『エル ELLE』 一筋縄ではいかない感じ
原作は『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』の原作者でもあるフィリップ・ディジャンの小説『oh...』。
第74回ゴールデングローブ賞で最優秀主演女優賞と最優秀外国語映画賞を受賞した作品。

冒頭、ミシェル(イザベル・ユペール)が侵入してきたマスク姿の男に自宅でレイプされたことが示される。驚くのはその後のミシェルの行動で、彼女はレイプされた女性がするであろうと思われるごく普通の反応を見せることがない。泣きながらシャワーと浴びたりもしないし、助けを呼んだり警察に訴えたりもしない。それどころか出前で寿司を注文し、息子と一緒に何事もなかったような顔をして食べているのだ(しかもハマチを追加注文している)。
ミシェルは子供のころに父親が大量殺人を犯して逮捕されたこともあり、犯罪者の娘として世間から冷たい目で見られてきたようだ。街の喫茶店では見知らぬ女性から残飯をぶちまけられるというひどい目に遭ったりもするのだが、ミシェルは泣き喚いたり怒りを露わにしたりはしない。
もちろんレイプに関してはミシェルにとって好ましくない事態であるわけで、その後防犯対策を練ったり、病気に関して調べたりもする。ただ、それがトラウマになっているのかどうかはよくわからない。レイプの場面がフラッシュバックとして蘇るシーンが二度あるのだけれど、二度目ではレイプ犯に逆襲することを夢想してにんまりと微笑んだりもするのだ。トラウマの回帰というよりは、復讐を楽しみにしているかのようにすら見えるのだ。

今までも色々と物議を醸し出す映画を撮ってきたポール・ヴァーホーヴェン。この作品のミシェルの行動原理も常人の観客としてはわかりかねるところもあった。人間は誰しも類型的なキャラとして描けるようなものではないのだろうけれど、それにしても……。
たとえばレイプされる女主人公はヴァーホーヴェンの1985年の作品『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』にも登場する(この作品は昨年のベスト10にも入れたかったくらい)。ここでは女主人公はレイプの張本人である無法者の男に色目を使うことで生きていく。彼女の行動原理は無法地帯で生き延びていくということだから、その行動は理解できないものではないのだが、それに対して『エル ELLE』の主人公ミシェルの行動原理は複雑すぎてよくわからないのだ。
ミシェルはゲーム会社の社長であり、そこで製作しているゲームは、女主人公がモンスターと闘いながらも最後は光の戦士として復活を遂げるという物語となっていた。多分、この作品自体もそうした展開をしていくことになるのだけれど、ヴァーホーヴェンの描き方はどこまでも曖昧で様々な解釈の仕方がされそうだ。
この作品の感想なりレビューなりを読んでいると、人によって見方がかなり違う。ミシェルは「強い女性である」と語る人もいれば、ミシェルは「強い女性というわけではなく……」と論を進める人もいる。ラストも「復讐が成し遂げられた」とする人もいれば、普通のレイプものとは違って「復讐を目指したものではない」と語る人もいる。私はと言えば、たまたま偶然にそうなってしまったとしか思えなかった。ミッシェルはそこまで策を弄してラストの出来事を導いたということなのだろうか?
ミシェルは嘘をやめると宣言していた。最後にミッシェルと会話を交わすことになるレイプ犯の妻は、レイプでしか感じない旦那の性的嗜好を知っていながらも、それを許していたらしい。レイプ犯の妻は敬虔なキリスト教徒であり、熱心に巡礼の旅に向かったりもする人物である。こんなふうに世の中が嘘だらけなわけで、そのなかで闘うためには正当な方法では無理だろう。だからこそあんな方法が選択されたということなのかもしれないのだが、なかなか一筋縄ではいかない作品だったと思う。
この作品は最初アメリカで製作しようとしていたものの、題材が題材だけに軒並み女優陣に断られて企画倒れになったらしい。オファーを受けてくれる可能性がある女優としてヴァーホーヴェンが名前を挙げていたのが『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』の主演女優であるジェニファー・ジェイソン・リーだったのだが、「知名度の不足から起用に至らなかった」のだとか(ウィキペディア調べ)。ジェニファー・ジェイソン・リーがやったとすればもっと勝ち気な主人公になって複雑さは感じられなかったかもしれない。イザベル・ユペールのミシェルは超然とした態度がかえっておかしみを感じさせるものとなっていて絶妙だった。
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