リドリー・スコット監督 『悪の法則』 彼らは何に追われているのか?
リドリー・スコット監督の最新作。出演にはマイケル・ファスベンダー、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット、ペネロペ・クルスなど大物がずらりと顔を揃えた。脚本には『ノーカントリー』の原作でも知られるコーマック・マッカーシー。

◆流血のある生
やばいビジネスには危険がつきもの。そんなことは登場人物の誰もが認識していることだ。図らずも麻薬組織を出し抜いた形になってしまった弁護士たちには、もう選択の余地はない。“死”の予兆が漂う前半の思わせぶりな会話劇でも、登場人物たちは盛んに警告していた。麻薬組織の真の怖さを伝えるべくボリートという暗殺機械や殺人映画(スナッフ・フィルム)という都市伝説みたいな話が登場するし、「そのうち道徳的な決断を迫られるときがくる」などと親切にも言ってくれているのだが、弁護士たちは後戻りするわけではない。
麻薬組織と弁護士たちの関係は、チーターとウサギの関係と同じだ。チーターが獲物のウサギを狩るように、麻薬組織は裏切り者たちを狩ることになる。それは“悪の法則”というよりも、世界のあり方そのものと言えるかもしれない。脚本を担当したマッカーシーはインタビューでこう語っているそうだ(映画公開に先駆けて発売になった脚本の「訳者あとがき」から)。
翻訳者の黒原敏行はこんな考えを“流血のある生の肯定”と記している。“流血のある生”が望ましいあり方とも思えないが、マッカーシーの考えでは世界はそんなふうに厳しくて残酷なものとして存在しているということだろう。
※ 以下、ネタバレもあり。

◆彼らは何に追われているのか?
『悪の法則』の5人の重要な登場人物のなかで、チーターの位置を占めるのはマルキナ(キャメロン・ディアス)だ。マルキナは2匹のチーターが獲物を追って駆け巡る姿を愛しそうに見守り、自分の背中にはチーター柄(?)のタトゥーを施している。実はマルキナが麻薬組織を裏で操っているわけだが、そのマルキナですら最後には「これからの戦いは熾烈を極めるわ」などと不穏な言葉を漏らす(かと言ってマルキナはそれを恐れるふうもなく、「お腹ペコペコ」とやる気満々なのだが)。
なぜ捕食者であり、勝ち残ったマルキナが、そんな言葉を漏らすのか。それはチーターでさえも負けるのは必然だということだ(実際に2匹のチーターのうち、1匹は死んだと語られている)。なぜ負けるかと言えば、それは生きとし生けるものに“死”が訪れるからだ。ウサギも、チータも、人間も等しく死ぬ。だから負けは決まっている。この映画で麻薬組織という残虐極まりない存在が象徴しているのは、“死”そのものの姿なのだと思う。
『ノーカントリー』の暗殺者にはハビエル・バルデムが演じたアントン・シガーというユニークな顔があったが、『悪の法則』の暗殺者は無個性だ。マルキナが裏にいるのはわかるけれど、それで組織の全体像が把握されるわけでもない。顔の見えない暗殺者たちはどこからともなく現れて消える。“死”がそうしたものとしてあるように。裏切り者とされた弁護士たちは繰り返される警告で危険を承知していたが、それを活かすことはできない。ライナー(バルデム)は「悪いことなど起きない」と思いたがっているし、ウェストリー(ブラット・ピット)は自分だけはバカじゃないとうぬぼれて墓穴を掘る。ローラ(ペネロペ・クルス)に至っては何が起きているのかもわからない。そんなローラと生きることがすべてだった弁護士(マイケル・ファスベンダー)にとっては、生き残ってしまったことは死よりも始末が悪いと言えるかもしれない。
監督のリドリー・スコットは、この映画の撮影中に弟のトニー・スコットの自殺という出来事に見舞われた。撮影はしばらく中断したようだ。リドリー自身はそのことについて語ってはいない。しかし、その事実を知っていると、この映画には“死”の色合いが濃く流れているように思える。
『悪の法則』ではマルキナが「懐かしむというのは、失ったものが戻ることを期待することよ」とつぶやくのだが、それは不可能だと否定する。また、追い詰められた弁護士が誰かと交わす会話では、人生の選択の不可逆性が示される。亡くなった人は戻らないし、人生の選択をやり直すことも不可能。ただ受け入れるしかない。もちろんこれはマッカーシーの書いた脚本に基づいているのだが、リドリーがトニーに向けて贈った映画のようにも感じられた。チーターがウサギを襲うのが自然なように、世界は人を飲み込んでいく。トニー・スコットも何だか訳のわからないものに飲み込まれてしまった。
リドリー・スコットは映像表現に優れた監督だ。前作『プロメテウス』は褒められたものではなかったが、それでも新たな世界の造形などには見るべきものがあった。この映画では派手な絵はなく、大部分は会話劇となっているからか、いまひとつ評判はよくないようだ。たしかに楽しい映画ではない。“死”の予兆に満ちて、ユーモアのかけらもない暗い映画だが、私はその圧倒的な暗さに慄然とした。
↓ これは映画の公開に先駆けて発売された脚本。


リドリー・スコットの作品

◆流血のある生
やばいビジネスには危険がつきもの。そんなことは登場人物の誰もが認識していることだ。図らずも麻薬組織を出し抜いた形になってしまった弁護士たちには、もう選択の余地はない。“死”の予兆が漂う前半の思わせぶりな会話劇でも、登場人物たちは盛んに警告していた。麻薬組織の真の怖さを伝えるべくボリートという暗殺機械や殺人映画(スナッフ・フィルム)という都市伝説みたいな話が登場するし、「そのうち道徳的な決断を迫られるときがくる」などと親切にも言ってくれているのだが、弁護士たちは後戻りするわけではない。
麻薬組織と弁護士たちの関係は、チーターとウサギの関係と同じだ。チーターが獲物のウサギを狩るように、麻薬組織は裏切り者たちを狩ることになる。それは“悪の法則”というよりも、世界のあり方そのものと言えるかもしれない。脚本を担当したマッカーシーはインタビューでこう語っているそうだ(映画公開に先駆けて発売になった脚本の「訳者あとがき」から)。
「流血のない生などない。人類はある種の進歩をとげて、みんなで仲良く暮らせるようになり得るという考えは本当に危険だと思う。そんな考えに取り憑かれた人たちはさっさと自分の魂と自由を捨ててしまう連中だ。そういうことを望む人間は奴隷になり、命を空虚なものにしてしまうだろう」
翻訳者の黒原敏行はこんな考えを“流血のある生の肯定”と記している。“流血のある生”が望ましいあり方とも思えないが、マッカーシーの考えでは世界はそんなふうに厳しくて残酷なものとして存在しているということだろう。
※ 以下、ネタバレもあり。

◆彼らは何に追われているのか?
『悪の法則』の5人の重要な登場人物のなかで、チーターの位置を占めるのはマルキナ(キャメロン・ディアス)だ。マルキナは2匹のチーターが獲物を追って駆け巡る姿を愛しそうに見守り、自分の背中にはチーター柄(?)のタトゥーを施している。実はマルキナが麻薬組織を裏で操っているわけだが、そのマルキナですら最後には「これからの戦いは熾烈を極めるわ」などと不穏な言葉を漏らす(かと言ってマルキナはそれを恐れるふうもなく、「お腹ペコペコ」とやる気満々なのだが)。
なぜ捕食者であり、勝ち残ったマルキナが、そんな言葉を漏らすのか。それはチーターでさえも負けるのは必然だということだ(実際に2匹のチーターのうち、1匹は死んだと語られている)。なぜ負けるかと言えば、それは生きとし生けるものに“死”が訪れるからだ。ウサギも、チータも、人間も等しく死ぬ。だから負けは決まっている。この映画で麻薬組織という残虐極まりない存在が象徴しているのは、“死”そのものの姿なのだと思う。
『ノーカントリー』の暗殺者にはハビエル・バルデムが演じたアントン・シガーというユニークな顔があったが、『悪の法則』の暗殺者は無個性だ。マルキナが裏にいるのはわかるけれど、それで組織の全体像が把握されるわけでもない。顔の見えない暗殺者たちはどこからともなく現れて消える。“死”がそうしたものとしてあるように。裏切り者とされた弁護士たちは繰り返される警告で危険を承知していたが、それを活かすことはできない。ライナー(バルデム)は「悪いことなど起きない」と思いたがっているし、ウェストリー(ブラット・ピット)は自分だけはバカじゃないとうぬぼれて墓穴を掘る。ローラ(ペネロペ・クルス)に至っては何が起きているのかもわからない。そんなローラと生きることがすべてだった弁護士(マイケル・ファスベンダー)にとっては、生き残ってしまったことは死よりも始末が悪いと言えるかもしれない。
監督のリドリー・スコットは、この映画の撮影中に弟のトニー・スコットの自殺という出来事に見舞われた。撮影はしばらく中断したようだ。リドリー自身はそのことについて語ってはいない。しかし、その事実を知っていると、この映画には“死”の色合いが濃く流れているように思える。
『悪の法則』ではマルキナが「懐かしむというのは、失ったものが戻ることを期待することよ」とつぶやくのだが、それは不可能だと否定する。また、追い詰められた弁護士が誰かと交わす会話では、人生の選択の不可逆性が示される。亡くなった人は戻らないし、人生の選択をやり直すことも不可能。ただ受け入れるしかない。もちろんこれはマッカーシーの書いた脚本に基づいているのだが、リドリーがトニーに向けて贈った映画のようにも感じられた。チーターがウサギを襲うのが自然なように、世界は人を飲み込んでいく。トニー・スコットも何だか訳のわからないものに飲み込まれてしまった。
リドリー・スコットは映像表現に優れた監督だ。前作『プロメテウス』は褒められたものではなかったが、それでも新たな世界の造形などには見るべきものがあった。この映画では派手な絵はなく、大部分は会話劇となっているからか、いまひとつ評判はよくないようだ。たしかに楽しい映画ではない。“死”の予兆に満ちて、ユーモアのかけらもない暗い映画だが、私はその圧倒的な暗さに慄然とした。
↓ これは映画の公開に先駆けて発売された脚本。
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この記事へのコメント:
まれ
Date2019.04.08 (月) 01:16:11
リドリー・スコット監督の映画は「エイリアン」以外は観たことがないと思いますが、人類の”生と死”への問いを作品にしている感じを受けました。忍び寄る死についての映画撮影中に弟さんが自殺されたというのは、なんとも皮肉ですね。
インタビューでの脚本家マッカーシーの言葉に感銘を受けながらも、”平和を願う人が魂と自由を捨てて奴隷になる”というのは違うような気がして、ふと、感想の日付けを見ると2013年。あの頃はそう思っても仕方がないかもしれないですね。今はSNSの”良い役割”のお陰で、社会の闇に少しづつ光が当てられ、昔のように市井の民も簡単には罠に引っ掛からない時代だと思います。
ただ、個人主義が間接的に全体的な平和を望まない方向になっていると思うと、どちらの世界も危ういですね。
昆虫や動物の世界でも、個体数が増えると別の群れを作ったり、不要とみなされる個体を死に追いやったりしているのを知ると、人間世界も推し量るしかないのかと・・・。でも、人類はこんなに進化しているのだから、何か別の方向へ舵を向けられるのでは?という希望も感じてはいます。Nickさんは、なぜ、この作品がお好きなのですか?
PS:亡くなられた弟さん、「トップガン」の監督だったんですね。トム・クルーズはあれからずっと大スターであり続ける稀有な俳優ですね。
PPS:最近、チーターがアラブ諸国に密輸され、ペットとして富豪に飼われているというニュースを見ました。生まれてすぐに親から離されたチーターは、野生には戻れないらしく、密輸団から取り戻したチーターの赤ちゃんは保護区で一生を終えるというのに驚きました。ライオンやシャチなど、どんなに人間になついても野生動物は、いつ野生の血が騒ぎ、襲うかわからないと言われているのに、チーターはそうじゃないとは。赤ちゃんチーターが可愛くて、飼ってみたいと思いました・笑
Nick
Date2019.04.11 (木) 23:39:41
>個人主義が間接的に全体的な平和を望まない方向になっている
そういうことはあるのかもしれませんね。
日本もあやうい部分があるような気がします。
コーマック・マッカーシーの本はこの脚本と『ブラッド・メリディアン』を読んだだけなのですが、これはすごい小説でした。
西部開拓時代のインディアンとの闘いなどが描かれていくのですが、
暴力と死の様子がほとんど読点のない文章で延々と書かれていきます。
かなり雑にまとめますと、
安全・安心の世界がいいのはもちろんなんですが、それはもろいものであり、
こっちが本当の生だろうとでも言わんばかりの内容で圧倒されました。
それから『悪の法則』が気に入ったのは、
麻薬組織の面々は顔が見えず、
それが人間が抱えた「死」という運命そのもののように思えたところです。
ほかの方が麻薬組織を「死」そのものと解釈しているのかどうかはわかりませんが……。
ちなみに『オデッセイ』のときに書いたのですが、
ギレルモ・デル・トロは『悪の法則』を35回観たとか……。
>生まれてすぐに親から離されたチーターは、野生には戻れない
なるほど。
だからキャメロン・ディアスがチーターと戯れるようなシーンが撮れたということなんですね。
まれ
Date2019.04.17 (水) 09:12:06
「ブラッド・メリディアン」、かなりハードな小説のようですね。全然違うと思いますが、暴力に慣れ、麻痺してしまう「時計仕掛けのオレンジ」を思い出しました。21世紀の今も、殺人や殺戮が起こっており、究極の安全策は「やられる前にやる」なのかと考えると、アメリカ人が銃を持つ背景、理解できる気がします。
忘れがちですが、”生と死”は本当に表裏一体なんですよね。
タブーであり、それが身近な人以外にとって、”死”は意識しないもので、そして、その方が幸せなのだろうと思います。
考えてみると、辛い状況におかれ、初めて人は楽になりたくて”死”を考えてしまうような気がします。軽い場面だとマンガなどで、山積みの宿題を前に”死にたーい!”とか言って頭を抱えている主人公っていますよね。のび太は”ドラえもーん”ですが・笑
この映画では、死は決して遠い存在ではないことを”真に”感じる何かがあり、心を強く揺さぶったのかなとNickさんの感想を読み思いました(違っていたらごめんなさい)。
「悪の法則」は観ていませんが、キャメロンとチーターが戯れるシーンがありましたか!弱肉強食的にチーターとうさぎが起用されたようですが、生れた時から人が育てると飼いチーターになる性質を知っていたら、この映画の恐ろしさがちょっと減りますね・笑 猛獣は他にもいるものの、戯れシーンを考慮してチーターが選ばれたなら、面白いですね。昨今の密猟の激化で取り上げられていた最新ニュースだったので追記してみましたが、思わぬ裏舞台を見た気がしました・笑
映画や小説もですけど、つくづく本作を観ずに多くは理解できないものですね。私はこの映画をどう感じるのか?が興味深いので、機会があったら観てみたいと思います。
Nick
Date2019.04.25 (木) 00:03:52
そんなところかもしれません。
自分の感じることを言葉にするのも厄介ですね。
というか自分も『悪の法則』を観たのは一回だけなので、
そのうちもう一度観てみようと思います。
まれ
Date2019.04.30 (火) 06:52:36