リドリー・スコット 『エクソダス:神と王』 奇跡という自然現象
主役のモーゼ役にはクリスチャン・ベール。ラムセスにはジョエル・エドガートン。ほかにはジョン・タトゥーロ、ベン・キングスレー、シガニー・ウィーバーなども顔を出す。
原題は「Exodus:Gods and Kings」。ユダヤ教は一神教だが、ここでの“神”が複数なのはエジプトの神との対決を意識してだろうか?

題材は旧約聖書の「出エジプト記」だが、セシル・B・デミルの『十戒』(1956年)のリメイクが狙いだろう。『エクソダス:神と王』が元ネタ『十戒』と違っているのは、神が行った奇跡が自然現象として説明されていることだ。
『十戒』でも描かれていた“十の奇跡”は、エジプト王・ラムセスに奴隷であるヘブライ人(ユダヤ人)たちの解放を迫るためのものだ。ヘブライ人の神は偉大だから、その気になればエジプトに災いをもたらすことができる。その証明のために、ナイル川を血に染め、カエルや虻やイナゴを大量発生させ、最後には子供の命までを奪う。しかもそれらの被害はヘブライ人には及ばず、エジプトの民だけが酷い目に遭うことになる。
たとえば、ナイルが血で染まるのは、ワニが狂ったように動物を喰い散らかしたからと理由づけされ、カエルや虻の発生もそうした連鎖反応としてある。子供たちが突然死するところ以外は、ほとんど天変地異の一種とも言えるのだ。
そして自然現象に人間ごときが手出しできないのと同じように、モーゼはほとんど何もしていない。神の奇跡が進行しているとき、モーゼはただ「見ていろ」と言われ傍観しているだけなのだ。紅海が割れるあの有名な場面は、『十戒』のモーゼは杖を差し出し自らの意志で奇跡を起こしたように見えるけれど、『エクソダス』では隕石(?)落下による津波として表現されている。
モーゼは道案内をするくらいで積極的に何かをなしたように見えないのだ。唯一の例外は「十戒」の言葉を石板に彫りつけたことだという……。しかもモーゼ以外には神の姿は見えないため、傍目からは狂人の妄想が子供の姿をした神を生んでいるようにも映るのだ。つまり狂人の妄想をきっかけにした、あり得ないほどの偶然の連続がユダヤ人を解放へと導いたとも解釈できるのだ。もちろんそれはユダヤ教を貶める意図ではなくて、神話のように語られる奇跡的な出来事が、今を遡ること約3300年前に実際に生じた、現在と地続きのものとして描くためだろう。
そんな『エクソダス』のスペクタクルシーンはさすがに技術的な進歩により格段にリアルなものがあった。ただ、そればっかりという印象も否めないわけで、モーゼやラムセスなど人間たちのドラマは霞んでしまい、端的に言えばいささか退屈だった。
リドリー・スコットの前作『悪の法則』では、“死”という絶対に越えられない深淵を感じたが、この映画でも“神=自然現象”を前にした人間の存在はとてつもなく小さい。そんな感覚は、この『エクソダス』という作品が、自死した弟のトニー・スコットに捧げられているということとも関係しているのかもしれないなどとも勝手に思う。(*1)
(*1) エンディング・ロールの撮影・第二班には別のスコットの名前があった。ルーク・スコットというのがその名前で、リドリーの息子であるのだとか(確かな情報かどうかは不明だが)。
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