マイク・リー 『家族の庭』

 マイク・リー監督は独特の演出方法で知られる。事前に脚本はなく、まず俳優たちとそれぞれのキャラクターを創り上げる。そうして血肉を得たキャラクターが即興的な演技を繰り広げて映画を構成していく。だから、マイク・リーの映画を観ると、登場する人物に存在感があって忘れがたい印象を残す。
 『ネイキッド』では、カトリン・カートリッジ(若くしてお亡くなりに、残念!)とデヴィッド・シューリスというふたりの俳優に注目させられた。『秘密と嘘』では甲高い声で「スウィートハート」「ダーリン」ばかり繰り返すブレンダ・ブレッシンが印象深い。『家族の庭』では、メアリー役のレスリー・マンヴィルに尽きるだろう。実際に周囲に彼女みたいな人間がいたら困りものだが、見ていて居たたまれないようなキャラクターになりきっている。

マイク・リー 『家族の庭』

 ギリシャ神話には四季の起源にまつわる話がある。豊穣の女神であるデーメーテールの娘ペルセポネーが、神々との取り決めにより冥界で過ごさねばならない4カ月間は、母親デーメーテールの哀しみから地上には実りが失われる。これは四季よりも冬という季節の成り立ちを説明している。西洋では、冬にだけ特別に何かが失われるという意識があるのだろうか。
 『家族の庭』の舞台はイギリスだが、冬の印象だけが特出している。春夏秋では夫妻の庭や菜園の様子が色鮮やかに描かれる。しかし、冬になると庭も菜園も登場せず、葬式のシーンから始まるからか、画面からは色が消されて寒々しいものとなる。イギリスにも四季はあるのだろうが、日本ほどの大きな変化はないように見える。だが、この映画で冬だけが異質なのは、ギリシャ神話とは関係なく、物語の構成上必要とされたからだ。

 物語はトムとジェリー夫妻の家に集う面々の語らいが中心となる。章立ては季節ごとに区切られ、メアリーが主人公だと観客が気づくのはしばらく経ってからになるだろう。季節が冬へと移り変わった途端、賑やかで騒々しい雰囲気は一変する。冬に登場するのが、トムの兄であるロニーという無骨で無口なキャラクターで、メアリーの騒がしさも影をひそめる。ロニーとの会話は噛み合わず、空気の寒々しさとともに気まずい緊張感が漂う。
 秋の場面を振り返ってみれば、夫妻の息子ジョーが突然恋人を伴って現れると大歓迎を受ける。しかし冬の場面のメアリーはそうならず、「失望した」という言葉を浴びせられるのだ。それはメアリーが“家族”ではないからだ。春には仕事帰りに飲みに行く仲だったのに、友人としての付き合いをわきまえないメアリーの言動が、次第にふたりの女性の間に溝を作ったようだ。
 夫妻とメアリー以外では、春には夫妻の息子ジョーが、夏には友人ケンが、秋にはジョーの恋人ケイトが登場する。皆、お酒とおしゃべりが好きな愉快な人物だ。メアリーはかなり年下のジョーに横恋慕し、ともに独り身の酒びたりとして近親憎悪的にケンを毛嫌いし、ケイトには嫉妬の目を向ける。メアリーは常に夫妻の家に登場しては自らの不幸を嘆き、酔いつぶれたりと傍迷惑な存在なのだ。だがかなり調子外れではあっても賑やかに過ごしてはいた。だからこそ冬の転調が何だか不穏なものに感じられるのだ。
 冬の場面、ジェリーは「失望した」とメアリーを突っぱねつつも、家から叩き出したりはせず、ほのかな光の下の食卓に皆が集まる。カメラがゆっくりと談笑する家族の表情を捉えていき、最後にメアリーのひきつったような笑顔を捉えると談笑の声は遠ざかっていき、メアリーは自分の世界に入り込んでいくようだ。トムとジェリー夫妻と息子のジョー、それに未来の花嫁候補のケイトとトムの兄であるロニー。そんな家族の食卓の闖入者たるメアリーに居場所はない。うわべでは笑顔を見せつつも寄る辺ない孤独さに打ちひしがれるのだ。
 マイク・リー監督は雑誌のインタビューのなかでこう語っている。

「“群衆の中の孤独”という言葉があるように、メアリーは初めて、自分が愚痴っていた孤独以上の深い感情を心底味わうことになるんだよ。」 (『キネマ旬報 2011年11月下旬号』より)


 メアリーは家で独りになるときよりも、部外者として夫妻の家にいるほうが孤独を覚えるだろう。皆のなかで疎外感を味わうことのほうが、より一層孤独なものだ。また、春夏秋と賑やかに過ごしてきたからこそ、冬の厳しさが身に染みるのだ。
 加えて言えば、ジェリーが前半でつぶやいたように、メアリーが不幸なのはジェリーのせいとも言えるかもしれない。幸福のモデルがあればこそ、不幸が見えてくるからだ。トムとジェリー夫妻の幸せな家庭があるから、独りのメアリーの寂しさも際立つのだ。
 このあたりの演出にマイク・リーは意識的で、先ほどのインタビューでも「哀しみを語るときこそユーモアは欠かせないし、喜びと苦しみは裏表だ」と語っている。群衆と孤独、春夏秋と冬、幸福と不幸、そのコントラストが見事だからこそ、ラストでどん底に突き落とされた気分にもなるというものだ。

 それにしても『家族の庭』のラストはあまりにも辛らつだった。例えば『秘密と嘘』では、真実を知ることが称揚されながらも、本当の秘密は嘘で塗り込められて、真実は隠されたままだった。奇妙なほど明るい中庭でのラスト、「人生って いいわね」という台詞も空々しいものとして捉えるべきだろう。だが真実を知らない子供たちは、嘘に守られて幸福になれたとも言える。
 逆にメアリーは真実に気づかされてしまった。劇中の台詞にもあるように「人生は優しくない」からだ。マイク・リーは「一つの方向に観客の感情を操作することなど考えていない」と語っている。突き放したようなラストに意地が悪いほどの辛らつさを感じても、それは私の個人的な感想にすぎない。それでも映画を観終わったあと、ラストの印象が尾を引いて、メアリーの行く末を案ずることになる人も多いんじゃないだろうか。

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Date: 2012.04.18 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

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