『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 専守防衛という闘い方?
監督は『ルーパー』のライアン・ジョンソン。
レジスタンスのレイア将軍を演じるキャリー・フィッシャーにとっては遺作となった作品。

前作で敵のスターキラー基地(新型デス・スター)を破壊したレジスタンスだが、まだ敵のファースト・オーダーに追われている。ワープで逃げたはずなのになぜかすぐに敵も跡を追ってきて、逃げ場はなくなってしまう。一方、ルークに会いに行ったレイだが、ルークはフォースの強大な力を恐れ、それをレイに教えることを拒むのだが……。
エピソード4からエピソード6の主人公であるルーク・スカイウォーカーが完全復活。ルークを演じるマーク・ハミルは本当に久しぶりだけれどとても元気そう。『スター・ウォーズ』という作品そのものは大成功だったけれど、主役マーク・ハミルはほかの作品には恵まれなかったためにルークそのものとすら感じられる(ハン・ソロ役のハリソン・フォードが大スターとなって様々なところで出くわすのと対照的に)。そんなルーク=マーク・ハミルが大活躍。様々キャラが入り乱れる群像劇のなかで主役と言ってもいい存在感を示していた。
シリーズのほかの作品よりもユーモアに溢れているのが特徴的で、敵のハックス将軍(ドーナル・グリーソン)のヘタレキャラを筆頭にところどころに笑いを盛り込んでいる。ルークの絶海の孤島での日常生活も垣間見られて、アザラシ的な動物からミルクをもらい、断崖絶壁での漁もおもしろい場面だった。
フォースの能力はこれまで作品とはだいぶ趣きを変えている。レイ(デイジー・リドリー)とカイロ・レン(アダム・ドライヴァー)は『機動戦士ガンダム』のニュータイプのように意識を通じ合ってしまうし、一番びっくりだったのは宇宙空間に投げ出されたレイア将軍がフォースによって船に帰還して死を免れたこと。ルークによるフォース講座もあって、それによればフォースはジェダイ個人の力ではなく、万物に宿るエネルギーのようなものであり、それをジェダイが操るということになるらしい。今までになかった考えのような気もする。
見どころはレイとカイロ・レンが共闘しスノークとその部下たちと大立ち回り演じる場面だろうか。それからルークとレンの師弟対決も大満足だった(塩の惑星という闘いの舞台も素晴らしい)。何の情報も知らずに観たので上映時間すら知らなかったのだけれど、152分の長尺だったらしい。そんなことはまったく気にならないほど楽しめた。全シリーズ中でも3本の指に入るおもしろさなんじゃないかと思う(ほかの2本はエピソード4と5)。
※ 以下、ネタバレもあり! 余計な情報を知りたくない人は要注意!!

◆レジスタンスとルークの闘い方
最後のルークの術はこけおどしとも感じられるし、禁じ手のようなものだろう。岩の上で空中浮揚しながら念を送るという姿は、どこかのカルト教団のグルを思わせなくもない。しかしこの作品が訴えているテーマを考えれば必然的な闘い方だったのだろうとも思える。
ルークはフォースの強大な力を恐れ、自分がひっそりと死んでいくことでその力を終わらせようとしていた。しかしダークサイドと対抗するためにレイが修行を必要としていることを知り、信念を曲げてレイに修行をつけることになる。
大きな力はそれを使う人によっていかようにでも変わる。宇宙を滅ぼす破壊の力となるかもしれないし、人々を助け幸福をもたらすための力となるのかもしれない。そうした力の使い方がこの作品の主題となっているのだ。
新キャラとして登場したDJ(ベニチオ・デル・トロ)の存在は、力は使い方次第で善にでも悪にでもなることをよく示している。DJは暗号解読のプロで、最初はレジスタンスを助ける側として登場するが、途中で敵側に寝返る。というよりもDJは金になるためならなんだってするのだ。彼が言うように武器商人は敵側にも武器を売るが、正義を謳うレジスタンスにも武器を売る。武器商人もDJもそれだけでは悪くはないのかもしれないのだが、つまり問題になるのは力は使い方なのだ。

作品冒頭の闘いで成果を挙げたものの特攻精神によって味方に多大な犠牲を出すことにもなったポー(オスカー・アイザック)は、レイアに降格させられる。ポーが戒められるのは、彼のような特攻精神が自殺行為に近いからでもあるし、敵を倒すための闘いだったからだ(特攻精神の否定は全員が闘いのなかで死んでいった『ローグ・ワン』の罪滅ぼしでもあるのかも……)。
レジスタンス側の闘い方は味方を助けるためのものだというのが、レイアやその跡を受け継いだホルド中将(ローラ・ダーン)の考えなのだ。さらには加えれば塩の惑星ではフィン(ジョン・ボイエガ)が無茶な攻撃を仕掛けると、相棒ローズ(ケリー・マリー・トラン)によって救われる。無謀な男どもを戒める3人の女性たちが語るのは、レジスタンスの闘いは味方を助けるためにするものだということなのだ。
ルークは多分レイアたち女性陣と同様の答えに独自のルートでたどり着いたのだろう。カイロ・レンとの闘いの前にルークは彼に向かって、「怒りで私を殺しても、お前の心の中に残る」と告げる。レンは父親のハン・ソロを殺したが、それによって相手は消えるわけではなく、さらなる呪縛をもたらすことになったからだ。そうしたことをルークは悟ったからこそ、あの闘い方は必然的に導かれるものなのだ。カイロ・レンを殺すために来たと言いながら、幻影によってカイロ・レンと敵側を撹乱することでレジスタンスが逃げる余裕を与えたわけで、ここでも闘いは味方を助けるためにあるのだ。

◆レイの正体
前作からファンの関心を集めたネタとしては、レイの出自ということがあるだろう。私も前作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のレビューの際にスカイウォーカーにつながる人物でなければこの物語の主役にはなれないと考え、ルークの娘なんじゃないかと勝手なことを推測していたのだが、大きな間違いだったようだ。
レイは前作と同様にどこの馬の骨ともわからない存在なのだ。カイロ・レン曰く、レイの両親は飲み代ほしさにレイを金に替えただけ。つまりレイは血統としてはまったくスター・ウォーズ正史の正統にはほど遠い人間なのだ。しかしそんなレイですらフォースを操ることは可能なのだ。ラストではレジスタンスの物語を語り継いでいた辺境の星の少年がフォースを身につけていたことが示される。フォースは努力次第で獲得可能なものだということなのだろう。
もともとジョージ・ルーカスがこのサーガを構想したとき、それは最初から9部作だったらしい。実際に今こうして8作目『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が作られてみると、今現在の世界情勢が反映されているようにも感じられる(もともとの構想はどんなものだったのだろうか)。今回のエピソード8は武器(力)とそれを使う人の問題を主題としていて、そこに今の現実世界を読み込むこともできるからだ。
前作のデス・スターの破壊の描写を見ていると核兵器を思わせなくもない(というよりもデス・スターは惑星すら破壊してしまうのだからそれ以上のもの)。そしてデス・スターを操るのはダークサイドに堕ちた者たちだった。フォースは使い方を誤ればとんでもないことになる。ルークが恐れたのはそこで、だからこそカイロ・レンを殺そうとまでしたのだった。
フォースは特別な人間に宿るものではないことがこの作品で示されたように、核兵器だって(誰にでも持てるものではなくとも)持とうという意志があれば持つことができる。力は使い方次第でいかにようにもなるわけで、危なっかしい人物がその力を保有することになれば、この惑星すら危機に陥れることにもなりかねない。そうした危惧がこの作品の根底にあるものということだろう。
これで外伝を除けば残すところはあと1エピソードということになるわけで、どんなラストを迎えることになるのだろうか。流れからするとカイロ・レンがライトサイドの側に戻ってきて大団円ということのような気もするのだけれど、今回も色々と予想を裏切ってきたわけで悲劇的な展開を見せたりもするのかもしれない。何だかんだで次も楽しみにして待ちたいと思う。
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『スター・ウォーズ』シリーズ諸作品

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