『私の男』 近親相姦という顰蹙を買いそうな題材だが……
監督は『海炭市叙景』などの熊切和嘉。
主演には浅野忠信と二階堂ふみ。中学生から結婚間近の女までをごく自然に演じ、かなりきわどい役を乗りこなしている二階堂ふみはやっぱりすごい。モスクワ映画祭で主演男優賞を獲得した浅野忠信は、銀座の街を赤い傘を差しながらサンダルで歩くという落ちぶれた姿がよかった。『さよなら歌舞伎町』でもエロかった河井青葉は、この映画でも後ろから攻められている(背中の傷を見せるために)。
昨年6月に劇場公開され、今月DVDが発売された。

奥尻島を襲った津波で家族を喪った少女・花(山田望叶)は、避難所で遠い親戚である淳悟(浅野忠信)に拾われる。ここからふたりの生活が始まる。津波の記憶にPTSDに襲われる花に対し、淳悟は「俺はお前のものだ」と囁き、その小さな手をそっと握る。
震災で孤児になった少女を助ける行為は、「あしながおじさん」的な善意を感じさせる。淳悟も震災で家族を亡くしており、「家族が欲しいんです」という彼の言葉に嘘はないだろう。しかし彼をよく知る大塩(藤竜也)には「あんたには家族のつくり方なんてわからんよ」と否定されるような一面も持つ。
家族を知らない淳悟と花のふたりが一緒に暮らしていくということは、ごく一般的な家族の結びつきとは違うものとなる。映画のなかで詳しい説明があるわけではないが、このふたりは実は本当の父娘である。同じ血が流れているということをふたりは感じているし、そのことが互いをかけがえのない存在にしている。そして普通の家族を知らないふたりには、小さな手を握り締めたやさしさがやがて愛撫へと変っていくことを阻む障壁はとても低い。
インセスト・タブーを侵犯する行為は、たとえば『オイディプス王』では行為者たちがそれを知らなかったから成立したわけで、その事実が判明したときオイディプス王は盲になって荒野をさまよう。そのくらい忌まわしいタブーとされているわけで、それを認識しながら侵犯する行為はさらに背徳的だと言える。
『私の男』は冷たい冬の海から流氷に這い上がる花(二階堂ふみ)の笑みから始まる。この笑みは中盤に描かれる出来事で明らかにされる。淳悟と花の関係を知ってしまった世話焼きの大塩は、その関係を「神様が許さない」と咎めるが、花は「私は許す、何したって。あれは私の全部だ。」と絶叫する。そう言い切った満足感があの笑みだ。
そんなわけで養父に手篭めにされたとも見える花だけれど、彼女は単なる被害者ではない。淳悟はもしかすると少女好きの変態なのかもしれないが、花はそんな男が育ててしまった社会性の欠如した一種のバケモノである(その後の淳悟はダメな男になっていく)。

最初の殺人は流氷の上で行われる。流氷は陸地と海の境界に位置している。花は一度は津波に襲われながらも、海から陸地へと這い上がってきた。そしてこの映画の冒頭でも、大塩を流氷の上に放置して、自分は海を渡って流氷の上に這い上がり、再び陸地まで戻ってきた。流氷は生と死の境目にあるもので、花はそうした境界をうろつきつつ“生”のほうへ戻ってくる(戸籍上の父の「生きろ」という言葉に促されて)。
そうした境界線はほかにもあって、それは社会という枠組みの境目だろう。花と淳悟はその枠組みから外れたところにいる。ただ完全にその枠組みから逃れては生きることはできない。ギリギリのところで踏みとどまるしかない。だから社会的なタブーからも完全に自由になれるわけでもなく、ふたりが交わるシーンで血の雨が降るのはそうした後ろめたさからだろう。ラストのふたりだけの世界は、そんなギリギリのところで“生”のほうに踏み止まったふたりの妥協としてあるわけだし、最後の瞬間に鈍い輝きを増す、そんな輝きだったのかもしれない(あの先にふたりの未来はないわけだから)。
『私の男』に歓喜させられたのは、このラストシーンがギドクの『うつせみ』のそれとよく似ているからだ。以下はキム・ギドクのファンとして……。
花は生きるために生活力のある男のもとへ嫁ぐことになるが、心のなかではいつも淳悟とつながっている。『うつせみ』で夫との結婚生活に戻った女が、夫ではなく幻想の男を見つめているところと被っているのだ。そして『私の男』の花が最後に淳悟に語りかける言葉がミュートされているのは、『うつせみ』でそれまで一言もしゃべらなかった女が最後に言葉を発する逆を狙ったのかと妄想した。
監督の熊切和嘉がそれを意識しているかどうかは知らない。『海炭市叙景』はとても真っ当ないい作品だったが、一方で『私の男』と同時に発売された『鬼畜大宴会』は大いに顰蹙を買うような作品となっている。(*1)『私の男』もタブーに切り込んでいったあたりは顰蹙を買う部分もあるだろうし、いつも顰蹙ものの作品となってしまうギドクを意識している可能性もないこともないような……。
ギドクが『メビウス』で来日したころの雑誌のインタビューでは、『私の男』や原作者・桜庭一樹の名前への言及があって、ギドクがこの作品に自分に近いものを感じていたということなのだろうと思う。(*2)
(*1) PFFで準グランプリとなった『鬼畜大宴会』は、連合赤軍のリンチ殺人事件をスプラッターでパロディにするという作品。大学の卒業制作ということもあって、悪ふざけの部分も多分に感じられる。顰蹙を買うのが狙いだったところもあるようで、実際にこの映画を見せると「中途半端な付き合いだったヤツは本当にみんなサーっと引いていった」んだとか。さもありなん。
(*2) このページを読むと原作者はギドクのファンということで、原作のほうがギドクの世界に惹きつけられているのかもしれない。
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