『花とアリス殺人事件』 鈴木杏と蒼井優が演じたあのキャラがアニメーションに
岩井俊二監督の『ヴァンパイア』以来の最新作。
この作品は2004年の『花とアリス』の前日譚で、岩井俊二監督初の長編アニメーション作品である。10年前の実写作品の出演者が、同じ役柄の声を担当している。
ちなみにエンドロール後に岩井俊二の最新作の予告編が流れるので、ファンの方は要注意かも。なぜか一度劇場内の電気が消えてしばらくすると始まるらしく、観客もすでに出口へ向かうころで、劇場係員の追い出しの声も響くなか、いつの間にかに映像が流れていた(意図的にタイミングをズラしているのだろうか)。そんなわけでタイトルすら見逃したのだが、黒木華が主演だったような……。

アニメに詳しいわけではないが勝手なことを言うと、実写とアニメとで異なるのは、アニメは作品世界をゼロから創りあげることができることかもしれない。しかし、他方では現実世界を忠実に再現しようというアニメの方向性もあって、この『花とアリス殺人事件』ではロトスコープという手法が使われているという。
この手法は、実写で撮影したものをトレースしてアニメーションにするというもの。ディズニーの『白雪姫』(1937年)くらいからある手法で珍しいものでもないのかもしれないけれど、『花とアリス殺人事件』の風景描写などは妙にリアルな部分があり、それでいて水彩画のようでもあって不思議な感覚だった。
実写で撮影された『花とアリス』に対して、『花とアリス殺人事件』がアニメ作品とならなければならなかった理由は、前作の前日譚を描くという制約からだろうか。当然出演者たちは10年分歳をとるわけだから、今さら中校生役をやるのは無理があるし、かと言って別の役者を当てれば『花とアリス』らしくはなくなってしまう。そのくらい『花とアリス』はふたりの女優の存在に多くを負っている作品ということだろう。
そんなわけでアニメ版の花とアリスのキャラは、もちろん実写版の鈴木杏と蒼井優をイメージしている。ほかのキャラもそうで、たとえばバレエ教室で写真を撮っていた風子ちゃんも実写版の間延びした感じをそのまま受け継いでいる(なぜか平泉成のキャラだけはまったく似ていなかったけれど、声はいかにもわかりやすい平泉成の声だった)。
アニメ化のもうひとつの理由は、岩井俊二が漫画やアニメに思い入れがあるということかもしれない。前作でも手塚治虫作品があちこちに引用されていたり、漫画家の名前が駅名や学校名に登場していたわけだし……。もともと実写版ですら花の泣き顔とか、アリスの嘘みたいな作り笑いとかマンガチックなところがあったわけで、前作の世界はそれほど違和感なくアニメの世界へ移行されている。
有栖川徹子(アリス)は転校生として石ノ森学園中学校へやってくる。そのころクラスでは「ユダが、四人のユダに殺された」という噂で持ちきりだった。そして、アリスの家の隣にある“花屋敷”に引きこもっている同級生・荒井花が、ユダ殺害の事実について知っていることがわかり、アリスは“花屋敷”に乗り込むことになる。
“花屋敷”の引きこもり少女のエピソードは、実写版でも風子ちゃんによってちょっとだけ語られていた部分で、それを改めて描き直しながら花とアリスの出会いについて語られていく。学生時代の話ということでいじめにつながるクラス内の勢力争いとかもあるし、岩井俊二の少女趣味的な部分はもちろん満載だが、一方でユダ殺害のエピソードのようなマニアックというかちょっとズレた感覚もある。アリスが天然自然なところも、花が瞬間的に悪企み(?)を思いつく頭の回転の速さを見せ、前作を楽しんだ人にとってはやはり観逃せない1本だ。

途中にアリスとおじいさんの脱線的なエピソードがあるが、ここは黒澤明の『生きる』をコピーしている。喫茶店に入ったふたりの向こう側で、何やら若者たちがパーティで騒いでいる場面あたりからがそうで、喫茶店内の階段とかもそっくりコピーしていて、最後にはおじいさんがブランコに乗るシーンがある。
なぜ岩井俊二が黒澤明をコピーするのかなと思っていたら、このページにはおもしろいことが書かれていた。岩井俊二の少女性、これは岩井俊二が少女の生態をよく理解しているということではなく、岩井俊二そのものが「おじさんであり少女でもある」といったことであり、それは『生きる』で志村喬が演じた主人公に被ってくるという。たしかに、死が間近だからといって人助けのために奔走する『生きる』の志村喬はあり得ないほどウブだった。彼が唄う「ゴンドラの唄」はこんなふう。
それにしてもこのコピーぶりは徹底しているところがあり、実写で撮ったとしたらまさかそんなことはしないわけで、岩井俊二は過去の名作をアニメに移すこと自体を楽しんでいるようだ。実際に『花とアリス殺人事件』では、10年前の『花とアリス』をもう一度アニメという形式で撮り直すことに腐心しているようにも見えるのだ。
アリスが父親と鎌倉で過ごす場面(どちらも橋の上で電話が鳴る)とか、ふたりが制服を見せ合う場面(上の写真は実写版)などは、実写と寸分違わぬ構図のアニメとなっている。何よりも感動的だったのは、実写版の冒頭部分をアニメ版のラストに持ってきたことだ。実写版で「hana & alice」というタイトルバックになった、あの横移動の場面をまったくそのままアニメに移行しているのだ。
あの場面をラストに据えているのは、実写版のそれが素晴らしかったということもあるだろうが、前作の撮影監督であった篠田昇への想いということもあるのだろう。篠田昇は2004年に亡くなってしまったわけで、岩井俊二とのコンビでは『花とアリス』が最後の作品だ。岩井俊二は『花とアリス殺人事件』の脚本が完成したその日に、篠田昇の訃報に接したという。『花とアリス殺人事件』の絵づくりも現実をそのままアニメにするというよりは、篠田昇のカメラが捉えた光の再現を狙っているようであり、窓から射し込む光の感じなど見事にアニメーションとして表現されていたと思う。





この作品は2004年の『花とアリス』の前日譚で、岩井俊二監督初の長編アニメーション作品である。10年前の実写作品の出演者が、同じ役柄の声を担当している。
ちなみにエンドロール後に岩井俊二の最新作の予告編が流れるので、ファンの方は要注意かも。なぜか一度劇場内の電気が消えてしばらくすると始まるらしく、観客もすでに出口へ向かうころで、劇場係員の追い出しの声も響くなか、いつの間にかに映像が流れていた(意図的にタイミングをズラしているのだろうか)。そんなわけでタイトルすら見逃したのだが、黒木華が主演だったような……。

アニメに詳しいわけではないが勝手なことを言うと、実写とアニメとで異なるのは、アニメは作品世界をゼロから創りあげることができることかもしれない。しかし、他方では現実世界を忠実に再現しようというアニメの方向性もあって、この『花とアリス殺人事件』ではロトスコープという手法が使われているという。
この手法は、実写で撮影したものをトレースしてアニメーションにするというもの。ディズニーの『白雪姫』(1937年)くらいからある手法で珍しいものでもないのかもしれないけれど、『花とアリス殺人事件』の風景描写などは妙にリアルな部分があり、それでいて水彩画のようでもあって不思議な感覚だった。
実写で撮影された『花とアリス』に対して、『花とアリス殺人事件』がアニメ作品とならなければならなかった理由は、前作の前日譚を描くという制約からだろうか。当然出演者たちは10年分歳をとるわけだから、今さら中校生役をやるのは無理があるし、かと言って別の役者を当てれば『花とアリス』らしくはなくなってしまう。そのくらい『花とアリス』はふたりの女優の存在に多くを負っている作品ということだろう。
そんなわけでアニメ版の花とアリスのキャラは、もちろん実写版の鈴木杏と蒼井優をイメージしている。ほかのキャラもそうで、たとえばバレエ教室で写真を撮っていた風子ちゃんも実写版の間延びした感じをそのまま受け継いでいる(なぜか平泉成のキャラだけはまったく似ていなかったけれど、声はいかにもわかりやすい平泉成の声だった)。
アニメ化のもうひとつの理由は、岩井俊二が漫画やアニメに思い入れがあるということかもしれない。前作でも手塚治虫作品があちこちに引用されていたり、漫画家の名前が駅名や学校名に登場していたわけだし……。もともと実写版ですら花の泣き顔とか、アリスの嘘みたいな作り笑いとかマンガチックなところがあったわけで、前作の世界はそれほど違和感なくアニメの世界へ移行されている。
有栖川徹子(アリス)は転校生として石ノ森学園中学校へやってくる。そのころクラスでは「ユダが、四人のユダに殺された」という噂で持ちきりだった。そして、アリスの家の隣にある“花屋敷”に引きこもっている同級生・荒井花が、ユダ殺害の事実について知っていることがわかり、アリスは“花屋敷”に乗り込むことになる。
“花屋敷”の引きこもり少女のエピソードは、実写版でも風子ちゃんによってちょっとだけ語られていた部分で、それを改めて描き直しながら花とアリスの出会いについて語られていく。学生時代の話ということでいじめにつながるクラス内の勢力争いとかもあるし、岩井俊二の少女趣味的な部分はもちろん満載だが、一方でユダ殺害のエピソードのようなマニアックというかちょっとズレた感覚もある。アリスが天然自然なところも、花が瞬間的に悪企み(?)を思いつく頭の回転の速さを見せ、前作を楽しんだ人にとってはやはり観逃せない1本だ。

途中にアリスとおじいさんの脱線的なエピソードがあるが、ここは黒澤明の『生きる』をコピーしている。喫茶店に入ったふたりの向こう側で、何やら若者たちがパーティで騒いでいる場面あたりからがそうで、喫茶店内の階段とかもそっくりコピーしていて、最後にはおじいさんがブランコに乗るシーンがある。
なぜ岩井俊二が黒澤明をコピーするのかなと思っていたら、このページにはおもしろいことが書かれていた。岩井俊二の少女性、これは岩井俊二が少女の生態をよく理解しているということではなく、岩井俊二そのものが「おじさんであり少女でもある」といったことであり、それは『生きる』で志村喬が演じた主人公に被ってくるという。たしかに、死が間近だからといって人助けのために奔走する『生きる』の志村喬はあり得ないほどウブだった。彼が唄う「ゴンドラの唄」はこんなふう。
いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを
それにしてもこのコピーぶりは徹底しているところがあり、実写で撮ったとしたらまさかそんなことはしないわけで、岩井俊二は過去の名作をアニメに移すこと自体を楽しんでいるようだ。実際に『花とアリス殺人事件』では、10年前の『花とアリス』をもう一度アニメという形式で撮り直すことに腐心しているようにも見えるのだ。
アリスが父親と鎌倉で過ごす場面(どちらも橋の上で電話が鳴る)とか、ふたりが制服を見せ合う場面(上の写真は実写版)などは、実写と寸分違わぬ構図のアニメとなっている。何よりも感動的だったのは、実写版の冒頭部分をアニメ版のラストに持ってきたことだ。実写版で「hana & alice」というタイトルバックになった、あの横移動の場面をまったくそのままアニメに移行しているのだ。
あの場面をラストに据えているのは、実写版のそれが素晴らしかったということもあるだろうが、前作の撮影監督であった篠田昇への想いということもあるのだろう。篠田昇は2004年に亡くなってしまったわけで、岩井俊二とのコンビでは『花とアリス』が最後の作品だ。岩井俊二は『花とアリス殺人事件』の脚本が完成したその日に、篠田昇の訃報に接したという。『花とアリス殺人事件』の絵づくりも現実をそのままアニメにするというよりは、篠田昇のカメラが捉えた光の再現を狙っているようであり、窓から射し込む光の感じなど見事にアニメーションとして表現されていたと思う。
![]() |

![]() |

![]() |

![]() |

![]() |

![]() |

- 関連記事
-
- 『私の男』 近親相姦という顰蹙を買いそうな題材だが……
- 『花とアリス殺人事件』 鈴木杏と蒼井優が演じたあのキャラがアニメーションに
- 『リトル・フォレスト 冬・春』 神様に奉納するもののリスト
スポンサーサイト
この記事へのコメント: