総監督/庵野秀明 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 EVANGELION: 3.0 YOU CAN (NOT) REDO.

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』に続く最新作。
 以下、ネタバレも含みます。

新劇場版 第3弾

 アスカたちの活躍で助け出されたシンジは、今まで見知っていた世界とは何かが変わっていることに気がつく。ミサトは大佐に昇進したようだし、リツコの金髪はベリーショートになっている。前作『破』において綾波レイを助けるために大活躍したシンジだが、それを迎えるミサトたちの態度は冷たくてよそよそしい。腫れ物に触るような調子なのだ。そして、ミサトたちは“ヴィレ”と名乗り、かつての仲間だったネルフと敵対関係にあるというのだ。
 あまりに変わり様に「パラレルワールドなのか」と疑ったが、実は14年の時が経過していたというのが見知らぬ世界の真相だ。それでもエヴァに乗るパイロットたちは“エヴァの呪縛”で年を取らず、アスカもマリも未だ外見は子供のまま。一方、シンジは14年間眠っていたため内面的にも進歩がなく、実年齢28歳のアスカからは「バカシンジ」ではなく「ガキシンジ」という新たな名前を頂戴する。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の“パラレルワールド説”は、ネット上のあちこちで噂されているようだ。前作『破』でのカヲルの台詞今度こそ、、、、君を幸せにしてみせる」などから、過去に何度も同じことを繰り返してきたとも推測されるからだ。TVシリーズと旧劇場版が1回目の体験だとすれば、新劇場版で描かれることは2回目の体験ということになるからだろう。
 とはいえ、“パラレルワールド説”は、エヴァの世界観の変容を受け入れることのできなかったファンが、次回作でもとの世界に戻ることを願っての妄想とも思われる。『Q』の世界は、それほどの新世界になっているのだ。
 『破』では、「世界なんてどうなったっていい。せめて綾波だけは絶対助ける」と前向きに自分の意志で行動したシンジだったが、その結果、世界を本当に破滅に導くことになってしまった。『Q』のサードインパクト後の世界は、セカンドインパクト後にもかろうじて残っていた生活の影すらなくなった荒涼とした世界が広がっている。ネルフ本部はまだ形を残してはいるが、地上の世界は具象的な物の存在しない抽象的な世界にすら感じられる。
 ミサトは『破』では「行きなさい、シンジくん。誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために」とシンジを後押ししていたはずだが、『Q』では「あなたはもう何もしなくていい」と冷たく突き放すのだ。シンジにとって、エヴァに乗ることが大人からの承認獲得の手段となってきたのに……。シンジの戸惑いもむべなるかな。
 これからどう展開していくのかわからないが、とりあえず判断は次回作に持ち越したいというのが正直なところだ。

 新劇場版ではTVシリーズから様々なものが排除されている。時間的な制約もあるからだろうが、TVシリーズの第25話・第26話に顕著な、内省的な独白は新劇場版にはほとんどない。それよりも“人類補完計画”に焦点を合わせているように感じられる。
 そもそも“人類補完計画”とは何だったのか
 ネルフの考える補完計画とゲンドウの考える補完計画の違いは、旧劇場版でもはっきりしなかった。ゲンドウの計画は亡くなった妻ユイに逢いたいという願いに尽きる。ネルフの計画は、“ATフィールド”という心の壁を取り払って、すべての人間がL.C.L.という液体のなかに溶け合ってひとつになってしまうことだろうか? だとすれば旧劇場版での補完計画はネルフの望むものだったのか?
 旧劇場版で展開された補完計画がネルフの願うものだとすれば、ひとつの存在に溶け合ったまま終わればよかったはずだ。しかし、そうはならなかった。「ひとつの存在になることをよしとするか」または「もとの個別の存在をよしとするか」は、なぜかシンジに委ねられる。シンジは後者を選ぶ。「みんなに逢いたい」からだ。ひとつの存在ならば、それは存在そのものであり完全なものなのだが、個々の存在のときに逢いたいと思っていた人に逢うことは叶わないからだ。結局、シンジはアスカに「気持ち悪い」と拒絶されることにもなるわけだけれど……。
 旧劇場版でのシンジの決断は、“人類補完計画”自体を破棄するものだったようにも思える。(*1)1997年公開の旧劇場版でのこうした結論は、「妄想を捨てて現実に戻るべき。アニメなど見ずに現実の他者と向き合え」という庵野監督の説教として受けとめられている。あれから(現実においても)既に14年以上が経過した。また同じ結論を繰り返すとは思えない。次回作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」において新たにどんな“人類補完計画”を見せてくれるのだろうか。
次回作の表記はこんな感じ
(*1) もちろんひとつの存在になるという体験をしたことに意義はあるだろう。例えば仏教で言う“悟り”でも、その体験に留まることはできない。神秘主義的な体験もそれが続くのはごくわずかな時間とされている。必ず現実的な世界に戻ってくることになるのだ。それでも“悟り”や神秘主義的体験を一度味わったあとは、もとの世界はまったく違った色合いとしてその人間に映ることだろう。

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Date: 2012.11.23 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

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