『プンサンケ』 キム・ギドク脚本作品
キム・ギドクが製作総指揮と脚本を担当した映画。
監督を務めたのは、ギドクの弟子で『ビューティフル』で監督デビューしたチョン・ジェホン。

ギドク作品では『ワイルド・アニマル』『コースト・ガード』でも取り上げられた分断国家というテーマだが、この映画ではより直接的に38度線が描かれる。非武装地帯の鉄条網を軽々飛び越え、地雷をものともせず、わずか3時間で北と南を行き来する主人公を擁する映画はエンターテインメントに仕上がっている。
題名にもなっている“プンサンケ(=豊山犬)”とは、北朝鮮原産の狩猟用犬種のことだが、これは主人公の呼び名だ。この口をきかず素性の知れない主人公は、いつも“プンサンケ”という銘柄のタバコを吸っていることからそう呼ばれるのだ。プンサンケは北と南を行き来して運び屋をする。依頼を受ければ、離ればなれの家族のために大切なビデオレターを届け、あるいは体を張って脱北を助けたりもする。
物語は脱北して韓国で匿われている元北朝鮮高官のわがままから動き出す。この高官は北の秘密を握っており、北朝鮮からは当然命を狙われる。一方、韓国側には匿われつつもその秘密を文書化することを迫られる。高官は文書を作成し終われば自分が存在意義を失い、自らの命を危うくすることを知っているから、現状のまま(秘密を保持したまま)で自分の価値を吊り上げ韓国からさまざまな見返りを引き出したい。そんな見返りのひとつとして挙げられるのが、北側に残してきた愛人イノクで、それを連れて来ることがプンサンケの仕事になる。
危険を伴う北からの脱出の際、なぜかプンサンケと高官の女は気持ちを通じ合うようになるのだが……。
プンサンケは韓国からは利用され、北側からは脱北の手伝いをする邪魔者として命を狙われる。韓国側の組織と北朝鮮の工作員が入り乱れて結局は高官も殺され、脱北者であるイノクは逃走中に川に落ちて死んでしまう(自死とも言える)。プンサンケは両陣営に復讐を決意する。
プンサンケは拉致してきた敵たちを密室に放り込んでいく。まずは北朝鮮の人間と韓国の人間がひとりずつ。この密室のなかで1対1の戦いが始まる。しかしすぐに次の人間が加えられる。今度は2対1だ。当然、数で多いほうが有利になる。だがすぐにまた拉致された人間が登場する。今度は2対2になって戦況はイーブンになる。
馬鹿げたけんかは終わらない。結局、プンサンケによってすべての人間が拉致されて密室に入れられ4対4の膠着状態になる。するとプンサンケは銃を一丁密室に投げ込む。となれば銃を手にした側が主導権を握る。だが次にはもう一丁の銃が登場してにらみ合いになり……。
もちろんこれは現実の二国間の争いの戯画化だ。この争いは中国の人間が介入して一旦は収まるかに見えたが、最後までどちら側も譲ることをせずに解決を見ることはないままだ。

『プンサンケ』では、先進国である韓国側が無条件によいとされているわけではない。イノクは北から南に来て、高官の人柄が変わってしまったと感じ、北に戻りたいと言い出すし、高官でさえ命を賭して逃げ出してきたはずなのに、平壌が恋しいのか平壌冷麺を食べたがる。北の政治状況はおかしいのだが、韓国に来てみれば韓国には別の問題がある(北側からすれば資本主義)と描かれるのだ。どちらが正しいというわけではなく、どちらもおかしいのだ。
分断された家族のために境界線上を行き来していたプンサンケは、両国の間にある非武装地帯上で銃弾に倒れていく。これもプンサンケが北でも南でもないということを悲劇的に示している。超人的な活躍を見せていたプンサンケだが、北でも南でもない場所に立つということは、結局、死を導くことになったのだ。プンサンケの復讐を経ても、韓国と北朝鮮は未だ愚かさに気づかない。その意味では、映画は両国の状況を追認しただけとも言える。祖国の統一の夢ははるかに遠い。それまでは「どちらにも与 しない」ことは、かえって危険を伴う。しかし、ラストにこそ、この映画に込められたメッセージがある。銃弾を受けて横たわるプンサンケの目に空が映る。境界線などないその空を、鳥たちが自由に羽ばたいてゆく。ジョン・レノンの「イマジン」ではないが、そのメッセージは誰にでも明らかだろう。
この映画『プンサンケ』は、スタッフ・俳優のすべてがノーギャラで臨んでいるのだそうだ。そのメッセージが、映画を製作した韓国にとっていかに重要かということがわかるだろう。資本主義などに毒されることもなく、多くの韓国映画人を動かして1本の映画をつくってしまうのだから。
つづく : キドクの脚本などに関しては次回……。
監督を務めたのは、ギドクの弟子で『ビューティフル』で監督デビューしたチョン・ジェホン。

ギドク作品では『ワイルド・アニマル』『コースト・ガード』でも取り上げられた分断国家というテーマだが、この映画ではより直接的に38度線が描かれる。非武装地帯の鉄条網を軽々飛び越え、地雷をものともせず、わずか3時間で北と南を行き来する主人公を擁する映画はエンターテインメントに仕上がっている。
題名にもなっている“プンサンケ(=豊山犬)”とは、北朝鮮原産の狩猟用犬種のことだが、これは主人公の呼び名だ。この口をきかず素性の知れない主人公は、いつも“プンサンケ”という銘柄のタバコを吸っていることからそう呼ばれるのだ。プンサンケは北と南を行き来して運び屋をする。依頼を受ければ、離ればなれの家族のために大切なビデオレターを届け、あるいは体を張って脱北を助けたりもする。
物語は脱北して韓国で匿われている元北朝鮮高官のわがままから動き出す。この高官は北の秘密を握っており、北朝鮮からは当然命を狙われる。一方、韓国側には匿われつつもその秘密を文書化することを迫られる。高官は文書を作成し終われば自分が存在意義を失い、自らの命を危うくすることを知っているから、現状のまま(秘密を保持したまま)で自分の価値を吊り上げ韓国からさまざまな見返りを引き出したい。そんな見返りのひとつとして挙げられるのが、北側に残してきた愛人イノクで、それを連れて来ることがプンサンケの仕事になる。
危険を伴う北からの脱出の際、なぜかプンサンケと高官の女は気持ちを通じ合うようになるのだが……。
プンサンケは韓国からは利用され、北側からは脱北の手伝いをする邪魔者として命を狙われる。韓国側の組織と北朝鮮の工作員が入り乱れて結局は高官も殺され、脱北者であるイノクは逃走中に川に落ちて死んでしまう(自死とも言える)。プンサンケは両陣営に復讐を決意する。
プンサンケは拉致してきた敵たちを密室に放り込んでいく。まずは北朝鮮の人間と韓国の人間がひとりずつ。この密室のなかで1対1の戦いが始まる。しかしすぐに次の人間が加えられる。今度は2対1だ。当然、数で多いほうが有利になる。だがすぐにまた拉致された人間が登場する。今度は2対2になって戦況はイーブンになる。
馬鹿げたけんかは終わらない。結局、プンサンケによってすべての人間が拉致されて密室に入れられ4対4の膠着状態になる。するとプンサンケは銃を一丁密室に投げ込む。となれば銃を手にした側が主導権を握る。だが次にはもう一丁の銃が登場してにらみ合いになり……。
もちろんこれは現実の二国間の争いの戯画化だ。この争いは中国の人間が介入して一旦は収まるかに見えたが、最後までどちら側も譲ることをせずに解決を見ることはないままだ。

『プンサンケ』では、先進国である韓国側が無条件によいとされているわけではない。イノクは北から南に来て、高官の人柄が変わってしまったと感じ、北に戻りたいと言い出すし、高官でさえ命を賭して逃げ出してきたはずなのに、平壌が恋しいのか平壌冷麺を食べたがる。北の政治状況はおかしいのだが、韓国に来てみれば韓国には別の問題がある(北側からすれば資本主義)と描かれるのだ。どちらが正しいというわけではなく、どちらもおかしいのだ。
プンサンケは韓国側からも北朝鮮側からもそう問われる。しかし一切それに答えることはない。どちら側でもないからだ。そもそも「どちらかに付く」などという考えが愚かなのであって、韓国も北朝鮮もどちらも愚かだと映画は語っている。「おまえは北と南、どっちの犬だ?」
分断された家族のために境界線上を行き来していたプンサンケは、両国の間にある非武装地帯上で銃弾に倒れていく。これもプンサンケが北でも南でもないということを悲劇的に示している。超人的な活躍を見せていたプンサンケだが、北でも南でもない場所に立つということは、結局、死を導くことになったのだ。プンサンケの復讐を経ても、韓国と北朝鮮は未だ愚かさに気づかない。その意味では、映画は両国の状況を追認しただけとも言える。祖国の統一の夢ははるかに遠い。それまでは「どちらにも
この映画『プンサンケ』は、スタッフ・俳優のすべてがノーギャラで臨んでいるのだそうだ。そのメッセージが、映画を製作した韓国にとっていかに重要かということがわかるだろう。資本主義などに毒されることもなく、多くの韓国映画人を動かして1本の映画をつくってしまうのだから。
つづく : キドクの脚本などに関しては次回……。
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