBIESの曲はヘタウマ(ヘタヘタ?)で聴かせるものがあると思うのだが、なぜバンドをやりたかったのかはまったくわからないわけで、映画のなかで大人が子供たちを利用するのと同様に、電通の社員だという監督の売らんかなという意識なのかとも思えてしまった。



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Date: 2019.06.18 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『町田くんの世界』  町田くんがうまく現実に着地できれば……

 『舟を編む』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』などの石井裕也監督の最新作。
 主役のふたりにはオーディションで選ばれた新人の細田佳央太関水渚
 原作は安藤ゆきの同名漫画。

石井裕也 『町田くんの世界』 フレッシュな新人細田佳央太と関水渚が主役。


 町田くん(細田佳央太)はあり得ないほどいい人だ。困っている人を見つけると助けないではいられない。そんな町田くんが「人が嫌い」な同級生・猪原さん(関水渚)と出会い……。

 こんなクソみたいな世の中で、なぜ町田くんは素直に善意の人でいられるのか。一応、物語上の説明はある。町田くんは幼いころに枯れた井戸に落ちて一度死に、新たに生まれ変わった。そのときの後遺症もあるのか、町田くんはちょっと愚鈍なところがあり、健忘症気味のところすらある。しかも勉強はできないし、走る姿はひどくみっともない。そんな欠点ばかりにも見える町田くんだが、それらの欠点を補うほどの善意に満ちている。

 偶然なのか時代の要請かは不明だが、町田くんのようなキャラクターが登場する作品がちょっと前に取り上げた『幸福なラザロ』。どちらも極端な善意の人を描いていて、一度死んで生き返るところまで一緒だ。
 ただ、このふたつの作品を比べてみると、それぞれの主人公が置かれた世界が異なっているとも感じられる。ラザロの場合は世間から隔絶された昔ながらのイタリアの村であり、村人たちは牧歌的な世界に生きている。それに対して、町田くんのいる現代日本では、世の中は悪意に満ちている。猪原さんは有名芸能人である母親が不倫をしたことで学校でも爪弾きにされているし、そうした芸能人を食い物にしている雑誌記者・吉高(池松壮亮)もクソみたいな世の中にうんざりしている。
 ラザロの村では村人たちはのんびりと生活していて、ラザロも特別に村人たちから乖離している感じはない。ラザロという善意の人も、「そういう人間もいるものだ」というくらいで違和感はなく、みんなの役に立つ(利用価値がある)人として村に受け入れられている。
 それに対して『町田くんの世界』の主人公はもっとファンタジックな存在だ。現代日本では清廉潔白な印象の芸能人も裏では何をしているかわからないし、一生懸命に頑張っても報われる世の中となっているわけでもない。いつも世間はギスギスしていて、多くの人が焦燥感に駆られている。そうしたなかで、ただひとり町田くんだけは、薄汚い世界を見たことがないかのように純粋さを保ち、善意を持って人々に接している。ほとんどあり得ないその姿に周囲の人々は驚かされ、「町田、マジか」(友人役の前田敦子の台詞)とつぶやかざるを得ない。
 「人が嫌い」と言ってみんなを避けていた猪原さんも、町田くんの素直の言葉と裏表のない純粋な行動に心を揺さぶられることになる。「大切な人」という言い方を町田くんはするのだが、これには町田くんにとっては深い意味はない。町田くんは人のことが大好きで、誰もが大切な人だからだ。しかし孤独な猪原さんにはそんな言葉が愛の言葉のようにも思え、勘違いを肥大化させていく。そうなるとそんな彼女と相対する町田くんもこれまで抱いたことのない感情に混乱していく。

『町田くんの世界』 最初は澄ましていた猪原さん(関水渚)もだんだんと崩れていくところがかわいらしい。

 ラザロのときに触れた“聖なる愚者”。こうしたキャラはラストに死んでしまう(あるいは死んだようになってしまう)運命にある。ラザロもそうだったし、ムイシュキン公爵もそうだ。なぜ彼らが死ななければならないかと言えば、あまりにも現実離れしているからかもしれない。そんなキャラがその作品世界でうまく居場所を見出だし「長らく幸せに暮らしましたとさ」という展開に着地させるのはなかなか難しい。
 そんなわけで町田くんだってそういう危機はあったはず。誰にでも優しい町田くんは、猪原さん以外の女の子でも、それこそ男の子でも、たまたま見かけたおばあさんでも、とにかく分け隔てなく接する。しかし誰にでも優しいということは猪原さんも特別な存在ではなくなるということで、彼女が不満気な表情を見せるのもその点だ。ちょっと頭が鈍い町田くんは猪原さんをほかの人よりも優先しなければならないということに気がつかないのだ。
 しかし町田くんが猪原さんへの愛に気づき、猪原さんを優先しほかの人を疎かにしたとしたら、町田くんは町田くんの存在意義を失ってしまうだろう。だから最後は奇跡という力技が必要だったということだろう。

 そもそも本作で「世の中をクソだ」と盛んに語っているのは雑誌記者の吉高。だが同時に彼は町田くんの素晴らしさの理解者でもある。吉高と町田くんが会話するシーンでは、なぜかふたりは似ていて兄弟のようにも見える。多分、吉高はスポイルされた町田くんなんだろうと思う。もともとの純粋さも世の中の悪意によって裏切られると、吉高のように世界をクソとしか思えなくなる。世界がみんな町田くんならそんなことはないはずなのに……。そうした想いが最後の奇跡には込められていたのかもしれない。
 前作『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の感想を読み返してみたら、前作のときも奇跡が起きるかも云々と書いていて、同時に青臭いとも書いている。青臭いのは本作も同様なのだが、誰かがそれを語り続ける必要があるのかもしれないとも感じなくもない。現実にも町田くんの居場所があればいいと思うからだ。

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Date: 2019.06.15 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (3)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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