『だれかの木琴』 住まいのセキュリティは万全だが心のほうは?
原作は『つやのよる』『愛してる、愛してない』の原作も書いている井上荒野。

新居に引っ越してきた親海小夜子(常盤貴子)は、知らない土地の美容院で山田海斗(池松壮亮)という美容師と出会う。海斗は顧客獲得のための営業のつもりで小夜子にメールを送るのだが、小夜子は次第に海斗に執着するような行動を見せるようになっていく。
小夜子には警備機器会社に勤める夫・光太郎(勝村政信)と、中学生の娘・かんな(木村美言)がいる。この家族は新居も手に入れて何不自由のない暮らしがある。その新居には光太郎が勤務する会社の最新セキュリティシステムが導入されていて、外部からの侵入に対して鉄壁の防御をしている。それでも家族の心のなかを守ってくれるわけではなく、小夜子の心には海斗という存在が忍び込んでくる。
営業メールに返信するくらいは問題ないけれど、ほとんど髪も伸びていないのに美容室へ出かけるのはおかしな兆候だし、会話の情報から海斗の家を調べたりするようになるとちょっと怖い。海斗には唯(佐津川愛美)という恋人もいるし、小夜子とは一回り以上も年齢が離れている。つまりは海斗と小夜子の関係は、美容師とその顧客という以上の間柄にはなりそうもない。それでも小夜子はうつろな目をしたまま海斗の家に現れたりして、海斗と唯を怖がらせたりすることをやめることができない。
※ 以下、ネタバレもあり!


◆だれが異常なのか?
ストーカーを描いた映画は少なくない。それらの最後はサイコスリラー的な方向へと進んでいくことが多いだろうが、この『だれかの木琴』はちょっと違う。
確かに小夜子の行動は異常な部分があるだろう。しかし、この作品では小夜子の存在は特別なものとはされていないように思えた。もちろん小夜子の異常さは目立つのだが、そのほかの登場人物も少なからずおかしい部分が垣間見えてくるのだ。
海斗は今では営業スマイルで取り繕っているが、過去には暴力的な事件を起こしている。小夜子を疎ましく思い旦那の光太郎にまでけんかをふっかける唯の行動だって突飛とも言えるし、趣味であり仕事でもあるらしいゴスロリの服装には何か異様なものを感じる人だっているかもしれない。光太郎だって街娼のような女と遊ぶ程度には破目を外すわけだし、唯一まともなのは中学生のかんなだけかもしれない。
小夜子が電車のなかで目撃する印象的な風景がある。ひとりの女性が電車のなかで遺影を見つめているという場面だ。人前でのそうした姿は異様なはずだが、電車のシートに居並ぶ客たちのなかではまったく目立たない。誰もがケータイやスマホを目の前に掲げているわけで、遺影を掲げた女性は日常的な風景のなかにうまく溶け込んでしまっているのだ。そういう意味では小夜子の異常さも日常を大きく踏み外すほどではなく、ギリギリその範囲に収まっているとも言えるのだ(唯一踏み外したのは放火魔の男だろうか)。
◆「だれかの木琴」とは
では小夜子の海斗への執着は何だったのか?
多分恋ではなくて、夫の振り向かせるための手段だったのだろう(小夜子がそれを意識しているとは限らないけれど)。小夜子は欲求不満からかしばしば夢想に耽る。そのときの相手は決まって夫の光太郎だ。小夜子の白昼夢に海斗が登場しても、海斗は髪をなでるだけの役割で、小夜子の身体をまさぐっているのは光太郎なのだ。
つまりは小夜子が執着しているのは海斗ではなく、夫の心だったと言えるのだろう。ただ、それだけでは十分な説明ではないのだろうとも思う。小夜子は海斗とのことが終わったあとには、別の対象を見つけることになるからだ。
そのあたりの小夜子の状況を説明するものとして、かつて小夜子が聴いた「だれかの木琴」についてのエピソードがあるのだろう。調和のとれた音楽には「完璧さ」がある。小夜子はそうした音楽を求めている。と同時に、それがなかなか手に入らないために苛立ちも感じている。
これは『ボヴァリー夫人』のエンマが抱えていた葛藤とも似ているだろうし、「足るを知る」という金言を弁えない人の振る舞いとも言えるかもしれない。だから小夜子は夫からの愛情を取り戻すだけでは飽き足らず、それ以外の余計なものまで欲しようとする。これは病と言えば病なのかもしれないけれど、誰もがそういう心情は持っているわけで小夜子が特別に愚かだというわけではないのだろうと思う。
ラストの小夜子の表情は何ともあっけらかんとしている。たっぷり夢を見てすっきりしたかのようで、それまで観てきた映画がすべて小夜子の夢だったかのようにも感じられなくもない。それまでは何かに憑依されたような硬い表情をくずさなかった常盤貴子だが、最後はとても自然な笑顔だった。
暗くなりそうな題材だけれどラストは能天気だった(サイコスリラーを期待していた人は裏切られたと感じるかも)。夫役の勝村政信が鈍感さを発揮したり、その夫と対峙する唯役の佐津川愛美も大騒ぎをしてみたりと賑やかな部分もあったからか、意外とどんよりした後味にはなっていないのが不思議なところ。
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