『岬の兄妹』 ギリギリの場所
ポン・ジュノや山下敦弘などの助監督を務めた片山慎三の初長編監督作。

足の悪い兄・良夫(松浦祐也)と自閉症の妹・真理子(和田光沙)。そんなふたりが生活のために売春をすることになるという話。脚本・監督の片山慎三は自費で本作を作り上げたとのことで、商業ベースではあり得ないような遠慮会釈もない題材を取り上げている。
◆悪い男?
妹を売春に駆り出すといっても、兄・良夫がとりわけ酷い男というわけではない。職を失い、食べるものもなくなり、ゴミを漁るような日々のなかで、残された最後の手段がそれだったということなのだ。
また、真理子にとって売春という行為は“冒険”とも呼ばれていて、狭苦しい家のなかに鎖でつながれていた生活とは違い、化粧をして外を歩くことができる生活は幾分かマシなものとも言える。六畳一間に閉じこもった生活は互いにとってストレスフルで、冒頭に見られた良夫の真理子に対する暴力的な扱いは、売春が始まると影を潜める。つまりは売春がふたりにとってわずかな救いになっているということでもあるのだ。
◆目を逸らさずに現実を見つめろ
良夫の幼なじみらしい警察官の肇(北山雅康)は売春のことを知り良夫を非難する。もちろん「清く正しく美しく」生きることができればそれは望ましいのだが、本作の良夫や真理子のように障害を抱えた人たちがどうすればそんな生き方ができるのか。生きるためには不正を気にしていられないし、醜い生き方でも受け入れるほかないわけで、「目を逸らさずに現実を見つめろ」というのが本作なのだ。
おもしろいのはその現実は厳しいばかりではなくて、ちょっとは愉快なところもあるところだろうか。良夫は無理やり真理子のセックスの様子を見せられたりもするのだが、妹のそんな姿を見たくない良夫に対して、真理子は兄の視線など気にもせずにセックスを楽しんでしまうのだ。
だが、その一方でやはり壮絶な場面もある。泣き喚く子供には母親ですら根を上げるが、真理子は大人だけに余計に始末におけないわけで、真理子が人目も憚らず泣き喚く場面は観ている側としてもキツいものがある。それでも障害を抱えた人の人生のすべてが辛く耐え難いものではないというのは、やはり現実に即したことなんだろうと思う。

◆兄妹の立っている場所
良夫を演じる松浦祐也のコミカルな表情と、真理子を演じる和田光沙の無邪気さもあり、『岬の兄妹』には笑える部分もあるわけだが、やはり現実はそれほど甘くはない。
酷く辛らつだったのは真理子を何度も買ってくれていた小人の男性とのエピソード。妊娠した真理子の人並みの幸せを思った良夫は、その彼に真理子を託そうと考えてみるのだが、その申し出は断られてしまう。
差別される側にいる者同士が手と手を取り合っていければ、そんな淡い希望は打ち砕かれるのだ。その小人の男性にとって、真理子と過ごす時間が楽しくないわけではないと思われるのだが、同時に彼は「母親のお腹のなかにいたほうがよかった」と語ってもいた。
たとえどん底に居たとしてもそれなりに愉快にやることはできなくもない。ただ、基本には「生まれて来なければ良かった」という思いもある。それはその後に良夫が感じることになる「死んだほうがマシ」というところまで容易に転がり落ちそうでもある。
ラストの真理子の表情は何もわかっていないようにも見えるし、ちょっとは状況を察しているようにも見える。それがどちらに転がるとしても、タイトルの「岬」というものが地上が海へと突き出した場所を意味するように、兄妹の立っている場所はかなりギリギリのところにあるとは言えるかもしれない。
こちらサイトの情報によれば、企画の最初には『悪い男』(キム・ギドク作品)のこともちょっとは念頭にあった模様(ギドクの情報が伝わってこないのが心配)。風祭ゆきもゲスト出演していてロマンポルノへの目配せもあるようで、映画評論家森直人の指摘によれば『(秘)色情めす市場』(私は未見だが傑作とのこと)の影響があるのだとか。題字の古臭い感じもその辺を狙っているのだろうか。鉛色の空のシーンや路地の猫などが特に印象に残った。





足の悪い兄・良夫(松浦祐也)と自閉症の妹・真理子(和田光沙)。そんなふたりが生活のために売春をすることになるという話。脚本・監督の片山慎三は自費で本作を作り上げたとのことで、商業ベースではあり得ないような遠慮会釈もない題材を取り上げている。
◆悪い男?
妹を売春に駆り出すといっても、兄・良夫がとりわけ酷い男というわけではない。職を失い、食べるものもなくなり、ゴミを漁るような日々のなかで、残された最後の手段がそれだったということなのだ。
また、真理子にとって売春という行為は“冒険”とも呼ばれていて、狭苦しい家のなかに鎖でつながれていた生活とは違い、化粧をして外を歩くことができる生活は幾分かマシなものとも言える。六畳一間に閉じこもった生活は互いにとってストレスフルで、冒頭に見られた良夫の真理子に対する暴力的な扱いは、売春が始まると影を潜める。つまりは売春がふたりにとってわずかな救いになっているということでもあるのだ。
◆目を逸らさずに現実を見つめろ
良夫の幼なじみらしい警察官の肇(北山雅康)は売春のことを知り良夫を非難する。もちろん「清く正しく美しく」生きることができればそれは望ましいのだが、本作の良夫や真理子のように障害を抱えた人たちがどうすればそんな生き方ができるのか。生きるためには不正を気にしていられないし、醜い生き方でも受け入れるほかないわけで、「目を逸らさずに現実を見つめろ」というのが本作なのだ。
おもしろいのはその現実は厳しいばかりではなくて、ちょっとは愉快なところもあるところだろうか。良夫は無理やり真理子のセックスの様子を見せられたりもするのだが、妹のそんな姿を見たくない良夫に対して、真理子は兄の視線など気にもせずにセックスを楽しんでしまうのだ。
だが、その一方でやはり壮絶な場面もある。泣き喚く子供には母親ですら根を上げるが、真理子は大人だけに余計に始末におけないわけで、真理子が人目も憚らず泣き喚く場面は観ている側としてもキツいものがある。それでも障害を抱えた人の人生のすべてが辛く耐え難いものではないというのは、やはり現実に即したことなんだろうと思う。

◆兄妹の立っている場所
良夫を演じる松浦祐也のコミカルな表情と、真理子を演じる和田光沙の無邪気さもあり、『岬の兄妹』には笑える部分もあるわけだが、やはり現実はそれほど甘くはない。
酷く辛らつだったのは真理子を何度も買ってくれていた小人の男性とのエピソード。妊娠した真理子の人並みの幸せを思った良夫は、その彼に真理子を託そうと考えてみるのだが、その申し出は断られてしまう。
差別される側にいる者同士が手と手を取り合っていければ、そんな淡い希望は打ち砕かれるのだ。その小人の男性にとって、真理子と過ごす時間が楽しくないわけではないと思われるのだが、同時に彼は「母親のお腹のなかにいたほうがよかった」と語ってもいた。
たとえどん底に居たとしてもそれなりに愉快にやることはできなくもない。ただ、基本には「生まれて来なければ良かった」という思いもある。それはその後に良夫が感じることになる「死んだほうがマシ」というところまで容易に転がり落ちそうでもある。
ラストの真理子の表情は何もわかっていないようにも見えるし、ちょっとは状況を察しているようにも見える。それがどちらに転がるとしても、タイトルの「岬」というものが地上が海へと突き出した場所を意味するように、兄妹の立っている場所はかなりギリギリのところにあるとは言えるかもしれない。
こちらサイトの情報によれば、企画の最初には『悪い男』(キム・ギドク作品)のこともちょっとは念頭にあった模様(ギドクの情報が伝わってこないのが心配)。風祭ゆきもゲスト出演していてロマンポルノへの目配せもあるようで、映画評論家森直人の指摘によれば『(秘)色情めす市場』(私は未見だが傑作とのこと)の影響があるのだとか。題字の古臭い感じもその辺を狙っているのだろうか。鉛色の空のシーンや路地の猫などが特に印象に残った。
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