『散歩する侵略者』 人類最強の武器は?
原作は前川知大が主宰する劇団イキウメの舞台とのこと。

黒沢清と言えば、その作品の多くが幽霊が出てくるホラーということになるわけだけれど、今回はSFである。幽霊の話は狭い範囲のものになりがちだ。幽霊は誰かを恨みに思ったり、場所に憑いたりはするけれど、生者の世界の転覆までは考えないからだ(『回路』はそれを狙っていたらしい)。それに対してSFであるこの作品は、宇宙人の侵略を描くことになるために、国家が関わったりもしていて派手なアクションもあったりするエンターテインメントになっている(コメディタッチの部分も多い)。
土台となっているのはジャック・フィニイの原作『盗まれた街』を映画化した『SF/ボディ・スナッチャー』あたりのボディ・スナッチものなのだけれど、おもしろいのはその侵略者たる宇宙人が人間から“概念”を収集していること。
たとえば「仕事」という概念を奪われると、奪われた人間は「仕事」という“概念”だけがすっぽりと抜け落ちた人間になってしまう。また「自分」という“概念”を奪われた人間は、「自分」と「他人」といった二分法の考えから解放されることにもなる。“概念”は人間にとって物事を説明するために便利なものであると同時に、それによって縛り付けられて不自由にもなっているということが仄めかされることになる。
※ 以下、ネタバレもあり!

松田龍平はいつも何を考えているんだかよくわからない印象な気もするのだけれど、今回の役柄も宇宙人に乗っ取られた加瀬真治という男。病院で保護された旦那を迎えに来た妻の鳴海(長沢まさみ)は、旦那の様子がおかしいことには気がつくものの、彼の浮気が発覚したばかりということもあって、心配するよりは怒ってばかりいる。
『盗まれた街』では、自分の伴侶が「外見はまったく変わらなくとも中身が別のものになってしまったら」というところに恐怖があったのだけれど、『散歩する侵略者』の加瀬夫婦の場合はちょっと違う。憎むべき中身が変わったから関係性も新たになるのだ。宇宙人に乗っ取られて今はまだ修行中のような新・真治が真っ当に成長してくれれば鳴海は構わないらしい(これも愛の為せる業なのかもしれないが)。
もうひとつの筋では、ジャーナリストの桜井(長谷川博己)が作品冒頭に起きる一家惨殺事件を追う過程でふたりの宇宙人に出会う。ひとりは一家惨殺事件の生き残りである女子高生・立花あきら(恒松祐里)と、彼女を探していた天野(高杉真宙)という青年。こちらではなぜか桜井と宇宙人である天野との間に友情関係のようなものが成立してしまう。
結末は製作に名を連ねている某テレビ局の「愛は地球を救う」のスローガンのように展開していくことになるのだが、そもそも「愛」という“概念”がなぜ宇宙人をやっつけたのか。
宇宙人たちは奪った“概念”を共有していたようでもあるし、個体の「死」というものに恐怖を感じてはいなかったように思う。もしかすると個体差みたいなものは彼らにはないのかもしれない。分裂したひとつが真治であり、天野であり、あきらである。もともとひとつのものだし、分裂しても互いに通じているものがあるから個体の「死」にもあまりこだわりはない。
「愛」の反対は「憎しみ」とか「無関心」だとか言うけれど、どのみち個体差がなければ「愛」も「憎しみ」も「無関心」もない。だから「愛」という“概念”も理解不能だったのかもしれない(だからと言って逃げ帰る必要があるのかはわからないけど)。ただ、真治だけは妻である鳴海と常に一緒に生活していただけに、鳴海という人間から何かを学んで「愛」を感じることができるようになったのかもしれない。
東出昌大はこの作品ではゲスト的な出演だが、牧師姿で「愛」を語るというおいしいところを演じている。ちなみに東出昌大はこの作品のスピンオフドラマ『予兆 散歩する侵略者』のほうにも出演するらしい。個人的に一番ツボだったのは、長沢まさみの「いやんなっちゃうなあ、もう」という台詞が、古い映画に出てくる杉村春子あたりが言いそうな口ぶりだったところ。
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