スコセッシ『ミーン・ストリート』 デ・ニーロとハーヴェイ・カイテルの若かりし頃

 『ミーン・ストリート』スコセッシの演出は瑞々みずみずしい感じすらする。この作品は1973年公開で、スコセッシが30歳ぐらいの初期作品だから当然なのかもしれない。誰もいきなり巨匠として登場するわけではない。若いときにしか撮れない映画もあるだろう。冒頭、「Be My Baby」のリズムとともに編集されたオープニング・クレジットや、ストーンズの「Jumpin' Jack Flash」をバックにしてデ・ニーロがバーに入ってくるスローモーションなどとても印象的だ。



教会で罪はあがなえない
我々は街や家庭で罪を贖う
それ以外はまやかしだ


 こんな主人公チャーリーの独白から始まる『ミーン・ストリート』は、司祭になりたかったという監督スコセッシの人生が反映されている。スコセッシはDVDの音声解説で「この作品にメッセージは存在しない」と語っている。これは映画ですらなく「それまでの私の人生そのものだ」と。
 その言葉通り、この映画に筋らしい筋はない。スコセッシの出自である、ニューヨークのリトル・イタリーに住む若者たちの生活を追っている。マフィアではないが、犯罪の匂いが周囲に漂う場所に育ったチンピラたちだ。「ミーン・ストリート(Mean Streets)」とは、「みすぼらしい街」のことなのだ。それでも、けんかはしても血なまぐさいところはほとんどなく、青春映画と言ってもいいかもしれない。
 そんな若者たちのひとり、ジョニー・ボーイを演じるのがロバート・デ・ニーロ。手製の爆弾で意味もなくポストを吹っ飛ばしたり、夜中にエンパイア・ステート・ビルディングに向かって銃をぶっ放したりと、奇行を働いては騒ぎを起こす。そして金は借りても返さない。コミュニティでも鼻つまみ者なのだ。
 このキャラクターはどこか夏目漱石の『明暗』に登場する小林を想い出させる。

「僕は人に厭がられるために生きているんです。わざわざ人の厭がるような事をたりするんです。そうでもしなければ苦しくって堪らないんです。生きていられないのです。僕の存在を人に認めさせることが出来ないんです。」     (夏目漱石 『明暗』)


 ジョニー・ボーイはそんなことは語らないが、とにかくトラブルメーカーなのだ。借金を返そうともせず、さらに貸主を「マヌケ」呼ばわりして逆なでする。こうなるとジョニーの行く末は決まってくるようなものだ。なぜジョニーが馬鹿げた振舞いをやめようとしないのかはわからないが、困ったことに実際にそういう人間はいるものだ。そして、そんな人間と付き合うのはひどく厄介で骨が折れる。

 主人公のチャーリー(ハーヴェイ・カイテル)はジョニー・ボーイの友人だが、同時に彼の存在を“刑罰”の一種だと考えている。教会では「祈りを捧げれば赦される」と教えているが、チャーリーはそれを否定する。祈りは言葉に過ぎないから、自分の過ちはきちんと償わなければならない。そのための“刑罰”として、蝋燭の炎に自らの手をかざしたりもする。ジョニー・ボーイはどうしようもない奴だが、チャーリーにとっては彼を支えることが神から科せられた“刑罰”なのだ。だからチャーリーは何度裏切られてもジョニーを見捨てることはしないのだ。この二人の関係性がおもしろい。友情があるからこそ助けるということではないのだ。

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 アベル・フェラーラ『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992年)の主人公の悪徳警官も、『ミーン・ストリート』のチャーリー同様のオブセッション(*1)を抱いているように思えた。この悪徳警官は借金まみれでドラッグ漬けという破滅寸前の人間だが、同時に神に救いをこいねがわずにはいられない。この主人公を演じるのがハーヴェイ・カイテルで、その後のチャーリーを見るような錯覚を抱かせる。幻覚のキリストを前にして、「うぅー」と唸るような情けない声を漏らしながら赦しを乞う姿をカイテルが熱演している。
 悪徳警官は借金で首が回らないというのに、懸賞金のかかった犯罪者たちを見逃してやる。そうすることで自分が救われることを信じたからだ(もしくは救われることに賭けたから)。チャーリーが“刑罰”であるジョニー・ボーイの振舞いを赦すように、悪徳警官も与えられた試練を忌々しい犯罪者を赦すことによって乗り越えようとするのだ。
 チャーリーや悪徳警官のような人間がごく一般的な存在とは思えないが、アベル・フェラーラもブロンクス出身のイタリア系米国人だそうだ。カトリックの人間(あるいはイタリア系米国人)はそんな罪の意識に縛られているのだろうか。(*2)

 ちょっと前にスコセッシが製作会社から訴えられたというニュースがあった。『沈黙』の映画化が遅れたからだという。訴訟の目的は映画化実現にあるというが……。
 『沈黙』とは、もちろん遠藤周作の小説の映画化だ。上記のようなテーマにも関係がある題材だと思われるが、どんな映画になるだろうか。

(*1) これはオブセッション(強迫観念)と呼べないのかもしれないが、キリスト教圏ではない場所から見るとそんなふうにも感じられる。
 
(*2) もちろん『ミーン・ストリート』は、そんなテーマだけに囚われた映画ではない。「メッセージは存在しない」とスコセッシが語っているように。だがチャーリーの姿にスコセッシの姿が反映しているように、また司祭になることを夢見て後に『最後の誘惑』というキリストを描いた映画まで撮ってしまうように、スコセッシにとってキリスト教の教えが重要なのも確かなのだろう。


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Date: 2012.09.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

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