『消えた声が、その名を呼ぶ』 アルメニア人の苦難の歴史をトルコ系監督が描く

 『愛より強く』(ベルリン国際映画祭金熊賞)などのファティ・アキンの最新作。
 原題の「THE CUT」は主人公が負うことになる傷のことだろうか。

ファティ・アキン 『消えた声が、その名を呼ぶ』 ナザレット(タハール・ラヒム)には双子の娘(ルシネとアルシネ)との幸せな生活があったのだが……。

 この映画は歴史上のある出来事に関して描いている。この出来事はウィキペディアでは「アルメニア人虐殺」という項目として記されている。第一次世界大戦中のオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人の計画的で組織的な虐殺というのが一般的な見方のようだが、トルコ側はこの出来事を偶発的な事件としているようだ。そんな意味ではトルコではタブー視されているとも言えるのだろうが、トルコ系のドイツ人であるファティ・アキンはそんな厄介な題材に取り組んで、自らのルーツとなる国の負の歴史を見つめていくことになる。
 「アルメニア人虐殺」を扱った映画はほとんどないようで、よく知られているものとしてはアトム・エゴヤン監督の『アララトの聖母』くらいだろう。エゴヤンはアルメニア系のカナダ人で、『アララトの聖母』では現代の映画監督が題材として「アルメニア人虐殺」を扱うことになり、歴史的な出来事である「アルメニア人虐殺」を発見することになる。一方の『消えた声が、その名を呼ぶ』は「アルメニア人虐殺」を現在形で描き、アルメニア人のその後の苦難が追われることになる。

 この作品の視点は被害者側のアルメニア人のナザレット(タハール・ラヒム)にある。だからなぜ「アルメニア人虐殺」という出来事が起きたのかはよくわからない。イギリスとトルコが戦争状態にあり、オスマン・トルコ帝国内にいたアルメニア人たちも兵隊として狩り出されるという噂は語られているのだが、その噂が実行に移されるのはあまりに突然のことだ。
 鍛冶職人だったナザレットは、妻と双子の娘(ルシネとアルシネ)と暮らしていた集落から連れ出される。それ以降家族とは離ればなれにされ、きつい強制労働をさせられる日々が続く。そして「虐殺」という出来事も唐突に始まる。アルメニア人たちは縄につながれたまま、喉をナイフでかき切られるのだ。
 ただ「アルメニア人虐殺」という出来事は、たまたま声を失っただけで生き残ったナザレットの苦難の始まりとも言える。ナザレットはトルコ人たちから逃れるが、行く先々でアルメニア人の女子供が無残に殺された姿を目撃する。そして難民たちがキャンプを張っている場所へとたどり着くが、そこは地獄のようなところだった。

『消えた声が、その名を呼ぶ』 ナザレットを演じるタハール・ラヒムはほとんど出突っ張りで世界各地を旅する。

 ファティ・アキンはこの最新作を『愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』と合わせて、「愛、死、悪についての三部作」としているようだ。とはいえ『消えた声が、その名を呼ぶ』はトルコの悪業を殊更に追求するものではない。イギリスに負けたトルコ軍が去って解放されたアルメニア人は、トルコ人たちに石を投げつけるのだが、ナザレットはそれをすることができないのだ。石を投げつけられているトルコ人たちも歴史に翻弄された人々に過ぎないということなのかもしれない。それ以上に焦点が当てられているのは、虐殺を生き延びたナザレットのその後の姿のほうだ。
 ナザレットは唯一の希望である娘たちを探して世界を旅することになる。トルコからレバノン、キューバ、そしてアメリカに渡ってさらに北上していく。(*1)ナザレットの行動はかなり行き当たりばったりだ。とにかく娘に会うために海外に渡り、生きるために働いたり盗んだりしながら前へと進んでいく(このあたりは『愛より強く』の主人公たちの愛の形が行き当たりばったりだったのとよく似ている)。

 世界を渡り歩くことになるナザレットは各地でアルメニア人の同胞とも出会う。オスマン・トルコ内で少数民族として生きていたアルメニア人の多くはトルコを離れ、世界中へ散っていったのだろう。ちなみに『アララトの聖母』を撮ったアルメニア系のエゴヤンは、エジプトのカイロで生まれてカナダに移住したとのことである。
 一方でトルコ系の移民の問題は『おじいちゃんの里帰り』(ヤセミン・サムデレリ監督)にコメディとして描かれていた。ドイツでは1960年代に労働力不足のためにトルコからの移住を受け入れていたようだ。ファティ・アキンがどのようにしてドイツに渡ったのかは知らないけれど、ファティ・アキンにとっても移民の問題は重要なもので、『そして、私たちは愛に帰る』では移民の問題に焦点が当てられている。
 言葉が通じない外国で頼りになるのは民族を同じくする者たちだ(ナザレットは声を失っているからしゃべることはできないのだが)。『消えた声が、その名を呼ぶ』のナザレットはそんな同胞たちに助けられ、最後には生き別れた娘と対面することになる。各地の同胞たちの親切がなければそんなことは不可能だったわけで、その結びつきはとても堅固なものがあるようだ。だからこそなのだと思うが、ナザレットがこの作品のなかで一番怒りをあらわにするのは、娘たちに対してひどい扱いをした同胞のアルメニア人に対してなのだ。

 タハール・ラヒム演じるナザレットはほとんど出突っ張りだが感情をあらわにする場面はあまりない。そんなふうに抑制された感情が、世界各地の風景に合わせて流されるアレクサンダー・ハッケのノイジーな音とよく合っていたように思う。ファティ・アキンはアレクサンダー・ハッケを中心に据えた音楽ドキュメンタリー(『クロッシング・ザ・ブリッジ』)も手がけているとのことで、そっちのほうもちょっと気になる。

(*1) 世界を旅したナザレットが一番危険な思いをしたのはアメリカに渡ってからで、アメリカ人は見知らぬナザレットを見つけると不安に駆られ猟銃を持ち出してくる。ノースダコタで出会う鉄道労働者たちも始末の悪い与太者という感じで、アメリカ人の印象はすこぶる悪いような……。

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Date: 2016.01.09 Category: 外国映画 Comments (2) Trackbacks (5)

この記事へのコメント:

PineWood

Date2016.02.10 (水) 22:50:32

チャップリンのキッドを見て感涙するシーンがあった。初期の映画は悪魔の魔術みたいに畏れられていたが、庶民の熱狂ぶりが良く分かる。負の汚点を見つめる視点がいい!(ソウル・キッチン)ではないが、皿洗いや厨房のシーンなども力が入っていたような気も。アイデンテテイや娘探しのロードムービーとも言えるがー。

Nick

Date2016.02.15 (月) 00:26:37

> チャップリンのキッドを見て感涙するシーンがあった。

あのシーンではタハール・ラヒムはとても楽しそうな表情を見せていましたね。
結構重苦しい作品だけに、そこだけ救いのように楽しそうなのが印象的でした。

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