『リンカーン』 スピルバーグが描く人間的で現実的な大統領像

 アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンの伝記ものである。しかし、テーマは限定されている。リンカーンが最後に精魂を傾けた米国憲法修正第十三条の成立過程だ。奴隷解放宣言は歴史的には有名だが、実はそれだけでは真に奴隷を解放することはできず、修正第十三条を成立させることがリンカーンの目標となる。
 これは簡単な仕事ではない。奴隷というのは高価な代物である。修正第十三条はそれを否定するのだから、所有者の財産を取り上げることになる。そんな暴挙に反対が出ないわけがない。特に大規模農園のために多くの奴隷を抱えていた南部にとっては死活問題で、それが南北戦争の大きな原因にもなっている。リンカーンは南北戦争が北部有利となり、戦争終結が見えている状況において、修正第十三条の成立を目論む。
 リンカーンは「奴隷が解放されれば、南北戦争は終わる」と人民に喧伝していた。自らの財産を進んで放棄しようとするものはいない。犠牲を払うのはそれ以上に大切なことのためだ。リンカーンは戦争終結(平和)という大きな飴玉をもって、奴隷解放という難事を成し遂げようとしていたのだ。しかし南部の弱体化で修正第十三条の成立前に南北戦争が終わってしまうと、結局戦争の火種となっていた奴隷制が維持されかねない(再び戦争になることもあり得る)。リンカーンは戦争の終結を先延ばしにしてまで、つまり犠牲者が増えることを覚悟してまでも、修正第十三条の成立を目指すのだ。これは闇夜に針の穴を通すようなやっかいな仕事だ。(*1)

スピルバーグ監督作品『リンカーン』 主演はダニエル・デイ=ルイス

 歴史に疎い私は“奴隷解放宣言”などと聞くと、リンカーンに理想主義で人道的なイメージを抱くのだが、この映画のリンカーンはまったく現実的な政治家である。修正第十三条を成立させるための策は、反対勢力である民主党の議員を金銭という飴玉で一人ずつ切り崩していく裏工作だ。リンカーンは目的のためには手も汚す現実的な政治家なのだ。
 リンカーンの現実的な姿勢は、共和党奴隷制度廃止急進派のスティーブンス(トミー・リー・ジョーンズ)とのやりとりによく表れている。スティーブンスは進歩的な平等を唱える理想主義者だ。だが実際には“人種の平等”のように極端なことを唱えれば、世間の反感を買い、修正第十三条の成立をかえって妨げることになってしまう。
 そこでリンカーンは方位磁針のたとえ話をする。方位磁針を使えば“北”の方角を知ることができる。しかし、目的の方向はわかっていても、真っ直ぐ進むことが必ずしも正しいとは限らない。リンカーンとスティーブンスも方向的には同じ“北”を目指している。しかしリンカーンが北極圏内の到達で良しとするのに対し、スティーブンスは北極点まで一気にたどり着こうとする。スティーブンスのように理想に向かって真っ直ぐに進むことは危険だ。北極点どころか北極圏内に到達する前に落し穴にはまってしまう可能性もある。リンカーンは理想にたどり着くために、現実的な迂回路を選ぶのだ。

 また、この映画のリンカーンはカリスマ性がない(ように見える)。“最も愛された大統領”とキャッチコピーにもあるが、家族を愛するごく普通の父親であり、小話が好きな愛嬌ある人物として描かれている。そして、大統領としての仕事に苦悩する人間らしい姿も見せている。
 リンカーンの登場シーンでは、黒人を含む北軍兵士たちと同じ目線の高さで対話している。内容は有名なゲティスバーグの演説についてだが、実際の演説シーンはない。(*2)多くの人民を前にした演説のシーンとしては、国旗掲揚前の演説があるが、リンカーンの茶目っ気は感じられるがカリスマとは見えない。会議などで披露される小話も、方位磁針の話を別にすれば笑い話だ。「トイレのワシントン」、「世界の終わりを告げるオウム」、「おじいさんの遺言」など、周囲の耳を傾けちょっとした笑いを取る。その場の雰囲気を変える効果はあるが、その言葉で聴衆を操作しようとはしていないのだ。
 ここで参考になるのは夫婦げんかのシーンだ。その原因は息子の死。妻は大統領の仕事にかまけて子供をおろそかにしたことを責めるのだが、リンカーンは妻の哀しみには理解を示すが、「哀しみに押しつぶされるかどうかは個々人による」として最終的には妻を突き放す。哀しみという状況に対する対応を、改めて妻に差し戻すのだ。
 これは修正第十三条の採決においても同様だ。リンカーンは議員たちを一人ずつ説得に回るのだが、議員たちはリンカーンの熱意や人柄などに惹かれてその場で態度を変えるようなことはない。もちろんリンカーンは方向性を示すのだが、それ以上は議員本人の決断に委ねるのだ。これは映画内の「修正第十三条成立か否か」という、採決のサスペンスを生むための要請と言えるかもしれない。だが、それだけではないようにも思える。「民主主義はカオスではない」という台詞もあったが、最終的に人民(の代表たる議員)一人一人の判断が正しい道へと導いたという点を強調したかったのではないか。当然、その先導者がリンカーンという偉大な指導者だったわけであり、ゲティスバーグ演説にあるように「人民の、人民による、人民のための政治」こそが、リンカーンが「地上から絶滅させない」と宣言したものだからだ。

 派手な映画ではない。今回のスピルバーグは台詞劇だからだ。南北戦争も題材となるが、戦闘場面は冒頭だけで『プライベート・ライアン』のような壮絶さはないし、『戦火の馬』のような疾走感もない。それでも修正第十三条を題材としたポリティカル・サスペンスとして楽しませるし、スピルバーグのリンカーンに対する思い入れが感じられる作品だった。(*3)
 また歴史に疎い私のような人には、アメリカ史の勉強にもなる教育的映画だ。リンカーンの奴隷解放の意図は、奴隷とされた黒人への人道的な想いではなく、“連邦の保持”という愛国的なものであると教えてくれる。
 一方で、リンカーンの政治においては優先順位の下位とされたようにも見える黒人への温かい目線は、この映画ではスティーブンスが担っている。この役はおいしい役どころだ。スティーブンスが修正第十三条成立のために自説を曲げて妥協するところと、その成立した文書を自らの伴侶である黒人女性に手渡すところが『リンカーン』の一番泣かせる場面だからだ。

(*1) ダニエル・デイ=ルイスは相変わらずの成りきりぶりで三度目のオスカーを授賞した。ダニエルのリンカーン像は偉大さよりも人間味があるが、大統領の仕事の過酷さに疲れ切っているようにも見える。

(*2) 映画ラストの演説は、大統領第二期目の就任演説だが、この演説も意外と淡々と描かれている。

(*3) 『プライベート・ライアン』でも、ライアン救出のきっかけとなる大切な部分でリンカーンの手紙が引用されていた。


リンカーン [Blu-ray]


リンカーン [DVD]



スピルバーグの作品
関連記事
スポンサーサイト
Date: 2013.05.10 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

この記事へのコメント:


管理人のみ通知 :

トラックバック:


プロフィール

Nick

Author:Nick
新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

最新記事
最新トラックバック
最新コメント
月別アーカイブ
07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03 
カテゴリ
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

タグクラウド

広告



検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
このブログをリンクに追加する
Powered By FC2ブログ


ブログランキングに参加しました。

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QR