『パラダイス3部作 愛/神/希望』 ウルリヒ・ザイドルという監督
オーストリアの映画監督ウルリヒ・ザイドルの作品。ウルリヒ・ザイドルはドキュメンタリー作家としても国際的に評価されているとのことだが、この3部作は劇映画であり、それぞれカンヌ・ヴェネチア・ベルリンの映画祭に出品されて話題となった。
日本では昨年2月から劇場公開され、先月DVDが発売となった。
この3部作は一応『パラダイス:愛』『パラダイス:神』『パラダイス:希望』という順番になっているようだが、それぞれは独立した作品であり、どれから観ても問題ない(私はたまたまレンタルできた順に『神』⇒『希望』⇒『愛』と鑑賞)。
それぞれの作品の主人公にはつながりがある。『愛』でケニアのリゾート地で黒人たちを漁る中年女性テレサは、『神』で信仰に生きるアンナ・マリアの姉である。そして『希望』においてダイエット合宿で中年医師に惚れてしまうメラニーはテレサの娘だ。
『神』のアンナ・マリアは性的放埓に陥る人を見て「罪深い人をお赦しください」などと祈っているのだが、これは正当な順番で観た人には『愛』で黒人を金で買っていた姉テレサのことを指すようにも感じられるのだろう。3部作は夏休みという時間を共有しており、それぞれの作品のなかに別作品の登場人物も顔を出す。
それぞれの主人公たちは身体性が意識されているようだ。『愛』のテレサは贅肉の充実ぶりで際立っていて、ルノワールの裸婦(『浴女たち』)のようなふくよかさを見せる。『希望』のメラニーも親ゆずりのぽっちゃりで、母親テレサがケニアにいる間にダイエット合宿へと送り込まれる。『神』のアンナ・マリアの場合は、夫が事故で半身不随になったことにより信仰に目覚め、禁欲的な生活を送るようになる。しかも自らの背中を鞭で打ってみたり、腹部に棘を巻いて苦行めいたことをしてみたりもする。
3部作のなかでザイドルという監督のスタイルが最も特徴的に表れていたのは『パラダイス:神』だったように思える。『神』の冒頭では、アンナ・マリアの満ち足りた生活が描かれる。カメラは固定され、アンナ・マリアの姿を静的に捉えていく。掃除が行き届き余計なものがない部屋で、イエスへの愛に満ちた静かな日々。画面の構図は左右対称を基本として、中心にはアンナ・マリアが配置されたりイエスの姿があったりする。
ザイドルの作品はどれも広角レンズを使用しているようで、被写界深度が深い画面をつくっている。通常のカメラならば背景よりも中心のアンナ・マリアに焦点が当たるわけだが、ザイドル作品では背景にもアンナ・マリアにもくまなく焦点が合っているために、左右対称を意識された画面が際立つようだ。

『神』では、2年間も不在していたという夫ナビルが戻ってくると、アンナ・マリアの静かな生活は崩れる。どういう事情かは説明されないが、ナビルはムスリム(イスラム教徒)である。ナビルは2年前事故で車椅子の生活となったようで、事故をきっかけに酒に溺れたわけだが、アンナ・マリアはそうした試練によって信仰に目覚めたらしい。
アンナ・マリアはイエスへ愛を捧げている。休みの日にはマリア像を抱えて布教に励んだりもする。実に敬虔なキリスト教徒なのだが、アンナ・マリアのイエスへ向ける視線は艶めかしいものがある。イエスを恋人のように想っているらしく、挙句の果てにはベッドにまで十字架像を誘い込んでハレンチな行為をしてみたりもする。一方、戻ってきたナビルは妻の愛が一向に自分へ向かわないことに不満を感じる。アラーを信じるムスリムとしてはイエスのことが忌々しい。
宗教的不寛容というよりも互いの自分勝手さが爆発したとき、ふたりはくんずほぐれつの取っ組み合いとなる。ナビルは性的には不能のくせにアンナ・マリアを押し倒そうとし、アンナ・マリアはそれに対抗する(ふたりは必死だが傍から観ている側としては笑うしかない)。最後にアンナ・マリアは試練ばかりで救ってくれそうにないイエスに対して唾を吐きかける。
こんな構図は『パラダイス:愛』にもある。テレサは太っていても白人である。テレサには黒人は白人女性に憧れを抱いているという優越意識がある。そして言葉が通じないからと差別的な言葉も吐きもする。そんな不愉快な白人が結局は黒人に騙されているというのがおもしろい。黒人はテレサに甘い言葉を囁きながらも、内心では彼女を“シュガーママ(パトロン)”としか考えていないのだ。白人は不愉快だけれど、黒人もずる賢い。そんなふうに関係は相対化される。
『神』のアンナ・マリアは敬虔さを見せていた。一方で夫ナビルはムスリムが禁じられているはずの酒を飲んだりもする普通の男。アンナ・マリアはイエスを信じきれず試練に耐えきれなかった点で、ナビルと同じ位置にまで引きずり降ろされている。結局、どっちもどっち。同じ穴の狢にすぎない。そんなことが感じられてちょっと残酷でもあり、虚しくもなったりもする……。
『パラダイス:希望』では、ダイエット合宿なのに「幸せなら肉たたこう」と歌わせられる子供たちの姿はどれも微笑ましい。とても痩せるとは思えないけれど……。主人公のメラニーはまだ13歳だけれど、中年医師に夢中になる。医師はすぐに手を出したりはしないのだが、やっぱり変態チックなところが顔を出す。
同時にリリースされた『インポート、エクスポート』(2007年)は、貧しいウクライナから自分を花嫁としてオーストリアにインポートしたい女と、物不足のウクライナにオーストリアからのガラクタをエクスポートして儲けたい男の話。『神』でアンナ・マリアを演じていたマリア・ホーフスタッターは、こちらでもバーリトゥードばりの取っ組み合いをやらかしている。

日本では昨年2月から劇場公開され、先月DVDが発売となった。

この3部作は一応『パラダイス:愛』『パラダイス:神』『パラダイス:希望』という順番になっているようだが、それぞれは独立した作品であり、どれから観ても問題ない(私はたまたまレンタルできた順に『神』⇒『希望』⇒『愛』と鑑賞)。
それぞれの作品の主人公にはつながりがある。『愛』でケニアのリゾート地で黒人たちを漁る中年女性テレサは、『神』で信仰に生きるアンナ・マリアの姉である。そして『希望』においてダイエット合宿で中年医師に惚れてしまうメラニーはテレサの娘だ。
『神』のアンナ・マリアは性的放埓に陥る人を見て「罪深い人をお赦しください」などと祈っているのだが、これは正当な順番で観た人には『愛』で黒人を金で買っていた姉テレサのことを指すようにも感じられるのだろう。3部作は夏休みという時間を共有しており、それぞれの作品のなかに別作品の登場人物も顔を出す。
それぞれの主人公たちは身体性が意識されているようだ。『愛』のテレサは贅肉の充実ぶりで際立っていて、ルノワールの裸婦(『浴女たち』)のようなふくよかさを見せる。『希望』のメラニーも親ゆずりのぽっちゃりで、母親テレサがケニアにいる間にダイエット合宿へと送り込まれる。『神』のアンナ・マリアの場合は、夫が事故で半身不随になったことにより信仰に目覚め、禁欲的な生活を送るようになる。しかも自らの背中を鞭で打ってみたり、腹部に棘を巻いて苦行めいたことをしてみたりもする。
3部作のなかでザイドルという監督のスタイルが最も特徴的に表れていたのは『パラダイス:神』だったように思える。『神』の冒頭では、アンナ・マリアの満ち足りた生活が描かれる。カメラは固定され、アンナ・マリアの姿を静的に捉えていく。掃除が行き届き余計なものがない部屋で、イエスへの愛に満ちた静かな日々。画面の構図は左右対称を基本として、中心にはアンナ・マリアが配置されたりイエスの姿があったりする。
ザイドルの作品はどれも広角レンズを使用しているようで、被写界深度が深い画面をつくっている。通常のカメラならば背景よりも中心のアンナ・マリアに焦点が当たるわけだが、ザイドル作品では背景にもアンナ・マリアにもくまなく焦点が合っているために、左右対称を意識された画面が際立つようだ。

『神』では、2年間も不在していたという夫ナビルが戻ってくると、アンナ・マリアの静かな生活は崩れる。どういう事情かは説明されないが、ナビルはムスリム(イスラム教徒)である。ナビルは2年前事故で車椅子の生活となったようで、事故をきっかけに酒に溺れたわけだが、アンナ・マリアはそうした試練によって信仰に目覚めたらしい。
アンナ・マリアはイエスへ愛を捧げている。休みの日にはマリア像を抱えて布教に励んだりもする。実に敬虔なキリスト教徒なのだが、アンナ・マリアのイエスへ向ける視線は艶めかしいものがある。イエスを恋人のように想っているらしく、挙句の果てにはベッドにまで十字架像を誘い込んでハレンチな行為をしてみたりもする。一方、戻ってきたナビルは妻の愛が一向に自分へ向かわないことに不満を感じる。アラーを信じるムスリムとしてはイエスのことが忌々しい。
宗教的不寛容というよりも互いの自分勝手さが爆発したとき、ふたりはくんずほぐれつの取っ組み合いとなる。ナビルは性的には不能のくせにアンナ・マリアを押し倒そうとし、アンナ・マリアはそれに対抗する(ふたりは必死だが傍から観ている側としては笑うしかない)。最後にアンナ・マリアは試練ばかりで救ってくれそうにないイエスに対して唾を吐きかける。
こんな構図は『パラダイス:愛』にもある。テレサは太っていても白人である。テレサには黒人は白人女性に憧れを抱いているという優越意識がある。そして言葉が通じないからと差別的な言葉も吐きもする。そんな不愉快な白人が結局は黒人に騙されているというのがおもしろい。黒人はテレサに甘い言葉を囁きながらも、内心では彼女を“シュガーママ(パトロン)”としか考えていないのだ。白人は不愉快だけれど、黒人もずる賢い。そんなふうに関係は相対化される。
『神』のアンナ・マリアは敬虔さを見せていた。一方で夫ナビルはムスリムが禁じられているはずの酒を飲んだりもする普通の男。アンナ・マリアはイエスを信じきれず試練に耐えきれなかった点で、ナビルと同じ位置にまで引きずり降ろされている。結局、どっちもどっち。同じ穴の狢にすぎない。そんなことが感じられてちょっと残酷でもあり、虚しくもなったりもする……。
『パラダイス:希望』では、ダイエット合宿なのに「幸せなら肉たたこう」と歌わせられる子供たちの姿はどれも微笑ましい。とても痩せるとは思えないけれど……。主人公のメラニーはまだ13歳だけれど、中年医師に夢中になる。医師はすぐに手を出したりはしないのだが、やっぱり変態チックなところが顔を出す。
同時にリリースされた『インポート、エクスポート』(2007年)は、貧しいウクライナから自分を花嫁としてオーストリアにインポートしたい女と、物不足のウクライナにオーストリアからのガラクタをエクスポートして儲けたい男の話。『神』でアンナ・マリアを演じていたマリア・ホーフスタッターは、こちらでもバーリトゥードばりの取っ組み合いをやらかしている。
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