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2018年の映画ベスト10!

マーティン・マクドナー 『スリー・ビルボード』 ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は町外れに警察を非難する広告を出す。

  『スリー・ビルボード』
  『犬猿』
  『心と体と』
  『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
  『ビューティフル・デイ』
  『ウインド・リバー』
  『きみの鳥はうたえる』
  『生きてるだけで、愛』
  『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』
  『ROMA/ローマ』
         (観た順に10作品)

 「ベスト10」としてすぐに思い浮かんだのは、『スリー・ビルボード』『心と体と』『ウインド・リバー』『きみの鳥はうたえる』『生きてるだけで、愛』あたり。残りはあれを入れればこっちが漏れる云々と悩ましいところだった。1970年代公開の作品があったり、Netflixオリジナル作品があったりもする。審査基準なんてあってないようなものだから良しとしておこうと思う。
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Date: 2018.12.31 Category: ベスト10 Comments (4) Trackbacks (2)

『シシリアン・ゴースト・ストーリー』 「現実」vs「幻想」の結果は?

 監督と脚本はファビオ・グラッサドニアアントニオ・ピアッツァのコンビ。
 1993年にシチリアで起きたある事件を元にした作品。

ファビオ・グラッサドニア、アントニオ・ピアッツァ 『シシリアン・ゴースト・ストーリー』 実際に起きた事件を元にした作品。


 13歳のルナ(ユリア・イェドリコフスカ)は、ある日、同級生のジュゼッペ(ガエターノ・フェルナンデス)に自分の想いを告げる手紙を渡す。ふたりだけの楽しい一時の後に、不思議なことが起きる。ジュゼッペがいつの間にか姿を消してしまったのだ。

 ルナはジュゼッペが失踪したことが信じられない。彼の実家を訪ねても母親は呆然としているばかりだし、学校の先生は特段心配している様子もない。実はジュゼッペが消えた理由をみんなが知っていて、それでも知らんぷりしているのだ。
 この物語は実際の事件を元にしているとのこと。ネタバレになってしまうけれど、ジュゼッペはマフィアに誘拐されていたのだ。この事件は当時のイタリアでは結構話題になったらしいのだが、今では忘れられている事件でもあるとのこと。それを忘れさせてしまってはならないという気持ちからこの作品が誕生することになったらしい。

 『ゲティ家の身代金』もイタリアのマフィアが絡む話だった。『ゲティ』は1970年代だが、『シシリアン・ゴースト・ストーリー』の元となった事件は1993年。マフィアを根絶することは難しいらしい。
 『ゲティ』においても誘拐が町ぐるみで行われていたが、本作のシチリアでも住民の多くが事情を知っていながらも何もしようとはしない。大人たちは見て見ぬフリで、警察も聞く耳を持たないとなれば、どうすればいいのか途方に暮れるほかない。そんななかでルナだけはジュゼッペを助けるために行動するのだが……。

『シシリアン・ゴースト・ストーリー』 ルナ(ユリア・イェドリコフスカ)が描いた絵。ただこうした幻想的なアイテムもあまり活かされてはいなかったような……。

 冒頭は地下の洞窟のような場所が描かれる。ここは明るい光に溢れた地上の「生の世界」に対する「死の世界」ということなのだろう。そして、その両方に接するようにして湖があり、その水のなかは生と死との中間となっていて、本作は「生の世界」と「死の世界」が交じり合い、「現実」と「夢や幻想」も一緒くたになって展開していく。
 現実世界ではジュゼッペは長い監禁の後に酸で溶かされ湖に捨てられるのだが、幻想のなかではルナは湖でジュゼッペのゴーストと出会うことになる(ゴーストと言いつつもドッペルゲンガーでもある)。この出会いには事件を忘れないためというよりは、あまりにかわいそうなジュゼッペに「せめてもの救いを」という製作陣の願いが込められているようだ。
 ジュゼッペの生まれ代わりにも見えるフクロウとか、ルナが壁に描く暗い絵とか、「死の世界」から何かが覗いているようなカットなど、本作は不穏な雰囲気に満ちている。これらはジュゼッペの悲惨な運命から導き出された幻想的な要素なのかもしれないのだが、現実世界のあまりの無慈悲さを前にすると幻想世界を描くことすら虚しいものにも感じられた。
 なかなかの美少年だったジュゼッペ役のガエターノ・フェルナンデスと、意志の強そうなルナ役のユリア・イェドリコフスカのコンビはとても初々しくてよかったと思う。

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Date: 2018.12.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ROMA/ローマ』 長回しの効用

 『ゼロ・グラビティ』などのアルフォンソ・キュアロン監督の最新作。
 ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞した作品。
 本作は日本では東京国際映画祭で上映されただけで、12月14日からNetflixでストリーミング配信されている。

 アカデミー賞でも作品賞・監督賞などを獲得して大成功を収めた『ゼロ・グラビティ』の後ということで、選択肢は広がったんじゃないかと思うのだが、アルフォンソ・キュアロンが選んだのは一見すると地味な作品だ。
 最先端の技術を駆使した『ゼロ・グラビティ』からすると意外な感じもするが、この作品のモノクロ映像には最新鋭のカメラが使用されているらしい。だからだろうかクリアな映像で奥行きが感じられる(排水のなかに映り込む飛行機の姿はこうした技術のおかげか)。
 音響効果にもかなり凝っているとのことで、劇場公開を予定してつくられた作品となっているようだ。しかしスター俳優はまったく登場せず、英語作品でもないというハンデもあって、Netflixでの公開となったようだ。劇場公開がないのはちょっともったいない気もする。

アルフォンソ・キュアロン 『ROMA/ローマ』 モノクロで地味な作品には見えるけれど……。

◆ごく個人的な作品?
 物語はキュアロン監督の子供のころの話であり、自伝的な作品となっている。主人公はメキシコシティの中流家庭の家政婦クレオ(ヤリッツァ・アパラシオ)であり、本作は監督が世話になったリボという女性に対して捧げられている。
 『ROMA/ローマ』では、後の『ゼロ・グラビティ』につながるような『宇宙からの脱出』という映画が引用されていたりもするし、『天国の口、終りの楽園。』にもつながるようなキュアロン監督のごく個人的な作品を目指したものにも感じられた。
 たとえば本作で印象的に使われている飛行機のシーンやウンチネタは、デビュー作『最も危険な愛し方』にも見られるものだからだ(ほかにも日本に関するエピソードとかプロレスラーみたいなキャラとか共通点がある)。というよりも、本作に描かれたような子供のころの記憶がデビュー作にも色濃く表れていたということなのだろう。

 本作の舞台となるのは1971年のメキシコシティのローマ地区。キュアロンは1961年の生まれだからだいたい10歳くらいのときの話ということになる。そのころのメキシコシティがどんな時代だったのかは不勉強でわからないけれど、歴史的な出来事なども背景にして、ある家族の生活が綴られていく。今では失われてしまったノスタルジックなものも感じさせる。
 目立つエピソードがあるとすれば、父親が家族を捨てて出て行ったことと、クレオが妊娠をして恋人に捨てられるところだろうか。残された女主人ソフィ(マリーナ・デ・ダビラ)は気が短いところもあるけれど、妊娠したクレオに対してはとても親切で、夫がいなくなり経済的には厳しくなってもクレオを家族の一員として処遇する。

『ROMA/ローマ』 クレオ(ヤリッツァ・アパラシオ)は子供たち助けるために海へ向かう。横移動の長回しによるシーン。

◆長回しの効用
 そして、繰り返される横移動の長回しを堪能することが本作の醍醐味とも言えるかもしれない。キュアロンはとても効果的に長回しを使う監督だ。『ゼロ・グラビティ』『トゥモロー・ワールド』などの長回しは技巧的なものがまさっていて「これみよがし」なところがあるけれど、本作の長回しは情感に訴える部分があったと思う。
 特にクレオが溺れかけた子供たちを助ける場面。カメラは心配そうに海を見つめるクレオを追い続け、彼女は泳げないにも関わらず子供たちのために高波のなかに入り込んでいく。何とか子供たちと共に危機から生還し、家族たちと抱き合うという感動的な場面のなかでクレオは唐突に本音を漏らす。
 それは死産だった子供に対しての言葉だ。クレオは「生まれて欲しくなかったの」と涙ながらに言うのだ。この台詞はその直前に必死になって子供たちを救った行為とは正反対のことのようにも思える。それでも感情の発露としてはわからないでもない。
 情感に訴える長回しとしては『天国の口、終りの楽園。』がある。この作品では悪ガキふたりと人妻という3人が描かれる。そのなかで長回しで描かれるキモとなるシーンがあって、このシーンでは音楽と酒の勢いもあって3人が踊っているうちに、なぜか悪ガキふたりがキスシーンを演じてしまう。この悪ガキたちはゲイではないけれど、その場のノリによってなぜかそんなことが起きてしまうのだ。
 『天国の口、終りの楽園。』にしても『ROMA/ローマ』にしても、登場人物の感情には複雑なものがあるはずだ。キュアロンの長回しは、説明しがたいそうした複雑な感情を、登場人物と共に一定の時間を体験することによって、言葉ではない何らかの形で観客に伝えるような効果があると思う。要は何が言いたいかと言えば、何だか説明はつかないけれど感動的だったということだ。とにかく泣かせるのだ。

 最後に訂正をひとつ。劇場至上主義みたいなことも言ってみたけれど、Netflixはオリジナル作品が多くてお得であることも確か。今はコーエン兄弟の最新作『バスターのバラード』とか、スサンネ・ビア『バード・ボックス』あたりが注目の作品。年末年始の時間のあるときに楽しませていただくつもり。

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Date: 2018.12.27 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『メアリーの総て』 怪物の声は女性たちの声?

 『少女は自転車にのって』のハイファ・アル=マンスール監督の最新作。
 原題は「Mary Shelley」

ハイファ・アル=マンスール 『メアリーの総て』 墓の前に創作するメアリー(エル・ファニング)。美術などはゴシック風で統一されている。

 原題となっているメアリー・シェリーとは、『フランケンシュタイン』の原作者として知られる女性。彼女がどうして『フランケンシュタイン』を書くことになったのかという点に迫るのが本作ということになる。
 文庫本の「解説」や「まえがき」などを読むと、詩人として知られていた旦那のパーシー・シェリーの助言があったことなども書かれていて、勝手に年上の旦那が教え導くような形で『フランケンシュタイン』が生まれたのかと思っていたのだが、それはまったく勘違いだったとも言えるかもしれない。
 パーシー(ダグラス・ブース)は自由恋愛の信奉者であり、メアリー(エル・ファニング)は駆け落ちまでして彼と一緒に過ごすことを選ぶわけだが、裕福ではあるけれど生活力のないパーシーとの生活は楽しいことばかりは続かない。パーシーはほかの女性とも関係を持つし、娘を亡くすという悲劇もあって、メアリーには不満ばかりが募ることになる。

『メアリーの総て』 メアリーとクレア・クレモント(ベル・パウリー)。ふたりは詩人パーシーと一緒に暮らすことに……。

 メアリーが書いた『フランケンシュタイン』という小説では、主人公ヴィクターと彼が生み出した怪物との関係は、神と神が創造したアダムとの関係を類推させるものとなっている。罪を犯したアダムは楽園から追放されることになるわけだが、その後のアダムが創造主の神に対して恨み言を並べたのかどうかは知らないけれど、怪物は創造主であるヴィクターに対して「不当じゃないか」と意義を申し立てることになるのだ。というのも、ヴィクターは自分が創造した怪物をおぞましいものとして放り出してしまうからだ。
 そして、この映画『メアリーの総て』の解釈においては、そうした関係がパーシー(男)とメアリー(女)という関係にまで広げられている。メアリーはパーシーとの出会いによって家から出て新たに生まれ変わったとも言えるけれど、浮気性のパーシーはメアリーを捨て去ることになるからだ。怪物のヴィクターに対する恨み言は、つまるところメアリーのパーシーに対する恨み言ということになるのだ。
 『フランケンシュタイン』という小説は、人造人間たる怪物が登場する怪奇物として有名となったが、実際に読んでみると捨てられた怪物の告白の部分が読者の琴線に触れるところとなっている。メアリーの異母姉妹であり、バイロン卿(トム・スターリッジ)に捨てられることになるクレア・クレモント(ベル・パウリー)が共感を寄せたのもこの部分だった。男性優位の社会において不当な扱いを受けている女性たちの声として、怪物の声を読むことができるというのがこの映画の解釈ということだろう。

 ハイファ・アル=マンスール監督は、デビュー作である前作『少女は自転車にのって』の際にサウジアラビアで唯一の女性監督と話題になった。サウジアラビアはイスラム世界のなかでも女性にとってかなり窮屈なところらしい。『少女は自転車にのって』の主人公の少女はそんな窮屈な世界を天真爛漫さで乗り切っていく。自転車が空を飛ぶ(かのように見える)シーンがさりげないながらも印象的だった。
 そんなふうに女性が窮屈な世界と対峙するあたりは本作も同様。エル・ファニングはいつもどこか頼りなげでぼんやりしているようにも見えるけれど、本作では怒りを露わにするところがちょっと珍しいかも。パーシーに対して「周りを見て。どこに希望が?」と詰め寄るあたりは結構切実だった。

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Date: 2018.12.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『マイ・サンシャイン』 暴動のなかにも楽しさあり?

 『裸足の季節』デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督の最新作。
 原題は「Kings」。これは“王様たち”を意味するわけではなく、作品中で何度も映像が引用される“ロドニー・キング事件”から採られているらしい。

デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン 『マイ・サンシャイン』元ボンド・ガールのハル・ベリーと、現007のダニエル・クレイグの共演。


 ロサンゼルス暴動に巻き込まれることになるごく普通の人たちの物語。主人公のミリー(ハル・ベリー)は身寄りのない子供たちを自分の子供として育てている。隣人のオビー(ダニエル・クレイグ)はかなりキレやすいタチで、子供たちの騒音にもうるさいが、意外とやさしいところもある。そんなミリーたちがロサンゼルス暴動に巻き込まれることに……。

 1992年に起きたロサンゼルス暴動のことはニュースで見ていた記憶はあるけれど、黒人と白人との間の対立という認識だった。実際に暴動のきっかけになったのは“ロドニー・キング事件”の理不尽な判決だからそれでも間違いではないのだが、ほかにも住民の間に不穏な空気を醸成した事件があったらしい。それが“ラターシャ・ハーリンズ射殺事件”。これは万引きを疑われた黒人の少女が、韓国系アメリカ人の店で店主に射殺されたというもの。黒人対白人というだけではない様々な人種の対立があったということらしい。
 とはいえ本作はそうした人種間の対立を問題化しようという意図ではなさそう。たとえば1967年に起きた「デトロイト暴動」を描いた『デトロイト』が黒人に同情的だったのとはちょっと趣きが異なるのだ。

『マイ・サンシャイン』 ハル・ベリー演じるミリーは身寄りのない子供たちを育てている。

 ロサンゼルス暴動では、黒人は虐げられて暴動を起こす側にいることになるわけだが、『マイ・サンシャイン』では調子に乗って悪さをしている黒人たちがいることも描かれている。同時にそれを諌めるジェシー(ラマー・ジョンソン)のような黒人もいる。他方で白人警官たちのかなり偏った正義感も見せつつも、暴動でてんてこ舞いの白人警官の大変さも描写されている。どこかにいる悪者を糾弾しようというものではないし、黒人対白人といったわかりやすい対立の話に落とし込もうというものでもないのだ。
 ロサンゼルス暴動はあくまで背景とでも言うかのように、ごく普通の人々が混乱のなかで右往左往する様子が描かれていく。印象に残るエピソードは黒人同士の嫉妬から来る諍いであり、暴動が直接的原因となったわけではない(混乱がそれを誘発したとしても)。さらにミリーの子供たちは略奪に参加してテレビ番組に登場したりもするし、ミリー本人は子供たちを助けるために暴動の只中に入っていくけれど、隣人オビーに助けられてロマンスっぽい雰囲気を醸し出すことに……。
 監督のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンはフランスのトルコ系というマイノリティであり、暴動が起きたロスの黒人たちに共感を抱いている部分はあるようだ。ただ、そんな黒人たちを虐げられる側としてだけではなく、混乱のなかでもずぶとく生きている現実的な人間として描いていると言えるかもしれない。ミリーの子供たちが万引きした食べ物でパーティーに興じる場面など、やっていることは褒められないけれどいかにも楽しそうなあたりに監督の想いが感じられるような気もした。

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Date: 2018.12.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『来る』 上のほうの人って誰?

 『下妻物語』『嫌われ松子の一生』などの中島哲也監督の最新作。
 原作は澤村伊智『ぼぎわんが、来る』

中島哲也 『来る』 なかなか豪華な出演陣。小松菜奈はピンクの髪というイメチェンを。

 この作品は3部構成となっていて、主人公は次々と交代していく。
 田原秀樹(妻夫木聡)は調子が良すぎる男でイクメンを自称しているものの、子育ては妻に任せきりで、ブログのなかでは嘘くさいほどの幸せな家族の姿を演じてばかりいる。その妻・香奈(黒木華)は夫の外面のよさと実際とのギャップに苛立ち、娘の知紗にも当り散らすほど追いつめられていく。そして、もうひとりの主人公はオカルトライターの野崎(岡田准一)で、彼は人を愛することができず恋人に堕胎させた過去がある。どの主人公もクズな人間で、中島哲也作品にはよく出てくる種類の人物と言える。
 そんな彼らが苦しめられることになるのが、“ぼぎわん”とも呼ばれる霊的な存在で、それは秀樹と香奈の娘・知紗をどこかへ連れ去ろうとする。秀樹は野崎のツテでキャバ嬢の霊媒師・真琴(小松菜奈)にも助けを借りて“ぼぎわん”と闘うことに……。

 “ぼぎわん”とは何か? なぜ知紗を狙っているのか? そこに具体的な説明はない。真琴も言うように、理由なんかはわからないけれど、何とかそれに対処することだけはできるということらしい。
 3人の主人公たちは子供に対する接し方で間違ってきた部分があることは確かで、最近は児童虐待のことが盛んに話題になったりもしたけれど、そんなのは昔からの話だよというのが民俗学の見解らしい。というか、虐待どころか昔は子供を間引きしてしまうことも度々行われていたとのことで、そうしたものが霊となって姿を現したのが“ぼぎわん”なのかもしれない。
 『渇き。』でデビューした小松菜奈は黒髪に制服ばかりというイメージがだったが今回はかなりイメチェンしているし、黒木華のどす黒い感じも初めて。そのあたりでは楽しめたとも言える。ただ、ラストのお祭り騒ぎはなかなか壮観だったけれど、騒がしいだけだったという気もする。

『来る』 比嘉琴子(松たか子)は日本最強の霊媒師。ラストの闘いでは白装束を。

 気になったのは松たか子が演じる琴子の台詞(以下、私の思い込みである可能性も)。琴子は“ぼぎわん”を秀樹のマンションに呼び込み、祓いの儀式を行うことになる。琴子は警察のお偉いさんまで駆り出し、マンションから住人すべてを人払いしてまで盛大な儀式が行われる。その際の琴子の台詞が、「私がつながっているのはもっと上のほうの人だから」といった内容だった。作品内ではそれ以上その話題が触れられることもなかったし、その人物が登場することもないのだが、“上のほうの人”とは誰のことなのだろうか?
 琴子は日本最強の霊媒師という触れ込み(真琴の姉でもある)。儀式にかき集められているのは、神主や沖縄のユタとか、韓国の祈祷師なんかも混じっている。そうした業界のなかで一番上のほうに居るのは誰かと考えると、それは天皇ということになるんじゃないだろうか。
 天皇は憲法で定められた国事行為というものをすることになっているが、仕事はそれだけではないわけで、本来(?)の仕事は祭祀ということになるのだろうと思う。ウィキペディアによれば、宮中祭祀と言われるものがそれで、天皇は「国家と国民の安寧と繁栄を祈る」ことが仕事ということになる。
 琴子にわざわざ天皇とのつながりを仄めかせたのは、来年で終わる予定の「平成」という時代が意識されていたからだろうか。前作の『渇き。』でも、わざわざ原作とは名前を変更してまで「昭和」風の男を登場させてもいた(役所広司演じる藤島昭和)。
 天皇と近い位置にいるという琴子は、ラストの闘いを最後に姿を消すが、死んでしまったか否かは明らかにはされない。これは生前退位することになる今上天皇と同様の去り方を意識しているのかもしれない。
 本作が「平成」を仄めかすという意図があるとするならば、琴子は“ぼぎわん”を退散させて知紗を取り戻したものの、「こんなみっともない祓いは初めて」だとも語っていたわけで、これが「平成」に対する中島監督の総括ということになるのだろうか。

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Date: 2018.12.11 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (6)

『ヘレディタリー/継承』 家族の不和とオカルト

 監督・脚本のアリ・アスターは本作がデビュー作とのこと。
 原題の「Hereditary」とは、「遺伝性の」とか「先祖代々の」といった意味。

アリ・アスター 『ヘレディタリー/継承』 長女のチャーリーを演じたミリー・シャピロ。何かよくわからないけどとにかく怖い!


 グラハム家の祖母・エレンが亡くなり、エレンは娘のアニー(トニ・コレット)に手紙を遺している。そこには「失ったものに対して絶望しないで。最後にはきっとその価値が分かるから。」といったことが書かれている。エレンはアニーたち家族に何を遺していったのか?

 海外の映画祭などでは批評家のウケがとてもよく、一方で一般の映画ファンから意外と不評という作品。ホラー映画をつぶさに追っているわけではないので批評家の評価がどの辺りにあるのかはよくわからなかったけれど、怖い作品だったとは言える。何か怖いかと言えば、“顔”ということになるだろうか。
 予告編でも存在感を出しているチャーリー役のミリー・シャピロの不気味さに底知れぬ怖さを感じていたのだけれど、それは前座でしかなく、それ以上に怖い存在がアニーであり、アニーを演じたトニ・コレットの顔芸が本作の見どころとも言えるかもしれない。

『ヘレディタリー/継承』 アニー(トニ・コレット)はドールハウスのなかの人物を見守る。

 アニーの職業はドールハウス作りであり、彼女は自分の家で起きた出来事を作品にしている。なぜそんなことをしているのかと言えば、アニーの家では信じられないような悲惨な出来事が頻発していて、母親エレンは解離性障害で兄は自殺していたりもする。そんな状況だからアニーも夢遊病になったりして、グループセラピーのようなものに顔を出して精神的苦痛をケアしようとしている。
 つまり、ドールハウス作りはアニーにとって箱庭療法的なセラピーの意味も持つらしい。そうでなければ劇中で起きた衝撃的な出来事まで細かく再現しようとするわけもないからだ。しかし、そのドールハウスを壊してしまったことで、アニーはさらに精神的に追い込まれていくことになる。
 冒頭のシーンでは、ドールハウスの部屋がそのまま映画のなかの長男ピーター(アレックス・ウルフ)の部屋のシーンにつながっていく。ドールハウスはアニーのコントロール下にあるけれど、実際のハロルド家はさらに大きな何かに操られてもいる。それが祖母エレンが崇拝するペイモンという悪魔の力ということなのだろう。

 ちなみに『ヘレディタリー/継承』は、『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)あたりの“家族もの”が重要な要素となっているようだ(公式サイトにはいくつかの映画の名前が挙がっている)。確かにアニーとピーターの諍い、それを見守る父親(ガブリエル・バーン)、そんな関係性はよく似ているし、食卓での言い争いは壮絶なものがあった。しかし、それは長く続かない。それに代わり超常現象が頻発するようになり、アニーが壁を這っていったりするうちに家族関係のことはすっかりどこかへ行ってしまったように感じられた。
 “家族もの”が深く見つめるはずのトラウマの部分を、本作ではすべてエレンが残した呪いという一事で解決してしまうようでもあった。衝撃的な事故のときのピーターの現実逃避的振る舞いも、アニーの精神崩壊とその回復も、すべてはペイモンの仕業ということで済ませられるからだ。家族の不和という題材とオカルトという組み合わせは風変わりで、新味があるのと同時に慣れ親しんだものとは違ってちょっと戸惑ったというのが正直なところだろうか。

 ラストはおどろおどろしいけれど、エンドロールのジョニ・ミッチェルの曲「青春の光と影」(歌はジュディ・コリンズ)は妙に明るい。多分、呪いをかけたエレンの立場からすれば、このラストは素晴らしく価値のあることなんだろうと思う(歌詞も意味ありげ)。そこがかえって不気味でもあった。

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Date: 2018.12.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『イット・カムズ・アット・ナイト』 疑心暗鬼が一番怖い

 長編デビュー作となった『Krisha』(日本未公開)が評判だったらしいトレイ・エドワード・シュルツ監督の第2作。
 最近『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』『ヘレディタリー/継承』などでも何かと評判となっているA24の製作。

トレイ・エドワード・シュルツ 『イット・カムズ・アット・ナイト』 「夜には赤いドアを閉めること」がこの家のルール。

 本作の舞台となるポール(ジョエル・エドガートン)の家は、山のなかにある一軒家。家の外には人を死に至らしめる何かがいる。そのためポールの家には入り口はひとつしかなく、そこは赤いドアによって閉ざされている。
 ある日、そこに闖入者が現れる。ウィル(クリストファー・アボット)一家は水を求めて彷徨ううちにポールの家にたどり着いたらしい。ウィルは家畜を持っているために、ポールは水と交換にウィルを家に招き入れることになる。しかし、ある夜、閉ざされているはずの赤いドアが開いていることが判明する。一体誰がやったのか?

 この作品の世界では人類の大半が死に絶えているらしく、わずかながら生き残った人が何かに怯えながら暮らしている。ちょっと前の『クワイエット・プレイス』と似た状況だが、人類の大半が死ぬことになった“それ”の正体が何なのかがわからない点が違うところ。
 端的に言えば、『イット・カムズ・アット・ナイト』の“それ”とは、劇中に登場するブリューゲルの絵にあるようなペストと同様の病原菌の類いということになるだろう。だから『クワイエット・プレイス』のようにバケモノが姿を現して大暴れしたりすることがない点で肩透かしを感じる観客も多いのかもしれない(出てきてがっかりする場合も多いから、これはこれでよかったと思う)。

『イット・カムズ・アット・ナイト』 ポール(ジョエル・エドガートン)と息子のトラヴィス(ケルビン・ハリソン・ジュニア)。トラヴィスは奥さんの連れ子ということだろうか?

 ポールたちはガス・マスクを着けて、“それ”に感染することを防ごうとしているのだが、病原菌が空気感染するのなら夜だけ気をつけてもあまり意味がないはず。それでも夜に赤いドアを閉ざすのは、暗闇が恐ろしいという人間の心理によるのだろう。本当は何もいないはずなのに、見えないどこかに何かが潜んでいるかもしれないと恐れることこそが、“それ”という何がしかの敵を生み出してしまうのだ。実質的な主人公とも言えるトラヴィス(ケルビン・ハリソン・ジュニア)が見る悪夢も、見えない何かを恐れるが故のものだろう。
 ポールが家族を守るために課すルールは、“それ”対策のためのものだ。そのひとつが「夜には赤いドアを閉めること」だが、ほかにも「家族以外は信用するな」とか、「感染したら殺害して火葬処理する」という残酷なルールもある。
 そして、暗闇のなかに“それ”を見出してしまう人間は、自分たちとは違う人間――たとえば家族以外の人間を恐れることにもなる。ポールたちはウィルたち家族を疑い、ウィルたちはポールたちを恐れ、互いに疑心暗鬼に駆られる。そこでは“それ”とは別の敵を自らが生み出してしまうことになり、外にも内にも敵だらけということになり悲劇が起きることになる。

 ポールにとって家族というのは守るべき大事な存在だ。そのためには最初に“それ”に感染した祖父は始末するしかなかった。それによってポールと奥さんとトラヴィスの3人は生き永らえることになる。
 ただ、ラストで犠牲になるのはトラヴィスである。祖父の犠牲は老い先短い老人だったからとあきらめられたものの、将来がある息子が犠牲になった場合はどうか? 感染したトラヴィスを始末して、夫婦ふたりだけで生きていくことは可能なのか。さらにもし伴侶のどちらかが感染したら、独りになっても相方を殺して生きるのか。果たしてそんなことまでして生きることに意味があるのか。そんな酷く嫌なことを考えさせるラストカットが秀逸だった。

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Date: 2018.12.03 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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