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『ヴァンパイア』 岩井俊二作品(脚本・監督・音楽・撮影・編集・プロデュース)

 脚本・監督・音楽・撮影・編集・プロデュースまで岩井俊二が担当した、『花とアリス』以来の長編劇映画。

『ヴァンパイア』 “ゼリーフィッシュ”の血を吸い取る

 低くたちこめる雲、雨が止んだばかりの空気は湿っている。ひとりの女の子がなんとなく不安げに誰かを待っている。辺りは人目を避けるような殺風景な駐車場、そんな場所で待ち合わせるふたりに楽しいデートなどあるはずもなく、車内でのぎこちない会話から初めて会ったらしいふたりの目的が明らかになる。
 自殺サイト、それがふたりの出会った場所。本当の名前を知らないふたりは、互いをハンドルネームで呼び合う。“ゼリーフィッシュ”と“プルート”と。今日はふたりの最期の1日になるはずだった。しかし、“プルート”ことサイモンにとっては、そうはならない。始めから死ぬつもりなどないから。サイモンは女の子に痛みもなくきれいに死ぬための方法を提案する。血を抜くのはどうだろうかと。
 雑然とした工場が“ゼリーフィッシュ”の自殺(あるいは吸血殺人)の舞台となるが、白い祭壇のようでもある冷凍庫に女の子が横たわると途端に儀式の雰囲気が漂う。サイモンは“ゼリーフィッシュ”に睡眠薬を与え、四肢から血を抜き取る。透明なビンが真っ赤な血で満たされるとき、彼女はこの世のものではなくなるだろう。そして冷凍庫はそのまま彼女の棺桶になる。 

 “ヘマトフィリア(血液嗜好症)”という病気(というよりも性的嗜好?)があるらしい。サイモンは血を求める一種の異常者なのだ。だがビンに詰められた血を飲んでも吐き出してしまう。血を渇望しても、それを糧に生きているわけではないし、不死身でもなく、日光を浴びることも平気な、ただの人間なのだ。ただ血をどうしても欲してしまう過剰な何かを抱えている。自殺志願者を狙うのは、サイモンの目的を叶えるためには犠牲者の協力が必要だという点と、自分では殺人鬼ではないと考えているからだろう。
 サイモンはある男に出会う。吸血鬼のまねごとをしては女を殺害しているシリアルキラー“レンフィールド”だ。レンフィールドはサイモンを同類と認めて近づいてくるのだが、サイモンは嫌悪感を抱く。サイモンは「お前のやってることはただのレイプだ。それ以上でもそれ以下でもない」とレンフィールドを罵るが、レンフィールドにはそれが理解できない。レンフィールドにしてみれば、“ヴァンパイア”と呼ばれ、女の血を吸い取って殺してしまうようなサイモンは、自分と「同じ穴のムジナ」だと思えるからだ。多分それは正しい。サイモンは吸血鬼でありながら、他人に輸血をしてやるほどの常識的なやさしさも持ち合わせているのだが、やはりまともな人間として生きられないという意味ではレンフィールドと同類なのだ(もちろんレンフィールドのほうが圧倒的に狂人だが)。

 『ヴァンパイア』のサイモンというキャラクターは、『リリイ・シュシュのすべて』の構図で言えば、社会の枠の外へと踏み出してしまった星野になる。(*1)『リリイ』では、社会に踏みとどまる蓮見の立場から映画が語られるから共感できる部分があるのだが、『ヴァンパイア』では星野の側の話になるのだ。だから常識的な人間には理解不能な部分があり、多くの観客の共感を得るということもないだろう。
 例えば、古谷実の漫画『ヒメアノール』では、主人公であったはずの人物を置いてきぼりにし、殺人鬼のほうに話が移行してしまう。そして、殺人鬼が自らの異常性を自覚し、その宿命みたいなものに涙を流すシーンが印象的に描かれる。唖然とさせられる展開だ。殺人鬼自身もそのおぞましい行動に苦しんでいるとして、作品が同情的に殺人鬼に歩み寄っていくからだ。恐らく多くの人が困惑し、あるいは嫌悪感をもよおしたかもしれない。
 そういう意味で『ヴァンパイア』は難しい題材だ。観客の共感がすべてではないし、倫理・道徳的に正しいことばかりが映画に描かれなくてはならないわけではないのだが……。

『ヴァンパイア』 “レディバード”から蛭の毒を吸い出すサイモン
 
 サイモンはヴァンパイアとしての自分をどう捉えているだろうか。
 ミナ役の蒼井優は、『リリイ』のときと同様に自殺に走るのだが、サイモンは「利己的な遺伝子」みたいな話でミナを諭す。「60億の細胞が君のなかに住んでいる。とすれば、勝手に君が死んでもいいのか」云々。また、ほかの自殺志願の女の子にはこんな話をする。「遺伝子の研究をしているんだ。自殺をする人の血液が欲しい。自殺をする人の遺伝子が解明されれば多くの人が助かるから」。これはどちらも女の子に向けて語られてはいるが、サイモンは自己の存在に対して言い訳をしているのだ。これはおれ自身ではどうにもならない、遺伝子レベルの問題であり、おれが血を欲するのも致し方ないのだと。
 一方でサイモンには“レディバード”との奇跡的な出会いもある。もしかするとサイモンは、彼女の存在によって「血への渇望」という異常性を社会の枠のなかで飼いならすことができたのかもしれない。“レディバード”は二度の自殺失敗のあと、「わたしの血を吸ってもいいわ」とサイモンに告げるのだ。ふたりは人間らしく常識的にキスを交わす。
 “レディバード”とのエピソードは奇跡的な恋愛とも言えるのかもしれないが、サイモンの妄想の思いもかけない偶然の成就と感じられた。実際に映画はハッピーなまま(妄想のまま)で終わらないのだ。

 ラスト、唐突にバレリーナを目指していた女の子とのエピソードが描かれる。サイモンはいつものように彼女の自殺幇助をするつもりで話を聞いていると、彼女はこう語る。

 自分が死ぬ夢って見たことある?
 これがわたしの夢なら、わたし死ねない
 これはあなたの夢なの? (*2)


 もしかすると彼女は何度も夢のなかで自殺を試みてきたのかもしれない。夢のなかではさまざまなことが可能となるが、唯一叶わないのがその夢を見ている自分が死ぬこと。だから現実に自殺しようとする今この瞬間すらも、それが自らの夢のように思える。夢から醒めれば、それまでと同様の辛い現実が待っている。それはもうこりごり。これがあなたの夢であり、わたしはそのなかで死ぬ立場にありたい。そんな切実な願いを感じさせる。
 サイモンの描く夢の姿は「天使の降臨(*3)とサイモン自らの飛翔」というシークエンスに表現されている(自らをヴァンパイアと思い込み血を求めること自体が、すでに妄想だったのかもしれない)。
 “レディバード”は日本語に直せば「天道テントウ虫」で、その名前は太陽に向かって飛ぶことから来ている。バレリーナは地面から離れようとする意志が、あのつま先立ちに表れている。“天使的な存在”は岩井俊二の過去作にも登場していた。(*4)こうしたイメージは、やはり『リリイ』においてよく表現されているように、社会の枠から逃げ出したいというロマンチシズムに結びついているのだと思う。だからサイモンは警察の手から逃れようとしたとき飛翔するのだ。もちろん現実はサイモンの夢であるはずもなく、社会を守る番人としての警察官に妄想は破られることになるわけだが、その一連のシークエンスのイメージは幻惑的でとても素晴らしい。

 (*1) 『リリイ』では、教室や電車のなかの薄暗さに対して、その向こう側に広がる「空の明るさ」が印象的だった。緑鮮やかな田んぼに佇む蓮見の表情も逆光でほとんど見えないが、その向こうの空はやけに明るい。カイトと戯れた津田(蒼井優)は、その空に憧れるように「空、飛びたい」とつぶやき、実際にそれを行動に移す。
 『リリイ』では教室に象徴される<社会>に対する忌避と、空の明るさに象徴されている<社会>以外の何か(宮台真司なら<世界>と言うだろう)に対する憧れがあった。もちろん常識的なわれわれは地面に這いつくばって生きるほかないわけだが、その一方で地面を離れあの空へと近づきたい願望を秘めている。
 宮台真司は「星野」を「セイヤ」と読み替え、「星夜」と意味づけている。もちろん星野は<社会>の枠を越える何かを求めてしまう人物だ。

(*2) いつものことだけれど、引用は記憶なので不正確かも……。
 これは胡蝶の夢を思わせもするが、独我論の匂いもある。

(*3) 徘徊防止用の拘束具を付けた母親が窓から落ちてくるのだ。たくさんの白い風船を背負って浮かんでいるアマンダ・プラマーは天使のよう。

(*4) 『GHOST SOUP』での鈴木蘭々がそうだし、『PiCNiC』でのCharaの黒い羽にもそうしたイメージがある。


岩井俊二の作品
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Date: 2012.10.22 Category: 日本映画 Comments (1) Trackbacks (0)

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Date2012.10.23 (火) 20:24:20

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