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『追想』 甘美な後悔?

 原作はイアン・マキューアンの小説「On Chesil Beach」で、脚本もイアン・マキューアン自身が担当している。
 監督はテレビなどで活躍しているというドミニク・クック
 主役はイアン・マキューアンの『つぐない』でアカデミー助演女優賞にノミネートされて有名になったシアーシャ・ローナン

ドミニク・クック 『追想』 新婦フローレンス(シアーシャ・ローナン)は初夜にも関わらずどこか浮かない表情を浮かべている。

 この作品の原題は「On Chesil Beach」だが、日本で翻訳された小説のタイトルは『初夜』となっている。チェジル・ビーチという風光明媚な場所で初夜を迎える新婚夫婦の物語ということになる。
 大方の新婚夫婦にとっては初夜というのは幸福の絶頂のようなものなんじゃなかろうかと推測するのだけれど、この作品の主人公である新婦フローレンス(シアーシャ・ローナン)にとってはそうではないらしい。新郎のエドワード(ビリー・ハウル)がそわそわしている風なのは、その夜のことに期待をしながらもそれをどのように進めていったらいいかわからないといった他愛ない心配だが、フローレンスのほうはもっと深刻なようで、新郎に見せる笑顔の合間に眉にしわを寄せて考え込んしまう瞬間がある。
 そして、この映画のタイトルが『追想』となっているのは、初夜を迎えたふたりの過去が回想シーンとして挟み込まれていくからだろう。回想シーンは観客に対して「ふたりのなれそめ」や「人となり」を示すために必要なものだけれど、それ以上にふたりの初夜はぐずぐずしていて遅々として進まない。というのもフローレンスのほうはベッドに行くことを先延ばしにしようとしているようでもあるのだ。それは一体なぜなのか?

 ※ 以下、ネタバレもあり! 結末にも触れているので要注意!!

『追想』 フローレンス(シアーシャ・ローナン)とエドワード(ビリー・ハウル)のふたり。回想シーンで描かれるふたりは幸福感に満ちている。エドワードの母親とフローレンスのエピソードは、フローレンスが得難い女性だということを示していたのだが……。

◆ふたりの初夜の顛末とその後
 結末から言ってしまえば、ふたりの初めてのセックスは大失敗に終わり、ふたりは結婚してわずか半日も経たずに別れることになってしまう。フローレンスには幼少期に父親との間で何らかの性的虐待めいたことがあったことを仄めかす描写もあり、彼女はセックスというものに対して嫌悪感を抱いていたのだ。だから初夜の営みにおいてそれを隠し通すことが出来ず、エドワードを置いたままベッドから逃げ出してしまったのだ。エドワードはそのことを許すことができず、チェジル・ビーチでの長い長い対話(というか言い争い)を経て、ふたりは決裂することになる。
 多分、公平に見れば、どちらにも非があるということになる。フローレンスは自分の性に対する嫌悪感をあらかじめ相手に知らせておくべきだっただろうし、エドワードはたった1回の失敗で相手を拒否するのではなく、もっと時間をかけて相手と向き合うべきだっただろう。
 しかしエドワードがそのことを理解するのは後になってからで、『追想』はその後の話へと移っていく(ここからはエドワードだけの視点となる)。エドワードはフローレンスと別れて別の人生を歩むことになるけれど、折に触れてフローレンスのことを知る機会がある。エドワードはその後のフローレンスを知ることで、自分のあの時の行動が間違っていたことを痛感することになる。セックスに対する嫌悪感を示したフローレンスだが、その後には子宝にも恵まれ、夢だったバイオリニストとしての成功も勝ち取っているのだ。
 そして、最後には老境にあるエドワードはフローレンスの最後のステージへと駆けつけ、かつて約束していたように観客席の真ん中に陣取って「ブラボー」という声をあげることになる。

◆甘美な後悔?
 このときのエドワードの表情にはどこか甘美なものがある。さらに、映画のラストでは初夜の日のふたりの別れのシーンが追想されることになる。ここではチェジル・ビーチでのふたりの別れがロングショットで捉えられていくのだけれど、ゆっくりと歩き去ろうとするフローレンスに対して、エドワードはただじっとしたまま動かない。そしてフローレンスはスクリーンの外へと消えていく。あの時、エドワードはフローレンスを止めるべきだった。それによってすべてが変わったのかもしれないのだ。
 このラストシーンはエドワードにとって後悔以外の何ものでもないはずだ。それでもその別れのシーンがエドワードの甘美な表情と共に追想されるのはなぜなのか?
 エドワードの心のなかを慮れば、こんなことが言えるかもしれない。もしあの時フローレンスを呼び止めてさえいれば、成功を手にしたフローレンスの傍にいるのはエドワードであり、フローレンスに支えられることで彼自身もさらに充実した人生を歩んでいたかもしれない。
 これはもちろん夢想にすぎないのだけれど、エドワードはフローレンスに向かって拍手を贈りながら、そんな夢想すら抱いているようにも感じられるのだ。だからこそ後悔そのものの瞬間であると同時に甘美なものでもあるラストとなったのだ。
 たとえフローレンスを呼び止めたとしても、フローレンスのセックスに対する嫌悪感はすぐに消えるわけではなく、短気なところのあるエドワードは再び同じ失敗を繰り返すことになるだけだったのかもしれないのに……。ただ、現実ではエドワードはフローレンスを呼び止めることはなかった。しかし、そのやらなかったことに別の可能性が残っていたかのように錯覚することで、エドワードは自己憐憫と共に甘美な思いに浸ることもできるのだ。

 ちなみに映画を観た後に原作『初夜』のほうも読んでみたのだけれど、原作のほうにはエドワードがフローレンスの最後のステージへ駆けつける場面はない。老境のエドワードは過去を追想するなかで、「なにもしないことによって、人生の流れがすっかり変わってしまうことがあるということである」と幾分冷静に分析している。ここにあるのはほとんど後悔ばかりということになるわけだけれど、原作者で映画版の脚本も書いたイアン・マーキュアンは、映画には別のラストを用意していたということになる。それが映画で描かれたような“甘美な後悔”とでもいうようなラストだったんじゃないだろうか。

 最後に付け足しておくと、初夜の日の時代設定は1962年となっていて、その後に物語は一気に10年後まで飛ぶ。62年のChuck Berryに対して、10年後のT. Rexで一気に時代が変わった印象を演出している。
 エドワードの服装も62年ではツイードのジャケットなんかを着ていたのに、10年後には髪も伸びてヒッピー風になっている。「性の解放」なんかが叫ばれたのは60年代末だったということらしく、それ以前はイギリスでも保守的な若者が多かったということらしい。フローレンスが何も言い出せずに初夜を迎えてしまったのには、性に関する話題もあまり氾濫していなかったような時代背景もあったということなのだ。

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Date: 2018.08.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

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>>「追想」:苦しき場面が多かりき from 大江戸時夫の東京温度
映画『追想』は、昔のハリウッド映画にも'75年のロベール・アンリコ監督作品にも使 >READ

2018.08.28

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