ギドク 『アリラン』の疑問の続き

 ギドクは“死”は「別の世界に続く神秘のドア」だと考えていた。しかし、今では“死”は「未来を断つことであり、ドアを閉めること」だと考え直すことになったようだ。ここからも『アリラン』の自殺が否定的な意味を帯びていないことがわかる。
 私は『悲夢』のラストには違和感を抱いた。主人公のふたりが自殺を遂げてひとつに結びつくのが、腑に落ちなかったからだ。漢江ハンガンに横たわるオダギリ・ジョーの表情にはかすかな笑みが見えるが、私にはそれが何の「救い」にも感じられなかったのだ。
 『悲夢』のとき、ギドクの考えでは、“死”は「別の世界に続く神秘のドア」であったため、別の世界でふたりが一緒になると捉えれば、その笑みにも納得がいく。しかし、それはやはり無理がある考えなのだろう。結局はそうした“死”の捉え方は退けられたのだ。
 多分、“死”を積極的に意味あるものと捉えるのは、生き残った者の仕事だからだ。例えば、愛する人の“無駄死に”は耐え難いから、生き残った者はその“死”に意味を与えようと努力する。それは結局のところ、死んだ者ではなく生き残った者の慰めなのだ。通常、死んでゆく当人が“死”に積極的な意味を付与するのは無理があるし、間違った考えに過ぎない。その自己犠牲によって誰かが救われるというような場合はあるかもしれないが、それはやはり例外的なものだ。
 それはともかくとして、「龍に乗る観音」「騎龍観音」に関しては未だ疑問のまま……。

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Date: 2012.03.20 Category: キム・ギドク Comments (0) Trackbacks (0)

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