『ヘレディタリー/継承』 家族の不和とオカルト
原題の「Hereditary」とは、「遺伝性の」とか「先祖代々の」といった意味。

グラハム家の祖母・エレンが亡くなり、エレンは娘のアニー(トニ・コレット)に手紙を遺している。そこには「失ったものに対して絶望しないで。最後にはきっとその価値が分かるから。」といったことが書かれている。エレンはアニーたち家族に何を遺していったのか?
海外の映画祭などでは批評家のウケがとてもよく、一方で一般の映画ファンから意外と不評という作品。ホラー映画をつぶさに追っているわけではないので批評家の評価がどの辺りにあるのかはよくわからなかったけれど、怖い作品だったとは言える。何か怖いかと言えば、“顔”ということになるだろうか。
予告編でも存在感を出しているチャーリー役のミリー・シャピロの不気味さに底知れぬ怖さを感じていたのだけれど、それは前座でしかなく、それ以上に怖い存在がアニーであり、アニーを演じたトニ・コレットの顔芸が本作の見どころとも言えるかもしれない。

アニーの職業はドールハウス作りであり、彼女は自分の家で起きた出来事を作品にしている。なぜそんなことをしているのかと言えば、アニーの家では信じられないような悲惨な出来事が頻発していて、母親エレンは解離性障害で兄は自殺していたりもする。そんな状況だからアニーも夢遊病になったりして、グループセラピーのようなものに顔を出して精神的苦痛をケアしようとしている。
つまり、ドールハウス作りはアニーにとって箱庭療法的なセラピーの意味も持つらしい。そうでなければ劇中で起きた衝撃的な出来事まで細かく再現しようとするわけもないからだ。しかし、そのドールハウスを壊してしまったことで、アニーはさらに精神的に追い込まれていくことになる。
冒頭のシーンでは、ドールハウスの部屋がそのまま映画のなかの長男ピーター(アレックス・ウルフ)の部屋のシーンにつながっていく。ドールハウスはアニーのコントロール下にあるけれど、実際のハロルド家はさらに大きな何かに操られてもいる。それが祖母エレンが崇拝するペイモンという悪魔の力ということなのだろう。
ちなみに『ヘレディタリー/継承』は、『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)あたりの“家族もの”が重要な要素となっているようだ(公式サイトにはいくつかの映画の名前が挙がっている)。確かにアニーとピーターの諍い、それを見守る父親(ガブリエル・バーン)、そんな関係性はよく似ているし、食卓での言い争いは壮絶なものがあった。しかし、それは長く続かない。それに代わり超常現象が頻発するようになり、アニーが壁を這っていったりするうちに家族関係のことはすっかりどこかへ行ってしまったように感じられた。
“家族もの”が深く見つめるはずのトラウマの部分を、本作ではすべてエレンが残した呪いという一事で解決してしまうようでもあった。衝撃的な事故のときのピーターの現実逃避的振る舞いも、アニーの精神崩壊とその回復も、すべてはペイモンの仕業ということで済ませられるからだ。家族の不和という題材とオカルトという組み合わせは風変わりで、新味があるのと同時に慣れ親しんだものとは違ってちょっと戸惑ったというのが正直なところだろうか。
ラストはおどろおどろしいけれど、エンドロールのジョニ・ミッチェルの曲「青春の光と影」(歌はジュディ・コリンズ)は妙に明るい。多分、呪いをかけたエレンの立場からすれば、このラストは素晴らしく価値のあることなんだろうと思う(歌詞も意味ありげ)。そこがかえって不気味でもあった。
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