『マグニフィセント・セブン』 崇高さよりもドンパチが楽しい
監督は『トレーニング デイ』『イコライザー』などのアントワーン・フークア。
キャストはデンゼル・ワシントン、クリス・プラット、イーサン・ホーク、ビンセント・ドノフリオ、イ・ビョンホン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、マーティン・センズメアーなど。

『荒野の七人』の原題は「The Magnificent Seven」なのだそうだ。有名な作品だけれど原題は知らなかったのだが、これは本作とまったく同じタイトル。だから直接的には『荒野の七人』のリメイクということなのかもしれない。
無法者に困り果てた村人が用心棒として人を雇うという大枠は同じだが、細かい部分では違っているところもある。特に本作の7人は様々な人種によって構成されているというところが目立つところだろう。というのも村人を助ける発起人になるサム・チザム(デンゼル・ワシントン)は黒人だし、そのほかにもメキシコ人や韓国人、さらにはインディアン(=ネイティブ・アメリカン)も面子に加わっている。
時代は南北戦争後で、そのころにこうした人種混合チームが成り立つのかどうかはあやしいだろう。新しい大統領は「米国第一(アメリカ・ファースト)あるのみだ」とか言って国境を封鎖したりしたいようだが、結局のところアメリカを形作っているのは多くの移民たちなんだなあなどと感じさせる作品になっている(生き残る面子にも注目すべし)。

ツッコミどころがあるとすれば、なぜ7人が命を賭けてまで村を守るために戦わなければならないかという動機がはっきりしないことだろうか。旧作の『荒野の七人』は人集めの部分が短い割りには説得力があったような気もするので、本作のインディアンのレッド・ハーベスト(マーティン・センズメアー)は誘われもしないのにいつの間にかメンバー入りをしているのが不思議な気もする(活躍ぶりにはスッキリしたけれど)。
さらには夫の敵討ちっぽい雰囲気を漂わせる紅一点のエマ(ヘイリー・ベネット)もそうだし、最後になってサム・チザムの目的も正義というよりは私怨だったことが判明することからすると、旧作のタイトル「The Magnificent Seven」をそのまま使っているのはちょっとズレているような気がしないでもない(あまり崇高な感じはしないから)。とはいえ単に娯楽作として見れば十分に楽しめる作品となっていたと思う。
村を襲うことになる悪党たちのキャラはちょっと弱いけれど、敵の人数は倍増していてスケールアップしているし、ガトリング銃やダイナマイトなども登場して派手なドンパチをやらかしてくれる。とにかくラスト30分の攻防はとても見応えがあった。素早いカットをつないでいく間に、時折地面スレスレの低い位置からアクションを捉えたショットが挟み込まれるあたりがとても臨場感があった。
エンド・クレジットで流れる旧作のメロディも感動的だし、尺八風の曲は黒澤明版に対する敬意の表れだろうか。西部劇に尺八の音というのも妙だけれど、意外とはまっていたと思う。
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