読書するギドク 『ブリーダ』について

 手にしたきっかけは、ギドク『アリラン』のなかでこの本を読むシーンがあったから。作者のパウロ・コエーリョについてはあまり知らないので、以下ギドクとの関係で記します。

パウロ・コエーリョ 『ブリーダ』

 章立てが「夏と秋」「冬と春」となっており『春夏秋冬そして春』を想起させるが、季節はあまり重要な要素ではない。冒頭に「アイルランド 1983年8月‐1984年3月」とあり、ブリーダという主人公に起こった出来事の記録になっている。夏ごろから始まり、秋と冬を経て、春までのお話というだけで、そこに特段の意味合いを込めたわけではないようだ。
 また、「分身」という主題が出てくるが、これもギドクがアリランでやった意味での「分身」ではない。もっともギドクの「分身」は心内語や葛藤を観客に見せるためのサービスみたいなものだが……。

 ギドク映画では自作の引用はよく見られるが、聖書や仏教説話以外の現代作家の作品が導入されることは珍しい。例外的に『絶対の愛』では、G.ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』が登場する。ギドクの映画の登場人物たちが夢や幻想に逃避するように、マジックリアリズム的な箇所に惹かれたのかもしれないが、作品テーマとの関係が私には見えなかった。
 『ブリーダ』は果たしてどんな小説か。ギドクはどんな意図で『ブリーダ』を引用したのか。

「魔術を習いたいんです」娘は言った。


と唐突に始まる『ブリーダ』の物語は、魔術師やウィッカと呼ばれる魔女などが登場する世界だ。それでも『ハリー・ポッター』みたいにホウキにまたがって空を飛んだりはしない。ブリーダの「魔術とは何なのですか」という問いに対して、魔術師はこう答える。

魔術は橋だ。目に見える世界から目に見えぬ世界へと渡っていける橋だ。そうして双方の世界から学びを受ける。


 その橋を渡るには2つの方法があるとされ、こう説明される。

太陽の伝説、それは空間を、われわれの周りにあるものを通して秘密を教えてくれる。そして月の伝説は時を、時の記憶の中に封じ込められたものを通して教えてくれる。


 この2つの伝説をブリーダは魔術師とウィッカのそれぞれから学ぶわけだが、このあたりの用語はファンタジーの要素を感じさせる。しかし呪文を唱えて何かを動かしてみたり、悪役が登場して魔力合戦に応じるわけでもない。だからブリーダが魔女なのか何なのかよくわからない。
 修行の過程で“過去生”の自分を体験したり、宇宙に思いを馳せる神秘的な体験をしたりはするが、突拍子もないものではない。幻覚や幻想の類いとも言えるし、やや神秘主義的な宗教に近く、ブリーダの魂の遍歴(=自分探しを描いているように思える。最初に魔術師から課される修行は、サソリや蛇が生息する森のなかで一夜を明かすことだが、その体験を経てブリーダはこんなことを考える。

信仰とは夜の闇に説明なく潜ること


 この言葉は信仰の要諦を捉えている。どこの馬の骨かわからない新興宗教の教祖の言葉は信じられない。しかし、論理的にわかるレベルではなく信仰する段階となれば、キリストにしても仏陀にしても同じことなのだ。最後は目をつぶって飛び込むしかないのだから。

 それから「分身」というテーマだが、この小説では転生するとき男と女に別れるとされている。すると魂は弱まっていくから「分身」は再会することがある。この再会を“愛”と呼ぶのだそうだ。
 だから本当の“愛”は「分身」との間に生じるはずだが、われわれは愚かな人間だから間違いはつきもので、自らの「分身」以外を愛してしまうこともある。それに気がつくと別れが訪れ、また「分身」探しの日々が始まる。
 ブリーダも愛する彼氏と自らの「分身」である魔術師との間で揺れ動く。魔術師はブリーダが「分身」と知っていても、ブリーダはそれを知らないからだ。広い世界では「分身」に出会うこと自体が難しく、つまりは本当の“愛”に出会うのも難しいことなのだ。
 パウロ・コエーリョはいわゆるスピリチュアル系の作家とされているようで、ブリーダもそんな体験をしていく。闇に潜り、“過去生”を知り、イニシエーションとしての新たなセックスで宇宙を感じ、春分の日のパーティーでは裸で踊り出し魔女になる儀式をする。こんな体験が重要なのか私には疑問だし、理解できず退屈なところもあるのだが、一方で現実的に役に立つ言葉もある。師匠のひとりであるウィッカは、存在の真なる理由、自分が何のためにいるのかという質問には答えはないと語る。

勇気のある者と太陽と月の伝説を知る者のみが、この問いに対する唯一の答えらしきものを知っている。「わからない」ってね。


至極真っ当な答えだろう。そして次のように続ける。

自分の夢を追う、ってこと。自分の望む方向に向けて足を踏み出す勇気を持つということは、私たちが神を信じるということのたったひとつの表現法なんだわ。


 結局ブリーダにとって、魔術を学ぶことは神について考えることと等しく、それはわれわれが“自分探し”と呼ぶものと何も変らないのだ。だからスピリチュアル系でない人でも親近感を持って理解できるだろう。ギドクもひきこもりに苦しみながら、そんな“自分探し”をするブリーダに自らを重ねたのかもしれない。

パウロ・コエーリョの作品
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Date: 2012.04.01 Category: 小説 Comments (0) Trackbacks (0)

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