四方田犬彦 『ルイス・ブニュエル』 ブニュエル論の決定版か?

 著者の四方田犬彦はちょっと前に大病をしていて、2008年に上梓された映画本は『俺は死ぬまで映画を観るぞ』という決意めいたタイトルを持つものだった。この『ルイス・ブニュエル』の後記には「もし手術が成功すればブニュエル論を完成させようと願を立てた。」などと記されており、本当に悲願の1冊というべき本なのだろう。とにかくこんなに網羅的にブニュエルを取り上げた本はないんじゃないかと思う。650ページを超すボリュームだけに色々と余裕がないと読めないが、著者の30年にも及ぶ研究成果がふんだんに盛り込まれているから読み応えは満点である。

ルイス・ブニュエル


 ルイス・ブニュエルと言えば、シュルレアリスムの傑作『アンダルシアの犬』(*1)や、カンヌで監督賞を受賞した『忘れられた人々』や、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のヴェネツィアで金獅子賞を受賞した『昼顔』などが有名だ。個人的な好みを記せば、ちぎれた片手が襲ってくる悪夢が秀逸な『皆殺しの天使』(*2)や、藤子・F・不二雄の漫画「気楽に殺ろうよ」にも似た場面もある『自由の幻想』(*3)、主役コンチータをふたりの女優が演じるというほかの映画では見たことのない設定が面白い『欲望の曖昧な対象』(*4)などが強く印象に残っている。

『アンダルシアの犬』の有名な一場面 この本の裏表紙にも使われている

 ブニュエル作品の要約が難しいのと同様に、四方田の記したこの本の内容を一言で要約することもなかなか困難だ。ブニュエルの映画はエピソードが横滑りしてどこに向かっているのかわからなくなるが、この本もそうしたブニュエルの映画に無理に明確な道筋をつけるものではない。多分ブニュエルの映画自体がそう簡単な代物ではないのだろう。著者もそれは重々承知で、こんなことを記している。

 ブニュエルについて究極の言葉を口にすることは難しい。いや、ほとんど不可能だといってもいい。彼の生涯を辿り、彼が遺した三十二本(あるいは数え方によれば三十七本)のフィルムについて、わたしはなんとか分析を試みたが、だからといって事態の困難にはいささかの変りもない。ブニュエル的なるものとは何か。この問いの前に佇んでみると、問いの大きさに呑みこまれるかのような眩暈に襲われてしまうのだ。

 現実に遺されている作品を繰り返し丁寧に観直し、テクストが本来的に孕んでいる決定不可能性を謙虚に受け止めることから始めなければならない。究極の言葉をつねに未決定に留まらせてしまうテクストとして、ブニュエル映画は存在しているのだ。


 とにかく簡単に「ブニュエル作品はこうだ」など“究極の言葉”で言い切ることはできない作品こそがブニュエル作品なのだ。それでもこの本では、ブニュエル作品を各場面やテーマのつらなりなどに区切って懇切丁寧に分析している。その徹底ぶりは見事なので、この本を読んだ後にはもう一度ブニュエル作品を観直してみたくなると思う。そして、映画を観た後にはまた本に戻って、改めて分析の詳細を確認して、あれこれと考えてみたくなるような本だ。ブニュエル好きならば、手元に置いておきたくなる本だと思う。

(*1) 「日本におけるブニュエル受容」という書下ろしの章では、すでに伝説的な映画となっていた『アンダルシアの犬』を観ることもできずに、脚本を日本語訳したものを通して、その伝説的作品が日本で受容されていったことなどが記されている。1928年に製作された『アンダルシアの犬』が日本で初めて公開されたのは、1965年の1回のみのことだったらしい。今ではどんな映画の教科書にも出てくる作品だが、当時はなかなか観ることも叶わなかったようだ。

(*2) 原因は不明だがなぜか邸宅から逃げ出すことのできないブルジョワジーたちを描いた作品。この本では、処女性を体現するレティティアがそれを犠牲にすることで、囚われの状態にあったブルジョワジーたちを解放するということなどが論じられていて、まったく意味不明であった物語に多少の解釈のきっかけが与えられたという気がする。

(*3) 「気楽に殺ろうよ」は72年に発表された作品であり、『自由の幻想』は74年に公開されている。どちらも食欲は恥ずべきものだとされ隠れてするべき秘め事となり、逆に排泄行為や性行為こそがあからさまな公の行為となるという……。ブニュエルが藤子作品に触れていたとは思えないから、単なる偶然だと思うが、どちらもその発想に驚かされる。

(*4) 『欲望の曖昧な対象』でも『昼顔』でもレースを編む女の姿が描かれているが、四方田曰く、これはフェルメール『レースを編む女』からの影響なのだそうだ。この絵の複製が、彼の過ごしたマドリッドの学生館にもあり、ブニュエルは「女性の静謐にして神聖な仕草に強い感銘を受け」たのだとか。また同じ場所で学生時代を過ごし『アンダルシアの犬』でも共同監督をしているサルバドール・ダリも同様で、後にそれに着想した油絵を残しているようだ。こうした細かい指摘がこの本には無数に散りばめられている。


アンダルシアの犬【淀川長治解説映像付き】 [DVD]


忘れられた人々 [DVD]


昼顔 [DVD]


皆殺しの天使 [DVD]


自由の幻想(1974) [DVD]


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その他のブニュエル作品
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Date: 2014.01.20 Category: 映画の本 Comments (0) Trackbacks (0)

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