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『若い女』 “野生の小猿”を飼い馴らすのは難しそう

 レオノール・セライユ監督の長編デビュー作。
 カンヌ国際映画祭ではカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した。

レオノール・セライユ 『若い女』 レティシア・ドッシュ演じるポーラ。この場面はバイトの面接であり、これはよそ行きの表情である。
 
 冒頭、ものすごい勢いでドアを叩く女性の姿に驚かされるのだけれど、これが本作の主人公である。家から閉め出されたポーラ(レティシア・ドッシュ)は、近所迷惑もなんのそのとばかりにデカイ声を張り上げ、ドアに頭を打ちつけてケガまでし、挙句の果てに疲れ果ててドアの前で寝てしまう。
 31歳になるというポーラは、恋人のジョアキム(グレゴワール・モンサンジョン)が評するには“野生の小猿”みたいな女性。作品のタイトルでは“若い女”を謳っているけれど、これはもちろんアイロニーである。そんなポーラは10年も付き合ったジョアキムから突然棄てられ、パリの街を彷徨うことになる。
 行くあてもなく友人のマンションに転がりこんだものの連れていたネコのせいで拒絶され、眠る場所すらなく仮装パーティーに忍び込んで夜を明かす。その後もポーラの行動は行き当たりばったりだ。地下鉄で幼なじみと勘違いして声をかけてきた女性に対しては、幼なじみのフリをして泊めてもらったりして何とか日々を過ごしていく。

『若い女』 ポーラは家を追い出され、ネコと共にパリを彷徨う。頭には傷があるし、ニンジン色のコートは病院で拾ったものである。

 この作品がちょっと変わっているのはパリという街が特別なものではないところだろうか。パリでの生活は特に女性にとっては憧れの的だったんじゃないかと思うのだけれど、本作ではパリを謳歌しているような登場人物が出てこないのだ。
 ポーラは「パリが人間を嫌いなのよ」とまで言うし、バイト先の同僚の黒人男性ウスマン(スレマン・セイ・ンジャイェ)はパリのいいところを「隠れられるところ」だと言っている(不法移民として働いているわけではないと思うのだけれど)。この作品のパリはおしゃれで夢や希望にあふれた街という感覚ではないのだ。それでもポーラはそんな状況に暗くなるわけでもなく、何となく無軌道で能天気に生きていく。

 ポーラが“野生の小猿”と呼ばれ予測不能で扱いに困る女だったのと同様に、この作品自体も何とも評価に困るような気もする。エピソードの連なりがとっちらかっていて、どこへ向かうのかつかめないのだ。個人的には疎遠な母親とのエピソードなんかは、作品内のどこに位置付けるべきなのかよくわからなかった。ただ、予定調和とは違うところが新鮮とも言えるかもしれない。
 とりあえず言えるのは、ポーラを演じたレティシア・ドッシュがおもしろい女優さんだったということだろうか。ほとんどの場面で病気すれすれといった感じのイタい女を演じているのだけれど、急に麗しい女性に見える瞬間もある(一応は恋人のカメラマンの被写体ともなっているという設定)。それでも次の瞬間にはコメディエンヌに戻ってしまうのだけれど、表情がくるくる変わって捉えどころがないのだ。
 本作はレオノール・セライユ監督以下スタッフのほとんどが女性だったとのこと。だからかどうかわからないけれど、ポーラの行動や振舞いは男に媚びようといった意識がまったくない。ポーラの最後の決断もそれを明確に示していたし、観客の期待するモラルなんかからも自由だったという気もする。その点では潔さを感じた。
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Date: 2018.08.31 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『追想』 甘美な後悔?

 原作はイアン・マキューアンの小説「On Chesil Beach」で、脚本もイアン・マキューアン自身が担当している。
 監督はテレビなどで活躍しているというドミニク・クック
 主役はイアン・マキューアンの『つぐない』でアカデミー助演女優賞にノミネートされて有名になったシアーシャ・ローナン

ドミニク・クック 『追想』 新婦フローレンス(シアーシャ・ローナン)は初夜にも関わらずどこか浮かない表情を浮かべている。

 この作品の原題は「On Chesil Beach」だが、日本で翻訳された小説のタイトルは『初夜』となっている。チェジル・ビーチという風光明媚な場所で初夜を迎える新婚夫婦の物語ということになる。
 大方の新婚夫婦にとっては初夜というのは幸福の絶頂のようなものなんじゃなかろうかと推測するのだけれど、この作品の主人公である新婦フローレンス(シアーシャ・ローナン)にとってはそうではないらしい。新郎のエドワード(ビリー・ハウル)がそわそわしている風なのは、その夜のことに期待をしながらもそれをどのように進めていったらいいかわからないといった他愛ない心配だが、フローレンスのほうはもっと深刻なようで、新郎に見せる笑顔の合間に眉にしわを寄せて考え込んしまう瞬間がある。
 そして、この映画のタイトルが『追想』となっているのは、初夜を迎えたふたりの過去が回想シーンとして挟み込まれていくからだろう。回想シーンは観客に対して「ふたりのなれそめ」や「人となり」を示すために必要なものだけれど、それ以上にふたりの初夜はぐずぐずしていて遅々として進まない。というのもフローレンスのほうはベッドに行くことを先延ばしにしようとしているようでもあるのだ。それは一体なぜなのか?

 ※ 以下、ネタバレもあり! 結末にも触れているので要注意!!

『追想』 フローレンス(シアーシャ・ローナン)とエドワード(ビリー・ハウル)のふたり。回想シーンで描かれるふたりは幸福感に満ちている。エドワードの母親とフローレンスのエピソードは、フローレンスが得難い女性だということを示していたのだが……。

◆ふたりの初夜の顛末とその後
 結末から言ってしまえば、ふたりの初めてのセックスは大失敗に終わり、ふたりは結婚してわずか半日も経たずに別れることになってしまう。フローレンスには幼少期に父親との間で何らかの性的虐待めいたことがあったことを仄めかす描写もあり、彼女はセックスというものに対して嫌悪感を抱いていたのだ。だから初夜の営みにおいてそれを隠し通すことが出来ず、エドワードを置いたままベッドから逃げ出してしまったのだ。エドワードはそのことを許すことができず、チェジル・ビーチでの長い長い対話(というか言い争い)を経て、ふたりは決裂することになる。
 多分、公平に見れば、どちらにも非があるということになる。フローレンスは自分の性に対する嫌悪感をあらかじめ相手に知らせておくべきだっただろうし、エドワードはたった1回の失敗で相手を拒否するのではなく、もっと時間をかけて相手と向き合うべきだっただろう。
 しかしエドワードがそのことを理解するのは後になってからで、『追想』はその後の話へと移っていく(ここからはエドワードだけの視点となる)。エドワードはフローレンスと別れて別の人生を歩むことになるけれど、折に触れてフローレンスのことを知る機会がある。エドワードはその後のフローレンスを知ることで、自分のあの時の行動が間違っていたことを痛感することになる。セックスに対する嫌悪感を示したフローレンスだが、その後には子宝にも恵まれ、夢だったバイオリニストとしての成功も勝ち取っているのだ。
 そして、最後には老境にあるエドワードはフローレンスの最後のステージへと駆けつけ、かつて約束していたように観客席の真ん中に陣取って「ブラボー」という声をあげることになる。

◆甘美な後悔?
 このときのエドワードの表情にはどこか甘美なものがある。さらに、映画のラストでは初夜の日のふたりの別れのシーンが追想されることになる。ここではチェジル・ビーチでのふたりの別れがロングショットで捉えられていくのだけれど、ゆっくりと歩き去ろうとするフローレンスに対して、エドワードはただじっとしたまま動かない。そしてフローレンスはスクリーンの外へと消えていく。あの時、エドワードはフローレンスを止めるべきだった。それによってすべてが変わったのかもしれないのだ。
 このラストシーンはエドワードにとって後悔以外の何ものでもないはずだ。それでもその別れのシーンがエドワードの甘美な表情と共に追想されるのはなぜなのか?
 エドワードの心のなかを慮れば、こんなことが言えるかもしれない。もしあの時フローレンスを呼び止めてさえいれば、成功を手にしたフローレンスの傍にいるのはエドワードであり、フローレンスに支えられることで彼自身もさらに充実した人生を歩んでいたかもしれない。
 これはもちろん夢想にすぎないのだけれど、エドワードはフローレンスに向かって拍手を贈りながら、そんな夢想すら抱いているようにも感じられるのだ。だからこそ後悔そのものの瞬間であると同時に甘美なものでもあるラストとなったのだ。
 たとえフローレンスを呼び止めたとしても、フローレンスのセックスに対する嫌悪感はすぐに消えるわけではなく、短気なところのあるエドワードは再び同じ失敗を繰り返すことになるだけだったのかもしれないのに……。ただ、現実ではエドワードはフローレンスを呼び止めることはなかった。しかし、そのやらなかったことに別の可能性が残っていたかのように錯覚することで、エドワードは自己憐憫と共に甘美な思いに浸ることもできるのだ。

 ちなみに映画を観た後に原作『初夜』のほうも読んでみたのだけれど、原作のほうにはエドワードがフローレンスの最後のステージへ駆けつける場面はない。老境のエドワードは過去を追想するなかで、「なにもしないことによって、人生の流れがすっかり変わってしまうことがあるということである」と幾分冷静に分析している。ここにあるのはほとんど後悔ばかりということになるわけだけれど、原作者で映画版の脚本も書いたイアン・マーキュアンは、映画には別のラストを用意していたということになる。それが映画で描かれたような“甘美な後悔”とでもいうようなラストだったんじゃないだろうか。

 最後に付け足しておくと、初夜の日の時代設定は1962年となっていて、その後に物語は一気に10年後まで飛ぶ。62年のChuck Berryに対して、10年後のT. Rexで一気に時代が変わった印象を演出している。
 エドワードの服装も62年ではツイードのジャケットなんかを着ていたのに、10年後には髪も伸びてヒッピー風になっている。「性の解放」なんかが叫ばれたのは60年代末だったということらしく、それ以前はイギリスでも保守的な若者が多かったということらしい。フローレンスが何も言い出せずに初夜を迎えてしまったのには、性に関する話題もあまり氾濫していなかったような時代背景もあったということなのだ。

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Date: 2018.08.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『カメラを止めるな!』 観客を楽しませるサービス満載の娯楽作

 監督&俳優養成スクール・ENBUゼミナールの《シネマプロジェクト》第7弾作品。
 監督・脚本・編集はこの作品が劇場用長編デビュー作となる上田慎一郎
 新宿K's cinemaおよび池袋シネマ・ロサという2館での限定的な公開だった作品だが、SNSなどで人気が広がり全国100館以上で上映されることになったという話題の作品。

上田慎一郎 『カメラを止めるな!』 日暮監督役の濱津隆之と、劇中劇の主役の女の子を演じる秋山ゆずき。

 冒頭から37分間に及ぶワンカット撮影でのゾンビ映画「ONE CUT OF THE DEAD」が始まる。この映画はゾンビ映画を撮影に来ていた製作陣たちが本物のゾンビに襲われるという話。いかにもチープな作りとなっているのは「低予算だから仕方ないのかな」なんてことも感じさせつつ進んでいくのだが、どこかで違和感もある。意味のない会話のやりとりや、妙に間延びした部分があるからだ。ただ、後半になってその理由が明かされる一気に謎が氷解してスッキリさせてくれる。さらには映画愛や家族愛なんかも感じさせる部分もあり感動的ですらあった。とにかくヒットするのも納得のエンターテインメント作品となっていたと思う。

 ※ 以下、ネタバレもあり! ネタバレ厳禁の展開についても触れているので要注意!!


『カメラを止めるな!』 劇中劇「ONE CUT OF THE DEAD」の1シーン。監督役の濱津隆之はカメラに向かって「カメラは止めない」と宣言する。

 この作品は3部構成となっていて、第1部のゾンビ映画「ONE CUT OF THE DEAD」が終わると、時間は1カ月前の出来事に遡る。「ONE CUT OF THE DEAD」の製作が日暮隆之監督(濱津隆之)に持ち込まれるところから第2部ということになる。
 日暮監督のウリは「早い、安い、質はソコソコ」というもので、映画製作は好きだけれど、妥協しながら生きている男なのだ。今回のゾンビ映画はテレビ用の作品としてワンカットでしかも生中継として放送されるということに決定している。「作品よりも放送のほうが大事」というプロデューサーにとって、「質はソコソコ」でも放送できる堅実な作品をつくってくれるであろう日暮監督が選ばれたということになる。
 さらに第3部では実際に生中継で放送される「ONE CUT OF THE DEAD」の裏側が垣間見られることになる。これによって冒頭で見ていた「ONE CUT OF THE DEAD」がまた別のものに感じられてくるというところが『カメラを止めるな!』のおもしろいところなのだ。

 劇中劇である「ONE CUT OF THE DEAD」にも登場する日暮監督は、役者陣をどなり散らす暴君として振舞っていた。しかし、第2部で明らかにされる日暮監督の実像は、腰が低くて役者やプロデューサーに何も言うことができない妥協だらけの人間だということがわかってくる。それがたまたま監督役の役者のトラブルにより、日暮監督自身が劇中劇でも監督を演じることになる。そのなかでアドリブ的に出てきてしまったのが、役者陣を罵倒する言葉だったというワケだ。劇中劇での暴君監督ぶりが、第3部で撮影の裏側を見ると好き勝手なワガママを言っていた役者陣に対する意趣返しとなっていたことがわかって一気にスッキリさせるのだ。
 映画製作の裏側を見せる作品というのは色々あるけれど、この作品がおもしろかったのは映画が脚本という大元の構想はあっても、様々なアクシデントに対する臨機応変な対処や現実的な妥協との間の葛藤のなかでできあがっていくところを見せてくれたところ。実写映画では偶然の出来事が映り込んでしまう場合があるというのがおもしろいところで、すべてをコントロールしてつくりあげていくアニメやCGとは違ったよさがあるのだと思う。
 劇中劇「ONE CUT OF THE DEAD」は生中継という1回限りのものという設定。だからこそやり直しは効かないわけで、もともとの脚本とは違うものになっていく。それでも製作陣の頑張りと、加えて監督の奥さんと娘の協力によって、何とか作品として成り立っていくあたりが何とも感動的なのだ(奥さんのほうはかえってトラブルを引き起こすことにもなるのだが)。そして最初に感じていた劇中劇に対する間延び感も、その裏側を知ることになると作品を成立させるためのギリギリのサスペンスとして機能してくるあたりがよく出来ていた。このうまさが、一度見た観客をさらに繰り返し劇場へと足を運ばせることになっている要因なんじゃないだろうか。

 メタ・フィクションのレベルで言えば、劇中劇「ONE CUT OF THE DEAD」のメタのレベルに映画作品としての『カメラを止めるな!』があるという構造だけれど、さらにエンディングでは『カメラを止めるな!』を製作するスタッフの姿も映し出されている。
 劇中劇「ONE CUT OF THE DEAD」の日暮監督役は濱津隆之という役者さんだが、『カメラを止めるな!』の監督は上田慎一郎監督。それと同じようにカメラマンも複数登場する。劇中劇を撮影しているのは腰痛持ちの男性カメラマンとその助手の女の子(浅森咲希奈)。しかし男性カメラマンは途中で腰痛の影響でダウンし、助手にバトンタッチする。劇中劇ではカメラが地面に放置され、ここでカメラマンが交代したという設定になっている(撮影のタッチも変化するあたりも芸が細かい)。
 しかしエンドロールでの映像を見ると、別の事情が見えてくる。『カメラを止めるな!』のカメラマンとしてクレジットされている曽根剛は、この場面でカメラを地面に置いて休憩しつつ水分補給をしているのだ。というのも、37分間という長時間役者を追いかけ続ける重労働のために、中休みとしてそれが必要とされていたということなんだろう。
 劇中劇「ONE CUT OF THE DEAD」撮影の裏側を見せてくれる『カメラを止めるな!』第3部に対して、『カメラを止めるな!』撮影の裏側を見せてくれるのがエンドロール映像だということになる。なかなか複雑なメタ構造になっているわけだが、そんな裏側をさりげなくエンドロールでそれを見せてくれるサービスにも、観客を楽しませようという監督の心意気が感じられた。低予算でもこんな楽しい作品を作り上げてしまう上田監督の映画愛もひしひしと感じた。

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Date: 2018.08.19 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (9)

『2重螺旋の恋人』 ダブルの妄想

 『婚約者の友人』『17歳』などのフランソワ・オゾン監督の最新作。
 主役には『17歳』のマリーヌ・ヴァクト。初々しい高校生役だった彼女だが、このときすでにいい大人だったらしく、今では一児の母だとか。
 原題は「L'Amant double」

フランソワ・オゾン 『2重螺旋の恋人』 クロエ(マリーヌ・ヴァクト)は原因不明の腹痛で精神科医に……。


 原因不明の腹痛によって精神科を受診することになったクロエ(マリーヌ・ヴァクト)は、その精神科医のポール(ジェレミー・レニエ)と同棲生活を始める。しかしポールには秘密があり、パスポートの名前は苗字が違っている。実はそれは母方の苗字だという……。そのころクロエは街でポールと瓜二つのルイ(ジェレミー・レニエの二役)という精神科医に出会う。

 ポールとルイは実は双子の兄弟だ。しかし、ポールはルイの存在をなかったかのように振舞っている。一方でルイはポールに対抗心を抱いているようでもある。ふたりの過去に何があったのか?
 ふたりは共に精神科医だが、診療方法は対照的だ。黙ってクロエの話を聞くことに徹するポールに対し、ルイは挑発的にクロエに接している。ポールはクロエとの関係が恋愛へと発展することになると、診療はできないという精神科医として誠実な対応をするが、ルイは診察室でクロエに迫るという無茶苦茶なことをやっている。そもそもふたりは性格からして対照的な双子なのだ。クロエはポールと同棲しつつも、なぜかルイの存在のことも気になってしまう。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『2重螺旋の恋人』 マリーヌ・ヴァクトはショート・カットになって一見すると美少年のようにも見える。

 『戦慄の絆』(デヴィッド・クローネンバーグ監督)あたりを思わせる双子の兄弟の間で揺れる女性という三角関係から始まり、双子の間に生じた確執の話へと移行し、さらにその先の予想もつなかいオチへ……。前作『婚約者の友人』「クラシカルな雰囲気を持つ作品」だったと書いたのだけれど、『2重螺旋の恋人』は一転してキワモノ的な作品となっている。
 言ってみれば、ほとんどすべてがクロエの妄想だったというオチになるわけだが、本作はクロエという主人公の妄想以外に、監督フランソワ・オゾンの妄想も交じり合っているんじゃないかとも思えるのだ。
 『17歳』でも美貌が際立っていたマリーヌ・ヴァクトを本作の冒頭でショートカットにさせたのはなぜか。断髪式の際のうらめしいような目付きと、その後の陰部の診察や精神科受診といった展開から性的虐待によるPTSDなのかと思っていたのだけれど、そうではないらしく結局のところは原因不明の腹痛ということらしい(この腹痛が最後のオチへとつながる)。
 マリーヌ・ヴァクト演じるクロエは本作ではほとんどパンツルックで、スタイルもこれ以上ないくらいの痩身で、どこか男性のようにも見える瞬間がある。オゾンは双子という要素に加え、同性愛的なものを付け加えたかったのかもしれない。
 双子のポールとルイはクロエを間に挟んでのセックスのなかで、兄弟同士でキスをするシーンもある。この場面はオゾン自身のかねてからの妄想を映像化したものらしい(どこかでそんなインタビューを読んだ)。同性愛者というのはナルシシズムと親和性が高いということなのだろうか?
 さらに奇妙だったのは、クロエがポールを相手に擬似ペニスまで使ってアナルを攻め立てるというマニアックなシーン。オゾンはこのシーンについて「支配と従属の関係性」を描いたものだと説明している(こちらのサイトを参照)。
 男女関係に「支配と従属の関係性」があるように、同性にだってそういう関係がある。そして、まったく同じ遺伝子を持つ双子にすらも「支配と従属の関係性」があるのだという。この指摘自体はおもしろいのだけれど、ポールとルイの間の「支配と従属の関係性」が描かれたというわけではなく、普通の男女の立場が逆転しているだけとも言える。男女の「支配と従属の関係性」を描くのだったらほかにも手段があるわけで、単純にオゾンのアブノーマルな妄想が映像化されているだけのようにも感じられるのだ。つまりオゾンはおもしろがっているのだ。
 その証拠に、ヒッチコックの『白い恐怖』の扉が開いていく場面のパロディのようなシーンがあるのだけれど、それを女性のアレで表現したりもしている。もちろん悪ノリ以外の何ものでもない。

 すべてが終わったあとのラストでクロエはポールと交わりつつ、その姿をもうひとりのクロエに見つめられている。セックス中の自分を自分が見つめているというシーンは『17歳』にも登場していた。このとき私は「自我の目覚め」といった解釈をしていたのだけれど、オゾンにとってこのシーンはもっと重要な何かが秘められているのかもしれない。キワモノ作品だけれどフランソワ・オゾンを精神分析するとしたら最適な作品なのかもしれない。

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Date: 2018.08.09 Category: 外国映画 Comments (6) Trackbacks (2)

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』 どこまで高みを目指すの?

 トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが活躍する『ミッション:インポッシブル』シリーズの第6弾。
 監督・脚本は前作と同じクリストファー・マッカリー

クリストファー・マッカリー 『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』 トム・クルーズ演じるイーサン・ハント。もはや宇宙に飛び出しそうなくらいに……。

 本作は前作を引き継ぐような形となっている。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』で最後に捕まえた悪役ソロモン・レーンが再登場し、同時にそのレーンの部下という設定で敵か味方かでイーサンを惑わせたイルサ(レベッカ・ファーガソン)というキャラも再登場する。さらに第3作で登場し、第4作でもちょっとだけ顔を出していたイーサンの妻ジュリア(ミシェル・モナハン)まで出てくるのもシリーズのファンには嬉しいところ。
 前作の飛行機にしがみつくアクションもすごかったのだけれど、今回はさらにその上を行こうと意気込んでいる。高度7,620メートルからのダイブとか、ヘリにしがみついてみたりとか、これでもかというアクションを堪能させてくれる作品となっている。
 さすがに意気込みすぎたのか撮影中に骨折したりもしたトム・クルーズ。実際にその骨折したシーンも劇中に使用されているのだけれど、その後のシーンではちょっと足を引きずっているフリをしているのはファンに向けたサービスということなのだろう。
 トム・クルーズはハリウッドを代表するスターであり、誰もが認めるルックスだし、適当に仕事をしてもそれなりに地位を維持できそうなものだけれど、それでは自分が納得いかないのかすべてのアクションを自分でこなし、ヘリまで自ら操縦するというプロ意識にはすさまじいものがある。

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』 トム・クルーズは実際にヘリにしがみつくアクションまでこなしている。写真を見るだけで恐ろしい。

 ヘリで吊るされたりとか、ビルの間を飛び越えたりとか、バイクでパリの街中を逆走したりする危なっかしいアクションは製作陣としてはヒヤヒヤものだろうとも思えるけれど、トム・クルーズ本人がプロデュースも兼ねているからか気の済むまで徹底的にやっているようで、2時間半の長丁場もほとんど感じさせないほど盛りだくさんの内容になっている。
 どのアクションも見応えがあったのだけれど、前半のトイレ内での格闘が一番だろうか。このシーンではイーサン・ハントとウォーカー(ヘンリー・カヴィル)がジョン・ラークとされる男と闘うことになるのだが、ラークとされるアジア系の役者の動きがすごくて、2人を相手に立ち回りを演じて圧倒するのだ(一体この役者さんは誰だったのだろうか?)。
 こうなるとアクション俳優としてトム・クルーズに足りないのはカンフーの技術なのかもしれない。それさえマスターすればジャッキー・チェンになれるかも……。とはいえジャッキー・チェンはカンフーではトム・クルーズに負けないけれど、あのドタバタとした走り方はちょっとこのシリーズには合わないかもしれない。
 本作でもトム・クルーズは敵を捕まえるために全力疾走を披露しているのだが、走る姿がここまで絵になる人もなかなかいないんじゃないかと思う。CGばかりの映画が増えているなかでトム・クルーズは貴重な存在なのかもしれない。アクション映画好きには見逃せない1本。

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Date: 2018.08.05 Category: 外国映画 Comments (4) Trackbacks (8)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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