『クリード 炎の宿敵』 最後はやはり根性か
監督はスティーヴン・ケイプル・Jr。

本作では「なぜ闘うのか」ということが何度も問われることになるわけだけれど、ボクシング映画として重要なのは「闘う相手」でもあったりするわけで、亡きアポロ・クリードの息子アドニス(マイケル・B・ジョーダン)に因縁があるとすれば、その父親の遺恨の相手であるイワン・ドラゴしかいないということなのだろう。
自由と資本主義のアメリカと、共産主義のソ連という冷戦時代を象徴したような作品が『ロッキー4/炎の友情』だった。ソ連は科学技術を駆使して戦闘マシーンのドラゴを作り上げ、アメリカの国旗を身にまとって闘うアポロはアメリカそのもので、ジェームス・ブラウンが登場する入場シーンの派手さは『ロッキー』シリーズのなかでも特出していた。
その『ロッキー4』でドラゴに殴り殺されたアポロ。『クリード2』ではその息子たちが対決することになる。ロッキー(シルベスター・スタローン)がそれにどう関わるかと言えば、アポロとイワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)との試合中にセコンドにいながらも、試合を止めることを躊躇して親友アポロを殺させてしまったという後悔のなかにいる。同じことを繰り返さないためにも、ロッキーはアドニスとヴィクター・ドラゴ(フロリアン・“ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ)との闘いに反対することになるのだが……。

前作『クリード チャンプを継ぐ男』は、『ロッキー』シリーズで唯一スタローンが脚本に関わっていない作品だったとのこと。ほかの人たちが『ロッキー』のスピンオフという神輿を担ぐというから、スタローンは悪い気もしなかったからそれに乗っかってみたということなのだろう。しかし、その続編となる本作『クリード 炎の宿敵』では、スタローンも脚本に復帰している。その分、過去の『ロッキー』シリーズとの関わりも密接なものがあったように感じられた。ドラゴ家とクリード家の因縁に関しては『ロッキー4』は必須だし、ロッキー自身の息子との関係は『ロッキー・ザ・ファイナル』ともつながってくるからだ。
一方で、本作の主役はアドニス・クリードであってロッキーではないことも確かで、ロッキー色を薄めていこうという意識も感じられなくもなかった。というのは往年のファンには鉄板であろうロッキーのテーマ曲も、前作以上に切り詰められているように感じられたからだ。スタローン自身もロッキー役を引退することを示唆していたりもするらしいし、ロッキーのいない『クリード』シリーズというものが続くのかどうなのか……。
というわけで『ロッキー』シリーズのフォーマットから少しずつ離れつつも、やはり泣かせどころは押さえてもいて、アドニスとヴィクターの闘いは結末はわかってはいてもワクワクするものがあった。
個人的には冒頭でいきなりイワン・ドラゴの姿から始まるのにビックリさせられ、戦闘マシーンだったドラゴが最後に息子ヴィクターをいたわるようにタオルを投げる場面には涙を禁じえなかった。というか本当はロッキーのほうが逡巡すべき「タオル問題」であるはずなのに、肋骨を痛めて苦しむアドニスにロッキーは「行けるだろ? お前は野獣なんだから」とかの根性論を展開するのがロッキーらしかった。ロッキーはそうやって勝ってきたわけだし。
それからゴシップネタだけれど、ドラゴの妻ルドミラ役として『ロッキー4』に登場していたブリジット・ニールセンが本作で復活しているところがイワン・ドラゴ再登場以上にビックリした部分。というのもブリジット・ニールセンはスタローンの別れた奥様でもあるからで、そのルドミラは高飛車な態度で悪役に徹している。スタローン自身も脚本に参加しているだけに、ルドミラ役そのものを消してしまうことだってできたはずなのに、わざわざ重要な役柄に据えているのが奇妙でもあった。大物スタローンは小さなことは気にしないということだろうか。
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