『男と女』 “息抜き”以上はダメよ
『素晴らしい一日』『愛してる、愛してない』のイ・ユンギ監督の最新作。
上映前に主演のコン・ユ(『トガニ 幼き瞳の告発』の主演)からのメッセージあり。配給会社がコン・ユのファンを当てにしているということがよくわかる。実際、劇場内は女性客がほとんどだった。
タイトルは『男と女』(原題は「A Man and a Woman」)。クロード・ルルーシュの名作とまったく同じタイトルだが、それに対抗意識を燃やしているというよりも、正統派のラブ・ストーリーを意図しているかららしい。

物語はフィンランドで始まる。そこで韓国人のふたりが出会う。女(チョン・ドヨン)には障害のある息子がいる。男(コン・ユ)には情緒不安定な妻とうつ病の娘がいる。ふたりにとって家庭はちょっと息苦しい場所になっていたのかもしれない。そんなふたりが吹雪のため山奥のキャンプ場に足止めされ、長い時間を過ごすうちに……。
女はそれまで息子と離れて過ごしたことがなかったようだ。息子の障害には手がかかり、常に目を離すことができない状況だったからだ。女は久しぶりに息子と離れる時間を得ると、解放感を覚えることに自ら驚いてもいる。同時にそこに罪悪感すら抱いたかもしれない。
いつも頭のなかは息子のことでいっぱいで、ほかのことが入る余地もなかったのだろう。常に母という役割を意識せざるを得ない状況から、突然自由になり、忘れていた女性としての自分を思い出したのかもしれない。そんな女の空っぽの心に入り込むのは、傍らにいる名前も知らない男だ。女は自然に男を求め、男もそれを受け入れることになる。

◆不倫関係へと至る理由
フィンランドでの出来事は一度だけで終わるはずのものだった。ふたりにはそれぞれ家庭を持つ身だったからだ。しかし、韓国・ソウルに戻って仕事を始めていた女の前に突然男が姿を見せる。そこでふたりは初めて名乗り合うことになる。
ふたりの関係はのちにサンミン(チョン・ドヨン)の旦那が語るように“息抜き”という側面が確かにあっただろうと思う。サンミンの旦那はテレビにも顔を出す精神科医で、家を留守にしがちで、障害のある息子の世話はサンミンに負担がかかることになるからだ。サンミンはフィンランドの山奥のサウナ小屋という異国の誰も知らない場所だからこそ、久しぶりに息を吐くことができたのだろう。
一方、ギホン(コン・ユ)の家庭にも問題がある。夫を深く愛するあまりに狂言自殺まで図る妻と、その母親によく似た娘はうつ病を抱えている。これだけでも悩み多き家庭だが、ギホンの問題は別にある。ギホンは妻に押し切られて結婚をしたものと推測される。彼には曖昧で優柔不断なところがあり、それに自分でイラついてもいる。流されて生きている自分ではなく、自ら選択した生き方を求め、ギホンはサンミンとの関係を望んだということだろう(結局、妻と娘のほうを選び直すのもギホンの決断による)。
◆予想通りのラストだが……
この作品を一言で説明すれば不倫の話ということになる。昨今とても評判のよくない題材だ。そんなものに理解を示そうものなら、こちらまで火の粉が飛んできそうな気もするのだが、ふたりが結ばれるのには説得力があったと思う。
結末はある程度は予想ができるだろう。“息抜き”としてはいいけれど、本気になってはいけないというところに落ち着く。「先の見えない関係」とは劇中のサンミンの言葉だが、確かにそうで、たとえばサンミンとギホンがそれぞれの家庭を棄てて一緒になったとしたらハッピーエンドなのかと言えばそれも疑問だろう。
サンミンにとってギホンとの関係は“息抜き”以上の“何か”だったからこそ、彼女は家庭を壊すことになってしまう。再びフィンランドへと戻ったラストでは、涙に暮れることになるサンミンに寄り添うタクシー・ドライバーがいい味を出している。
このドライバーを演じるのはカティ・オウティネンである。アキ・カウリスマキ作品の常連だ。フィンランドと言えば、映画ファンにとってはカウリスマキという名前が条件反射的に思い浮かぶわけで、カウリスマキ作品の顔であるカティ・オウティネンがラストを締めるというのは心憎い演出だったと思う。
カウリスマキの最近作『ル・アーヴルの靴みがき』でも存在感を見せていたカティ・オウティネンだが、個人的に印象に残っているのは最初に観たカウリスマキ作品である『マッチ工場の少女』。その印象で幸薄い女性の象徴のように感じてしまうのだが、そんなカティ・オウティネンがサンミンの隣で多くは語らずにタバコを燻らせるラストが泣かせる。
◆チョン・ドヨンとコン・ユの共演
チョン・ドヨン演じるサンミンは、フィンランドでの疲れた母親像から、ソウルでのキャリアウーマン的な魅力を醸し出す女へと変貌を遂げる。チョン・ドヨンは『素晴らしい一日』とも違う女性像を演じていて、作品ごとに違った顔を見せてくれるようだ。
そして、そのサンミンにストーカーまがいに近づくギホンを演じるコン・ユはどことなく憎めないところがある。ギホンはわざわざ居所を調べて会いにきたくせに偶然を装ったりしつつ、それがあまりにもわざとらしいところが年上と思われるサンミンが気を許してしまう要因となっている。そんなふたりの関係がとても微笑ましいのだ。
心の機微を繊細に描くイ・ユンギ作品にあって意外だったのは、ベッドシーンがとてもよかったということ。大人っぽい雰囲気で露出は少ないけれど、何と言うかとても艶っぽかった。コン・ユのファンでなくとも見どころの多い作品なんじゃないかと思う。




上映前に主演のコン・ユ(『トガニ 幼き瞳の告発』の主演)からのメッセージあり。配給会社がコン・ユのファンを当てにしているということがよくわかる。実際、劇場内は女性客がほとんどだった。
タイトルは『男と女』(原題は「A Man and a Woman」)。クロード・ルルーシュの名作とまったく同じタイトルだが、それに対抗意識を燃やしているというよりも、正統派のラブ・ストーリーを意図しているかららしい。

物語はフィンランドで始まる。そこで韓国人のふたりが出会う。女(チョン・ドヨン)には障害のある息子がいる。男(コン・ユ)には情緒不安定な妻とうつ病の娘がいる。ふたりにとって家庭はちょっと息苦しい場所になっていたのかもしれない。そんなふたりが吹雪のため山奥のキャンプ場に足止めされ、長い時間を過ごすうちに……。
女はそれまで息子と離れて過ごしたことがなかったようだ。息子の障害には手がかかり、常に目を離すことができない状況だったからだ。女は久しぶりに息子と離れる時間を得ると、解放感を覚えることに自ら驚いてもいる。同時にそこに罪悪感すら抱いたかもしれない。
いつも頭のなかは息子のことでいっぱいで、ほかのことが入る余地もなかったのだろう。常に母という役割を意識せざるを得ない状況から、突然自由になり、忘れていた女性としての自分を思い出したのかもしれない。そんな女の空っぽの心に入り込むのは、傍らにいる名前も知らない男だ。女は自然に男を求め、男もそれを受け入れることになる。

◆不倫関係へと至る
フィンランドでの出来事は一度だけで終わるはずのものだった。ふたりにはそれぞれ家庭を持つ身だったからだ。しかし、韓国・ソウルに戻って仕事を始めていた女の前に突然男が姿を見せる。そこでふたりは初めて名乗り合うことになる。
ふたりの関係はのちにサンミン(チョン・ドヨン)の旦那が語るように“息抜き”という側面が確かにあっただろうと思う。サンミンの旦那はテレビにも顔を出す精神科医で、家を留守にしがちで、障害のある息子の世話はサンミンに負担がかかることになるからだ。サンミンはフィンランドの山奥のサウナ小屋という異国の誰も知らない場所だからこそ、久しぶりに息を吐くことができたのだろう。
一方、ギホン(コン・ユ)の家庭にも問題がある。夫を深く愛するあまりに狂言自殺まで図る妻と、その母親によく似た娘はうつ病を抱えている。これだけでも悩み多き家庭だが、ギホンの問題は別にある。ギホンは妻に押し切られて結婚をしたものと推測される。彼には曖昧で優柔不断なところがあり、それに自分でイラついてもいる。流されて生きている自分ではなく、自ら選択した生き方を求め、ギホンはサンミンとの関係を望んだということだろう(結局、妻と娘のほうを選び直すのもギホンの決断による)。
◆予想通りのラストだが……
この作品を一言で説明すれば不倫の話ということになる。昨今とても評判のよくない題材だ。そんなものに理解を示そうものなら、こちらまで火の粉が飛んできそうな気もするのだが、ふたりが結ばれるのには説得力があったと思う。
結末はある程度は予想ができるだろう。“息抜き”としてはいいけれど、本気になってはいけないというところに落ち着く。「先の見えない関係」とは劇中のサンミンの言葉だが、確かにそうで、たとえばサンミンとギホンがそれぞれの家庭を棄てて一緒になったとしたらハッピーエンドなのかと言えばそれも疑問だろう。
サンミンにとってギホンとの関係は“息抜き”以上の“何か”だったからこそ、彼女は家庭を壊すことになってしまう。再びフィンランドへと戻ったラストでは、涙に暮れることになるサンミンに寄り添うタクシー・ドライバーがいい味を出している。
このドライバーを演じるのはカティ・オウティネンである。アキ・カウリスマキ作品の常連だ。フィンランドと言えば、映画ファンにとってはカウリスマキという名前が条件反射的に思い浮かぶわけで、カウリスマキ作品の顔であるカティ・オウティネンがラストを締めるというのは心憎い演出だったと思う。
カウリスマキの最近作『ル・アーヴルの靴みがき』でも存在感を見せていたカティ・オウティネンだが、個人的に印象に残っているのは最初に観たカウリスマキ作品である『マッチ工場の少女』。その印象で幸薄い女性の象徴のように感じてしまうのだが、そんなカティ・オウティネンがサンミンの隣で多くは語らずにタバコを燻らせるラストが泣かせる。
◆チョン・ドヨンとコン・ユの共演
チョン・ドヨン演じるサンミンは、フィンランドでの疲れた母親像から、ソウルでのキャリアウーマン的な魅力を醸し出す女へと変貌を遂げる。チョン・ドヨンは『素晴らしい一日』とも違う女性像を演じていて、作品ごとに違った顔を見せてくれるようだ。
そして、そのサンミンにストーカーまがいに近づくギホンを演じるコン・ユはどことなく憎めないところがある。ギホンはわざわざ居所を調べて会いにきたくせに偶然を装ったりしつつ、それがあまりにもわざとらしいところが年上と思われるサンミンが気を許してしまう要因となっている。そんなふたりの関係がとても微笑ましいのだ。
心の機微を繊細に描くイ・ユンギ作品にあって意外だったのは、ベッドシーンがとてもよかったということ。大人っぽい雰囲気で露出は少ないけれど、何と言うかとても艶っぽかった。コン・ユのファンでなくとも見どころの多い作品なんじゃないかと思う。
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