平野勝之 『監督失格』
『監督失格』については、ギドク『アリラン』との共通点を指摘している人がいたので知ったのだが、『アリラン』公開の半年ほど前の劇場公開のようだ。平野勝之監督の『由美香』の評判は聞いたことがあったが、東中野あたりで単館でやっていたであろう『由美香』と比べ、『監督失格』はプロデューサー庵野秀明(エヴァンゲリオン)で東宝シネコンで全国上映という扱いにちょっと驚いた。

この映画での中心となるのは、亡くなった林由美香の第一発見者となった平野監督が、その発見の一部始終を撮影してしまったというハプニング(?)にあるだろう。
これに関しては観ていただくほかない。合鍵を持っていた由美香ママもその場面に立ち会ってしまうわけだが、その様子は何とも表現することが難しい。
とにかく警察にも疑われたとかいう曰く付きの映像だから5年間も封印されていた。今になって由美香ママの許可が下り、映画として公開されることになったわけだ。
『由美香』では北海道の最北端礼文島までの自転車旅というのが大きな枠組みだが、由美香には伝えていない秘密のミッションがあり、それが達成されることで映画が終わる(ミッションの内容は一般向けではないので伏せておきます)。また冒頭は奥様が撮影した平野の寝顔から始まり、不倫相手である由美香が撮る平野の寝顔で終わる。自転車旅をそうして締めくくった平野監督は、奥様から由美香への気持ちの揺らぎを込めたのかもしれない。AVドキュメントとして劇場公開されたらしいが、ロードムービーとしてよく考えられた構成になっていると思えた。
平野は『監督失格』の企画には乗り気でなかったようだ。それは終わらせ方が見えていなかったからだ。
『監督失格』では前半が『由美香』のダイジェストとなっているが、かつては描かれていなかった部分もある。例えば、由美香が母親との関係を語る場面は多くなっている。これは『監督失格』における準主役が由美香ママだからだろう。それから旅の帰路、由美香と平野がけんかとなり、平野が手を上げる箇所もそうだ。平野はその前にけんかの場面を撮影しなかったことで、「監督失格だね」と由美香に言われており、その汚名返上とばかりにカメラを回したままやり合うのだ。『由美香』では旅の終わりが映画の終わりとなるから、帰路までは描かれなかった。ドキュメンタリーは現実を写したものではあるが、どの部分を切り取るかで違った意味合いの映画になる。
小説でも映画でも、「どこから始めてどこで終わらせるか」「どこを切り取るか」ということは常に問題になる。『ガープの世界』のように、主人公が生まれてから死ぬまでを描く物語もあるが、それは例外だ。特に映画になると2時間で人生すべてを語るのは難しい。だから主人公のどの部分を切り取るかが重要になる。まして現実の人間を対象にするドキュメンタリーは当然そうならざるを得ない(一生涯を追うわけにはいかない)。『由美香』ではロードムービーとして、その切り取る部分がはっきりしていた。『監督失格』ではすでに由美香は亡くなっており、どう終わらせるか(どこで区切りをつけるか)が問題となる。
由美香が「幸せです」とつぶやき眠りに就く場面。平野はこの場面がラストになってしまう安易さに納得がいかないようだ。それではいつまでも由美香の姿に囚われたままになってしまうからだ。一方、由美香ママは由美香が亡くなり心の病に苦しみつつも、由美香の想い出の残る自宅を売り払ってまで新たなスタートを切っている。平野もこのままではダメなことは自分でも理解していたのだ。
結局、平野は苦しみながら「由美香とお別れしたくない」からこそ、『監督失格』の製作にいまひとつ乗り気になれなかったと悟る。『監督失格』を終えてしまったら、由美香を対象にした映画はもう撮ることができないから……。それでも次に進むにはお別れしなければならない。そんな弱さを振り切るように、泣きじゃくりながらも自転車葬という奇妙なお別れをすることになる。
この映画の予告編を観ると、平野監督の製作時の苛立ちが見えるが、本編ではそうした部分はない。『監督失格』の約半分を『由美香』のダイジェストが占め、過去作を観ている者にはアンバランスな印象もあるだろう。ラストの自転車葬もやや唐突な印象だし、恐らく平野の苦悩や苛立ちにもっと焦点を当てたり、例の映像でのいざこざを中心にした作品も可能だったろう。しかし平野監督はそうしなかった。『監督失格』は、『由美香』を観たことのない多くの人にも受け入れられる作品になっている。それも林由美香という人間を知ってもらいたいという平野監督の想いなのだと思う。
由美香ママは「人間は二度死ぬって言うじゃない? 本当に死んだときと、忘れられたときがそうだ」と語っていた。林由美香に惚れ込んだ平野勝之の想いと、シネコンでの全国ロードショーという絶好の機会を得て、林由美香はさらに多くの人に記憶されることになっただろう。
『監督失格』とその他の平野監督作品

この映画での中心となるのは、亡くなった林由美香の第一発見者となった平野監督が、その発見の一部始終を撮影してしまったというハプニング(?)にあるだろう。
これに関しては観ていただくほかない。合鍵を持っていた由美香ママもその場面に立ち会ってしまうわけだが、その様子は何とも表現することが難しい。
とにかく警察にも疑われたとかいう曰く付きの映像だから5年間も封印されていた。今になって由美香ママの許可が下り、映画として公開されることになったわけだ。
『由美香』では北海道の最北端礼文島までの自転車旅というのが大きな枠組みだが、由美香には伝えていない秘密のミッションがあり、それが達成されることで映画が終わる(ミッションの内容は一般向けではないので伏せておきます)。また冒頭は奥様が撮影した平野の寝顔から始まり、不倫相手である由美香が撮る平野の寝顔で終わる。自転車旅をそうして締めくくった平野監督は、奥様から由美香への気持ちの揺らぎを込めたのかもしれない。AVドキュメントとして劇場公開されたらしいが、ロードムービーとしてよく考えられた構成になっていると思えた。
平野は『監督失格』の企画には乗り気でなかったようだ。それは終わらせ方が見えていなかったからだ。
『監督失格』では前半が『由美香』のダイジェストとなっているが、かつては描かれていなかった部分もある。例えば、由美香が母親との関係を語る場面は多くなっている。これは『監督失格』における準主役が由美香ママだからだろう。それから旅の帰路、由美香と平野がけんかとなり、平野が手を上げる箇所もそうだ。平野はその前にけんかの場面を撮影しなかったことで、「監督失格だね」と由美香に言われており、その汚名返上とばかりにカメラを回したままやり合うのだ。『由美香』では旅の終わりが映画の終わりとなるから、帰路までは描かれなかった。ドキュメンタリーは現実を写したものではあるが、どの部分を切り取るかで違った意味合いの映画になる。
小説でも映画でも、「どこから始めてどこで終わらせるか」「どこを切り取るか」ということは常に問題になる。『ガープの世界』のように、主人公が生まれてから死ぬまでを描く物語もあるが、それは例外だ。特に映画になると2時間で人生すべてを語るのは難しい。だから主人公のどの部分を切り取るかが重要になる。まして現実の人間を対象にするドキュメンタリーは当然そうならざるを得ない(一生涯を追うわけにはいかない)。『由美香』ではロードムービーとして、その切り取る部分がはっきりしていた。『監督失格』ではすでに由美香は亡くなっており、どう終わらせるか(どこで区切りをつけるか)が問題となる。
由美香が「幸せです」とつぶやき眠りに就く場面。平野はこの場面がラストになってしまう安易さに納得がいかないようだ。それではいつまでも由美香の姿に囚われたままになってしまうからだ。一方、由美香ママは由美香が亡くなり心の病に苦しみつつも、由美香の想い出の残る自宅を売り払ってまで新たなスタートを切っている。平野もこのままではダメなことは自分でも理解していたのだ。
結局、平野は苦しみながら「由美香とお別れしたくない」からこそ、『監督失格』の製作にいまひとつ乗り気になれなかったと悟る。『監督失格』を終えてしまったら、由美香を対象にした映画はもう撮ることができないから……。それでも次に進むにはお別れしなければならない。そんな弱さを振り切るように、泣きじゃくりながらも自転車葬という奇妙なお別れをすることになる。
この映画の予告編を観ると、平野監督の製作時の苛立ちが見えるが、本編ではそうした部分はない。『監督失格』の約半分を『由美香』のダイジェストが占め、過去作を観ている者にはアンバランスな印象もあるだろう。ラストの自転車葬もやや唐突な印象だし、恐らく平野の苦悩や苛立ちにもっと焦点を当てたり、例の映像でのいざこざを中心にした作品も可能だったろう。しかし平野監督はそうしなかった。『監督失格』は、『由美香』を観たことのない多くの人にも受け入れられる作品になっている。それも林由美香という人間を知ってもらいたいという平野監督の想いなのだと思う。
由美香ママは「人間は二度死ぬって言うじゃない? 本当に死んだときと、忘れられたときがそうだ」と語っていた。林由美香に惚れ込んだ平野勝之の想いと、シネコンでの全国ロードショーという絶好の機会を得て、林由美香はさらに多くの人に記憶されることになっただろう。
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