西川美和 『夢売るふたり』 ややこしいからすばらしい

 松たか子阿部サダヲ主演。西川美和監督の第4作目。

『夢売るふたり』 松たか子と阿部サダヲの詐欺師夫婦

 西川美和の映画にはどういうわけか詐欺師がつきものである。『蛇イチゴ』『ディア・ドクター』も詐欺師が主役であり、『夢売るふたり』でも詐欺師夫婦が中心にいる。詐欺師がいれば当然騙される人が出てくるわけで、その関係にこそ西川監督の興味がおかれているように思える。
 『蛇イチゴ』の詐欺師の兄(宮迫博之)は、田舎に残って家庭を守る妹(つみきみほ)と対照的だ。調子のいい嘘つきの兄と、愚直で要領の悪い正直者の妹。妹は兄のいいかげんさに嫌悪感を覚えつつも、自由な振舞いに嫉妬を抱きもする。『ディア・ドクター』のニセ医者(笑福亭鶴瓶)はたまたま過疎地の医者に化けてみたらうまくいってしまって、治療はほとんど出来なくても患者たちの心の支えにもなる。(*1)

 『夢売るふたり』では、詐欺師のふたりが夢を売ることになるわけだが、詐欺師が“夢を売る”とはどういうことか。「都会の冷たい地面の上には寂しい女の心が彷徨っている。完璧な男でなくても、誰かがそこにちょっと手を差し伸べてやるだけでいい。」里子(松たか子)はそんなふうに語る。妻の里子が計画し、夫の貫也(阿部サダヲ)が女を騙す。
 誰もが夢から見放されているわけではない。寂しい女たちのすべてが性格が悪いとか、見た目が著しくひどいわけではないのだ。まあ、まれにそんな場合もあるかもしれないが、たまたまちょっとしたきっかけさえつかめれば夢を見ることが可能なのだ。もちろんふたりは詐欺師だから、夢を見させた対価としては、その価値以上の金銭が請求される。というよりも騙される側はその夢の続きを見るために(あるいは夢から醒めないために)自ら金を差し出す。

 「結婚もできないような人間だと思われることにくたびれているだけです」と語る咲月(田中麗奈)や、DV夫から逃げて風俗嬢をしている紀代(安藤玉恵)や、シングルマザーの公務員滝子(木村多江)などが騙される側として登場する。
 なかでもウエイトリフティングの女のエピソードが重要だと思う。ひとみ(江原由夏)は100キロを超えるバーベルを挙げるアスリートとして、その外見は恋愛などとは程遠い位置にいる。バーベルの重さに匹敵するまではいかなくても、バーベルを支えるほどのがっちりとした体型を保持している(言ってしまえば“おデブちゃん”なのだ)。ターゲットを選択したのは里子なのだが、里子は途中で貫也に作戦中止を唱える。「私が男でも、あれは無理だわ」と里子は言うのだ。貫也がひとみを相手に詐欺の仕事(=恋愛のまねごと)を進めることを嫌がるだろうと考えたからだ。だが貫也は言う。「よくそんなことが言えるな。お前の目に映っているもののほうが、よっぽど気の毒だよ」と。
 貫也は女たちの寂しい心の拠り所として恋人のまねごとをすることで、その女たちのことを幾分か本気で好きになっている。『ディア・ドクター』で、ニセ医者が患者のことを心から思いやるように。「嘘から出たまこと」だ。里子は計画を立てるだけだから、そうしたことに気づかない。
 ひとみは自分のことを「怪物じゃない」と否定するが、それまでの人生で「怪物だと思われている」と感じてきたからこそ、そんなふうに否定する。しかしそんな外見のひとみでさえも、実際に恋人として深くつきあってみれば何かしら人を惹きつけるところがあるのだ。実際に貫也にはそれがわかる。だから「おまえには何も見えていない」と里子を否定するのだ。
 この映画では、騙された女たちもそれによって金銭は失ったとしても、何かが損なわれたわけではないと描かれている。女たちはそれぞれまた別の人生を歩き始める。
 
 『夢売るふたり』は貫也を取り巻く女性たちを描いた映画だが、タイトルにもあるように詐欺師夫婦を描いた映画でもある。冒頭、夫婦で切り盛りしていた活気ある小料理屋の場面があるが、火事を起こしてすべてを失って以来、そこへ戻ることがふたりの目標になる。店の開店資金のために詐欺を始めると、夫はほかの女を騙すことに精一杯で、ふたりで過ごす時間も限られてくる。次第に金は貯まるけれど、妻の心は空虚に満たされていく。念願だった新しい店が完成するころには、ふたりの詐欺行為が何のためのものだったか既にわからなくなっている。
 夫婦がふたりで見つめる方向性というのは、簡単に一方向に決められるものではないだろう。小料理屋をやることはそのひとつだが、それが夫婦の夢になり、ふたりが幸せになるかはわからない。人生が単純でないのと同じように、この映画も曖昧で複雑なものを含んでいる。(*2)
 西川美和の書いた本に『名作はいつもアイマイ』というものがある。本の中身は知らないが、題名を見る限り西川監督の作品に対する態度が表れている。単純で誰が観ても同じ感想を抱くような作品は、西川監督にとっては名作でないのだろう。
 『夢売るふたり』もそうだ。曖昧というよりも複雑で、観客それぞれで感じ方は異なるだろう。『ゆれる』のラスト、香川照之が見せた何とも言いがたい表情、あのシーンに象徴されるように唯一の正しい解釈など存在しないのだ。上記のような解釈も私のひとりよがりのそれに過ぎない。
 例えば、里子はひとみを嘲笑するように「私が男でも、あれは無理だわ」と言ったが、上記の解釈はある一面を切り取ったに過ぎない。里子の悪口は夫に助け舟を出したのではなく、ひとみに対する同情の言葉とも受け取れるのだ。ひとみが哀れに思え、さらに傷に塩を塗るような行為するのが堪らなくなり、見逃してやりたくなる。一方で夫には、作戦中止を自らの弱気と感づかせないがために露悪的な言葉を吐いたのだ。恐らくどちらにも解釈できるし、里子はどちらの感情も抱いていたのではないか。
 こんなふうに一場面をとっても様々な解釈ができるほど、この映画は曖昧で複雑な要素を含んでいる。観るたびに色々なものが新たに発見できるだろうし、人によってその受け取り方も様々だろう。糸井重里は「ややこしいからすばらしい」(*3)と、この映画を表現している。里子のラストの決断については釈然としない部分もあったけれど、もしかすると次に観たら感じ方は違うのかもしれない。

(*1) 『ゆれる』では詐欺師は出てこないが、兄(香川照之)と弟(オダギリジョー)は幼馴染の女を巡って腹の探りあいをする。騙すことはしなくても優しさのために嘘をつき、本当のことは隠し、相手の本音を探るためにかまをかける。

(*2) これまでの作品では、複雑とはいえ真実らしきものが顔を覗かせる箇所があった。『蛇イチゴ』では、「オオカミ少年」と同じで、嘘つきも常に嘘ばかりではないことが明らかになる。『ゆれる』でも兄と弟の関係は複雑で、その後のふたりがどうなるのかは曖昧だが、吊り橋での出来事における真実は示されたと言える。『夢売るふたり』ではそんなわかりやすい答えはない。

(*3) 「ほぼ日刊イトイ新聞」のインタビューより。これによれば、ラストは震災の影響もあって変更されたのだとか。園子温『ヒミズ』でもそうだったが、あの状況を前にして「死にゆく物語」は否定されたのだ。確かに『夢売るふたり』の松たか子のラストの表情は、しっかり前を見据えて生きていこうとしている。


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Date: 2012.10.07 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

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