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『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』 フリードキン自身が最も愛する作品

 監督は『エクソシスト』『フレンチ・コネクション』などのウィリアム・フリードキン
 もともとのこの作品のオリジナルはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー『恐怖の報酬』(1953年)で、ウィリアム・フリードキンがそれをリメイクした本作は1977年のもの。当時は大ヒットした『スター・ウォーズ』と同じ時期の公開となったこともあって、割りを食ってしまったところがあるようだ。【オリジナル完全版】と題されているのは、日本公開時には30分近くもカットされたバージョンとなっていたから。
 原題は「Sorcerer」「魔術師」という意味。

ウィリアム・フリードキン 『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』 クライマックスの吊り橋の場面。トラックの重量感が凄まじい。

 殺し屋に爆弾テロリスト、破産した投資家に、追われているアイリッシュ・マフィア。様々理由で南米にやってきた4人の男たち。そこでの酷い生活から逃れるために、命がけの仕事をすることになる。それはニトログリセリンを積んだトラックで320キロの密林のなかを進むというものだった。
 とにかくハラハラドキドキの連続でスクリーンから目が離せない。説明的な台詞は廃して、ほとんど映像だけで描かれていく。本作公開時にはCGなどはなかったわけで、すべて本物である。
 爆弾テロやカークラッシュの場面の破壊の凄まじさには目を見張る(ケガ人は出なかったんだろうか?)。廃車寸前のボロいタクシーも凄かったけれど、飛行機の薄汚さにもビックリだった(飛ぶ棺桶というか、掘り出してきたばかりの棺桶のようだった)。ジャングルの風景は実際に南米に行って撮影しているものだし、その緑の色合いと暑苦しい感覚はやはりセット撮影では出せないものだろう。
 当初の計画ではスティーヴ・マックイーンやマルチェロ・マストロヤンニなどキラ星の如きスターたちの起用を検討していたようだが、こうした劣悪な撮影状況を嫌ったスターたちは出演を断ったらしい。確かに撮影現場が酷い環境であったであろうことは出来上がった本作からも窺える。それでも本作はそんな状況で撮影されたからこその、本物志向でなければ誕生することのなかった貴重な作品になっていたと思う。

『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』 南米のジャングルで撮影された作品。この状況では大スターが出演を辞退するのもよくわかる。

 本作のクライマックスは、トラックが暴風雨のなか壊れかけた吊り橋を渡っていくところ。CGでやったとしても似たような絵面はつくれるのかもしれないけれど、泥のような大河の上で実際に撮影したものとは伝わるものは違うような気もする。CGでは「よく出来たCGだな」と感心するのに対して、本物志向の場合は「よくもそこまで……」といった狂気のようなものすら感じるのだ。
 最後にひとりだけ取り残されるアイリッシュ・マフィアのスキャンロン(ロイ・シャイダー)はトラックを捨ててニトロの箱を持ったまま目的地に向かって執念で進む。逃亡する前に「where am I going?」と訊ねていたスキャンロンだが、着いたところは地獄だったようだ。トラックが止まってしまう岩山の雰囲気は、表現主義の作家がつくった地獄谷のようで印象に残る。
 原題には“魔術師”という言葉が選ばれている。これは“魔術師”というか意地の悪い神のようなもので、本作は何かに操られるようにして地獄に向かっていく4人を描いていく。ウィリアム・フリードキンはそこに運命的なものを込めたかったらしいのだが、映画が終わったあとの感覚は何とも言い難いものがあった。クルーゾー版すらもビデオで観たきりだったのだが、本作はぜひとも劇場の大きなスクリーンで観るべき作品となっていると思う。

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Date: 2018.11.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』 殺し屋が次に狙うのは?

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品『ボーダーライン』の続編。
 今回の監督はドゥニ・ヴィルヌーヴではなく、『暗黒街』などのステファノ・ソッリマ

ステファノ・ソッリマ 『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』 前作では真ん中に居たケイト(エミリー・ブラント)は登場しない。タイトルロールはアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)だから。


 メキシコからの不法入国者が爆弾テロを企て15人の市民が犠牲になるという事件が起きる。アメリカ政府はテロには屈しないとの声明を出し、さらに裏ではCIAの特別捜査官のマット・グレイヴァー(ジョシュ・ブローリン)を使い、テロを支援したとされるメキシコの麻薬カルテル内に抗争を引き起こそうと画策する。

 この作品の原題は「Sicario: Day Of The Soldado」となっている。つまり本作のタイトルロールはSicario(殺し屋)であるアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)であり、前作で観客の目線の役割を担っていたケイト(エミリー・ブラント)は登場しない。
 今回もマットとアレハンドロが共闘し、メキシコとアメリカの国境を舞台にした麻薬カルテルとの熾烈な戦いが繰り広げられる。マットの作戦は、カルテルのリーダーの娘イザベラ(イザベラ・モナー)を誘拐し、敵対する別組織のせいにして抗争を勃発させようとするもの。しかし計画は途中で頓挫、メキシコの警官たちまで殺すことになってしまい状況が変わる。「ダーティなこと」もやむを得ないと腹を括っていたはずのアメリカ政府は、前言を撤回し作戦を中止することに……。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』 アレハンドロはイザベラ(イザベラ・モナー)を助けて国境を渡ろうとするのだが……。

◆テイラー・シェリダンの脚本から
 この続編では監督も撮影監督も前作と変わってしまったが、未だ留まっているのが脚本のテイラー・シェリダン。彼の作品では弱肉強食の無法地帯に生きる人々が描かれるが、彼の視線は強者たる無法者たちに苦しめられる弱者のほうを向いているんじゃないか。そんなことを『ウインド・リバー』のときに書いた。
 本作における無法者たちは麻薬カルテルの人間であり、それに対抗しようとするマットやアレハンドロも似たようなもの。それでも一番タチが悪いのは、騒動の発起人でありながら知らん顔ですべてを闇に葬ろうとするアメリカ政府かもしれない。
 前作ではマットもアレハンドロも国家権力を利用している風にすら見えたのだが、本作でははしごを外されて酷い目に遭うことになる。そんな意味では彼らも屠られる側(弱者)になってしまったということも言えるかもしれない。
 実際、アレハンドロはカルテルの一味につかまって死にかけることになる。たまたま生き延びることにはなったけれど、それは単なる偶然であり、アレハンドロが強者だったからではない。また、本作ではアレハンドロの過去が一部明らかにされるが、彼の亡くなった娘はろうあ者だったようで、このあたりでもアレハンドロが生まれながらの暗殺者ではない普通の市民であり、弱者でもあることが強調されているようだ。
 それから新たなキャラとしてメキシコの少年ミゲル(イライジャ・ロドリゲス)が登場する。ミゲルはつつましい暮らしから脱しようとして麻薬カルテルに入ることになるが、似たような立場の少年がミゲルの前に無惨に殺されたように、彼も一歩間違えればという危うい位置にいるのだ。楽して稼ごうなどと無法地帯に足を踏み入れた庶民(弱者)は、前作の黒人警官と同様に無法者たちの餌食になることがオチであり、ミゲルが生き残ったのもたまたま運がよかったということだろう。テイラー・シェリダンは前作でも麻薬戦争の犠牲者である黒人警官のエピソードを丁寧に描いていたように、ミゲルが重要なキャラクターであることは間違いないだろう。

◆疑問を残したまま次へ
 ラストではミゲルに対しアレハンドロがSicario(殺し屋)としてスカウトする場面で終わる。ちなみに『ボーダーライン』は3部作の構成となっているらしく、本作にはさらに続きがあるのだ。
 アレハンドロがSicarioになったのには「家族を殺されたから」という理由があったが、ミゲルにはそこまでの強い動機はないわけで、アレハンドロがミゲルをスカウトした狙いが何なのかは次作に持ち越しということになるだろう。
 改めて考えればアレハンドロは元検事だった。つまりは国家の手先として法の番人だったということになるだろう。しかし麻薬カルテルに家族を殺されたことで立ち位置を変えることになる。法によっては裁けない無法者たちを密かに殺すSicarioとなり、法を犯す側に回ることになるのだ。
 アレハンドロの立ち位置の変更は、実は国家のそれと同様のものなのかもしれない。国家は「表の顔」と「裏の顔」を使い分けているからだ。国家は表では法治国家を名乗るが、裏では治安維持のためなら法を破るからだ。
 だから私は先ほど一番タチが悪いのは国家かもしれないと言ってみたけれど、アレハンドロが最終的に目指すところも国家とそれほど違いはないという点では似た者同士なのかも(国家は治安維持が目的で、アレハンドロは私怨を晴らすことが目的だが)。アメリカ政府に裏切られマットとアレハンドロが敵対するような形になったときも、「やるべきことをやれ」と言うだけだったのはアレハンドロにはそうした理解があったのだろうか。
 そんなアレハンドロが人質であるイザベラを最後まで守ろうとしたのはどういうわけだろうか。亡くなった娘と重なったのかもしれないが、前作の最後で子供たちも情け容赦なく始末していたのとは対照的とも言える。様々な疑問も残るが、これらも次作に持ち越しということになる。そんなわけで次への橋渡し的な作品になってしまった感は否めないが、次を楽しみにしたい。

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Date: 2018.11.27 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』 想いは消えない?

 『セインツ -約束の果て-』『ピートと秘密の友達』のデヴィッド・ロウリー監督の最新作。

デヴィッド・ロウリー 『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』 ゴーストとなったC(ケイシー・アフレック?)はM(ルーニー・マーラ)を見守り続ける。


 テキサスのある一軒屋。そこに住む若いふたりの男女。ある日、交通事故で片割れのC(ケイシー・アフレック)が死んでしまう。しかし、Cは遺体安置所からシーツを被ったまま起きだし、ふたりが住んでいた家に戻ってくる。Cはゴーストとなって、ひとりになってしまったM(ルーニー・マーラ)を見守り続ける。

 スタンダード・サイズで角が丸みを帯びた凝ったスクリーンに映し出されるのは、ゴーストとなったCがひたすらMを見守り続ける姿。ゴーストはMに対して自らの存在を知らせることができない。ただ、Mの隣に突っ立っている。というか足があるのかどうかもわからないので、ただそこに存在しているだけとも言える。
 しかも片割れCを亡くしたMは新しい男を見つけ、その家を去っていくことになる。それでもゴーストはその家に縛り付けられたまま、新しい住人が来ては去っていく永遠のような時間をそこに存在し続ける。

『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』 スクリーンのデザイン(?)が凝っている。ゴーストはある方法で時間を遡る。

 『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』では後半になって唐突に熱弁を奮う男が登場する。その男によれば、人々は自分のことを忘れて欲しくなくて何かしらの遺産(レガシー)を残そうとする。ただ、それらも宇宙が滅亡する日にはすべて消えてなくなってしまう。要はすべてが無意味なんじゃないかということだ。しかし、本作ではそれは否定されることになる。
 というのは男が語っていたのは「人間の世界」の話であり、本作にはそれに重なり合う形で「ゴーストの世界」があるからだ。「人間の世界」の時間は直線的であり終末に向かって進んでいく。一方で「ゴーストの世界」の時間は円環的だ。ここでは世界は再び同じ時間を繰り返すことになる。つまり「ゴーストの世界」ではすべてが消えてなくなることなどないのだ。だからゴーストの視点から見れば、熱弁を奮っていた男は「人間の世界」しか見ていない浅はかな存在ということになるのだろう。
 この「ゴーストの世界」の時間は『スローターハウス5』の異星人の時間感覚と似たようなものだろう。

 わたしがトラルファマドール星人から学んだもっとも重要なことは、人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない、ということである。過去では、その人はまだ生きているのだから、葬儀の場で泣くのは愚かしいことだ。あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのである。たとえばトラルファマドール星人は、ちょうどわれわれがロッキー山脈をながめると同じように、あらゆる異なる瞬間を一望のうちにおさめることができる。


 「ゴーストの世界」では同じ時間が反復する。ゴーストは人間のように退屈したりもせずに、ひたすらにそこに居ることができる。なぜそこに居るのかと言われれば、「人間の世界」に未練があるからだろう。ゴーストは“あの世”への入り口を無視して、Mのいる家に帰ってきたのだから。
 そして隣家のゴースト(シーツの柄がかわいらしい)が「待ち人が来ない」ということに納得して成仏したように、CのゴーストもMが家の隙間に残したメモを読むことで成仏する。一度はそのタイミングを逃しても次がある。そして、何度でも気の済むまで同じ時間を繰り返すことができる。つまり人間の営為は決して無駄ではないし、Mの残した想いも消えることはない。人の残したレガシーは「ゴーストの世界」では永遠に形を留めているということになるのだろうと思う。

 デヴィッド・ロウリーのデビュー作『セインツ -約束の果て-』はボニーとクライド的な男女を本作と同じケイシー・アフレックとルーニー・マーラが演じ、テレンス・マリック『地獄の逃避行』を思わせる映像と共に描いていた。前作の『ピートと秘密の友達』はディズニー作品だからちょっと毛色が違うが、本作もどことなく『ツリー・オブ・ライフ』以降のテレンス・マリックを思わせるところがある。
 『ツリー・オブ・ライフ』は宇宙誕生からの長い長い時間を見つめる視点から描かれていたし、「これは一体どういう意味なんだろうか」と映像を見つめながら途方に暮れてしまうようなところが似ているのだ。本作ではMが延々とパイを食べ続けるシーンをひたすらに見つめ続ける。これは時間感覚が違うゴーストの視点だからこそなのだけれど、人間としてはその退屈さに飽き飽きしてしまう場面でもある。それでも本作はラストの救いとも感じられる成仏シーン(?)によって、ギリギリわれわれ人間にもわかるところに踏み留まっていたような感じもして、「ゴーストの世界」の円環する時間と同じようにもう一度最初から見てみたいとも思わせるものがあった。

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Date: 2018.11.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『鈴木家の嘘』 重苦しい出来事を笑いに包んで

 『まほろ駅前』シリーズや『舟を編む』などの助監督だった野尻克己の監督デビュー作。
 脚本も野尻監督のオリジナル。

野尻克己 『鈴木家の嘘』 引きこもりの息子・浩一(加瀬亮)が自死したあとの鈴木家の物語。

 引きこもりの息子・浩一(加瀬亮)が首を吊って自死し、それを発見した母親(原日出子)も後追い自殺を図る。妹・富美(木竜麻生)がふたりを発見し、母親だけは命を救われることに……。
 こんな鈴木家において嘘が必要だったのは、母親のことを守るため。母親は意識を取り戻したものの、逆行性健忘によって浩一が自殺した日のことをすっかり忘れている。再び浩一の死に直面することになれば大変なことになると考えた鈴木家の面々は、浩一は叔父(大森南朋)の仕事を手伝うためにアルゼンチンに行ったと嘘をつくことになる。

『鈴木家の嘘』 アルゼンチンに行ったという嘘のために様々な努力をして……。

 『鈴木家の嘘』はかなり重苦しい題材を扱っている。しかも兄の自死は野尻監督の実体験に基づいたものだという。人に言うことすら憚られるくらいの出来事だけに、本作では実体験をフィクションという嘘でコーティングして観客がすんなりと物語に入れるように配慮されている。
 これは母親を息子の自死という衝撃から守るための嘘と同じで、苦々しい出来事を観客に何とか飲み込んでもらうための糖衣みたいなものだろう。実際、この作品はコメディであり、とっさの嘘を取り繕うために必死になる家族たちの姿がちょっと微笑ましいのだ。
 一方で、フィクション=嘘でコーティングされた作品のなかにも、監督自身や自死遺族たちの本音らしきものが染み出して迫ってくる場面もある。多分、妹・富美の長台詞に託された感情が野尻克己監督自身の一番の本音なのだろう。家族を喪って悲しいというだけではなく、長年引きこもった末に自殺した兄・浩一のことを恥ずかしく思ってしまう気持ち。これを吐露するのは勇気がいることだろうと思う。
 自殺した者は家族に様々な傷跡を残す。浩一が自殺したことで、家族は浩一に対する自分の態度や行動を反省せざるを得ず、それぞれが自責の念に駆られることになる。このあたりにも監督の実体験が反映されていると思われ、自死遺族のリアルな感覚が表れていて力作であることは間違いない。
 とはいえ鈴木家の嘘が次第に綻びを増していき最後までそれを貫き通すことはできなかったように、作品の衝撃を和らげるためのフィクション=嘘も、それ自体に綻びが出てきて急に白々しくなってしまう部分もあったようにも感じられた。
 浩一がソープ嬢に死亡保険金を残しているというエピソードはそうした嘘のひとつなんじゃないだろうか。このエピソードは岸部一徳演じる父親がソープ嬢をストーカーするというなかなか笑える内容になっているのだけれど、嘘だけにうまく着地点を見つけられなかったようにも見えた。やはり嘘をつくのは難しいという教訓ではないとは思うけれど……。

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Date: 2018.11.21 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『華氏119』 マイケル・ムーアの懸念するところ

 『ボウリング・フォー・コロンバイン』『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』などのマイケル・ムーア監督の最新作。
 タイトルはジョージ・W・ブッシュを扱った『華氏911』を意識したもの。「119」というのは、トランプ大統領が勝利したのが2016年11月9日だったから。

『華氏119』

 『華氏911』がブッシュ大統領の再選を阻止するための映画だったので、『華氏119』はトランプ大統領に「NOを突きつける作品」となるのだろうと予想していたのだけれど、トランプ大統領を直接叩く作品にはなっていなかった。
 マイケル・ムーアはすでに『マイケル・ムーア・イン・トランプランド』という作品を撮っているようで、この作品は日本未公開なので私は観ていないけれど、トランプ大統領が誕生する直前に民主党のヒラリーを応援しようというものだったらしい(だからこっちの作品のほうがトランプ叩きを意図していたのだろう)。結局、その意図もむなしくトランプ大統領が誕生したわけだけれど、一体なぜこんな事態になってしまったのかとマイケル・ムーアは問いかけることになる。
 まずは選挙人制度というアメリカの選挙制度は、実際の得票数が少ないほうが大統領になってしまうことが多いことからしてもおかしいんじゃないかという点が指摘される。それから民主党のダメなところも糾弾される。民主党の候補者選びではヒラリーではなく、バーニー・サンダースのほうが優勢だったのにも関わらず、一部地域だけ勝ったヒラリーが大統領候補となってしまう。これによって、人によっては選挙そのものに対してやる気を失ってしまう場合もある。
 日本で無党派と呼ばれる人が多いのは知っているけれど、アメリカでも選挙に対して無関心な人が多いらしい(ニュースでは支持者たちの熱狂的な姿しか見ないけれど)。今回の大統領選ではトランプが獲得したのが6300万票で、ヒラリーが6600万票なのに対し、投票しなかった人は1億人もいたというのだ。つまり、一部の極端な人たちによってアメリカが動かされてしまうことにもなるということだ。だからこそ投票しなかった人を動かそうというのが『華氏119』の意図するところということになる。
 マイケル・ムーアの懸念は全面的にもっともだと思うし、後半の新しい変革の波の話は感動的でもあったのだけれど、今回の作品はちょっと強引に感じられるところもあった。トランプの声にヒトラーの映像を合わせる部分にもよく表れているけれど、映画は編集によってどんな意味内容を持たせることも可能になる。
 スナイダー州知事のエピソードなどはマイケル・ムーアの日々の活動の一環としては意義あることだと思うけれど、無理やりトランプに結び付けている感がしなくもなかった(スナイダー州知事の引き起こした水質汚染は信じられないくらい酷いけれど)。ちょっと強引でも訴えるべきことだという判断だったのかもしれないし、現実に中間選挙では民主党の女性議員たちが躍進したとも聞くから、この作品は一定の役割は果たしたとも言えるのかもしれない。トランプ大統領再選の阻止とまで行くのかどうかはわからないけれど……。

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Date: 2018.11.18 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『生きてるだけで、愛』 逃げるに逃げられないもの

 原作は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『乱暴と待機』など原作者でもある本谷有希子の同名小説。
 CMディレクターなどで活躍している関根光才の劇場長編映画デビュー作。

『生きてるだけで、愛』 寧子(趣里)と津奈木(菅田将暉)のふたり。

 同棲生活3年目の寧子(趣里)と津奈木(菅田将暉)。寧子はうつ病のダルさからかいつも寝てばかりいて、仕事はもちろんのこと家事もしていない。ただ、津奈木が買ってきたコンビニ弁当で生き永らえ、姉とだけは連絡を取っているものの、日がな一日引きこもった生活をしている。
 寧子はかなりエキセントリックな女性。それは躁うつ病の症状でもあるだろうし、停電すると裸で踊っていたという母親から受け継いだものでもあるのだろう。同棲相手の津奈木に対しての態度もかなり酷い。何から何まで世話になっているにも関わらず、彼を罵倒してほとんど嫌がらせをしているようにしか見えないのだ。それに対して津奈木のほうは、反論することもなく大人しく謝ってやり過ごそうとする。

 海外でこの作品が上映されたとき、津奈木は日本男性の代表というか、とても日本人らしいと思われたらしい。「和をもって尊しとなす」ではないけれど、どちらかと言えばケンカを避け「事なかれ主義」で行こうとするあたりが日本らしいと思われたのだろう。
 そういえば同じように精神的に病んでいる女性が登場する日本映画『死の棘』の男は、津奈木と同じように無抵抗主義を貫くような態度だった。一方でアメリカ映画の『こわれゆく女』の男は、情緒不安定な妻に対して本気でぶつかっていくためにかえって騒ぎは大きくなっていっていたようにも見える。
 寧子のような女性と一緒にいるのは大変だ。寧子は全力で津奈木にぶつかってくるし、津奈木にもそれに全力で対応することを求めている。それにはエネルギーが必要だけれど、下衆なゴシップ雑誌の仕事で精神的にも疲れ切っている津奈木にそんな余裕はない。だからこそすべての感覚を遮断したような無味乾燥したやりとりに終始するほかなくなる。

『生きてるだけで、愛』 ラストの屋上のシーン。赤いネオンが反映した夜の風景は、極端に言えば『ブレードランナー』ような異国の風景にも見えた。

 本作の前半はかなりきつい。というのは、津奈木の立場からすれば、寧子との同棲生活は地獄のようなものだからだ。しかし、本作は途中で転調する。寧子すら呆気に取られるほどのゴリ押しで、ふたりの同棲する部屋に乗り込んでくる安堂(仲里依紗)が登場するからだ。
 安堂は津奈木の元カノで、あなたは何もしてないクズなんだから津奈木と別れてと迫る。その言い分も強引さもかなりの非常識だが、安堂のおかげで寧子は社会復帰せざるを得なくなる。
 そうすると見えてくるのが、寧子の津奈木に対する態度は、家族同然の同棲相手としての“甘え”であったということだ。さすがの寧子も部外者である他人には遠慮もあって意外と普通に振舞うのだ。姉からも何度も指摘されていたように社会的にはほとんど終わっている寧子は、そのことを不安にも感じていて「生きてるだけで疲れる」のだ。その不安を間違った形で津奈木にぶつけるのは救いを求めてのことだったのだろう。
 ラストで寧子は着ているものをすべて脱ぎ捨てる。津奈木とも別れることになるのかもしれない。ただ、裸になり独りになったとしても、寧子自身は寧子から逃げ出すことはできない(これは『ロゼッタ』のラストにも通じる)。誰かが「恋愛は所詮物語に過ぎない」と言っていたけれど、自分という因果な存在から逃げられないという認識は誰にでも当てはまる。寧子はもちろんのこと、津奈木にとっても、安堂にとってもそうだ。厄介な自分から逃げられないからこそ「生きてるだけで疲れる」わけだ。原作者がこの物語のタイトルを『生きてるだけで、愛』としたのは“世間受け”だけのもので、本当は「生きてるだけで疲れる」というのが正直なところだったんじゃないかと個人的には思えた。

 本作の見どころは何と言っても趣里の熱演に尽きる。菅田将暉はエネルギーを内に秘めたままの受けの演技に徹しているし、石橋静河の役柄も脇役に収まっている。そんな演技派たちを押しのけ、趣里は観客すらどんよりとした気分になるほどの寧子という主人公を見事に体現していた。同時に、寧子以上にエキセントリックな安堂が登場すると、それに振り回されるかわいらしいところも垣間見させていた。そんな趣里演じる寧子というキャラには目を見張るものがあって、一時たりとも目が離せないほど圧倒された。今後の賞レースに趣里が絡んでくることは確実なんじゃないだろうか。

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Date: 2018.11.11 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『十年 Ten Years Japan』 オチはないけど問題提起はある

 きっかけは2015年の香港版の成功から(私は未見だが)。国際共同製作プロジェクトとして日本版のほかに、タイ版と台湾版も製作されるとのこと。
 日本版のプロデューサーは是枝裕和で、5本のオムニバス作品を若手の監督が担当する。

『十年 Ten Years Japan』 プロデューサーは是枝裕和が担当したオムニバス作品。

 「PLAN75」 早川千絵監督
 「いたずら同盟」 木下雄介監督
 「DATA」 津野愛監督
 「その空気は見えない」 藤村明世監督
 「美しい国」 石川慶監督

 若手監督がそれぞれ十年後の日本を思い描いた作品。
 未来の日本は、今よりもさらに管理された社会になることが予想され、「PLAN75」では高齢者に安楽死が奨励され、「いたずら同盟」では子供たちは頭に付けられた機器によってすべての行動を規制されることになる。「DATA」では亡くなった人の過去のデータが“デジタル遺産”として管理され、「その空気は見えない」では汚染された地上を避けて地下シェルターのなかだけで生きていくことになる。
 ちょっとだけファンタジックな「その空気は見えない」や、子供たちが自分たちと同じように管理された馬を逃がすことになる「いたずら同盟」などは、管理された社会の外側があるかもしれないという夢想に希望を抱かせなくもないけれど、全体的には明るい未来という感じはしない。
 「DATA」の杉咲花が語るように「女は嘘をつく」から、故人のデータとして残っている映像や文書があったとしても、それは保存されることを意識している記録だけにあまりあてにはならない。故人のデータが管理されたとしても、それがかつて生きていたその人の代わりになるわけではなさそう(リテラシーが問われるということ)。
 「美しい国」では、木野花が徴兵制度を復活させてしまったという後悔を若者(太賀)に示すことになるのだが、現実には「普通の国になった」と歓喜する大人だっていそうな気もする。

『十年 Ten Years Japan』 1本目の「PLAN75」(早川千絵監督) 主人公の川口覚とその妻役の山田キヌヲ。

 一番に印象に残ったのは「PLAN75」。今後はこうしたテーマに取り組む作品が多く現れるであろうことは想像に難くない。
 「高齢者の数を減らさなければこの国の未来はありません」と語る「PLAN75」では、政府が邪魔になった高齢者を体よく処分するために安楽死制度を奨励する。希望者はわずかばかりの準備金をもらい、決められた日に苦痛もなく死を迎えることになる。
 この制度を利用する人にはそれぞれ事情があるのだろうと推測されるが、短編だけにそこを丹念に追うまでには至っていない。それでもこの制度は願ったり叶ったりだと語っていた老人も登場するのだが、やはり死の間際には恐怖におののくことになる。
 主人公(川口覚)は制度を推し進める側の人間だが、実際に自分の家族の問題となると話は別となり、制度そのものに疑問を感じることになるのだが……。

 「2025年問題」というものがあるらしく、団塊世代が後期高齢者になろうというこれからの時代、この作品もそれほど絵空事とは思えない。介護に疲れた人が起こす事件は後を絶たないし、老人ホームなどの施設でも暴力事件があったりする。政治家の一部は「生産性がない」人を切り捨てようとしているわけで、明るい未来など描きようもないのかもしれない。かと言って、妙案があるわけでもなく、どうすればいいのかも考えたってわからない。
 「PLAN75」は、カーテンで仕切られた安楽死した人たちが眠る病室のカットで終わる。病室に備えられた空気清浄機の回る音だけが響いている。観客としてもカーテンの向こう側の様子を想像しながら無機質な空間を見続けるしかないのだが、とにかく厳しい問題提起を感じさせるラストだった。

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Date: 2018.11.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ヴェノム』 話せばわかる奴

 監督は『ゾンビランド』などのルーベン・フライシャー
 “ヴェノム”というキャラはマーベル・コミックスのキャラクターだが、『マーベル・シネマティック・ユニバース』のシリーズとは別物らしくMCUを知らなくても楽しめる。

ルーベン・フライシャー 『ヴェノム』 主人公エディを演じるのはトム・ハーディ。ヒロイン(?)はミシェル・ウィリアムズ。

 スパイダーマンの宿敵だというヴェノムというキャラの単独作品。
 ジャーナリストのエディ・ブロック(トム・ハーディ)はライフ財団についての噂を聞き、財団社長のドレイク(リズ・アーメッド)にインタビューを試みる。実はライフ財団は宇宙からやってきた生命体を利用して人体実験をしていたのだ。
 この人体実験は、人間が宇宙で生きていくためにシンビオートと呼ばれる地球外生命体を体に取り入れ進化しなければならないという、かなり異常な考えに基づいている。実際には、宇宙からやってきたシンビオート自身が人間に寄生しなければ地球上では生きていけないわけで、彼らにとっても都合がいい。そして、エディはたまたまシンビオートに寄生されてしまうことに……。
 『遊星からの物体X』とか『SF/ボディ・スナッチャー』のように、外側はそれまでと同じで中身は別物になるというわけでなく、寄生した人間のなかでもうひとつ別の意識が働いているという設定。『ザ・ホスト 美しき侵略者』あたりと似ていることからしてもちょっとコミカルになる要素があるわけで、『ヴェノム』にも意外と笑える部分もある。ただ、エディの体からちょっとだけ顔を出したヴェノムが、エディとしゃべっているあたりは『寄生獣』の新一とミギーともそっくりで既視感が著しい。

 ヴェノムがエディを気に入ったのは、似た者同士だから。ヴェノムはシンビオートのなかでは負け犬だったらしい。エディも正義を気取るジャーナリストではあるけれど、近所の強盗はこっそりやり過ごすし、隣の部屋の騒音にも文句を言うことすらできない。それでもヴェノムと共生するようになってからは地球上では無敵の存在となり、エディ自身も気分がよくなり、ヴェノムのほうも居心地がよくなったらしい。
 ヴェノムはあんな顔をしているけれど、「話せばわかる奴」というのが意外と言えば意外。悪なのか何なのかよくわからなかった。『寄生獣』のミギー曰く「私の仲間たちはただ食っているだけ」というわけで、別に悪意のようなものは感じられなかった。
 ヴェノムが大暴れするあたりはそれなりに楽しめるけれど、盛り上がりには欠けたという印象。オマケ映像があったので一応最後まで席を立つことはなかったけれど、エンドロールがやけに長く感じた。

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Date: 2018.11.04 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (9)

『ここは退屈迎えに来て』 ゆるい失望ばかり

 原作は『アズミ・ハルコは行方不明』の原作者でもある山内マリコの同名小説。
 監督は『さよなら歌舞伎町』などの廣木隆一

廣木隆一 『ここは退屈迎えに来て』 椎名(成田凌)を中心としたエピソードが連なる群像劇。

 この群像劇のそれぞれのエピソードは無関係に進んでいくのだが、共通しているのは椎名(成田凌)という男。橋本愛が演じる“私”にとってはかつての憧れの人であり、門脇麦が演じる“あたし”にとっては元カレとなる。禿げたオヤジの皆川(マキタスポーツ)と援助交際するなっちゃん(片山友希)が醒めた目で分析するには、高校時代の椎名は彼を中心とする「太陽系」を構成するほど輝いている存在だったのだ。
 “私”は10年間東京で過ごした出戻り組で、「何者かになりたい」という漠然とした夢だけでやってきたものの、それをあきらめて田舎に戻ってきたところ。一方の“あたし”は、椎名が田舎を出て行ったあとは、遠藤(亀田侑樹)という男と体だけの関係を続けている。というのも“あたし”は運転免許すら持っていないから、移動手段の確保のために男が必要なのだ。

『ここは退屈迎えに来て』 橋本愛演じる“私”の高校時代。輝いていたあの頃?

『ここは退屈迎えに来て』 門脇麦が演じる“あたし”は車がなくて誰かに助けを求めるのだが……。

 「ここは退屈」というのは端的に言えば、田舎が退屈だということ。本作の舞台は富山市らしいのだが、“私”が友達のサツキ(柳ゆり菜)と一緒に久しぶりの椎名に会いに行く街道は、いかにも画一的なロードサイドの風景を見せてくれる(例外は「ますの寿司」の看板か)。
 田舎に留まったサツキは東京への憧れを語るけれど、一度は東京で過ごした“私”や須賀(村上淳)からすれば過剰な思い込みのように聞こえるだろう。どこでもさほど変わらないと判断したからこそ、“私”も須賀も戻ってきたのだろうし……。だから退屈なのは田舎でもそうだし、東京だって同じだろう。
 ただ、かつて輝いていた頃はあったのかもしれない。須賀が高円寺に思い馳せたり、“私”や“あたし”やサツキが高校時代を懐かしがったりするのは、今はともかくとして“あの頃”だけはよかったと感じているからだ。実際に“私”や新保(渡辺大知)やなっちゃんがプールで無邪気に戯れる場面にはそんな感覚も抱く。
 それでも、本作で“私”が最後に椎名から投げかけられた言葉や、“あたし”が遠藤とのやり取りのなかで悟ってしまったことからすれば、輝いていたと思っていたはずの“あの頃”も実は単なる勘違いだったかもしれないのだ。
 とすれば「ここは退屈」だし、それに劣らず東京だって退屈だし、今はもちろん退屈だし、“あの頃”は輝いていたというノスタルジーに逃げ込むこともできないということなのだろう。多分、退屈だと嘆いてみても迎えに来てくれる王子様なんていないし、かつての王子様もすでに「退屈な男」(岸井ゆきのが演じる南の評によれば)に成り下がっているわけで、どこにも行き場はなさそうなのだ。スカイツリーを目の前にして御満悦の椎名の妹・朝子(木崎絹子)の気持ちも長くは続かないのだろう。
 かと言って、登場人物が絶望的な気分になっているというわけではなさそう。ゆるい失望ばかりが支配しつつも、それを解消する方法すらよくわからないようでもある。「何者かになりたい」という点では本作の“私”と同じでも、性急に答えを求めてしまった『止められるか、俺たちを』は、今とは時代が異なるからだろうか。
 車中で“私”とサツキの他愛のない会話が延々と続くだけでまったく緊張感のないゆるい長回しも、この作品のテーマには合っているような気もする。ただ、空間ばかりか時間まで越えてみんなが同じ歌を口ずさむのはちょっとやりすぎにも思えた。

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ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)


Date: 2018.11.03 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)
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