ホン・サンス監督 『3人のアンヌ』 意味が欲しいですか?
昨年公開されたホン・サンス監督の最新作。2月5日にDVDがレンタル開始になった。
冒頭ではある親子の会話がある。それほどの景勝地とも思えない海をバックにした母と娘の愚痴だ。娘は現実のひどい出来事を忘れるためか「心を落ち着かせるようと脚本を書いた」のだと語る。映画学校の学生と思わしきウォンジュ(チョン・ユミ)が書いた脚本が、ここでの3つのエピソードになる。

3つのエピソードは、アンヌという女性(すべてイザベル・ユペールが演じる)を主人公にしている。1つ目は映画監督の女性(青いシャツ)。2つ目は不倫をしている女性(赤いワンピース)。3つ目は韓国人の女に夫を取られた女性(緑のワンピース)。それぞれのエピソードにつながりはないはずだが、共通していることもある。舞台となる海辺の町、ライフガードの韓国人、雨傘、ライトハウス(灯台)、Y字路、酒盛りなどは毎度登場する。
雨傘がエピソード間でうまく結びついたり、1つ目のエピソードで破片となっている焼酎のビンを、3つ目のエピソードのアンヌが投げ捨てたとも見えるが、実際には何の関係もない。こうした“差異と反復”から深読みをしようとすれば出来なくもない。

しかしホン・サンスはそれを見越したかのように、3つ目のエピソードでは登場人物に次のように語らせている。傷心旅行に来たアンヌと僧侶との人生相談めいた場面で、僧侶は「意味はありません」「意味が欲しいですか?」と繰り返す。この場面は、韓国人とフランス人が英語を介して話すことからくるディスコミニュケーションとも言える。言葉が不自由だからこそのやりとりなのか、はたまた深い含蓄を込めたものなのか、どちらとも取れるような禅問答のようなものなのだ。ジョークなのかもしれないし、真剣なのかもしれない。
おそらく僧侶の言葉はこの映画自体への批評ともなっていて、この『3人のアンヌ』という映画に「意味が欲しいですか?」とホン・サンスは語りかけているようだ。『よく知りもしないくせに』で映画監督である登場人物が、自分の作品に対する自己弁護をしていたのと同じことだ。
たとえば夢が現実の出来事を材料に出来ているように、脚本家は自らの体験から様々な物語を生み出すことができる。それぞれのエピソードには、脚本を書いたウォンジュもペンションの世話係として登場するし、ウォンジュの母親も3つ目のエピソードの民俗学者として顔を出している。意味はないかもしれないが、様々な材料の組み合わせでどんな物語でも創ることができる。ホン・サンスは『よく知りもしないくせに』で語ったように、またこの映画の登場人物も同様に語るように、映画を創ることで何かを理解し発見したのかもしれない。しかし、それが観客に理解されるかどうかという点に関しては無関心なのだ。なかなか食えない監督と言えばいいのか、捉えどころがないと言えばいいのか……。
イザベル・ユペールは、個人的に『主婦マリーがしたこと』『ピアニスト』あたりの印象が強くて、ひどく不幸な女のイメージだったのだが、2つ目のエピソードでは不倫相手を待ちわびる妄想がちなアンヌを楽しそうに演じていて、意外性もあってかわいらしかった。『教授とわたし、そして映画』のチョン・ユミも相変わらず顔を出していたのもうれしい。
冒頭ではある親子の会話がある。それほどの景勝地とも思えない海をバックにした母と娘の愚痴だ。娘は現実のひどい出来事を忘れるためか「心を落ち着かせるようと脚本を書いた」のだと語る。映画学校の学生と思わしきウォンジュ(チョン・ユミ)が書いた脚本が、ここでの3つのエピソードになる。

3つのエピソードは、アンヌという女性(すべてイザベル・ユペールが演じる)を主人公にしている。1つ目は映画監督の女性(青いシャツ)。2つ目は不倫をしている女性(赤いワンピース)。3つ目は韓国人の女に夫を取られた女性(緑のワンピース)。それぞれのエピソードにつながりはないはずだが、共通していることもある。舞台となる海辺の町、ライフガードの韓国人、雨傘、ライトハウス(灯台)、Y字路、酒盛りなどは毎度登場する。
雨傘がエピソード間でうまく結びついたり、1つ目のエピソードで破片となっている焼酎のビンを、3つ目のエピソードのアンヌが投げ捨てたとも見えるが、実際には何の関係もない。こうした“差異と反復”から深読みをしようとすれば出来なくもない。

しかしホン・サンスはそれを見越したかのように、3つ目のエピソードでは登場人物に次のように語らせている。傷心旅行に来たアンヌと僧侶との人生相談めいた場面で、僧侶は「意味はありません」「意味が欲しいですか?」と繰り返す。この場面は、韓国人とフランス人が英語を介して話すことからくるディスコミニュケーションとも言える。言葉が不自由だからこそのやりとりなのか、はたまた深い含蓄を込めたものなのか、どちらとも取れるような禅問答のようなものなのだ。ジョークなのかもしれないし、真剣なのかもしれない。
おそらく僧侶の言葉はこの映画自体への批評ともなっていて、この『3人のアンヌ』という映画に「意味が欲しいですか?」とホン・サンスは語りかけているようだ。『よく知りもしないくせに』で映画監督である登場人物が、自分の作品に対する自己弁護をしていたのと同じことだ。
たとえば夢が現実の出来事を材料に出来ているように、脚本家は自らの体験から様々な物語を生み出すことができる。それぞれのエピソードには、脚本を書いたウォンジュもペンションの世話係として登場するし、ウォンジュの母親も3つ目のエピソードの民俗学者として顔を出している。意味はないかもしれないが、様々な材料の組み合わせでどんな物語でも創ることができる。ホン・サンスは『よく知りもしないくせに』で語ったように、またこの映画の登場人物も同様に語るように、映画を創ることで何かを理解し発見したのかもしれない。しかし、それが観客に理解されるかどうかという点に関しては無関心なのだ。なかなか食えない監督と言えばいいのか、捉えどころがないと言えばいいのか……。
イザベル・ユペールは、個人的に『主婦マリーがしたこと』『ピアニスト』あたりの印象が強くて、ひどく不幸な女のイメージだったのだが、2つ目のエピソードでは不倫相手を待ちわびる妄想がちなアンヌを楽しそうに演じていて、意外性もあってかわいらしかった。『教授とわたし、そして映画』のチョン・ユミも相変わらず顔を出していたのもうれしい。
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