『世界にひとつのプレイブック』 テンポのいい、上質なスクリューボール・コメディ
どうしても『第9地区』と比較してしまい分が悪い感の残った『エリジウム』や、光石研のいきり立つイチモツは見物かもしれないが共感する部分には欠ける『共喰い』など、映画館で新作も観たのだけれど、すでにDVDが発売され時期的に旬ではない『世界にひとつのプレイブック』が一番楽しかったので、今回は『世界にひとつのプレイブック』について。
『ザ・ファイター』のデヴィット・O・ラッセル監督の作品。アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされ、ジェニファー・ローレンスが主演女優賞を受賞した。

主人公のパット(ブラッドリー・クーパー)は精神病院から退院して両親の住む家に戻ってくる。パットは妻の浮気相手をこっぴどく痛めつけて病院に入れられることになったのだ。彼の病気は双極性障害、いわゆる躁うつ病だ。パットは接近禁止令を言い渡されているのにも関わらず、いまだに妻との関係を修復できるものと考えている。そんなころ同じように心の病を抱えたティファニー(ジェニファー・ローレンス)と出会うのだが……。
「心の病を抱えた人が立ち直る物語」みたいな憂うつな作品だと勘違いして見逃していたのだけれど、いい意味で裏切られた。心の病を抱えたふたりが主人公でも、『世界にひとつのプレイブック』は陰うつになることなく前向きで楽しい映画だ。
パットの病は躁うつ病ということになっているが、この映画のなかではほとんど躁状態のようだ。パットの突飛な行動のおかげで家のなかは混乱するのだが、そんな彼を見守る迷信深くて思い込みが激しい父親(ロバート・デ・ニーロ)の姿はどこかパットに通じるものがある。最後に父親が大きな賭けをやると言い出したときの騒動は、一体誰が精神病院から帰ってきたのかわからないような状態だし、精神病院の静けさと対比すると家と病院のどちらが狂っているのか怪しくなってくるほど。
一方で夫を亡くした寂しさからか、会社中の人間(女も含め)と手当たり次第にヤリまくって解雇されたティファニーはどんな病気かはわからないが、かなり自暴自棄で風変わりな女性だ。この映画は、そんなふたりがけんかをしながらも次第に近づいていくラブ・ストーリーなのだ。いわゆるスクリューボール・コメディというやつだ。

描かれていることはごく日常的な人間模様だが、テンポよく話が展開していく。話題もころころと変わっていくし、けんかが始まればそれが煮詰まらないうちに電話や来客によって邪魔が入り、次の展開へと移っていく。とにかくテンポがよくて飽きさせない。
音楽の使い方も気が効いている。パットはある曲(スティービー・ワンダーの「My Cherie Amour」)を聴くと、妻の浮気の場面が甦り我を失って暴れ出すのだが、ほかの場面でも音楽が効果的に使われている。ティファニーを送っていったパットが、ティファニーのひとり相撲みたいな行動に振り回され、最後にはわけもわからぬままにビンタを喰らうのだが、その突然の彼女の心変わり瞬間にレッド・ツェッペリンの「What Is And What Should Never Be」が流れ出すあたりがとてもはまっている。(*1)
クライマックスではやや強引にふたりがダンスをすることになる。ふたりのダンスが特段見せ場になるということもないのだが、『雨に唄えば』が引用されているように、父親の賭けの対象でもあるダンスコンテストでは『雨に唄えば』みたいなステップとか、『パルプ・フィクション』的な振り付けとか、『ダーティ・ダンシング』的な大技を繰り出そうとして失敗してみたりというパロディも楽しい。
「excelsior(より高く)」という言葉が、パットが精神病院で学んだモットーだった。ふたりとも病気にもめげずに常に前向きで、ふたりのためオリジナルのプレイブック(作戦図)を見いだしていく姿に元気付けられる。(*2)
実はデヴィット・O・ラッセル監督の作品は『世界にひとつのプレイブック』が初めてだったのだが、ほかの作品も観なきゃならないと思わせるような素晴らしい出来だった。
(*1) 町山智浩曰く、この歌は、「僕が何処にでも行こう、って言ったら、君はついて来てくれるね!君はオレのもんだから!!」という歌詞だとか。このあとパットは妻のことを思い出して、結婚式のビデオがなくなったと大騒ぎをすることになる(こちらのサイトから引用させていただきました)。
(*2) “プレイブック”とはアメフトの用語で、フォーメーションが収録してある本のことを言うのだとか。原題は「Silver Linings Playbook」で、「Silver Linings」とは逆境にあっての希望の光のこと。
デヴィット・O・ラッセル監督のその他の作品
『ザ・ファイター』のデヴィット・O・ラッセル監督の作品。アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされ、ジェニファー・ローレンスが主演女優賞を受賞した。

主人公のパット(ブラッドリー・クーパー)は精神病院から退院して両親の住む家に戻ってくる。パットは妻の浮気相手をこっぴどく痛めつけて病院に入れられることになったのだ。彼の病気は双極性障害、いわゆる躁うつ病だ。パットは接近禁止令を言い渡されているのにも関わらず、いまだに妻との関係を修復できるものと考えている。そんなころ同じように心の病を抱えたティファニー(ジェニファー・ローレンス)と出会うのだが……。
「心の病を抱えた人が立ち直る物語」みたいな憂うつな作品だと勘違いして見逃していたのだけれど、いい意味で裏切られた。心の病を抱えたふたりが主人公でも、『世界にひとつのプレイブック』は陰うつになることなく前向きで楽しい映画だ。
パットの病は躁うつ病ということになっているが、この映画のなかではほとんど躁状態のようだ。パットの突飛な行動のおかげで家のなかは混乱するのだが、そんな彼を見守る迷信深くて思い込みが激しい父親(ロバート・デ・ニーロ)の姿はどこかパットに通じるものがある。最後に父親が大きな賭けをやると言い出したときの騒動は、一体誰が精神病院から帰ってきたのかわからないような状態だし、精神病院の静けさと対比すると家と病院のどちらが狂っているのか怪しくなってくるほど。
一方で夫を亡くした寂しさからか、会社中の人間(女も含め)と手当たり次第にヤリまくって解雇されたティファニーはどんな病気かはわからないが、かなり自暴自棄で風変わりな女性だ。この映画は、そんなふたりがけんかをしながらも次第に近づいていくラブ・ストーリーなのだ。いわゆるスクリューボール・コメディというやつだ。

描かれていることはごく日常的な人間模様だが、テンポよく話が展開していく。話題もころころと変わっていくし、けんかが始まればそれが煮詰まらないうちに電話や来客によって邪魔が入り、次の展開へと移っていく。とにかくテンポがよくて飽きさせない。
音楽の使い方も気が効いている。パットはある曲(スティービー・ワンダーの「My Cherie Amour」)を聴くと、妻の浮気の場面が甦り我を失って暴れ出すのだが、ほかの場面でも音楽が効果的に使われている。ティファニーを送っていったパットが、ティファニーのひとり相撲みたいな行動に振り回され、最後にはわけもわからぬままにビンタを喰らうのだが、その突然の彼女の心変わり瞬間にレッド・ツェッペリンの「What Is And What Should Never Be」が流れ出すあたりがとてもはまっている。(*1)
クライマックスではやや強引にふたりがダンスをすることになる。ふたりのダンスが特段見せ場になるということもないのだが、『雨に唄えば』が引用されているように、父親の賭けの対象でもあるダンスコンテストでは『雨に唄えば』みたいなステップとか、『パルプ・フィクション』的な振り付けとか、『ダーティ・ダンシング』的な大技を繰り出そうとして失敗してみたりというパロディも楽しい。
「excelsior(より高く)」という言葉が、パットが精神病院で学んだモットーだった。ふたりとも病気にもめげずに常に前向きで、ふたりのためオリジナルのプレイブック(作戦図)を見いだしていく姿に元気付けられる。(*2)
実はデヴィット・O・ラッセル監督の作品は『世界にひとつのプレイブック』が初めてだったのだが、ほかの作品も観なきゃならないと思わせるような素晴らしい出来だった。
(*1) 町山智浩曰く、この歌は、「僕が何処にでも行こう、って言ったら、君はついて来てくれるね!君はオレのもんだから!!」という歌詞だとか。このあとパットは妻のことを思い出して、結婚式のビデオがなくなったと大騒ぎをすることになる(こちらのサイトから引用させていただきました)。
(*2) “プレイブック”とはアメフトの用語で、フォーメーションが収録してある本のことを言うのだとか。原題は「Silver Linings Playbook」で、「Silver Linings」とは逆境にあっての希望の光のこと。
![]() |


- 関連記事
-
- ジョシュ・トランク監督 『クロニクル』 超能力と高校生の青春と
- 『世界にひとつのプレイブック』 テンポのいい、上質なスクリューボール・コメディ
- イ・ユンギ監督 『愛してる、愛してない』 男と女が別れるまでの時間
スポンサーサイト
この記事へのコメント: