『ミュージアム』 誰が罪人?
原作は巴亮介の同名マンガ。

雨の日だけに現れる連続殺人犯。犯人は雨ガッパの下にカエルのマスクを被っている。事件の現場にはカエル男のメモが残されている。刑事の沢村(小栗旬)はカエル男を探っていくと、次のターゲットとなるのは沢村の妻・遥(尾野真千子)であることが判明する。
犯人のカエル男は「ドッグフードの刑」ではある女性を犬に喰わせ、「母の痛みを知りましょうの刑」では母親にパラサイトしているオタクの肉をそぎ落とすという狂気じみたことをしている。この被害者の共通点は「少女樹脂詰め殺人事件」の裁判員となっていたことで、カエル男はその事件を裁いた人間たちを私刑(リンチ)していることが判明する。
沢村の妻もその裁判員の一人で、すぐにも保護しなければいけない対象なのだが、沢村が刑事の仕事にのめり込むあまりにまったく家庭を顧みずにいたことで子供を連れて出て行ってしまったあとだった。
カエルの扮装をした男が連続殺人を犯していくというあり得ない設定だし、ツッコミどころも多い。それでも次はどんな殺され方をするのかという悪趣味な興味で観客を引っ張っていくし、雨は降り続けるどんよりした世界とカエル男の造形はよくできていたと思う。
出演陣は誰もがオーバーアクト気味な印象だが、もとから設定が設定だけにそんなものかもしれない。そんななかカエル男を演じた妻夫木聡がかえって自然に見えたのは、カエル男の存在自体が化け物みたいなものだろうか。カエル男の最期は『悪魔の毒々モンスター』みたいだった。
※ 以下、ネタバレもあり!

連続殺人の被害者たちが何かしらの罪を負わされてカエル男に殺されるというのは、いかにも『セブン』とよく似ている。『セブン』の被害者たちはカトリックの「7つの大罪」という考えに基づいて、憤怒・嫉妬・高慢・肉欲・怠惰・強欲・大食という罪のために殺されたことになっている。
『ミュージアム』の場合は罪が先にあるわけではなく、ターゲットが決まっていてカエル男が勝手に罪を設定しているだけだからデタラメである。それでも「母の痛みを知りましょうの刑」「均等の愛の刑」とか家族関係の問題が多く(ペットも家族とすれば「ドッグフードの刑」も)、最後のターゲットとされる遥の罪も刑事である沢村の仕事を理解していないということで「お仕事見学の刑」となる。
沢村はカエル男の罠にはまりえげつない悪夢を見させられることになるのだが、最後の最後の部分では生き残った息子の将太(五十嵐陽向)がカエル男と同じ光線過敏症という病気になっているかもしれないことがほのめかされる。これは悪意にさらされることによって生じる心因性のものだと説明される。
カエル男は両親を惨殺されたという過去が明らかにされている。それでは将太がどこで悪意にさらされたのか? もちろんカエル男と接触して悪意にさらされたとも言えるのかもしれない。しかしいつも一緒にいたのは母親であるはずで、遥が悪意を発していたのではないかとも思わせなくもない。
カエル男と遥と沢村が対峙したとき、遥は「私を殺して」と言い張っていたのは、カエル男との約束があったからなのだろうが、それ以上に自分に対してやましいことがあったのではないかと邪推してしまう。もしかすると遥は仕事にかまけて沢村が家に寄り付かない間に、その沢村のことを悪し様に語るようなことがあったのかもしれない。そのことが息子の将太のストレスになっていたと考えるのは深読みしすぎだろうか。
最初は家庭を顧みない夫が罪人だったわけだけれど、次第に理解のない妻という方向へと罪が移動していくようで、そのあたりがとても日本的とも思えた。『セブン』においては神との関係での罪がはかられるのだとすれば尺度はある程度決まっているのだろう。一方で『ミュージアム』の沢村と遥は立場としては同等なはずで、夫には夫の言い分があるし、妻には妻の言い分がある。尺度はそれぞれの立場によって変わってくる。だからこそどちらも罪人になる可能性があるのかもしれず、常に互いのパートナーの顔色を窺っていなければならないのかもしれない。神の顔色を窺うのも大変だろうけれど、こちらも楽ではないという気もする。
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