『サバービコン 仮面を被った街』 輝かしかったあの時代……
脚本に名前を連ねているのは、コーエン兄弟とジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴの4人。
原題は「Suburbicon」で、「Suburb(郊外)」から派生した造語っぽい。

時代は1950年代。閑静な郊外の街“サバービコン”。そこに住むロッジ家の平穏な日々は、突然の強盗事件によって一変する。足の不自由なローズ(ジュリアン・ムーア)が殺されてしまうのだ。ローズの夫であり一家の主であるガードナー(マット・デイモン)は、遺された息子ニッキー(ノア・ジュープ)を心配し、ローズの姉マーガレット(ジュリアン・ムーアの二役)に母親代わりを頼むことに……。
この作品の主な筋は上記のようにまとめられるもので、絵に描いたような幸せの風景が、ひとつの事件をきっかけにして悪い方向へと転がっていくあたりは、『ファーゴ』を思わせるブラック・コメディっぽい。
ただ、この作品にはもうひとつの筋がある。それが“サバービコン”に引っ越してきたマイヤーズ一家のエピソードだ。それまで白人だけしか住むことのできなかった“サバービコン”に、黒人の一家が現れたから周囲の人々は騒然となる。そしてマイヤーズ家の周囲に壁を建て、騒音による嫌がらせで立ち退きを迫るようになっていく。

公式ホームページによれば、マイヤーズ一家のエピソードは実話に基づいている。ペンシルベニア州レヴィットタウンで起きた事件がそれで、『Crisis in Levittown』というドキュメンタリー作品もあるらしい。ジョージ・クルーニーと共同脚本のグラント・ヘスロヴがその事件の映画化を検討している際、コーエン兄弟が書いたままお蔵入りとなっていた『Suburbicon』の脚本を思い出し、それらを組み合わせて出来上がったものが『サバービコン 仮面を被った街』らしい。
この作品の評判がよくないのは、ふたつの筋が全然交わることもなく進行していくという部分にあるようだ。冒頭はマイヤーズ一家の引越し風景から始まり、夜になるとその周囲には物見高い人々が監視を始めている。しかし、主な物語はそれとは関係のない、隣のロッジ家でひっそりと進行していく。マイヤーズ一家に対する立ち退き要求が暴動となり、焼き討ちのような酷いあり様となっている頃、ロッジ家ではまったく関係ない別の騒動が展開している。
こんなふうにわざわざ別のものを組み合わせた意図を考えると、悪意を感じなくもない。それはロッジ家で起きた災難すらも、マイヤーズたち黒人が“サバービコン”にやってきたから生じたこと違いないという思い込みだ(周囲の人も黒人たちが現れ、かつての輝かしい時代は失われたのだと勝手に信じ込んでいる)。ふたつの出来事に因果関係などありはしないわけだけれど、人はどうしても犯人探しや原因追及をしなければ気が済まないのだ。誰かが悪者にならなければ事が済まないとき、ターゲットとされるのはマイノリティである黒人だったということなのだろう。
ただ、その仄めかし方があまりうまくいっているとは言えない部分は確かにあるのかもしれない。そう言えば、ニッキーにマイヤーズ一家の一人息子と遊んでくることを推奨したのは、ローズではなくマーガレットのほうだった(もしかしたら記憶違いかも)。ロッジ家の騒動を裏で操っているのはマーガレットであったはずで、その後のロッジ家の趨勢を決めたのは、黒人と付き合うようなタチの悪いことをしたからということが仄めかされているのだろうか。それからロッジ家がユダヤ系であることが仄めかされる(ガードナーは聖公会だと否定するのだが)のも意味ありげにも思えるのだけれど、そのあたりの事情に疎いのでよくわからず……。
騒動の最中、逃げ回るニッキーの目線でベッドの下から足元だけで格闘シーンを描くあたりとか、その後の「背中に突き刺さるナイフ」や「毒の入ったミルク」などヒッチコックを思わせる演出はなかなか楽しめた。
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