『若い女』 “野生の小猿”を飼い馴らすのは難しそう
レオノール・セライユ監督の長編デビュー作。
カンヌ国際映画祭ではカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した。

冒頭、ものすごい勢いでドアを叩く女性の姿に驚かされるのだけれど、これが本作の主人公である。家から閉め出されたポーラ(レティシア・ドッシュ)は、近所迷惑もなんのそのとばかりにデカイ声を張り上げ、ドアに頭を打ちつけてケガまでし、挙句の果てに疲れ果ててドアの前で寝てしまう。
31歳になるというポーラは、恋人のジョアキム(グレゴワール・モンサンジョン)が評するには“野生の小猿”みたいな女性。作品のタイトルでは“若い女”を謳っているけれど、これはもちろんアイロニーである。そんなポーラは10年も付き合ったジョアキムから突然棄てられ、パリの街を彷徨うことになる。
行くあてもなく友人のマンションに転がりこんだものの連れていたネコのせいで拒絶され、眠る場所すらなく仮装パーティーに忍び込んで夜を明かす。その後もポーラの行動は行き当たりばったりだ。地下鉄で幼なじみと勘違いして声をかけてきた女性に対しては、幼なじみのフリをして泊めてもらったりして何とか日々を過ごしていく。

この作品がちょっと変わっているのはパリという街が特別なものではないところだろうか。パリでの生活は特に女性にとっては憧れの的だったんじゃないかと思うのだけれど、本作ではパリを謳歌しているような登場人物が出てこないのだ。
ポーラは「パリが人間を嫌いなのよ」とまで言うし、バイト先の同僚の黒人男性ウスマン(スレマン・セイ・ンジャイェ)はパリのいいところを「隠れられるところ」だと言っている(不法移民として働いているわけではないと思うのだけれど)。この作品のパリはおしゃれで夢や希望にあふれた街という感覚ではないのだ。それでもポーラはそんな状況に暗くなるわけでもなく、何となく無軌道で能天気に生きていく。
ポーラが“野生の小猿”と呼ばれ予測不能で扱いに困る女だったのと同様に、この作品自体も何とも評価に困るような気もする。エピソードの連なりがとっちらかっていて、どこへ向かうのかつかめないのだ。個人的には疎遠な母親とのエピソードなんかは、作品内のどこに位置付けるべきなのかよくわからなかった。ただ、予定調和とは違うところが新鮮とも言えるかもしれない。
とりあえず言えるのは、ポーラを演じたレティシア・ドッシュがおもしろい女優さんだったということだろうか。ほとんどの場面で病気すれすれといった感じのイタい女を演じているのだけれど、急に麗しい女性に見える瞬間もある(一応は恋人のカメラマンの被写体ともなっているという設定)。それでも次の瞬間にはコメディエンヌに戻ってしまうのだけれど、表情がくるくる変わって捉えどころがないのだ。
本作はレオノール・セライユ監督以下スタッフのほとんどが女性だったとのこと。だからかどうかわからないけれど、ポーラの行動や振舞いは男に媚びようといった意識がまったくない。ポーラの最後の決断もそれを明確に示していたし、観客の期待するモラルなんかからも自由だったという気もする。その点では潔さを感じた。

カンヌ国際映画祭ではカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した。

冒頭、ものすごい勢いでドアを叩く女性の姿に驚かされるのだけれど、これが本作の主人公である。家から閉め出されたポーラ(レティシア・ドッシュ)は、近所迷惑もなんのそのとばかりにデカイ声を張り上げ、ドアに頭を打ちつけてケガまでし、挙句の果てに疲れ果ててドアの前で寝てしまう。
31歳になるというポーラは、恋人のジョアキム(グレゴワール・モンサンジョン)が評するには“野生の小猿”みたいな女性。作品のタイトルでは“若い女”を謳っているけれど、これはもちろんアイロニーである。そんなポーラは10年も付き合ったジョアキムから突然棄てられ、パリの街を彷徨うことになる。
行くあてもなく友人のマンションに転がりこんだものの連れていたネコのせいで拒絶され、眠る場所すらなく仮装パーティーに忍び込んで夜を明かす。その後もポーラの行動は行き当たりばったりだ。地下鉄で幼なじみと勘違いして声をかけてきた女性に対しては、幼なじみのフリをして泊めてもらったりして何とか日々を過ごしていく。

この作品がちょっと変わっているのはパリという街が特別なものではないところだろうか。パリでの生活は特に女性にとっては憧れの的だったんじゃないかと思うのだけれど、本作ではパリを謳歌しているような登場人物が出てこないのだ。
ポーラは「パリが人間を嫌いなのよ」とまで言うし、バイト先の同僚の黒人男性ウスマン(スレマン・セイ・ンジャイェ)はパリのいいところを「隠れられるところ」だと言っている(不法移民として働いているわけではないと思うのだけれど)。この作品のパリはおしゃれで夢や希望にあふれた街という感覚ではないのだ。それでもポーラはそんな状況に暗くなるわけでもなく、何となく無軌道で能天気に生きていく。
ポーラが“野生の小猿”と呼ばれ予測不能で扱いに困る女だったのと同様に、この作品自体も何とも評価に困るような気もする。エピソードの連なりがとっちらかっていて、どこへ向かうのかつかめないのだ。個人的には疎遠な母親とのエピソードなんかは、作品内のどこに位置付けるべきなのかよくわからなかった。ただ、予定調和とは違うところが新鮮とも言えるかもしれない。
とりあえず言えるのは、ポーラを演じたレティシア・ドッシュがおもしろい女優さんだったということだろうか。ほとんどの場面で病気すれすれといった感じのイタい女を演じているのだけれど、急に麗しい女性に見える瞬間もある(一応は恋人のカメラマンの被写体ともなっているという設定)。それでも次の瞬間にはコメディエンヌに戻ってしまうのだけれど、表情がくるくる変わって捉えどころがないのだ。
本作はレオノール・セライユ監督以下スタッフのほとんどが女性だったとのこと。だからかどうかわからないけれど、ポーラの行動や振舞いは男に媚びようといった意識がまったくない。ポーラの最後の決断もそれを明確に示していたし、観客の期待するモラルなんかからも自由だったという気もする。その点では潔さを感じた。
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