『岸辺の旅』 ふたりの間にある不自然な柱
第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門では監督賞を受賞した。
原作は湯本香樹実の同名小説。

3年前に失踪した夫・優介(浅野忠信)が、ある日突然、瑞希(深津絵里)の前に現れる。「俺、死んだよ」と他人事みたいに報告する優介を、瑞希もすんなりと受け入れる。優介は富山の海で溺れ、身体は蟹に喰われて見つからないのだという。そんな優介に誘われて、3年の間さまよい歩いた場所へ旅をすることになる。
優介の登場は唐突である。瑞希がキッチンで白玉を作っていると、いつの間にかに靴を履いたままの優介が部屋のなかに現れる。実体らしきものはあるようで、瑞希の作った白玉を「熱いな」などと言いながら口にしたりもする。その後の旅で示されるように、瑞希以外の人とのコミュニケーションもあることから、優介は瑞希の妄想の産物ではない。この作品世界では、死者と生者の差はあまりなく、ともに暮らしているのだ。
失踪の3年間、優介はそれぞれの場所で仕事をしながら、周囲の人たちとも馴染んで暮らしていたようだ。そして優介だけが特別な存在ではなく、優介と同じような死者もあちこちに登場する。原作には「死んだ人のいない家はない」とも記されているとのことで、どの場所でも死者が生者とともにいるのだ。

優介が死者であるということは最初から明らかにされている。題名の「岸辺」とはあの世(彼岸)とこの世(此岸)の境界のことだ。ふたりが最後にたどり着く場所は海辺だったし、三途の川のような幹線道路を挟んでふたりが向き合う場面も生と死の境界を意識させるものだった。
生者と死者は見分けがつかないわけだが、演出上の境界線は常に意識されている。冒頭は瑞希が教え子にピアノの指導をするシークエンスだが、言葉を交わす教え子の母親と瑞希の間にはリビングには不自然な柱が立っている。これは失踪した夫を想ってなかば死んだように虚ろに生きている瑞希と、現実世界に根を張っている者との境界線を示しているのだろう。
そして優介が唐突に部屋に現れる場面でも、優介と瑞希の間には黒々とした太い柱が境界線を作っている。これはもちろん生者と死者の境界線だ。この作品の題名が『岸辺の旅』であるように、その境界は曖昧なものであり、登場人物は生と死のあわいを行ったり来たりすることになるわけで、瑞希は画面上でふたりを遮っている境界線を越えて優介の胸に飛び込んでいくことになる。
黒沢清はホラー映画の監督としても有名だが、この映画はメロドラマである。メロドラマの部分はよくあるパターンな気がしてあまり惹かれなかったのだけれど、生の領域を死の領域が侵犯していくような演出には見るべきものが多かった。光(照明)の加減を調節し、風でカーテンが揺れ出すと、いつの間にかに世界がこの世のものでなくなっていく。そんな場面にはホラー映画で培った手腕が存分に活かされていたと思う。
浅野忠信がいかにも普通っぽい男を演じているのが妙な感じもして、瑞希(深津絵里)にベッドで接触を迫られ、幽霊のくせにそれを拒むあたりがかわいらしくて笑ってしまった。それから1シーンのみの登場だけれど、主役の深津絵里と対峙することになる蒼井優の笑顔の怖さも特筆すべきところがあったと思う。
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