『サウルの息子』 見たくないものを見ようとすると……

 カンヌ映画祭でグランプリを受賞した作品。
 監督・脚本はハンガリーの新鋭ネメシュ・ラースロー


 舞台はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ユダヤ人を効率よく殺すための工場としてあったその収容所では、ゾンダーコマンドと呼ばれるユダヤ人が死体処理の仕事をしていた。ハンガリー系ユダヤ人のサウル(ルーリグ・ゲーザ)はゾンダーコマンドとしての仕事に従事しているのだが、ガス室からかろうじて生還した少年を見付ける。その少年はすぐに死んでしまうのだが、サウルは少年の遺体を葬るために奔走することになる。

ネメシュ・ラースロー 『サウルの息子』 サウル(ルーリグ・ゲーザ)にだけ焦点が当たり、周囲はかなりぼやけている。

 この作品ではカメラはサウルから離れることはない。この手法はダルデンヌ兄弟のそれを思わせなくもないのだが、『サウルの息子』ではスクリーンに映るのはサウルの顔ばかりで周囲はひどくぼやけている。被写界深度の極端に浅いカメラを使っているようで、中心にいるサウル以外には焦点が合っていないのだ。
 しかも画面サイズはスタンダード(1.33:1)だから、中心にサウルの顔がクローズアップで映ると余白はとても狭くなる。しかし、その限られた余白に映し出されるものが衝撃的だ。ガス室で殺されたユダヤ人はゾンダーコマンドに床を引きずられて運ばれていく。ここでは死体は“部品”と呼ばれ、物として扱われるのだ。そして、焼却炉へと移動させるために部品(=死体)は山のように積み上げられる。余白にぼんやりと映し出されるのはそうした目を覆うような出来事だ。

 なぜこんな手法が選択されなければならなかったのかと言えば、サウル自身の視野もそうした状態にあるということだろう。極端に見たくないものがあれば人間は感覚を遮断するのだ。ゾンダーコマンドとして働くことになったサウルは、同胞であるユダヤ人をガス室へ送り、死体を焼却して残った灰を川へと捨てる。普通の感覚でそんなことができるわけがないのだ。
 『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』という本では、“生きる屍”となってしまったユダヤ人のことが書かれている。ユダヤ人はただちに殺される場合もあれば、そこで働かされる場合もあり、そのなかの一部の人は“生きる屍”と化していた。人間には耐えなければならないこともあるわけだけれど、耐え抜いて収容所を生きることは人間性すら失わせるような場合もあるということだ。
 その本のなかのゾンダーコマンドの生き残りの証言によれば、その仕事は死体から金歯を抜き取り、女性の髪を切り取り、死体の開口部に貴重品を隠していないかまで調べあげたのだという……。そんな仕事だから「この作業をやると、一日目に気が狂うか、さもなければそれに慣れるか」だったと言う。この場合の「慣れる」というのは、それが普通のことになるという意味ではないわけで、慣れた人はどこか人としての感覚を遮断しているのだ。そうしなければ生きていけなかったからだ。この作品でサウルとともに観客が体験することになる過酷な環境も、その刺激を低減させるぼんやりとしたものとなっていて、それはサウルの感覚を意識しているのだろうと思う。

 サウルは少年を息子だと言うのだが、その証拠はない。ただ少年を手厚く葬ることに執着する。周囲のゾンダーコマンドたちはナチスへの武装蜂起にわずかな希望を見出しているわけだが、サウルの場合のアウシュヴィッツへの適応の仕方が違う。サウルはゾンダーコマンドとして生きることで失ってしまった人間性を、少年をユダヤ人らしく葬ることで取り戻そうとしているのだ。
 とにかく衝撃的な作品だった。ガス室のなかから聞こえる悲鳴とも言えないような壮絶な音は、作品タイトルが出る瞬間に消えるのだが、その静寂が痛いほどだった。一方でサウルの視覚はその刺激を遮断している。それでも映画館の観客としては余白に何が映し出されるのかを探ろうとする。そこでは見ようとするものが見えないという状態が延々と続いていくわけで、意識が朦朧としてくるような瞬間も……。

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アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人


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Date: 2016.01.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (7)

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