『声をかくす人』 「自分より大きな存在」とは何か?

 前回、取り上げた『リンカーン』の後日談ではないが、リンカーン暗殺に関わった人たちを巡る物語である。先月DVDが発売された。
 『普通の人々』でアカデミー作品賞及び監督賞を受賞しているロバート・レッドフォードの監督作品。主演はジェームズ・マカヴォイロビン・ライト。権力側の陸軍長官を演じるのはケビン・クラインだが、ひげ面で誰だかわからなかった。

 『声をかくす人』では、スピルバーグ作品『リンカーン』ではスルーされた暗殺場面が丁寧に描かれている。私は知らなかったが、実はこのとき副大統領や国務省長官なども命を狙われている。この映画は暗殺団側の視点から描かれているのだ。
 下手人であるジョン・ウィルクス・ブースは、一時逃げ出すものの後に射殺される。その後、暗殺に関わったとされる8名が逮捕されるが、そのなかの一人がアメリカで初めて死刑に処された女性、メアリー・サラットである。主人公の弁護士フレデリックは北部出身であり、暗殺の共謀者の弁護に乗り気ではなかったが……。

『声をかくす人』 主演のロビン・ライトとジェームズ・マカヴォイ

「自分より大きな存在に尽くしたことはおあり?」


 メアリーはそんなふうにフレデリックに問う。「自分より大きな存在」とは何か?
 フレデリックにとって、それは“神聖な法”である(南北戦争時には“北部”だったのかもしれない)。暗殺者であるブースやメアリーの息子にとって、それは“南部”だったのかもしれない。奴隷解放を宣言したリンカーン大統領にとっては、“国”がそれに当たる。この映画の権力側代表である陸軍長官においても、“国”が「自分より大きな存在」となるのだろう。(*1)
 では、メアリーにとっては「自分より大きな存在」とは何か? 
 それは“息子への愛情”だと、とりあえずは言えるかもしれない。メアリーは息子が南部のために、ブースたちと進めていた計画をある程度知っていた。(*2)と同時に、自分自身に処刑されるような罪がないことも知っている。だから自分の無実に関しては誓うことができるが、暗殺に関わったかもしれない息子のことについては口を噤むしかない。息子の潜伏先をメアリーが知っていたのかは不明だが、知っていたとしても話さなかったのだろう。自らの手で息子を死刑台に送ることだけはしない、そんな最後の抵抗のように思えた。
 メアリーは「自分より大きな存在」に尽くすという点で、南北戦争でそれぞれ北部と南部として対立したフレデリックもメアリーと「同じ立場」なのだと語る。しかし、その後フレデリックが「僕らに息子さんの隠れ家を(教えてくれ)」と頼むときは、その言葉がフレデリックの面子に過ぎず、フレデリックの都合で敵と味方を判断しているとして非難する。フレデリックは弁護するメアリーの命を救いたいだけなのだが、メアリーには個人的な都合以上のものがあるようだ。それこそが「自分より大きな存在」であり、そこに“息子への愛情”も含まれているが、それだけではないのかもしれない。

 なぜブースたちに下宿屋をアジトとして提供していただけで、メアリーは死刑にならなければならないのか。陸軍長官など権力側からすれば、南部のさらなる陰謀を防いで国を安定させるためだ。弁護士であるフレデリックは「憲法が国民を守るのです」と主張し、“法の正義”を貫こうとするが、権力側はルールを変える権限すらも持っている。権力側が決めたことは絶対的なものであり、その前で個人の抵抗はむなしい。国の横暴から国民を守るためにこそ憲法があるはずなのだが、権力側は「戦時には法は沈黙する」あるいは「憲法を尊重するが国が倒れては意味がない」と言って憚らないのだ。(*3)
 フレデリックの戦いは“負け戦”だと最初からわかっていた。けれどもメアリーが「自分より大きな存在」のために息子の身代わりとなったように、フレデリックにとって“神聖な法”というものが「自分より大きな存在」であるからこそ、“負け戦”でも戦わなければならなかったのだろう。
 邦題の「声をかくす人」とは、息子のことを語らなかったメアリーではなく、無実を主張する小さな声を隠してしまう権力者たちのことに思える。

(*1) 村上春樹は昔どこかで「立場というものがある」と諦念とともに記していた。立場が違えば守るべきものも自ずと違ってくる。それぞれの立場にそれぞれの言い分があるというのが村上春樹の言葉だ。

(*2) 最初の計画は誘拐だったようだ。リンカーンを人質に南部の捕虜を助けるつもりだったのだが、途中で計画は変更される。メアリーの息子がそれにどこまで関わったかはわからないが、「戦って死ぬなら本望だよ」と母親メアリーに語るほど、「自分より大きな存在」に尽くすことを考えていた人ではあったようだ。暴力に訴える点で、それは危険な思想でもあるのだが……。

(*3) 宮台真司のわかりやすい整理によれば、

①憲法は国民から統治権力への命令
②法律は統治権力から国民への命令 
③憲法が法律に優越するとは、国民からの命令の範囲内でのみ統治権力は国民に命令しうるということ

となる。
 「奴隷制はアメリカで存在してはならない」(米国憲法修正第13条)というのが、国民から国への命令である。あくまでもそうした自由と平等の範囲内で、例えば「殺人を犯せば罰せられる」というのが、国から国民への命令(法律)だ。フレデリックが言うように“神聖な法”が優先するのは「憲法が国民を守る」ことなのだが、ときに横暴な一部権力者の都合によって“神聖な法”は汚されてきたのだ。


声をかくす人 [DVD]


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Date: 2013.05.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

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