『来る』 上のほうの人って誰?
原作は澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』。

この作品は3部構成となっていて、主人公は次々と交代していく。
田原秀樹(妻夫木聡)は調子が良すぎる男でイクメンを自称しているものの、子育ては妻に任せきりで、ブログのなかでは嘘くさいほどの幸せな家族の姿を演じてばかりいる。その妻・香奈(黒木華)は夫の外面のよさと実際とのギャップに苛立ち、娘の知紗にも当り散らすほど追いつめられていく。そして、もうひとりの主人公はオカルトライターの野崎(岡田准一)で、彼は人を愛することができず恋人に堕胎させた過去がある。どの主人公もクズな人間で、中島哲也作品にはよく出てくる種類の人物と言える。
そんな彼らが苦しめられることになるのが、“ぼぎわん”とも呼ばれる霊的な存在で、それは秀樹と香奈の娘・知紗をどこかへ連れ去ろうとする。秀樹は野崎のツテでキャバ嬢の霊媒師・真琴(小松菜奈)にも助けを借りて“ぼぎわん”と闘うことに……。
“ぼぎわん”とは何か? なぜ知紗を狙っているのか? そこに具体的な説明はない。真琴も言うように、理由なんかはわからないけれど、何とかそれに対処することだけはできるということらしい。
3人の主人公たちは子供に対する接し方で間違ってきた部分があることは確かで、最近は児童虐待のことが盛んに話題になったりもしたけれど、そんなのは昔からの話だよというのが民俗学の見解らしい。というか、虐待どころか昔は子供を間引きしてしまうことも度々行われていたとのことで、そうしたものが霊となって姿を現したのが“ぼぎわん”なのかもしれない。
『渇き。』でデビューした小松菜奈は黒髪に制服ばかりというイメージがだったが今回はかなりイメチェンしているし、黒木華のどす黒い感じも初めて。そのあたりでは楽しめたとも言える。ただ、ラストのお祭り騒ぎはなかなか壮観だったけれど、騒がしいだけだったという気もする。

気になったのは松たか子が演じる琴子の台詞(以下、私の思い込みである可能性も)。琴子は“ぼぎわん”を秀樹のマンションに呼び込み、祓いの儀式を行うことになる。琴子は警察のお偉いさんまで駆り出し、マンションから住人すべてを人払いしてまで盛大な儀式が行われる。その際の琴子の台詞が、「私がつながっているのはもっと上のほうの人だから」といった内容だった。作品内ではそれ以上その話題が触れられることもなかったし、その人物が登場することもないのだが、“上のほうの人”とは誰のことなのだろうか?
琴子は日本最強の霊媒師という触れ込み(真琴の姉でもある)。儀式にかき集められているのは、神主や沖縄のユタとか、韓国の祈祷師なんかも混じっている。そうした業界のなかで一番上のほうに居るのは誰かと考えると、それは天皇ということになるんじゃないだろうか。
天皇は憲法で定められた国事行為というものをすることになっているが、仕事はそれだけではないわけで、本来(?)の仕事は祭祀ということになるのだろうと思う。ウィキペディアによれば、宮中祭祀と言われるものがそれで、天皇は「国家と国民の安寧と繁栄を祈る」ことが仕事ということになる。
琴子にわざわざ天皇とのつながりを仄めかせたのは、来年で終わる予定の「平成」という時代が意識されていたからだろうか。前作の『渇き。』でも、わざわざ原作とは名前を変更してまで「昭和」風の男を登場させてもいた(役所広司演じる藤島昭和)。
天皇と近い位置にいるという琴子は、ラストの闘いを最後に姿を消すが、死んでしまったか否かは明らかにはされない。これは生前退位することになる今上天皇と同様の去り方を意識しているのかもしれない。
本作が「平成」を仄めかすという意図があるとするならば、琴子は“ぼぎわん”を退散させて知紗を取り戻したものの、「こんなみっともない祓いは初めて」だとも語っていたわけで、これが「平成」に対する中島監督の総括ということになるのだろうか。
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この記事へのコメント:
fjk78dead
Date2018.12.13 (木) 00:21:21
ちょっと思っても見なかった解答だったので驚きました。警視総監か何かの名刺に対しての言葉だったので、単純に行政を管理する内閣や大臣などの為政者なのかと思ってました。
最近はこの為政者と宮様の関係があまりよく見えないので(為政者側が道具として利用しようとしているのが透けて見えすぎ)、日本最強霊媒師+天皇家という組み合わせの方がより最強かもしれしない。とは言ってもブザマな払いになってしまう訳ですが。
Nick
Date2018.12.13 (木) 20:59:00
似たようなことを思った人は居ないかとほかのブログも拝見しましたが、
見当たりませんでしたのでやはり思い込みかもしれません。
とはいえ思わせぶりな台詞でもあったので何か込められているのかもしれません。
中島監督がどんなことを考えていたのか気になるところです。