『ディーパンの闘い』 内に秘めた暴力が爆発するとき
カンヌ国際映画祭では、グランプリを受賞した『サウルの息子』や評判の高かった『キャロル』などを抑えてパルム・ドール(最高賞)を受賞した。

内戦にあったスリランカから逃れるため、元兵士ディーパン(アントニーターサン・ジェスターサン)は赤の他人と家族を装ってフランスに入国する。パリ郊外の集合団地に管理人として住み込みで働くことになったディーパンたちは、次第に本当の家族らしい関係となっていくのだが……。
“ディーパン”という名前はすでに死んだ人のものだ。本名は違う。移民として受け入れてもらうには家族であることが有利なため、“ディーパン”という新しい名前を名乗り、ヤリニという女と彼女が拾ってきた少女とともに偽装家族を形成する。彼らはタミル人でスリランカでは少数派。ディーパンはタミル・イーラム解放のトラという反政府勢力の兵士であったのだが、暴力で守ろうとした妻や子供は亡くなり、平穏無事な生活を求めてスリランカを捨てることを決意する。
集合団地でディーパンたちは次第に家族らしい営みを見出していく。ディーパンがフランス語を話す住民たちのユーモアがわからないとヤリニ(カレアスワリ・スリニバサン)にこぼすのだが、ヤリニは「あなたは堅物だからタミル語でもおもしろくない」と冗談交じりに返される。内戦のなかで常に殺し合いと接しているような日々ではユーモアが入り込む隙すらないわけで、ディーパンも集合住宅での生活で少しずつユーモアを取り戻していく。
ただ一方で集合住宅には麻薬を売買する連中が抗争を繰り返しているし、かつての反政府勢力の上官が現れディーパンに武器のための金銭を要求するなど不穏な側面も。酔ったディーパンがぼんやりと夢見るのはスリランカの森のなかに生息する象の姿で、その姿はディーパンが抑制している暴力の化身のようにも見える。
※ 以下、ネタバレもあり!

ヨーロッパ映画で移民というものが題材として目立つようになったのはいつのころからなのだろうか。この作品もそうした問題を描いているのだが、入口は移民問題でも出口は妙な方向へと進んでいく。カンヌでこの作品がパルム・ドールを獲得したとき、賛否両論あったのはその唐突な変化が予想外だったからかもしれない。
オーディアールの作品はいくつかしか観ていないのだが、『君と歩く世界』では両足を失った女性が登場するが、障がい者の恋愛物として安心して観られる類いの代物ではなかった。『真夜中のピアニスト』では、不動産ブローカーというヤバい仕事をしている男がピアニストとして成功することを夢見るという奇妙な味わいの作品だった(この作品はリメイクらしい)。
オーディアールという人が分裂気味な何かを抱えているのか否かは知らないけれど、『ディーパンの闘い』でも「偽装家族での平穏な生活を願う部分」と「内に秘めた暴力的な部分」が交じり合わずに同居しているようで、最後には暴力的な部分が爆発する。
ラストの展開は、まるで任侠映画で敵地に乗り込むヤクザのようでもあった。チンピラたちと死線を越えてきた元兵士との闘いだけにその強さは圧倒的だったのだが……。その後の場面ではイギリスらしき風景のなかで、ディーパンたち偽装家族が本当の家族となって暮らしている。もちろんこれは幻想だろう(レクイエムっぽい音楽が流れるし)。エンディングロールではディーパンの髪をなでるヤリニの手が映されるのだが、それはディーパンの頭から流れている血を押しとどめている仕草のようにも見えた。
追記:パルム・ドールを争った『キャロル』も観てきたのだけれど、ラストの展開なども含めて驚きがあったのは『ディーパンの闘い』のほうで、何となくパルム・ドールも納得しないでもない。どうやらオーディアール作品のなかで『ディーパンの闘い』は最も出来がいいとは必ずしも言えないようだけれど、そういったことはよくあること。前回のパルム・ドール作品『雪の轍』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)だって、その前にグランプリを獲得した『昔々、アナトリアで』のほうが素晴らしかったと思うし……。
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