『素晴らしい一日』 韓国と日本の“素晴らしい”共作

 監督・脚本は韓国のイ・ユンギ。出演者やスタッフも韓国勢で、舞台も韓国だが、原作は日本の平安寿子の短編小説。

『素晴らしい一日』 チョン・ドヨン、ハ・ジョンウ共演

 仕事も結婚相手も失ってちょっと切羽詰った女が、元彼にところに借金返済を迫りにいくという話。この元彼のキャラクターがいい。借金したまま姿を消してしまうのだからろくな奴でないことは確かだが、楽天的で調子がよく、誰からも愛されてしまうようなところがあるのだ(韓国での題名は『My Dear Enemy』)。この元彼ビョンウンを演じているのは、ギドク作品『絶対の愛』『ブレス』に出ていたハ・ジョンウ。ビョンウンの愛嬌に付き合う素振りも見せず、終始気難しい表情のヒスを演じるのは、『シークレット・サンシャイン』でカンヌの主演女優賞を受賞したチョン・ドヨン。チョン・ドヨンは黒く縁取るようなどぎついアイメイクで、『シークレット・サンシャイン』の母親役とはまったく違った印象だ。

 借金の取立てなんてのはあまり気持ちのいいものではないだろうが、「貸したものは返してもらうのが道理だから」というわけで、ヒスは元彼ビョンウンの前に姿を現したわけだが、債務者側としても「予告もなしに急に来られても困る」という言い分もあるわけで、ヒスは元彼に付き合って金策に走り回ることになる。一種のロードムービーだ。目的地があるわけではないが、目的額まであちこちと街を走り回り、様々な人に会い、わけを話し、頭を下げてお金を貸してもらうのだ。
 ヒスからすれば目的は金だけで旧交を温めるつもりもないけれど、逃してしまっては元も子もない。一日金策に付き合うのは、元彼の過去の女なんかと顔を合わせる羽目になるわけで、楽しいわけがないのだけれど、次第にビョンウンのペースに巻き込まれていく。そうこうするうちにヒスの眉間に寄せたシワも次第に和らいでいく。

 私はキム・ギドクの映画が大好きだけれど、韓国や韓国映画全般についてはあまり知らない。“ヒス”という役名すら、最初は「ヒステリー」の略かと思ったほど(慣れてないからか韓国人の名前は、カタカナで書くと奇妙な気がする)。監督のイ・ユンギについてもこの作品が初めて。某劇作家の方はブログで「キム・ギドクは哲学と美術で映画を撮ろうとしますが、この監督のイ・ユンギは文学で撮ってますね」と記している。“文学”的というのも何となくわかるような気がする。
 映画の終盤で、ヒスが急に涙を見せる場面がある。レッカー移動された車を取りに行くために電車で移動中のことだ。ビョンウンは電車の中吊り広告を見て、自分の見た夢の話を語りだす。格闘家のヒョードル(*1)というスーパーヒーローが夢に出てきて自分に語りかけてくれるという、いわばどうでもいい話だ。そのどうでもいい話の最中にヒスは涙を見せる。某劇作家はこの場面に関して、「ヒスにとってはビョンウンがその「ヒョードル」だから…(笑)。」とあくまで冗談まじりに語っているけれど、まったく見当違いではなくても、ヒスが感じていたことはそれだけではないはずだ。
 「一日走り回って色々あった。久しぶりに会った元彼にも色々あったことを初めて知った。それなのに私は……」。こうやって説明してもうまく伝わらないが、「色々あった」の部分と「……」の部分が重要で、映画の2時間という時の経過のなかで、「色々」が「……」という複雑な感情となり涙を溢れ出させたわけだ。「色々」は映画を観ればわかるが、「……」はそんなに単純ではないだろう。それは「寂しさ」とか「優しさ」とか一語で説明できる感情ではないし、台詞で吐露できる類のものでもないのだろう(できたとしても途端に陳腐になる)。(*2)
 そういう意味で余韻あるラストなど、原作よりも“文学”的だと感じられた。ラストは原作通りだが、原作は短編だけに流れに早急な部分があるし、小説だから言葉で表現するのは当然だが、感情や背景を独白で語りすぎて説明的な箇所もある。
 映画のラストではビョンウンが去ったあと、ひとりでハンドルを握るヒスの表情が捉えられる。一日を終え、ある程度の目的を達成し、色々なことを思い起こし、どうしようもなく笑みがこぼれてしまう様子が丹念に追われている。運転席でひとり微笑むだけのシーンなのだけれど、「素晴らしい映画」と思わせる余韻を残していて、観る側も微笑まずにはいられないだろう。(*3)


(*1) ヒョードルとはあのエメリヤーエンコ・ヒョードルのことで、映画では「M-1」という大会にヒョードルが出場することになっている。どうやら現実にもそんな大会があるみたいだが、日本では「K-1」も「プライド」も見かけなくなってちょっと残念。
 ここでのヒョードルの登場に理由はない。別段セーム・シュルトだってよかったのだ。神様だって構わないし、亡くなったおばあちゃんでもいい。ただ傍らで何かしらを語ってくれているということがヒスの感情を刺激したのだろう。ビョンウンにはそんな優しさがある。

(*2) トルストイは『アンナ・カレーニナ』が表す思想を問われて、「小説によって表現しようとしたこと全てを言葉で言おうとするならば、私が書いたのと同じ小説を、始めから書き直さなくてはならないだろう」と答えたのだとか。

(*3) ラストの笑顔はもちろん“映画”的なシーンだとも言えるけれど、映画が“映画”的だというのも変ではないけれど、ちょっとわかりづらい。ヒスが破顔するまでの実際の時間の流れと、感情の揺らぎのような表情を体験するという意味で、“映画”の特性を示していると言えばいいか。イ・ユンギ監督の演出は、女性的で複雑な感情の機微を、説明的な台詞に頼らずに描いている点で“文学”的だと思える。
 また、この監督の演出は奇を衒う部分はないが、冒頭の長回しは物語への導入としてスムーズだった。それはどこかの駐車場にいるカップルの会話から始まる。誰かが土地で金もうけをして、云々。そこに電話が入って待ち合わせ場所にカップルが向かうと、建物から出てきた男たちが賭け事の話をしながら昼食に出て行く。その男たちを横目に主人公ヒスが建物のなかに入っていくと、そこは場外馬券場で、ひと儲けをたくらむ人々が集う場所だ。ヒスは誰かを探すように辺りを見回す。ここまで1カットで撮影している。冒頭の長回しでこの物語が金を巡る物語だとわからせておいて、元彼を見付けたヒスは突然「お金返して」と迫るのだ。


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イ・ユンギ監督の作品
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Date: 2012.09.24 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

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