『仮面/ペルソナ』 念願叶ってようやくこの作品が……
10月7日からイングマール・ベルイマンの『魔術師』『仮面/ペルソナ』『叫びとささやき』の3作品がレンタルにも登場した。今回の目玉はやはり『仮面/ペルソナ』だろう。ベルイマン作品のなかでも重要なものとされているのに、なぜか観るチャンスが極端に少なかった作品だからだ。レンタル店にもないし、日本語字幕付きのソフトも手に入らない状況だったから、英語字幕版を買ってはみたけれどやはり詳細はわからずじまいだったわけで、ようやくまともに観ることができたのは何より嬉しいことだ。(*1)

舞台女優エリザベート(リヴ・ウルマン)は突然失語症に陥り、ほとんど身動きもとれないような状態になってしまう。それでも看護師のアルマ(ビビ・アンデション)はエリザベートを献身的に看護し、次第に回復に向かっていく。病院から別荘へと転地して療養を続けることになると、ふたりはもっと打ち解けていくようになる。
“失語症の女”と“しゃべり続ける女”という組み合わせ。片方が何もしゃべらないのならばもう一方がしゃべるしかないのは当然のことで、アルマは次第にエリザベートを聞き手に自らの過去を語ることになる。過去を共有したふたりは仲のいい姉妹のようにも見え、互いを自分の鏡像のように感じているようだし、その後の関係悪化から対峙しあうことになると、今度は分裂した自己のひとり芝居のようにも見えなくもない。
題名にも表れているように、エリザベートは“仮面”であり、アルマがその“内面”なのかもしれない。ラストで別荘を出て行くのがアルマだけなのも、そんな推測が正しいように思わせなくもないが、その解釈に整合性があるのかと言えばあやしい気もするし、唯一の解釈とも言えないのだろう。
この作品はふたりの女優(ビビ・アンデションとリヴ・ウルマン)が似ていることから発展したということ。監督のベルイマンは様々な女優との浮き名を流してきた人で、リヴ・ウルマンとの関係は『リヴ&イングマール ある愛の風景』に詳しく描かれていた。そんな意味で、女優たちの表の顔と裏の顔をよく知っていたベルイマンだからこその作品なのかもしれない。ただ、下世話とも言えるそんな題材から、こんな小難しい摩訶不思議な作品が出来上がってしまうのもベルイマンの独自性なのかもしれない。
ベルイマン生誕95周年のときに開催された「ベルイマン三大傑作選」の劇場用パンフレットの文章によると、『仮面/ペルソナ』はアルトマンやタルコフスキーを筆頭に、様々な映画監督に影響を与えているらしい。リンチの『マルホランド・ドライブ』やキェシロフスキの『ふたりのベロニカ』あたりも無縁ではないというのだから、ベルイマンの幅広い影響がよくわかるというものだ。

英語字幕版を観たときは冒頭の映像の断片は一体何だったのか理解できなかったのだけれど、ふたりにはそれぞれ堕胎した子供がいたわけで、あの断片的な映像に登場する男の子は堕胎された子供とも思える。そんな子供が死の世界からこの世を覗いている映像のようにも見えなくもないのだ。中盤でも突如フィルムが焼け落ちるようにして、映像の断片が再び挿入されることになるのだが、その意味不明な展開もさることながら、まったくカットがつながっていない部分なんかもあって、その破綻ぶりもおもしろい。
それからエリザベートがこちら側を見たまま身動きしないシーンでは、演じるリヴ・ウルマンは約1分ほど瞬きひとつせずに画面のこちらを見つめている。エリザベートは本当は死人なのかもと疑うほど微動だにしないのが恐ろしい。そんななかで次第に照明の光(あるいは陽の光)が落ちていき真っ暗になると、そこで大きなため息を吐く。こういった演出は『岸辺の旅』で黒沢清監督もやっていたけれど、『仮面/ペルソナ』も見事に決まっていたと思う。
結局、日本語字幕版で観てもわかりやすいというわけではないのだけれど、全篇どこを切り取っても惹かれるものがある。よくわからない部分があるだけに何度も繰り返し観てしまう作品だと思う(約80分と短いから余計に)。
(*1) ただ、その日本語字幕に誤字があったりしたのはちょっと興醒めだった。「看護の自信がありません」となるべきところが、「看護の自身がありません」となっていて一瞬戸惑った。まあ、たまにはあるけれど、よりによってこの作品でというのが……。


舞台女優エリザベート(リヴ・ウルマン)は突然失語症に陥り、ほとんど身動きもとれないような状態になってしまう。それでも看護師のアルマ(ビビ・アンデション)はエリザベートを献身的に看護し、次第に回復に向かっていく。病院から別荘へと転地して療養を続けることになると、ふたりはもっと打ち解けていくようになる。
“失語症の女”と“しゃべり続ける女”という組み合わせ。片方が何もしゃべらないのならばもう一方がしゃべるしかないのは当然のことで、アルマは次第にエリザベートを聞き手に自らの過去を語ることになる。過去を共有したふたりは仲のいい姉妹のようにも見え、互いを自分の鏡像のように感じているようだし、その後の関係悪化から対峙しあうことになると、今度は分裂した自己のひとり芝居のようにも見えなくもない。
題名にも表れているように、エリザベートは“仮面”であり、アルマがその“内面”なのかもしれない。ラストで別荘を出て行くのがアルマだけなのも、そんな推測が正しいように思わせなくもないが、その解釈に整合性があるのかと言えばあやしい気もするし、唯一の解釈とも言えないのだろう。
この作品はふたりの女優(ビビ・アンデションとリヴ・ウルマン)が似ていることから発展したということ。監督のベルイマンは様々な女優との浮き名を流してきた人で、リヴ・ウルマンとの関係は『リヴ&イングマール ある愛の風景』に詳しく描かれていた。そんな意味で、女優たちの表の顔と裏の顔をよく知っていたベルイマンだからこその作品なのかもしれない。ただ、下世話とも言えるそんな題材から、こんな小難しい摩訶不思議な作品が出来上がってしまうのもベルイマンの独自性なのかもしれない。
ベルイマン生誕95周年のときに開催された「ベルイマン三大傑作選」の劇場用パンフレットの文章によると、『仮面/ペルソナ』はアルトマンやタルコフスキーを筆頭に、様々な映画監督に影響を与えているらしい。リンチの『マルホランド・ドライブ』やキェシロフスキの『ふたりのベロニカ』あたりも無縁ではないというのだから、ベルイマンの幅広い影響がよくわかるというものだ。

英語字幕版を観たときは冒頭の映像の断片は一体何だったのか理解できなかったのだけれど、ふたりにはそれぞれ堕胎した子供がいたわけで、あの断片的な映像に登場する男の子は堕胎された子供とも思える。そんな子供が死の世界からこの世を覗いている映像のようにも見えなくもないのだ。中盤でも突如フィルムが焼け落ちるようにして、映像の断片が再び挿入されることになるのだが、その意味不明な展開もさることながら、まったくカットがつながっていない部分なんかもあって、その破綻ぶりもおもしろい。
それからエリザベートがこちら側を見たまま身動きしないシーンでは、演じるリヴ・ウルマンは約1分ほど瞬きひとつせずに画面のこちらを見つめている。エリザベートは本当は死人なのかもと疑うほど微動だにしないのが恐ろしい。そんななかで次第に照明の光(あるいは陽の光)が落ちていき真っ暗になると、そこで大きなため息を吐く。こういった演出は『岸辺の旅』で黒沢清監督もやっていたけれど、『仮面/ペルソナ』も見事に決まっていたと思う。
結局、日本語字幕版で観てもわかりやすいというわけではないのだけれど、全篇どこを切り取っても惹かれるものがある。よくわからない部分があるだけに何度も繰り返し観てしまう作品だと思う(約80分と短いから余計に)。
(*1) ただ、その日本語字幕に誤字があったりしたのはちょっと興醒めだった。「看護の自信がありません」となるべきところが、「看護の自身がありません」となっていて一瞬戸惑った。まあ、たまにはあるけれど、よりによってこの作品でというのが……。
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