安藤サクラ主演 『百円の恋』 「一生懸命って素晴らしい」なんて……
脚本は足立紳で、2012年に新設された第一回「松田優作賞」という脚本賞を受賞しているとのこと。

主人公の一子(安藤サクラ)を中心に、登場人物は負け組ばかりである。弁当屋を切り盛りする母親はともかく、影の薄い父親は仕事もせずに、いまだに「自分に自信がない」などと言ってみたりもする。一子がひとり暮らしのために始めた100円ショップの面々もことごとく負け組だ(脇役キャラがいい味を出している)。文句を垂れつつ何とか底辺に踏み留まるアルバイトたちはもちろんのこと、廃棄弁当を漁る浮浪者までもいる(浮浪者のほうがかえってイキイキしているのがおかしい)。
そのなかでも一子のダメっぷりは際立っているかもしれない。格闘ゲームをやりながらのコーラとお菓子という生活で身体はダレきっているし、出戻りの姉には嫌味を言いつつも、自らは男性と付き合った経験もない三十路女である。一子は自分でもその価値が100円程度の女だとわかっている。だからこの映画で恋のようなものが描かれたとしても100円程度の価値しかない。貧しくてもつつましい恋というのならいいのだが、この映画の恋はひどくみすぼらしい。『百円の恋』はそんな一子が、恋ではなくボクシングによって、いかに変わっていくかというスポ根ものの映画なのだ。
一子がボクシングに惹かれたのは、何かに一生懸命打ち込んでいる姿に羨望を覚えたから。三十路を過ぎて家を追い出されたダメ女としては、自分の境遇がどうしようもないということくらいはわかっていたのだ。
同じころ引退間近だったボクサー・狩野(新井浩文)のデートの誘いを受け入れたのも、ダメな自分を変えたいという気持ちもあったのだろう。それは恋にはほど遠いものだったけれど、一子はボクシングをやることで変っていく。

一子と狩野の関係はロマンスにはほど遠い。一子の羨望の対象でもあったはずの狩野は、一子のボクシングへの情熱を挫くようなことを言う。狩野は総じて斜に構えた態度で、一生懸命やっている者を否定する。どちらも負け組なのだけれど、そのダメさには違いもある。狩野はやってみた上で限界を知り、諦念に囚われているわけだが、一子は何もやらずに負け組だと自己認識していたわけだ。ただ、一子はまだスタートラインに立ったばかりで可能性はある。
諦め切った狩野でも試合での一子の姿には感じるものがあったのだろうと思う。自分がボクシングに純粋に取り組んでいた時代を思い出したのかもしれない。狩野は一子の元に戻ってきたわけで、一子の姿に感化され、一生懸命に打ち込むことも悪くはないと考え直したのかもしれない(最後の場面はつつましくて微笑ましい)。そんなわけで、この映画は負け組のための応援歌なのだ。もしかしたらふたりの今後には、多少はマシなロマンスがあるかもしれない。そんなことも思わせる。
一子を演じた安藤サクラの変貌ぶりが見所だ。あんなダメっぷりを見事に体現する女優はいない。それだけでも賞賛に値するが、試合のシーンでの身体の絞り方は別人のようだった(目は完全にイッている)。前半はダメなシーンがグダグダと続く。しかし、トレーニングを始め、贅肉が次第に削ぎ落とされ、ステップが軽やかになるに連れて、映画の調子も上がっていく。最後は狩野でなくても、一子を応援したくなるだろう。試合でのKOシーンは『ロッキー2』のダブルノックダウンのようにも見え、トレーニングシーンの高揚感も『ロッキー』シリーズを思わせた。
脚本にそれほど奇抜な展開があるわけではない。それだけに一子の変貌していく様子をどのように見せるかが重要になるわけで、安藤サクラはそれをものの見事にやってみせた。「一生懸命って素晴らしい」というあまりに素朴すぎるテーマに説得力を持たせるのは至難の業だが、『百円の恋』は安藤サクラという魂が込められたことで、それに成功していると思う。
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