ポン・ジュノ 『スノーピアサー』 新たな神話の創造へ
『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『母なる証明』のポン・ジュノ監督の最新作。
出演はクリス・エヴァンス、ソン・ガンホ、コ・アソンなど。製作にはパク・チャヌクが名を連ね韓国主導の映画だが、出演陣はティルダ・スウィントン、エド・ハリス、ジョン・ハートなど国際色豊か。原作はフランスの漫画らしいが、設定を借りただけで、中身はかなり自由に創ったのだとか。

地球温暖化を危惧して散布された化学薬品により、かえって氷河期を招いてしまったという近未来の話。すべてが氷に覆われ、残された人類はスノーピアサーと呼ばれる止まることのない列車のなかにだけ存在している。主人公のカーティス(クリス・エヴァンス)は、列車の最後尾で虐げられた生活をしていた。カーティスは先頭車両に住む支配者たちに対して反乱を企てる。
「1%の最富裕層が世界の富の半分を独占」しているなどと言われる現代では、格差社会を描いた映画は流行りのようだ。最近では『エリジウム』『アップサイドダウン 重力の恋人』『TIME/タイム』なんかが、そうしたジャンルの映画になるだろう。たとえば『エリジウム』では一部の選ばれた人間だけが、スペースコロニーに陣取って最先端の医療技術などを独占していた。『アップサイドダウン』ではビジュアル的にはおもしろい二重重力という奇妙な世界で、天に住む者と地に住む者は分断されているが、一部だけ天と地を結ぶ場所があって、天の側は地の側から不当に富を搾取している。
富める者と貧しい者が、何の交渉もなく存在しているのなら、格差などは感じられないだろう。こうした映画では両者は住み分けてはいても、どこかにつながりがあり、富める者が貧しい者から搾取している。もちろんこれは現代社会の縮図だ。この『スノーピアサー』でも、最後尾の貧困層たちは列車から放り出されることはないが、黒いゼリーのような食糧を与えられ生き長らえている。そして富裕層は貧困層を管理し、時には小さな子供を奪わっていく。
こうした不公平を誰もが黙って見過ごすわけもなく、貧困層は革命を求めることになる。ただ格差社会を描いた映画では、描かれる革命が絵空事過ぎたりして、結末に至って腰砕けになることも多い。『スノーピアサー』の革命も驚くべきものではないが、現実認識としてよく出来ていると思えた。もちろんツッコミどころも多い映画である。冒頭のリアルな反乱場面に比べ、前方に進むほど滑稽な印象が強くなり、寿司バーが登場したときは唖然としたが、そんな部分も含めて楽しめた。
※ 以下、ネタバレもあり。結末にも触れていますのでご注意を!

『スノーピアサー』でカーティスが起こした革命は、先頭車両に住む者たちからは反乱と呼ばれる。実際にカーティスが達成したことは、上位の席を奪い取っただけのことだ。下の者が上の者を追いやる。上の者の一部は殺され、一部はシステムのために残されるだろう。ここで変わったのは席の移動だけで、システム自体は変わらない。しかも、そうした反乱さえもすでにシステムに組み込まれたものだ(『マトリックス』シリーズなどもそうだった)。閉ざされた生態系を維持していくためには、そのバランスが重要になり、数の調整のためには革命(反乱)も必要なものとなるのだ。
監督・脚本のポン・ジュノはそうした革命の内実を示した上で、別の選択肢を用意した。それはシステム自体の破壊だ。(*1)大多数の人間にとっては傍迷惑な話なのだが、革命など飛び越えて新たな神話の創造へと向かっていくのだ。ノアの箱舟に擬えられたスノーピアサーだが、ラストで生き残ったふたりの姿は地上に生れ落ちたアダムとイヴのよう。ふたりが新世界で発見するのは白熊であり、アイヌなどでは熊は神として崇められる存在だ。(*2)神々しい白熊が毛皮を身にまとって現れたふたりに視線を向けると、ふたりはそれに導かれるようだった。新たな神を抱くアダムとイヴという、もうひとつの神話の誕生を見るような意外なラストだ。
(*1) ここで活躍するのが、『グエムル-漢江の怪物-』でも親子を演じていたソン・ガンホとコ・アソン。
(*2) 宗教学者の中沢新一は『白くまになりたかった子ども』というアニメにコメントを寄せていて、人類が古くから熊を神と崇めていたことなどを解説している。また、中沢新一の『熊から王へ カイエ・ソバージュ(2)』には、熊と人間の関係が書かれていて、とても興味深く読んだ。



ポン・ジュノの作品
出演はクリス・エヴァンス、ソン・ガンホ、コ・アソンなど。製作にはパク・チャヌクが名を連ね韓国主導の映画だが、出演陣はティルダ・スウィントン、エド・ハリス、ジョン・ハートなど国際色豊か。原作はフランスの漫画らしいが、設定を借りただけで、中身はかなり自由に創ったのだとか。

地球温暖化を危惧して散布された化学薬品により、かえって氷河期を招いてしまったという近未来の話。すべてが氷に覆われ、残された人類はスノーピアサーと呼ばれる止まることのない列車のなかにだけ存在している。主人公のカーティス(クリス・エヴァンス)は、列車の最後尾で虐げられた生活をしていた。カーティスは先頭車両に住む支配者たちに対して反乱を企てる。
「1%の最富裕層が世界の富の半分を独占」しているなどと言われる現代では、格差社会を描いた映画は流行りのようだ。最近では『エリジウム』『アップサイドダウン 重力の恋人』『TIME/タイム』なんかが、そうしたジャンルの映画になるだろう。たとえば『エリジウム』では一部の選ばれた人間だけが、スペースコロニーに陣取って最先端の医療技術などを独占していた。『アップサイドダウン』ではビジュアル的にはおもしろい二重重力という奇妙な世界で、天に住む者と地に住む者は分断されているが、一部だけ天と地を結ぶ場所があって、天の側は地の側から不当に富を搾取している。
富める者と貧しい者が、何の交渉もなく存在しているのなら、格差などは感じられないだろう。こうした映画では両者は住み分けてはいても、どこかにつながりがあり、富める者が貧しい者から搾取している。もちろんこれは現代社会の縮図だ。この『スノーピアサー』でも、最後尾の貧困層たちは列車から放り出されることはないが、黒いゼリーのような食糧を与えられ生き長らえている。そして富裕層は貧困層を管理し、時には小さな子供を奪わっていく。
こうした不公平を誰もが黙って見過ごすわけもなく、貧困層は革命を求めることになる。ただ格差社会を描いた映画では、描かれる革命が絵空事過ぎたりして、結末に至って腰砕けになることも多い。『スノーピアサー』の革命も驚くべきものではないが、現実認識としてよく出来ていると思えた。もちろんツッコミどころも多い映画である。冒頭のリアルな反乱場面に比べ、前方に進むほど滑稽な印象が強くなり、寿司バーが登場したときは唖然としたが、そんな部分も含めて楽しめた。
※ 以下、ネタバレもあり。結末にも触れていますのでご注意を!

『スノーピアサー』でカーティスが起こした革命は、先頭車両に住む者たちからは反乱と呼ばれる。実際にカーティスが達成したことは、上位の席を奪い取っただけのことだ。下の者が上の者を追いやる。上の者の一部は殺され、一部はシステムのために残されるだろう。ここで変わったのは席の移動だけで、システム自体は変わらない。しかも、そうした反乱さえもすでにシステムに組み込まれたものだ(『マトリックス』シリーズなどもそうだった)。閉ざされた生態系を維持していくためには、そのバランスが重要になり、数の調整のためには革命(反乱)も必要なものとなるのだ。
監督・脚本のポン・ジュノはそうした革命の内実を示した上で、別の選択肢を用意した。それはシステム自体の破壊だ。(*1)大多数の人間にとっては傍迷惑な話なのだが、革命など飛び越えて新たな神話の創造へと向かっていくのだ。ノアの箱舟に擬えられたスノーピアサーだが、ラストで生き残ったふたりの姿は地上に生れ落ちたアダムとイヴのよう。ふたりが新世界で発見するのは白熊であり、アイヌなどでは熊は神として崇められる存在だ。(*2)神々しい白熊が毛皮を身にまとって現れたふたりに視線を向けると、ふたりはそれに導かれるようだった。新たな神を抱くアダムとイヴという、もうひとつの神話の誕生を見るような意外なラストだ。
(*1) ここで活躍するのが、『グエムル-漢江の怪物-』でも親子を演じていたソン・ガンホとコ・アソン。
(*2) 宗教学者の中沢新一は『白くまになりたかった子ども』というアニメにコメントを寄せていて、人類が古くから熊を神と崇めていたことなどを解説している。また、中沢新一の『熊から王へ カイエ・ソバージュ(2)』には、熊と人間の関係が書かれていて、とても興味深く読んだ。
![]() |

![]() |

![]() |

![]() |


- 関連記事
-
- ホン・サンス監督 『3人のアンヌ』 意味が欲しいですか?
- ポン・ジュノ 『スノーピアサー』 新たな神話の創造へ
- デヴィッド・O・ラッセル 『アメリカン・ハッスル』 リアルとフェイク
スポンサーサイト
この記事へのコメント: