『ウィズネイルと僕』 滅多に観られないカルトムービー
1987年製作のイギリス映画。監督・脚本は『ラム・ダイアリー』のブルース・ロビンソン。
『ウィズネイルと僕』は日本では限定的に公開されたのみで、未だにソフト化もされていないようだが、イギリスやアメリカではカルト的な人気を誇る作品。公式ホームページには、たとえば英トータル・フィルム誌「史上最高のカルト映画34本」(5位)、英ガーディアン紙「最近25年のイギリス映画トップ25」(2位)などと宣伝されている。
『ラム・ダイアリー』の主役で製作も兼ねたジョニー・デップは、この作品について「これは完璧な映画だ。僕が死ぬ前に最後に見たい。」と語っているのだとか。
現在、吉祥寺のバウスシアターのみで公開中。今月で閉館となるバウスシアターのクロージング作品である。

60年代の終わりの年、ロンドンのカムデンタウンという町に住む売れない役者のふたり。臆病で神経質な“僕”(ポール・マッギャン)と、エキセントリックで嘘つきのウィズネイル(リチャード・E・グラント)。部屋をシェアしているふたりは仕事もなく、アルコールとドラッグばかりの無為な生活を送っている。キッチンの汚さも限界となり、待っていても仕事がくるわけでもないふたりは、叔父のモンティ(リチャード・グリフィス)を騙して田舎のコテージへと向かう……。
物語らしきものはほとんどない。ボロボロのジャガーで田舎に向かったウィズネイルと“僕”だが、そこで何がしかのトラブルに巻き込まれるとか、心躍る出来事に遭遇するわけでもない。ふたりは若い男性だが、まったく若い女性の存在はなく、後から現れたゲイの叔父に“僕”が追い回されるだけ。それでも登場人物たちは一癖も二癖もあって、彼らのグダグダしたやりとりはそれなりに楽しめるし、巨牛との対決とか、ウナギや鶏に対する虐待ネタ、警官の一言がやたらと高音だとか、ところどころ妙におかしい部分がある。
“僕”は「止まった時計さえも1日に2回は正しい時を刻む。そして1回だけ、僕はウィズネイルを信じかけた。確かに僕らはもうダメなのかもしれない。」(*1)なんて内面も吐露するのだけれど、夢も希望もないからといって絶望的に暗くなるわけではないし、かと言ってものすごくハイになる映画というわけでもない。薬の売人ダニー(ラルフ・ブラウン)のように、ものすごくハイになるドラッグをやっているのに、見た目にはテンションが低いのと同じかもしれない。
プロデューサーにジョージ・ハリスンが加わっているからか、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」とか、ジミ・ヘンドリックスの「Voodoo Chile」「All Along the Watchtower」などの豪華な曲が使われているが、その使い方は何とも雑な感じ。ジミヘンの曲がかかるからといってハイになることもなく、グダグダ感は続く。でもそのグダグダ感が次第に心地よくなっていく。
最後には“僕”の仕事が決まり、ウィズネイルはロンドンに取り残される。“僕”を見送ったウィズネイルは、雨の中の動物園でオオカミだけを観客にハムレットの台詞を朗唱する。何もなかったような生活だけれど、振り返るとそんな生活が最も素晴らしかったようにも思える。“僕”にとっても、ウィズネイルにとっても、そんな時代はもう二度と来ないわけで、それは観客であるわれわれも一緒だ。だからそんな時代の思い出として、もう一度『ウィズネイルと僕』を観たくなるのかもしれない。
(*1) 引用させていただいたのはこちらのサイトから。作品論以外にも字幕の翻訳までしていて、この作品に対する熱意が伝わってくる。
↓ 追記:その後DVDが発売されることになったらしい(11月に発売予定)。

『ウィズネイルと僕』は日本では限定的に公開されたのみで、未だにソフト化もされていないようだが、イギリスやアメリカではカルト的な人気を誇る作品。公式ホームページには、たとえば英トータル・フィルム誌「史上最高のカルト映画34本」(5位)、英ガーディアン紙「最近25年のイギリス映画トップ25」(2位)などと宣伝されている。
『ラム・ダイアリー』の主役で製作も兼ねたジョニー・デップは、この作品について「これは完璧な映画だ。僕が死ぬ前に最後に見たい。」と語っているのだとか。
現在、吉祥寺のバウスシアターのみで公開中。今月で閉館となるバウスシアターのクロージング作品である。

60年代の終わりの年、ロンドンのカムデンタウンという町に住む売れない役者のふたり。臆病で神経質な“僕”(ポール・マッギャン)と、エキセントリックで嘘つきのウィズネイル(リチャード・E・グラント)。部屋をシェアしているふたりは仕事もなく、アルコールとドラッグばかりの無為な生活を送っている。キッチンの汚さも限界となり、待っていても仕事がくるわけでもないふたりは、叔父のモンティ(リチャード・グリフィス)を騙して田舎のコテージへと向かう……。
物語らしきものはほとんどない。ボロボロのジャガーで田舎に向かったウィズネイルと“僕”だが、そこで何がしかのトラブルに巻き込まれるとか、心躍る出来事に遭遇するわけでもない。ふたりは若い男性だが、まったく若い女性の存在はなく、後から現れたゲイの叔父に“僕”が追い回されるだけ。それでも登場人物たちは一癖も二癖もあって、彼らのグダグダしたやりとりはそれなりに楽しめるし、巨牛との対決とか、ウナギや鶏に対する虐待ネタ、警官の一言がやたらと高音だとか、ところどころ妙におかしい部分がある。
“僕”は「止まった時計さえも1日に2回は正しい時を刻む。そして1回だけ、僕はウィズネイルを信じかけた。確かに僕らはもうダメなのかもしれない。」(*1)なんて内面も吐露するのだけれど、夢も希望もないからといって絶望的に暗くなるわけではないし、かと言ってものすごくハイになる映画というわけでもない。薬の売人ダニー(ラルフ・ブラウン)のように、ものすごくハイになるドラッグをやっているのに、見た目にはテンションが低いのと同じかもしれない。
プロデューサーにジョージ・ハリスンが加わっているからか、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」とか、ジミ・ヘンドリックスの「Voodoo Chile」「All Along the Watchtower」などの豪華な曲が使われているが、その使い方は何とも雑な感じ。ジミヘンの曲がかかるからといってハイになることもなく、グダグダ感は続く。でもそのグダグダ感が次第に心地よくなっていく。
最後には“僕”の仕事が決まり、ウィズネイルはロンドンに取り残される。“僕”を見送ったウィズネイルは、雨の中の動物園でオオカミだけを観客にハムレットの台詞を朗唱する。何もなかったような生活だけれど、振り返るとそんな生活が最も素晴らしかったようにも思える。“僕”にとっても、ウィズネイルにとっても、そんな時代はもう二度と来ないわけで、それは観客であるわれわれも一緒だ。だからそんな時代の思い出として、もう一度『ウィズネイルと僕』を観たくなるのかもしれない。
(*1) 引用させていただいたのはこちらのサイトから。作品論以外にも字幕の翻訳までしていて、この作品に対する熱意が伝わってくる。
↓ 追記:その後DVDが発売されることになったらしい(11月に発売予定)。
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