映画『朱花の月』 と 小説『逢はなくもあやし』
『朱花の月』は、先月DVDが発売された河瀬直美監督の映画。『逢はなくもあやし』は、その原案とされている坂東眞砂子の小説。
原案というからには小説が先にあったのかと思いきや、小説のあとがきには映画がきっかけと記されている。共通点も多いが、物語も登場人物も別のものとなっている。奈良という土地を舞台にし、それをバックにして詠まれたいくつかの和歌からインスピレーションを得て、小説家あるいは映画監督としての想像力を働かせて作品を生み出している。
◆『逢はなくもあやし』
旅に出たまま戻ってこなかった恋人・篤志を探しに奈良・橿原を訪れた香乃は、そこで彼の母親から篤志がすでに亡くなっていたことを告げられる。恋人の死を受け入れられない香乃は、未だ発掘作業が続いている藤原京の跡地で、亡き夫・天武天皇の復活を待ち続けた女帝・持統天皇の話を聞く。
この歌は万葉集にある持統天皇の歌だ。一般的には「人の魂も、火のように袋に入れることができるだろうに、夫に逢えないのはどういうことだろう」という意味だと登場人物によって語られる。
香乃は持統天皇の「待つ」姿に、恋人に「待ってろよ」と言われたまま逢えなくなってしまった自分の姿を重ね合わせる。愛した人が生き返るのを待ち続けた持統天皇を、香乃は「おとなしくて、ひたむきな女の人」とイメージするが、そのイメージは次第に変化し、それとともに香乃の気持ちも変わっていく。
天武と持統は初めて夫婦で合葬された天皇だというが、その埋葬のされ方は異なる。天武天皇は風葬で、持統天皇は火葬なのだ。天武天皇には持統天皇という正室のほかに何人もの側室がいた。「夜の閨 で、独り虚しく、夫の訪れを待つ朕( の胸の内」を思い知らせるために、持統天皇は自らの屍を火葬にして、魂は夫の側ではなく、煙と一緒に広い空に飛んでいくことを願ったのではないか。香乃は持統天皇の気持ちをそんなふうに想像する。
恋人の「待っていろよ」という言葉の真意は、その後送られてきたバリ島の結婚衣装で明らかになるのだが、香乃はその衣装を燃やしてしまう。持統天皇を通して「待つ」ことを見つめ直し、死んだ篤志を「待つ」ことはできないと自らを納得させることができるようになったのだ。香乃は愛していた恋人とのけじめをつけ、前向きに新しい恋人との生活を始めるために奈良を離れる。

◆『朱花( の月』
『朱花の月』では大和三山の現在の姿を背景にして、『逢はなくもあやし』でも引用されていた次の歌が示される。
ここに歌われているのは奈良県・飛鳥地方にある大和三山(香具山、畝傍山、耳梨山)だが、作者の天智天皇がその弟(後の天武天皇)と額田王を争いあったことがなぞらえられている。(*1)藤原京を中心にして、その周りを囲むように互いに距離をとって位置している3つの山が、そこで生を営む人間の三角関係と重ね合わせられる。
山が擬人化されるのは不思議な気がするが、古代にはごく一般的なものだったようだ。奈良・吉野川にある妹背山などは和歌にもよく詠まれてきた。歌舞伎あるいは人形浄瑠璃の『妹背山婦女庭訓( 』が有名だが、川に隔てられたふたつの山(妹山と背山)が引き離された夫婦になぞらえられるのだ。
『朱花の月』では、冒頭の歌のように三角関係が描かれる。『逢はなくもあやし』で中心となった「待つ」という主題も提示されるが、河瀬監督はその歌のイメージから別のテーマを読み取っているようだ。
主人公・加夜子には長年一緒に暮らしてきた相手(哲也)がいるが、かつての同級生・拓未とも関係を持っている。(*2)ある日、加夜子に拓未との子供ができたことで、三人の関係も変わっていく。
この映画では加夜子と拓未のふたりは、かつての縁が深かったゆえに、今生で結ばれたと描かれる。かつての縁とは、それぞれの祖父・祖母の話だ。その祖先の生き写しである現代のふたりが、祖先の時代には戦争などもあって結ばれなかった縁を再び手繰り寄せる。そして、その縁は冒頭の和歌にも歌われた古代にも重ね合わせられているのだ。
最後には「待つ」ばかりで何の行動もしなかった拓未が、祖父の亡霊とともに広大な藤原京跡地を歩いてゆく。そして石棺からは古代人が蘇って陽の光を浴びようとしている……。
冒頭の和歌が詠まれたのは万葉集の時代だ。そのころから既に古から女を争ってきたと歌われている。古代も戦時中も現代も関係なく、また主人公である加夜子と拓未のような個人としての存在だけでもなく、奈良という古都を舞台に今まで連綿と続いてきた人の営みそのものを思わせるのだ。
ドキュメンタリー映画から出発した河瀬直美の方法論は、詳細な脚本は決めずに大まかなプロットだけを示し、あとは役者から出てくる自然な即興に委ねる。そうしたリアリティの追求は、日常的な場面において活きてくる。演じる役者も些細な日常にはすんなり入っていけるだろう。山の緑が印象的だった『萌の朱雀』は、素朴な生活を描いていて、観ていてとても心地よかった。しかし日常とは異なる“できごと”、ある種の事件を描こうとすると落差が大きい。事件を描こうとした途端にぎこちなくなり、観ている側すら恥ずかしい気になってくる作品もあった。
しかし『朱花の月』では、役者の演出などはドキュメンタリー的な手法を維持しながらも、劇映画的な手法も施している。これはこの映画が日常的な場面のみに終始せず、古代人の復活などを描く必要性から来ているのだと思われる。引用される和歌はささやくようにボイスオーバーで繰り返され、弦楽器の音色が印象的な劇中音楽や、地の底から響くような死者のうめき声も作品の雰囲気を醸し出している。そうした手法のおかげか、『朱花の月』では日常以外の“できごと”にもあまり落差を感じずに観ることができた。
山の端にかかる幻想的な月に象徴的だが、奈良の自然のなかで人がごく自然に生きていく姿は美しい。しかし、従順でおとなしい印象の加夜子ですら血のような朱色で染物をするように、人の過剰な何かが頭をもたげてくると妙なことになる。惚れた腫れたとかはともかく、自殺に走ったり、堕胎を試みてみたり、その試みを打ち明けて脅してみたりというすったもんだは、長久の自然に比べてあまりに哀れな人の姿とも思える。
(*1) 天武天皇は持統天皇以外にも多くのロマンスがあり、それが『逢はなくもあやし』では、主人公の香乃をして持統天皇の恨み節を想像させた。
(*2) 哲也を演じているのが明川哲也。かつてドリアン助川の名前でテレビでも見かけた。恋人・加夜子の気も知らずに、うさんくさい講釈を垂れ流す雰囲気がよく合っていた。
河瀬直美の作品
原案というからには小説が先にあったのかと思いきや、小説のあとがきには映画がきっかけと記されている。共通点も多いが、物語も登場人物も別のものとなっている。奈良という土地を舞台にし、それをバックにして詠まれたいくつかの和歌からインスピレーションを得て、小説家あるいは映画監督としての想像力を働かせて作品を生み出している。
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旅に出たまま戻ってこなかった恋人・篤志を探しに奈良・橿原を訪れた香乃は、そこで彼の母親から篤志がすでに亡くなっていたことを告げられる。恋人の死を受け入れられない香乃は、未だ発掘作業が続いている藤原京の跡地で、亡き夫・天武天皇の復活を待ち続けた女帝・持統天皇の話を聞く。
燃ゆる日も取りて包みて
袋には入ると言はずや
逢はなくもあやし
この歌は万葉集にある持統天皇の歌だ。一般的には「人の魂も、火のように袋に入れることができるだろうに、夫に逢えないのはどういうことだろう」という意味だと登場人物によって語られる。
香乃は持統天皇の「待つ」姿に、恋人に「待ってろよ」と言われたまま逢えなくなってしまった自分の姿を重ね合わせる。愛した人が生き返るのを待ち続けた持統天皇を、香乃は「おとなしくて、ひたむきな女の人」とイメージするが、そのイメージは次第に変化し、それとともに香乃の気持ちも変わっていく。
天武と持統は初めて夫婦で合葬された天皇だというが、その埋葬のされ方は異なる。天武天皇は風葬で、持統天皇は火葬なのだ。天武天皇には持統天皇という正室のほかに何人もの側室がいた。「夜の
恋人の「待っていろよ」という言葉の真意は、その後送られてきたバリ島の結婚衣装で明らかになるのだが、香乃はその衣装を燃やしてしまう。持統天皇を通して「待つ」ことを見つめ直し、死んだ篤志を「待つ」ことはできないと自らを納得させることができるようになったのだ。香乃は愛していた恋人とのけじめをつけ、前向きに新しい恋人との生活を始めるために奈良を離れる。

◆『
『朱花の月』では大和三山の現在の姿を背景にして、『逢はなくもあやし』でも引用されていた次の歌が示される。
香具山 は( 畝傍 を惜しと( 耳梨 と 相争ひき(
(香具山は畝傍山が愛おしい 奪われたくはない故に耳梨山と争うのだ)
神代より かくにあるらし
(神の時代からこうだったのだ)古 も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき(
(今の時代もふたりでひとりの女を奪い争うのだ)
ここに歌われているのは奈良県・飛鳥地方にある大和三山(香具山、畝傍山、耳梨山)だが、作者の天智天皇がその弟(後の天武天皇)と額田王を争いあったことがなぞらえられている。(*1)藤原京を中心にして、その周りを囲むように互いに距離をとって位置している3つの山が、そこで生を営む人間の三角関係と重ね合わせられる。
山が擬人化されるのは不思議な気がするが、古代にはごく一般的なものだったようだ。奈良・吉野川にある妹背山などは和歌にもよく詠まれてきた。歌舞伎あるいは人形浄瑠璃の『
『朱花の月』では、冒頭の歌のように三角関係が描かれる。『逢はなくもあやし』で中心となった「待つ」という主題も提示されるが、河瀬監督はその歌のイメージから別のテーマを読み取っているようだ。
主人公・加夜子には長年一緒に暮らしてきた相手(哲也)がいるが、かつての同級生・拓未とも関係を持っている。(*2)ある日、加夜子に拓未との子供ができたことで、三人の関係も変わっていく。
この映画では加夜子と拓未のふたりは、かつての縁が深かったゆえに、今生で結ばれたと描かれる。かつての縁とは、それぞれの祖父・祖母の話だ。その祖先の生き写しである現代のふたりが、祖先の時代には戦争などもあって結ばれなかった縁を再び手繰り寄せる。そして、その縁は冒頭の和歌にも歌われた古代にも重ね合わせられているのだ。
最後には「待つ」ばかりで何の行動もしなかった拓未が、祖父の亡霊とともに広大な藤原京跡地を歩いてゆく。そして石棺からは古代人が蘇って陽の光を浴びようとしている……。
冒頭の和歌が詠まれたのは万葉集の時代だ。そのころから既に古から女を争ってきたと歌われている。古代も戦時中も現代も関係なく、また主人公である加夜子と拓未のような個人としての存在だけでもなく、奈良という古都を舞台に今まで連綿と続いてきた人の営みそのものを思わせるのだ。
ドキュメンタリー映画から出発した河瀬直美の方法論は、詳細な脚本は決めずに大まかなプロットだけを示し、あとは役者から出てくる自然な即興に委ねる。そうしたリアリティの追求は、日常的な場面において活きてくる。演じる役者も些細な日常にはすんなり入っていけるだろう。山の緑が印象的だった『萌の朱雀』は、素朴な生活を描いていて、観ていてとても心地よかった。しかし日常とは異なる“できごと”、ある種の事件を描こうとすると落差が大きい。事件を描こうとした途端にぎこちなくなり、観ている側すら恥ずかしい気になってくる作品もあった。
しかし『朱花の月』では、役者の演出などはドキュメンタリー的な手法を維持しながらも、劇映画的な手法も施している。これはこの映画が日常的な場面のみに終始せず、古代人の復活などを描く必要性から来ているのだと思われる。引用される和歌はささやくようにボイスオーバーで繰り返され、弦楽器の音色が印象的な劇中音楽や、地の底から響くような死者のうめき声も作品の雰囲気を醸し出している。そうした手法のおかげか、『朱花の月』では日常以外の“できごと”にもあまり落差を感じずに観ることができた。
山の端にかかる幻想的な月に象徴的だが、奈良の自然のなかで人がごく自然に生きていく姿は美しい。しかし、従順でおとなしい印象の加夜子ですら血のような朱色で染物をするように、人の過剰な何かが頭をもたげてくると妙なことになる。惚れた腫れたとかはともかく、自殺に走ったり、堕胎を試みてみたり、その試みを打ち明けて脅してみたりというすったもんだは、長久の自然に比べてあまりに哀れな人の姿とも思える。
(*1) 天武天皇は持統天皇以外にも多くのロマンスがあり、それが『逢はなくもあやし』では、主人公の香乃をして持統天皇の恨み節を想像させた。
(*2) 哲也を演じているのが明川哲也。かつてドリアン助川の名前でテレビでも見かけた。恋人・加夜子の気も知らずに、うさんくさい講釈を垂れ流す雰囲気がよく合っていた。
河瀬直美の作品

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