『娼年』 松坂桃李、売ってるってよ
原作は石田衣良の同名小説。
監督は『愛の渦』『何者』などの三浦大輔。

大学生のリョウ(松坂桃李)はアルバイト先のバーである女性と出会う。御堂静香(真飛聖)と名乗るその女性に誘われるがまま自宅に赴くと、彼女の娘・咲良(冨手麻妙)を抱くように言われ……。
口のきけない娘のために男を買うセレブ母なのかと思っていると、実は御堂は秘密の会員制ボーイズクラブ「パッション」のオーナー。娘とのセックスは情熱を測るためのテストだという。テストに合格したリョウは男娼として働くこととなる。
“着衣時間はわずか18分半”などと謳った『愛の渦』以上に、『娼年』のセックスシーンは生々しい。男娼の仕事を描く作品ということで、やっていることはアダルトビデオのそれと変わりないのだ。そして、見どころとなるのは女優陣のあられもない姿よりも、主役松坂桃李のおしりと激しい腰使いである。
とはいえ、あからさまなセックスが描かれるのは、それを通してしか描けない関係性を描くという意図があるのだろう(好意的に解釈すればだけれど)。「セックスなんて手順の決まった面倒な運動」だと澄ましていたリョウが、男娼として様々な女性と会ううちに成長していく。

リョウは一流大学に籍は置きつつも学業など意味がないと無気力で、そうした態度は女に対しても同様で、朝まで一緒にいた女性に対しても素っ気ない。そんなリョウが心変わりしたかのように男娼の仕事にのめり込む理由は、後半になって明らかにされる。
リョウには幼くして亡くなった母親がいて、リョウはその母親と御堂のことを重ねている。つまりはマザコンなのだ。リョウのなかには未だに帰ってこない母親を待ち続ける“少年”の気持ちが残っていて、それゆえにタイトルは“娼年”ということになる。
この作品では違法な売春も後暗い印象では描かれてはいないし、女性たちの様々な欲望も肯定的に捉えられている。たとえば、好きな男の子の前でおもらししたのが一番のエクスタシーだったイツキ(馬渕英里何)はリョウの前の放尿することで再びエクスタシーを感じることになり、泉川夫妻(西岡徳馬と佐々木心音)は自分たちで創作した物語にリョウに加わってもらうことで、よりエキサイティングなセックスを楽しむ。客たちがリョウと過ごす時間は欲求不満の解消というだけではなく、精神的にはカウンセリングのような効果をもたらすのだ。
原作は小説であり、その後に舞台作品(これも松坂桃李主演)となり、今回映画化されたもの。小説ではもっと内面が探求されることになるのだろうが、舞台や映画ではおのずと違うものとなるだろう。役者陣が目の前で裸になって演じる舞台というのは、観客としても気恥ずかしいんじゃなかろうかと思うのだが、この映画版はどうだったのかと言えば、男と女(あるいは男と男)が必至になってセックスに励む姿はどこか滑稽なものに感じられた。交わる当人たちの感覚はどうであれ、それを客観的に眺めることになる観客としては、彼(彼女)らの欲望に対する情熱が凄すぎて笑ってしまうのだ。上品な老女(江波杏子)がリョウとのセックスのために、バッグにローションまで忍ばせてくるというあたりにいじらしさを感じる。
松坂桃李はセックス依存症の外科医という役柄でおしりも丸出しにしていた『エイプリルフールズ』あたりで方向転換したのか、『彼女がその名を知らない鳥たち』でもえげつない役柄を楽しそうに演じていた。この作品の体当たりのセックスシーンに劇場に足を運んだ多くの女性ファンがどう思ったのかはわからないけれど、最近の松坂桃李は作品の選び方がおもしろい。




松坂桃李の作品

三浦大輔の作品
監督は『愛の渦』『何者』などの三浦大輔。

大学生のリョウ(松坂桃李)はアルバイト先のバーである女性と出会う。御堂静香(真飛聖)と名乗るその女性に誘われるがまま自宅に赴くと、彼女の娘・咲良(冨手麻妙)を抱くように言われ……。
口のきけない娘のために男を買うセレブ母なのかと思っていると、実は御堂は秘密の会員制ボーイズクラブ「パッション」のオーナー。娘とのセックスは情熱を測るためのテストだという。テストに合格したリョウは男娼として働くこととなる。
“着衣時間はわずか18分半”などと謳った『愛の渦』以上に、『娼年』のセックスシーンは生々しい。男娼の仕事を描く作品ということで、やっていることはアダルトビデオのそれと変わりないのだ。そして、見どころとなるのは女優陣のあられもない姿よりも、主役松坂桃李のおしりと激しい腰使いである。
とはいえ、あからさまなセックスが描かれるのは、それを通してしか描けない関係性を描くという意図があるのだろう(好意的に解釈すればだけれど)。「セックスなんて手順の決まった面倒な運動」だと澄ましていたリョウが、男娼として様々な女性と会ううちに成長していく。

リョウは一流大学に籍は置きつつも学業など意味がないと無気力で、そうした態度は女に対しても同様で、朝まで一緒にいた女性に対しても素っ気ない。そんなリョウが心変わりしたかのように男娼の仕事にのめり込む理由は、後半になって明らかにされる。
リョウには幼くして亡くなった母親がいて、リョウはその母親と御堂のことを重ねている。つまりはマザコンなのだ。リョウのなかには未だに帰ってこない母親を待ち続ける“少年”の気持ちが残っていて、それゆえにタイトルは“娼年”ということになる。
この作品では違法な売春も後暗い印象では描かれてはいないし、女性たちの様々な欲望も肯定的に捉えられている。たとえば、好きな男の子の前でおもらししたのが一番のエクスタシーだったイツキ(馬渕英里何)はリョウの前の放尿することで再びエクスタシーを感じることになり、泉川夫妻(西岡徳馬と佐々木心音)は自分たちで創作した物語にリョウに加わってもらうことで、よりエキサイティングなセックスを楽しむ。客たちがリョウと過ごす時間は欲求不満の解消というだけではなく、精神的にはカウンセリングのような効果をもたらすのだ。
原作は小説であり、その後に舞台作品(これも松坂桃李主演)となり、今回映画化されたもの。小説ではもっと内面が探求されることになるのだろうが、舞台や映画ではおのずと違うものとなるだろう。役者陣が目の前で裸になって演じる舞台というのは、観客としても気恥ずかしいんじゃなかろうかと思うのだが、この映画版はどうだったのかと言えば、男と女(あるいは男と男)が必至になってセックスに励む姿はどこか滑稽なものに感じられた。交わる当人たちの感覚はどうであれ、それを客観的に眺めることになる観客としては、彼(彼女)らの欲望に対する情熱が凄すぎて笑ってしまうのだ。上品な老女(江波杏子)がリョウとのセックスのために、バッグにローションまで忍ばせてくるというあたりにいじらしさを感じる。
松坂桃李はセックス依存症の外科医という役柄でおしりも丸出しにしていた『エイプリルフールズ』あたりで方向転換したのか、『彼女がその名を知らない鳥たち』でもえげつない役柄を楽しそうに演じていた。この作品の体当たりのセックスシーンに劇場に足を運んだ多くの女性ファンがどう思ったのかはわからないけれど、最近の松坂桃李は作品の選び方がおもしろい。
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松坂桃李の作品

三浦大輔の作品

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