『昔々、アナトリアで』 劇場未公開作品だが素晴らしい出来

 この作品の監督であるヌリ・ビルゲ・ジェイランは、世界的に有名なトルコの映画監督なのだそうだ。日本では作品が公開されたことがないが、カンヌ映画祭では常連のようだ。2014年にはパルムドール受賞(『Winter Sleep』)ということもあって、過去作品のDVDが一足先のリリースとなった模様(9月5日にリリース)。この『昔々、アナトリアで』は、2011年のカンヌ映画祭グランプリ作品である。

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督 『昔々、アナトリアで』 ライトに照らされた草原の風景も印象深い。


 夕暮れの草原をライトを照らした3台の車が走ってくる。車から連れ出された事件の容疑者は、死体を遺棄した場所を警部に尋ねられるのだが要領を得ない。意図的なものかどうかは判然としないものの、目的である死体の捜索は簡単にはいかず、警部たちも容疑者の供述に従い、果てしなく続く草原を引き回されることになる。

 死体の捜索という出だしからすると、なぜ殺したのかといった謎が気にかかるのだが、登場人物たちはあまり謎解きには熱心とは言えない。検事の顔色を窺って焦り出す警部を除けば、ほかの同行者たちはどこか我関せずといったところ。というのも役割分担としては、警部が死体を見つけ、検事がそれを確認し調書を作製し、医者が解剖を行うという手順になっているからかもしれない。自分の出番まではまだ先があるため、それまでは待つしかないのだ。
 その間、彼らは草原のなかで人生について語りだし、もの思いに耽ってみたりする。死体捜索やその後のあれこれは、およそ半日の拘束という舞台設定のためにあるのかもしれない。彼らは時間を持て余し、世間話に興じ、そうした会話から次第に彼らが抱える問題も浮かび上がってくる。
 最初は、捗らない捜査に観客としても警部と同様に苛立つかもしれないが、次第にそうした謎解きが本筋ではないことがわかってくる。主人公のひとりである医者は、刑事のアラブと話をするうちに、自身の思いのなかへ沈んでいく。カメラは、ヘッドライトに照らされ黄金色に輝く草原を見つめる医者の後姿を映し出す。そこへ彼の内心の声が重なってくる。

 100年足らずで、皆、消えていなくなる。君も私も、検事も警部も。
 こんな詩がある。
 “なおも時は過ぎ、私の痕跡は消え失せる。闇と冷気が、疲れた魂を包むだろう。”


 世間話のなかにこんな詩を挟みこんでくるのだ。また、世間話から心内語への移行、それからまた会話へ戻ってくるといった描写もとてもスムーズだ。そして、この日をのちに振り返って「昔々、アナトリアで」と、おとぎ話ふうに子供に語ってやることを想像する。そのあと暗い草原の向こうを走り抜ける列車の姿が映し出されるのだが、銀河鉄道のような幻想的な雰囲気もある。とにかく独特なスタイルを持った作品で、最初は戸惑ったものの次第に魅せられて、157分の長尺も気にならなかった。

 ※ 以下、ネタバレもあり。ラストにも触れています。

『昔々、アナトリアで』 停電のなかを蝋燭を灯した少女が……

 主だった登場人物は、警部と検事と医者。それに容疑者を加えてもいいかもしれない。警部は子供が精神的な病で苦しんでいる。仕事で疲れて家に帰っても、そこでは気が休まることはなく、堪らず仕事に出てくるという毎日。検事は友達の妻の話を語るのだが、これはよくあるように恐らく検事自身のことで、それによると「5カ月後のこの日に死ぬ」と宣言した検事の奥さんは、子供を産んでから宣言通りに亡くなったのだという。それを聞く医者は、妻と離婚して独り身だ。検事と医者の間では、この宣言通りに亡くなった女の話が何度も話題に挙がり、医者の見解では、それは謎ではなく「人を罰するための自殺」だということになる。

 容疑者が殺された男の幻を見る場面もこなれている。捜査の途中に夕飯をいただいた村長の家で、突然停電が起こり、部屋は暗闇に包まれる。しばらく電気は回復せず、蝋燭を灯した少女が皆にお茶を配って回るころには、誰もが暗闇のなかでうとうとしている。そんなところを蝋燭の光で起こされた容疑者ケナンは、夢うつつのまま殺された男の幻想を見るのだ。
 この場面しか登場しないのだが、村長の娘がとても印象に残る。誰もがその少女に見とれているから、あり得ない幻想も素直に受け止められるのかもしれない。そんな幻想を見たあとに、ケナンは厄介な事実を警部に告げる。殺された男の息子は、本当はケナンの息子だというのだ。事件の日に、酒の酔いにまかせて、その事実を口走ったのだとか。しかし、それで事件が解決したわけではない(ケナンは弟を庇っており、真犯人なのかはあやしい)。

 死体を警察に運び込んだあとで、解剖が始まる。その前のちょっとした時間、医者は別れた妻との写真を眺めている(そこには若かりし頃の医者もいる)。そしておもむろに観客のほうを見つめるのだが、これは医者が鏡を見ているからで、医者はもちろん観客ではなく自分の顔を見つめているのだ。離婚した妻や村長の娘を見るにつけ、以前に比べ髪の薄くなった独り身の医者は、もう一度女性と一緒に暮らしたりすることが自分に可能なのかと鏡に問いかけていたのかもしれない。
 検事は法医解剖が必要だということを確かめて、あとを医者に引き継ぐ。解剖が必要なのは事件の被害者だが、それと同時に検事の奥さんについてもそうだったということなのだろう。解剖していれば、彼女の死が自殺だったかどうかはっきりするからだ。しかし、その後の解剖において医者がしたことは、真実を暴くことではない。そのとき医者が配慮したのは、本当は容疑者の息子なのかもしれない残された子供とその母親のことだ。残されたふたりのためには、真実を暴くことは、今ある問題をかえって大きくすることだと思えたからかもしれない。

 冒頭では、殺された男と容疑者たちが酒を酌み交わす様子が窓の外から捉えられていたが、ラストでは解剖室の窓から医者が外を眺める場面となっている。そしてその視線の先には、残された子供とその母親が家路へと向かう姿がある。冒頭と対になった余韻のあるラストだった。

昔々、アナトリアで [DVD]


関連記事
スポンサーサイト
Date: 2014.10.24 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

この記事へのコメント:


管理人のみ通知 :

トラックバック:


プロフィール

Nick

Author:Nick
新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

最新記事
最新トラックバック
最新コメント
月別アーカイブ
08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03 
カテゴリ
カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

タグクラウド

広告



検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
このブログをリンクに追加する
Powered By FC2ブログ


ブログランキングに参加しました。

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QR