『止められるか、俺たちを』 何者かになりたかった女性の青春
2012年10月に急逝した映画監督・若松孝二を描いた作品。
監督は若松プロダクション出身で、最近は『孤狼の血』『彼女がその名を知らない鳥たち』などでも活躍著しい白石和彌。

若松孝二の伝記映画だと勝手に思っていたのだけれど、実際にはちょっと違っていて、若松を中心とした若松プロダクションに集まった面々の一時期を描いた作品だ。主人公は助監督として若松プロに入ったばかりの吉積めぐみ(門脇麦)である。
本作では当時の若松プロに出入りしていた人物が実名で登場する。中心となる若松孝二を演じるのは井浦新。実際の若松孝二がどんな人物だったのかは知らないが、井浦新の演じる若松は飄々として惚けた味がある。ほかにも後に日本赤軍に合流することになる足立正生や、『荒野のダッチワイフ』の大和屋竺や、雑誌「映画芸術」編集長で『この国の空』の監督でもある荒井晴彦など、様々な映画人が顔を出す。
それからめぐみを若松孝二に紹介したオバケは、その本名を秋山道男と言い、後には無印良品とかチェッカーズのプロデュースをした人物とのこと。『ゆけゆけ二度目の処女』では秋山未痴汚という名前でクレジットされていて、劇中で彼が口ずさむ歌がいつまでも耳に残る(『止められるか、俺たちを』でも使用されている)。この歌は中村義則という詩人が書いた「ママ 僕、出かける」から始まる詩に節をつけて歌ったものとのこと。
とにかく当時の若松プロには様々な才能を持つ人物が出入りしていたということはよくわかる。そんな人たちが寄り集まって若松作品を生み出していったのだ。そんななか若松孝二に怒鳴られながらも、次第に若松組のなかで助監督としての地位を確立していっためぐみだが、その先のことは見えないでいた。映画監督にはなりたいけど、何を撮ればいいのかわからないという鬱屈を抱えることに……。

「政治と文学」という言い方があって、もはやそんなのは死語なのかもしれないけれど、文学をやることが政治ともつながっているということが信じられていた時代があった。そして、それは映画をやることも同様だったのだろう。元ヤクザで警官を殺すことができるから映画監督になったという若松孝二も、映画という武器で世の中と闘うことを目論んでいる。
本作にも何度か顔を出す大島渚も元々全学連として学生運動に参加していて、後に『日本の夜と霧』(1960年)という政治的な作品を撮り、松竹を辞めて独立プロでやっていった監督だった。映画は単なる職業という以上のもので、映画を撮ることが世の中を変えていこうという運動でもあったということなのだろう。
本作は若松作品で言えば、『処女ゲバゲバ』『ゆけゆけ二度目の処女』などが公開された1969年あたりから、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』が出来上がった1971年あたりまでの出来事が追われる。この間、世間では連合赤軍事件があったり三島由紀夫の自殺があったりするが、本作がこの期間で区切られているのは主人公の吉積めぐみが亡くなってしまうから。若松プロでは「3年経てば監督に」と言われていたが、めぐみはその前に死んでしまうことになる。
若松プロは厳しい世界で「男でももたない」と言われていて、実際に劇中でも辞めていく人はいる。しかし、その理由は様々だ。満島真之介が演じた真っ直ぐな男は、弱小プロダクションが生き残るために金儲けを狙った作品に幻滅して飛び出していくし、映画のなかでやれることはやったと感じたオバケは別の世界での再出発を求めることになるし、大和屋竺はテレビ作品(『ルパン三世』の脚本を書いていたらしい)に足場を移すことになる。
めぐみのなかでは「何者かになりたい」という漠然とした望みはあっても、自分のなかから湧き出るような表現すべき“何か”は見つからない。周囲にエネルギッシュで才能ある人が多かっただけに、余計に焦燥感を覚えたのかもしれない。そして、同時期に若松プロの同僚との間に子供ができてしまったことも問題だった。ただ、めぐみは子供を堕ろすこともできなかったし、子供を産んで家庭に収まることも望まなかった。その結果がまるで自死のような最期だったということなのだろう。
白石和彌作品としては毒気が薄まった感じではあるけれど、「何者かになりたい」ひとりの女性の青春映画として、吉積めぐみに対する愛惜の気持ちが素直に感じられる作品となっているところがよかったと思う。個人的には同じ時代に書かれた『二十歳の原点』という本を思い出したりした。この時代の若者は答えを性急に求めすぎてしまっていたのかもしれないなどと感じたりもした。現代の若者だって「何者かになりたい」とは感じているけれど、『ここは退屈迎えに来て』(門脇麦はこっちにも登場する)を観ると、そこまで切実な焦燥感はなさそうに見える。





その他の若松孝二作品


監督は若松プロダクション出身で、最近は『孤狼の血』『彼女がその名を知らない鳥たち』などでも活躍著しい白石和彌。

若松孝二の伝記映画だと勝手に思っていたのだけれど、実際にはちょっと違っていて、若松を中心とした若松プロダクションに集まった面々の一時期を描いた作品だ。主人公は助監督として若松プロに入ったばかりの吉積めぐみ(門脇麦)である。
本作では当時の若松プロに出入りしていた人物が実名で登場する。中心となる若松孝二を演じるのは井浦新。実際の若松孝二がどんな人物だったのかは知らないが、井浦新の演じる若松は飄々として惚けた味がある。ほかにも後に日本赤軍に合流することになる足立正生や、『荒野のダッチワイフ』の大和屋竺や、雑誌「映画芸術」編集長で『この国の空』の監督でもある荒井晴彦など、様々な映画人が顔を出す。
それからめぐみを若松孝二に紹介したオバケは、その本名を秋山道男と言い、後には無印良品とかチェッカーズのプロデュースをした人物とのこと。『ゆけゆけ二度目の処女』では秋山未痴汚という名前でクレジットされていて、劇中で彼が口ずさむ歌がいつまでも耳に残る(『止められるか、俺たちを』でも使用されている)。この歌は中村義則という詩人が書いた「ママ 僕、出かける」から始まる詩に節をつけて歌ったものとのこと。
とにかく当時の若松プロには様々な才能を持つ人物が出入りしていたということはよくわかる。そんな人たちが寄り集まって若松作品を生み出していったのだ。そんななか若松孝二に怒鳴られながらも、次第に若松組のなかで助監督としての地位を確立していっためぐみだが、その先のことは見えないでいた。映画監督にはなりたいけど、何を撮ればいいのかわからないという鬱屈を抱えることに……。

「政治と文学」という言い方があって、もはやそんなのは死語なのかもしれないけれど、文学をやることが政治ともつながっているということが信じられていた時代があった。そして、それは映画をやることも同様だったのだろう。元ヤクザで警官を殺すことができるから映画監督になったという若松孝二も、映画という武器で世の中と闘うことを目論んでいる。
本作にも何度か顔を出す大島渚も元々全学連として学生運動に参加していて、後に『日本の夜と霧』(1960年)という政治的な作品を撮り、松竹を辞めて独立プロでやっていった監督だった。映画は単なる職業という以上のもので、映画を撮ることが世の中を変えていこうという運動でもあったということなのだろう。
本作は若松作品で言えば、『処女ゲバゲバ』『ゆけゆけ二度目の処女』などが公開された1969年あたりから、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』が出来上がった1971年あたりまでの出来事が追われる。この間、世間では連合赤軍事件があったり三島由紀夫の自殺があったりするが、本作がこの期間で区切られているのは主人公の吉積めぐみが亡くなってしまうから。若松プロでは「3年経てば監督に」と言われていたが、めぐみはその前に死んでしまうことになる。
若松プロは厳しい世界で「男でももたない」と言われていて、実際に劇中でも辞めていく人はいる。しかし、その理由は様々だ。満島真之介が演じた真っ直ぐな男は、弱小プロダクションが生き残るために金儲けを狙った作品に幻滅して飛び出していくし、映画のなかでやれることはやったと感じたオバケは別の世界での再出発を求めることになるし、大和屋竺はテレビ作品(『ルパン三世』の脚本を書いていたらしい)に足場を移すことになる。
めぐみのなかでは「何者かになりたい」という漠然とした望みはあっても、自分のなかから湧き出るような表現すべき“何か”は見つからない。周囲にエネルギッシュで才能ある人が多かっただけに、余計に焦燥感を覚えたのかもしれない。そして、同時期に若松プロの同僚との間に子供ができてしまったことも問題だった。ただ、めぐみは子供を堕ろすこともできなかったし、子供を産んで家庭に収まることも望まなかった。その結果がまるで自死のような最期だったということなのだろう。
白石和彌作品としては毒気が薄まった感じではあるけれど、「何者かになりたい」ひとりの女性の青春映画として、吉積めぐみに対する愛惜の気持ちが素直に感じられる作品となっているところがよかったと思う。個人的には同じ時代に書かれた『二十歳の原点』という本を思い出したりした。この時代の若者は答えを性急に求めすぎてしまっていたのかもしれないなどと感じたりもした。現代の若者だって「何者かになりたい」とは感じているけれど、『ここは退屈迎えに来て』(門脇麦はこっちにも登場する)を観ると、そこまで切実な焦燥感はなさそうに見える。
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その他の若松孝二作品

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